浄土庭園
毛越寺の夏

夏を迎えた毛越寺の浄土庭園大泉が池
(2004年7月4日佐藤撮影)

 
毛越寺のあやめ祭り(6/20-7/10)に行く。山門を入ると、まっすぐ本堂に進む。ご本尊の薬師如来に手を合わせる。読経の声とお香の香りが心を落ちつかせてくれる。今日は茶会が催されるとかで、本殿の前を和服の女性たちが楚々とした姿で歩いてゆく。先ほどまで、鱗雲が折り重なるように太陽の周辺にあって、曇っていたが、いつしか雲が散って、夏の陽射しが木立を抜けて降り注いでいる。

南大門跡に向かう。花には申し訳ないが、花よりもまず大泉が池である。今日の浄土庭園が、どんな表情を見せてくれるか、わくわくする。この池は幾たびに発見がある不思議な場所である。晴れても曇っても、春夏秋冬、それぞれの美しさがある。

しみじみと池全体を俯瞰する。そよ風が流れ、さざ波が立っている。光という太陽の子供たちが、この池の中で遊んでいるようにみえる。遠くを見れば、かつて根本中堂金堂円隆寺跡の背後に金鶏山と塔山が見事な借景をつくって、なだらかに聳えている。それにしても見事に考えつくされた庭園である。一切無駄なものとか、華美なものがない。研ぎ澄まされた造形美である。私の勝手な言い方をすれば、基衡公がこの寺を完成させた当時の豪奢な美しさも良いが、今のようにかつて在ったものがことごとく消失してしまったこの空間の方が、人の想像力を喚起し、美を催させる何かが生まれているのではないかとすら思う。

かつては、この池を取り囲むように豪奢を尽くした円隆寺や嘉祥寺などの大伽藍が曼荼羅的な宇宙を構成していたのである。それはそれできっと煌びやかな美しさがあっただろう。しかし私は遣り水を復元しただけの華美な装飾を脱いだ形の毛越寺の佇まいが何とも云えずいい。

池の中に立つ「池中立石」を、何枚か写真に収める。私はこの立石の景色が好きである。荒磯風の大きな石が池の淵に幾つか配置されて、島を思わせるこの立石に向かって伸びている。かつてこの配置を見ながら、日本列島が誕生した時の神話が浮かんだことがあった。また冬に訪れた時には、池の中にたつ立石に、雪中を歩く老西行を連想したこともあった。その時々に様々なことをイメージさせるこの池の力にはいつもながら感心させられる。

おそらくは、この大泉が池は、奥州藤原氏二代基衡公が、京都から当代随一の庭造りの芸術家を呼び寄せ、それこそ途方もないような報酬を差し出して造り上げた池に違いない。様々な浄土庭園や西洋の庭も見てきたが、このように何度訪れても、その都度、別の感動を与えてくれる庭園は皆無である。

誰がこの庭園を設計したかは、明らかではないが、日本の文化の粋を体現した人物が、まさに乾坤一擲の気持ちで、精魂を込めて造り上げたものであろう。

じっと立石をみる。するとやや左に傾いた石に、子供たちを見守る母親の姿に見えた。女性の美しさは母性である。慈母観音ということになろうか。西洋で云えば、マリア信仰ということになる。石という固く冷たいものが、時として、母という温かくて優しいイメージに見えるのは、私自身が母を亡くして、一周忌を迎えていることからきているのかもしれない。
 
 

池中の固き立石見詰めれば浄土にお座す慈母浮かび来ぬ

遣り水の水源より流れ下る清流をみる
(2004年7月4日佐藤撮影)

 
ゆっくりと洲浜(すはま)をまわる。洲浜は、池の南の隅にあって、芝がなだらかな曲線を描いて遠浅の海岸線を思わせる場所だ。杉や楓の木立から木漏れ日が陰翳をつくっている。ここから立石越しに南大門から本堂を見る景色も美しい。

土の歩道をゆっくりと池を眺めながら歩く。楓の新緑が風にそよいでいる。ここから北を望めば、正面に開山堂が見える。その前にあやめの花園がある。緑の合間に色もとりどりに花菖蒲が咲いているのが微かに見渡せる。

旧常行堂と法華堂のあった跡から常行堂の前を過ぎて、遣り水の水源に向かう。常行堂は、寺僧たちの修行道場であり、毛越寺の鎮守の神である摩多羅神(またらじん)をお祀りする御堂である。この神さまは、寺伝によれば、慈覚大師円仁が中国から日本に帰る船上で感得した神とされ、阿弥陀如来の化身と云われている。常行堂のご本尊は阿弥陀如来だが、化身とされる摩多羅神は秘仏として奥殿に安置されている。三十三年に一度、ご開帳がある。毎年正月20日夜、常行堂では常行三昧の修法の後、延年の舞が奉納されることで知られる。

遣り水は、1983年(昭和58年)の調査で発見され、その後復元されたものだ。「作庭記」(平安期に書かれた庭造りの秘伝書)の記述に忠実にそって造られた人工の小川で、かつてここで曲水の宴があったと推定されている。この発見を記念して、毛越寺では、1986年(昭和61年)より、毎年五月に、この遣り水を舞台として、「曲水の年」を恒例行事として催すようになった。今年で十九回目を数え、毎年盛大なとなり、全国的にも知られるようになった。

