ピーター・フランクル日本語論

安易な英語第二公用語に反対する


日本在住の数学者ピーター・フランクル(ハンガリー系ユダヤ人)が、安易な英語の第二公用語に反対している。彼の言い分は、実にユニークで単純明快。さすがは世界的な数学者と思わせるものがある。彼によれば、「大事なのは世界でも有数の難しい言語である日本語を完璧にマスターする方が大事であり、安易に英語を小学生のうちから公用語化すると、日本人の知的水準の低下をもたらす危険がある」との見解である。また彼は「日本人に数学の面でも優秀な人が、多いのは、難しい日本語という言語を使いこなす能力を持っているからだ」とも指摘する。だからまず第二公用語などと、考えずに完璧な日本語教育を施した方がいいという訳である。

彼は日本人は、日本において公用語が、日本語であるはずなのに、日本人の多くが、白人とみるとすぐに英語を使いたがるのは、どうかと?とも云っている。それは英語を話したら、アメリカ人が美味いに決まっているのだから、そこですでにアメリカ人を仰ぎ見るような態度になってしまうというのだ。だからまず堂々と日本語を使って、挨拶をし、向こうが「スミマセン・ニホンゴ・シャベレマセン」と云ったら英語を使うようにすれば、立場が逆転し、相手のアメリカ人が、下に回ることにもなる。と云っている。まさに彼が語っていることは見事な交渉術でもある。

現在、アジアで英語を公用語化している先進的な例は、シンガポールである。確かに今シンガポールで英語を話せない人は少ない。特に子供達の間では、現地のマレー語や中国語よりも、単純で覚えやすく、漢字もない英語ばかりを使う傾向が強く、母国語の習熟度が極端に低下しているということを聞いている。もしも日本でも、小学生から、英語を公用語化した場合、同じように子供の間で、日本語離れが生じて、日本語の習熟度が、あっという間に低下してしまうにちがいない。

現在インターネット社会の到来と共に、英語力の強化が大切なのは、十分に分かっている。しかしだからといって、母国語である日本語をおろそかにしては、日本人のアイデンティティは枯渇して、文化的にもアメリカ合衆国、日本州になりかねない。むしろピーターの云うように日本語は難しいから良いのである。この一点によって、かろうじて日本はアメリカ文化の一元的価値観の奴隷にならずに済んでいるのである。

まさに最近覚えたという中国語を含め11カ国語をしゃべるピーター・フランクルの鋭い指摘は、今後の日本のあり方や、日本人のアイデンティティというもののあり方にもすばらしい問題提起となっている。本来文化交流とは、違うからこそ交流に意味があるものだ。つまり異質だからこそ良いのである。政府や文部省の安易な英語第二公用語化に反対するピーター・フランクルの言葉に、我々日本人は、素直に耳を傾けるべきではあるまいか。佐藤
 


義経伝説ホームへ

2000.5.8