丸くなった中田英


 


 
ワールドカップの中田英には、正直言ってがっかりした。もう少し才能のきらめきのようなものを見せるのかと期待したが、テレビに釘付けになるような動きは最後までできず仕舞いだった。と同時に、デビュー当時あれほど、生意気な言動を繰り返し、それを文字通りの実力で跳ね返してきた中田が、ついに才能の限界と言うべきか、底を見せてしまったなと感じた。またそれは極めて日本人の陥りやすい和する態度にも見えて悲しく思えた。

特に、ベスト8を目指した決勝トーナメント1回戦対トルコ戦の彼の終始にこやかな表情が妙に脳裏に焼き付いている。これで本当に相手に勝つ気持があるのか、と腹が立つほどだった。試合後、「何かが足りない」というような曖昧な言葉を吐いていたが、足りないのは、中田自身の「勝利に対する強い気持」ではなかったか。それは同じく決勝トーナメント一回戦、韓国のエース、アン・ジョン・ファンが、対イタリア戦で、決定的なペナルティを外し、「心で泣きながら夢中でプレーした。最後に決めれて本当に良かった」と語って涙を流したのとは、まさしく好対照の醒めた態度だった。

四年前の中田のトスは、縦横無尽だった。右に出るかと思えば、左に鋭いパスが、前を走る年長のフォワードが走力の限界ではじめて追いつくような具合だった。しかも彼は、年上の人間もその名を、平気で呼び捨てにした。試合では、たんたんとふて腐れたようなふてぶてしい表情で、先輩をまるで小間使いのように使う如く振る舞った。

そして鳴り物入りで、イタリアのセリエAペルージャに入団し、そこで大活躍をして、優勝を争えるメジャーチームのローマに移籍した。ところがそこには、同じMFでトッテイというイタリア代表のスーパースターが居た。結局レギュラー争いに敗れ、ベンチを温めることが多かった。しかしそこで中田は、愚痴をこぼすどころか耐えに耐えて、スーパーサブ(超控え選手)に甘んじた。結局、ローマは優勝したが、それは中田の活躍によってではなかった。もう少し生意気に徹し、「何でトッテイではなく俺を使わないのだ」と位は言うべきだった。

頭の良い中田は、結局耐えながら、イタリア語をマスターし、ローマから、これまた強豪チームのパロマに移った。中田のMFとしての実力を買って、中田中心のチームを作ろうとしたパロマだったが、その目論見は見事に外れ、セリエAに残るのがやっとの成績だった。肝心の中田のプレーも鋭さを欠き、レギュラーをも外されてしまった。

こうして2002年ワールドカップが来たのである。中田にとって、才能のきらめきを見せるチャンスであったが、結局おとなしい猫の役割をイタリアセリエA同様に果たすことになってしまった。中田は、喧嘩をせず和する日本人になって帰って来たのであるが、人の良くなって物わかりの良い中田なんて見たくはなかった。中田に限らず、日本人は、何故かくもお人好しに成り下がってしまうのか?佐藤
 

 


2002.6.28
 

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