常行堂の裏を少し登ると塔山の山裾から清水が流れているのが見えた。清流が曲線を描いて大泉が池に流れ下る様は実に美しい。長さは80mで、日本最大の遣り水だそうである。

作庭記の記述によれば、遣り水は次のような考え方で造られている。

「(遣り水は)東より南に向かって西へ流すのが常道である。また東より水を流して家屋の下を通し、南西の方角へ流すのは、最良の吉相である。東から来る青竜の水をもって、様々な悪気を西の白虎の道へ洗い出すことができるからである。その家の主人は難病の苦なくして心は安楽となり、長寿の人生を得るであろう。云々」(現代語訳佐藤)

古来より、日本人は、中国の道教の影響下にあり、家を建てる時、また寺を建て、池を造る時、吉相あるいは家相というものを重んじた。特に「四神相応」(しじんそうおう)ということには気を配ったのである。四神とは、四つの獣の神さまを指し、その神さまの配置が地相を占う上で問題となる。すなわち西には青竜(川)、西に白虎(道)、南に朱雀(窪地、湖沼)、北に玄武(山)がある地相を吉相とした。その意味で、平泉は、まさに初代藤原清衡公が、四神相応の場所を特に選んで、開いた大吉相の都であった。平泉で、この四神を特定すれば、まず西にある青竜とは北上川を指し、次に西にある白虎とは、毛越寺を西に走る奥大道と呼ばれた達谷窟に向かう官道である。南の朱雀は、この大泉が池の毛越寺である。更に北の玄武(山)は、中尊寺のことになる。

遣り水の辺に烏が舞い降りて、ぴょんぴょんと二三歩飛び跳ねて水を呑んでいる。長閑な景色だ。普段は嫌われ者の烏も一匹となり、毛越寺の遣り水にでも来ると神の使いのようにも見えるから不思議だ。
 
 

 遣り水の流れ下りし風流を見せたき母の一周忌かな

あやめ園越しに大泉が池を望む
(2004年7月4日佐藤撮影)

遣り水の辺に烏が舞い降りて、ぴょんぴょんと二三歩飛び跳ねて水を呑んでいる。長閑な景色だ。普段は嫌われ者の烏も一匹となり、毛越寺の遣り水にでも来ると神の使いのようにも見えるから不思議だ。

遣り水の流れに架かる小さな橋を渡って金堂円隆寺と嘉祥寺の跡を見ながら、あやめ祭りの開催されている。開山堂前の花園に向かう。この毛越寺の花菖蒲は、戦後に明治神宮の花菖蒲を移植したものということだが、今では、平泉の初夏の風物詩になってしまった感がある。

花菖蒲は、強い夏の陽射しを浴びながら、白や紫やうす紫のなど、開園から二週間が経ち少々疲れているようにも見えるが、健気な風情で精一杯咲いていた。実に見事だ。不思議に思ったのは、枯れたり萎れたりしている花はひとつも見あたらないことだ。少しして、花を守っている人たちのことを思った。彼らが花芽を具合を丹念にせん定しながら、弱った花は摘んでいるのであろう。

花園というものの花の美しさは、花守の人たちが、訪れる人たちの見えないところで、地味な努力を続けている成果であり、そこで見る花の美しさは、花を守る人たちの努力のお陰なのである。

すると、花園の茶店の方から、「どうぞお茶を一杯飲んでいってください」というおじさんの声がした。布袋さんのような笑顔のおじさんだ。せっかくなので、お茶を一杯いただくと、花園に足を踏み入れた。花菖蒲の大きな花を近くに遠くに立石を入れたアングルでカメラを向けると、一際美しい景色が見えた。
 
 

花園の花守る人を思いつつ花の向こうに浄土の池見む

毛越寺の浄土庭園とあやめ
(2004年7月4日佐藤撮影)

花園に我埋もれいてしみじみと平和の意味を噛みしめていた

毛越寺の蓮はいかが
(2004.7.25 佐藤撮影)

今年の奥州はとにかく暑い。7月25日、毛越寺が35度の猛烈な暑さに見舞われている最中、私はいつものように浄土庭園を常行堂の方から、ぶらりと歩いてゆっくりと池の淵を巡った。あやめ畑は、祭りも終わり閑散としていた。ひと仕事の終えたあやめ達は、うだるような暑さにぐったりとしているように見えた。さて、蓮池に向かうと、中尊寺から株分けされたと思われる中尊寺蓮が、本堂の裏の松の木陰で、ひっそりと咲いていた。毛越寺に中尊寺蓮があるなんてたいていの人は知らないだろう。今がまさに見頃である。松の枝の隙間から漏れる夏の陽射しを浴びて、蓮たちは、めいめいそれぞれの個性を見せながら美しく咲いている。どれひとつとして、同じような咲いている花がない。きっと毎日見ていたら、名前を付けて、話しかけてしまうかもしれない。何と個性的な花だろう。流石は八百万の神仏の並び立つインド原産の花である。

ふるさとの浄土の池に生ふ蓮に名などつけたき個性美見たり


 

ふるさとの浄土の池に生ふ蓮に仏の慈悲の神秘を視たり
 

毛越寺の木陰
(7月25日 佐藤撮影)

奥州の浄土の池に佇めば遠く切なく蜩(ひぐらし)の鳴く
 


2004.7.5 Hsato

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