義経伝説ホームへ

義経エッセイINDEXへ

俵万智.立松和平共著
「新.おくのほそ道」平泉の下りを読む

−歌における実感というもの−

 
面白いタイトルの新刊があったので、思わず手にとって、あるページを開いてみた。
俵万智、立松和平著の「新・おくのほそ道」(河出書房新社:2001年10月刊)だ。もちろん最初に開いたのは、平泉のページである。芭蕉の高館での句、「夏草や…」「卯の花に…」(曾良)、中尊寺での句「五月雨の…」という三句に対して、俵万智が、どんな歌を書くか。平泉バイパスという人為によって、その歴史的景観が台無しになっている様を、いかにして歌に詠み込むか…。

どきどきしながら、パラパラとページをめくると、中尊寺旧鞘堂の写真の横に二首の歌が添えてあった。
 

 ひたすらの夏草にして目に見えぬものばかり見ている平泉
 五月雨に降り残されて哀しいか時のかたみとなる光堂


どうも実感がないような気がした。俵万智の「まえがき」を読むと、これらの歌は、その地に行かないで、詠んだ歌だそうである。歌に添える形で、立松の文章が続く。どうも立松自身も、その場に行っていないで書いている気がする。もちろん自分の故郷である日光辺りは、景色の実感があるが、多くはただ俵万智の歌に感応する形で、ペンを走らせたとしか思えない。

旧鞘堂の次のページをめくると、左に高館からみた例の北上川とその岸辺に夏草が生い茂る写真が掲載されている。それは義経堂の脇から角度を付けて、意図的に高館のバイパスを入れないアングルで撮られている。かすかに手前に工事用道路の痕が見える。北上側の対岸には削られた岸辺が見えるが、上手に桜の葉で隠されている。カメラマンは相当苦労してこの写真を撮っているはずだ。

写真については、作者の二人は見たのであろうか。きっと平泉バイパスによって、高館からの景観が大きく変わってしまったことも見たであろうに、「目に見えぬものばかり見ている平泉」として、景観破壊の現実に目を瞑ってしまった歌人俵万智の感性には首をかしげるばかりだ。

芭蕉の「夏草や…」の句は、高館山に登って感じた無常というものや寂寥感を茫漠たる夏草の中に見た実感の句だが、俵自身の歌は、現実の夏草が剥ぎ取られた実態を無視し、ほんの僅かしかない夏草の中に芭蕉的なるものを必死で感じようとしているようにしか思えない。だったら両の目を開いて、現在の高館の変わり行く実態を感じるままに詠めばいいではないか。ことさら現実の平泉を無視して、永遠なるものなど見えるはずはないではないか。

立松の文章もまた、私からすれば、意味不明だ。

「時はどんどん飛び去っていき、去っていった時は二度と戻ってこない。諸行無常のことを考えると、居ても立ってもいられない。中世の頃の書物を読むと、人々は激しい勢いで時が流れ過ぎることに、恐怖心を抱いていたことがわかる。過去も未来も見なければ、ただ現在だけを感じていればよい。しかし鋭敏な感受性は、茫々と繁る夏草にも、見えないものを見てしまうのである。炎天下の夏草が喊声(かんせい)を上げて突撃していくつわものたちの群れにも見える。勝者も敗者も、諸行無常の前では同じである。ただただ夢にすぎない。諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三法印、これに一切皆苦を加えた四法印は釈迦の認識の基本である。釈迦の認識とは仏教のことである。人は認識しようがしまいが真理は働いているのであり、こうしている間にも時はどんどん過ぎていく。人の力ではどうしようもないのだが、無知よりは知った方がよい。」


何か、「平家物語」と「方丈記」をもって、「奥の細道」の芭蕉の句境を述べたような傍観者的な文章で、ちっとも「新・おくのほそ道」になっていない気がするのは私だけだろうか。芭蕉の「奥の細道」は、自らの足と心で綴った紀行文だ。しかもそれはただの紀行ではない。自らの命をも削って、その土地に潜んでいる地の霊のようなものにまで、触れようとする決死の旅日記であり地誌だ。そこには芭蕉の人生に対する考え方が旅人の目として盛られている。厳しく言わせていただければ、この立松の文章は、とても「新・おくのほそみち」と呼べるような代ものではない。

芭蕉が平泉を訪れたのは元禄二年(1689年)五月十三日であった。この年は、義経公没後500年(奥州平泉が頼朝の軍門に下ってから500年)の年に当たっていた。芭蕉は、並々ならぬ決意を持って、高館の義経堂と光堂にやってきたことは容易に想像できる。しかもそれはこの旅の中において、自分が死んでしまうかも知れないという覚悟を含んでの旅でもあった。だからこそ、芭蕉の一字一句が重く我々の胸の中に突き刺さるのだ。それから既に三百年以上の歳月が過ぎている・・・。

何もかも便利になり、東京から僅か、三時間もあれば、高館の夏草にお目にかかれる時代だ。その気になれば、平泉を一日で散策し、すべてを見て、東京にUターンすることだってできる。しかし反面、その便利さにより、全国にある景勝地と言われる土地の稀少性が損なわれてしまったのだろう。

結論である。もしも本当に芭蕉に挑む気持ちをもって、平泉を見るのであれば、時間を掛けろとは言わないが、少なくても、その場に立って、実感の籠もった歌を詠うべきであろう。実感の籠もらない歌は力がない。消えて行くものに「哀れ」を感じるならば、その消えゆくものの実像を良く見、もしもそれが人為のものであれば、「哀れ」ではなく「工事を中止すべき」位のことは言ってもいいだろう。もしもペンを持って立つ者ならば。佐藤
 



参考

人の批判ばかりでは能がないと言われかねないので、
私自身が今年(2001年4月)、実際に平泉を歩いて綴った紀行文を参考として上げておきます。

2001年高館うたの旅

 


2001.11.5

義経伝説ホームへ

義経エッセイINDEXへ