さる6月3日、ネパールで起きた王族射殺事件は、世界中に衝撃を与えた。私はこの事件の報に接しながら、時が経つごとに、この事件の背後でうごめく何ものかが気になり出すようになった。それは言葉として表現するのは極めて難しいのだが、何か人間の心に潜む「おぞましき闇の世界」をかいま見せられる思いがしてくるのだ。
はじめて、この事件の報道を知った時、あのブッダを産んだ信仰心の厚い国家というイメージしかないネパールという国で、何故あのような血生臭い惨劇が起こったのだろう、という感慨しか湧いてこなかった。 そして以下のように事件の状況が、少しずつ分かって来だした。 @ネパールという国は仏教国ではなく、ヒンドゥー教徒国家であること。
しかもその王族の遺体は、真相解明の最重要な手がかりでもあるはずなのに、何かを急ぐように、そそくさと荼毘に伏されてしまった。一国の国王一族が、亡くなったのだ。当然国葬を催すのが当然であろう。しかし新国王は、何を焦っているのか、次々と真相を闇から闇に葬るような行動を進めているようにしか見えない。 ネパールの人々は、この遅々として進まない真相究明に業を煮やして、新国王と政府に向けて、早期の真相究明を迫っている。街は自然発生的に暴徒があふれ、いつ暴動に発展しかねない有様である。しかし政府の説明は、動揺しているのか、二転三転を繰り返したままだ。 この事件をずっと、見てきて、さながらシェークスピアもびっくりのストーリーが展開している気がした。マクベスやハムレットやリア王のエッセンスが、ごちゃ混ぜになった状態で、そこにある。人間の心の中にある闇の部分が、今回の一連の事件を支配していることは間違いない。まさに人間の心の闇は、深くて暗いと実感させられる。もしも今回の事件が私が今頭の中で考えている通りの真相だとすれば、次ぎにネパールで起こることは、新国王による「王政復古」の大号令であり、そしてまたそれを「許さじ」と立ち上がるネパール国民の集合的無意識の顕現であろう。佐藤
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2001.6.8