義経伝説ホームへ

義経エッセイINDEXへ
 
 

大江健三郎の講演を聞けなかった高校生

−教育について−


高校生が大江健三郎氏の話を聞けるなんて、何て幸せなのだろう。感性の豊かな時代に、大江氏の柔らかく、優しく、深く心に染み渡るようなバリトンの声を聴いたなら、きっと一人や二人は、自らの心の内にある気づかぬ才能の萌芽にスイッチが入って、眼がキラキラと輝き出すかもしれない。

そんなことを心配したわけではあるまいが、講演に来て貰うはずの高校の校長が、大江氏に速達の手紙を出したというのである。内容は、「講演では政治的なことについては話をしないでほしい」「当校は国旗も掲揚するし、国歌も歌う高校だ」というものであった。

ここで、はたと大江氏は考え込んでしまう。「自分がよっぽど、政治的メッセージを持っていて、何か、生徒を扇動するような話でもするとでも、校長は考えているのか・・・?」大江氏の中では、きっとそんな戸惑いのような感情がわき上がって来て、やがて自らの思想心情に合わない話はするなという手紙に潜む本意が露わとなった時、校長という人物の実に傲慢な政治的態度に少なからぬ怒りを覚え、ついにこの講演を断る決意をしたのであろう。

これは愚かな教育者によってなされた一種の言論の統制そのもののである。愚かなという意味は、そもそもこの校長という人物は、大江氏の柔らかい感覚というものを、理解していないのでないだろうか。この教育者は、堅い頭で「大江健三郎=左翼文学者」などという図式で、人物を判断しているのかもしれない。今もどんどんと状況に合わせて変貌を遂げつつ、状況に向けて積極的な発言をする大江氏の全体像を捉えることは容易ではない。大江氏の魂は、広島の原爆体験というものから発し、大江光氏という障害を持つ子息を授かることによって、目前に立ちはだかるそれらの文字通りの人生の障害と真摯に正対することによって、ついには20世紀の時代の人類の抱える原罪のようなものを背負った形で、作家活動をして来られた作家である。私はそんな大江氏に「神聖なる魂」を感じる。

大江氏は、広島になされた原爆投下という問題を、日本とアメリカの問題として捉えるのではなく、人類が人類に為した罪として考えている。そこに悲しみはあるが、憎しみはない。仇を仇で返すのではなく、純粋に人類史の中で行われた犯罪的行為として、原爆投下を「被爆の思想」として定立させることによって、人類史に「反原爆」という言葉のサクビを打ち込んだのである。それは一種の哲学的思索である。大江氏は真に広島と長崎での体験を哲学化し、文学として昇華することこそが、人類が二度と同じ過ちを繰り返さない為に自分が出来る最大のことと考えて作家活動をしておられるに違いない。

同じように、大江氏は、子息の光氏が、知的障害を持ちながらも、いつも友のように自然な態度で、その中にある音楽的才能を見出し、励まし、素晴らしく純粋無垢なピアノ作品を創作する道を、一緒に歩き続けている。私はこの大江氏の態度を、息子だから、そのようにしているのだとは思わない。大江氏は、ある時「息子によって、教えられることの方が多いですよ」と言ったのを聞いたことがある。きっと大江氏は、心底そのように思っているのである。教育とは、教え育てるだけの行為ではない。むしろ教育者とは、教える側の立場の人間から教えられることの方が多いのである。

このことは、たとえば、幼いダライ・ラマを教える側の人間の態度にみることができる。周知のようにチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマは世襲制ではない。全国からダライラマの転生者と思われる少年が集められ、様々な試験が施される。そしてその転生者でなければ知り得ないことが、少年の口から漏れ、ダライラマの転生者は、最終決定される。でも考えてみよう。昨日まで、生きていて、指導を受けていた人間が、魂が転生したと目される少年に教育を施すことになる。それはハードなカリキュラムが組まれ、徹底的なダライ・ラマの教育がなされるのだが、その教育の根本には、転生者の魂の中にあるダライ・ラマという種子にスイッチを入れるようなものである。

つまりこの場合の教育とは、教えるというよりは、目ざめさせるという部分にこそ力点が置かれているのである。「あなたは、あの偉大なダライラマの転生者である。あなたは自分が大切にしていたものを言い当てたが、実にあなた様は、慈悲の心を世界に広めた功労者である。我々は皆あなたの前にひれ伏す存在である。であるが故に、私はあなたを厳しく教育させていただくことといたしますぞ」そんな風に言うかどかは知らないが、大切なことは、少年を尊敬しながら、教育をしているのである。

大江氏の子息に対する態度もそのようなものが、どこかにあるような気がする。もしかしたら大江氏にとって、光氏という子息は、ダライ・ラマのような存在だったかもしれない。普通ならば、「どうして私にこのような試練を・・・」と絶望しかねない状況を、大江氏は、迷わずに背負い、そしてそれを心地よい春風のようにやり過ごしてしまうのである。

ある時、大江氏が、光氏を連れて、広島の原爆記念館に行く番組があった。展示品の余りの凄さにびっくりして怖がっている光氏を見て、「光。大丈夫だよ。ほらこっちにきて見てごらん。大丈夫だから」と言いながら、優しく肩を抱いているのである。大江氏は、広島や長崎の悲しみを人類の悲しみとして捉えた如く、氏個人の試練をも、人類に与えられた試練として受け止めたのであろうか。

確かに人は一個の葦の如き儚い存在である。しかし哲学者パスカルは、そこに希望を見出して「考える葦」と表現した。私は、大江氏の生き様の中に、「考える葦」のその「最良の葦」を見る。人間の中で、どれほどの人が、目前の運命というものに真摯に正対していると自信をもって語れる者が居るであろう。大江氏は、時代の子として生まれ、常に人間としてのあるべき、あるいは採るべき行為の選択の仕方というものを、身を以て示されてきた。ノーベル賞受賞は、このような人間大江健三郎の全存在に対して与えられた褒美と解釈して間違いはなかろう。

先の高校に大江氏が、講演を引き受けたきっかけは、自身の恩師であるフランス文学者の故渡辺一夫氏(1901-1975)の縁があるということで決めたそうだ。そこで「渡辺一夫氏の『寛容』について、話すつもりだった。きっと寛容という中には、テロと報復、という現代の社会状況にも話が及ぶであろう。今ほど「寛容」の精神が必要とされる時代もない。そこでこの愚かな校長先生は、政治的な事でも話されたら、とんでもない、とでも思ったのであろうか。愚かな教育者も居たものだ。大江氏の優しく人類愛に溢れた話に接する機会を失った高校生は、残念であろうが、今こそ自身で大江健三郎という作家に正対し、大江氏の文学の奥にある魂に触れ、何をか、考えるべきだろう。佐藤
 

 


2002.1.22

義経伝説ホームへ

義経エッセイINDEXへ