長野県政の混乱から見えてくるもの


 

 長野田中知事は、15日「失職の道を選択した」と語った。これによって、改めて自らが県知事選に再出馬し、長野県民の民意を問うことになった。

周知のように田中知事は、6月長野県議会において「脱ダム宣言」に沿って、浅川、下諏訪両ダムの建設中止を表明したが、保守系の3会派が猛烈に反発。知事に対する不信任決議案を共同提案して、これが去る5日に可決していた。

知事には、議会を解散して、県議会議員のメンバーを一新する道もあった。しかしもしもその方法をとったとしても、現在の議員に対抗する対立候補を選び出すことは時間的にみて不可能なため、たった一人で、議会と戦う道を選んだといえそうだ。

現在の長野県政を眺めていると、日本経済の縮図が見えてくる。脱ダムあるいは公共事業の見直し、という公約を大々的に掲げて当選した田中康夫知事は、選挙公約をそのまま実行し、次々とダム工事の見直し検討を指示して、県民の付託に応えようとした。

ところがその公約自体が、これまでの地方政治を真っ向から覆すような内容を含んでいて、県議会議員や県職員の間では簡単に受け入れられるものではなかった。二年前の田中県政誕生当初、上司である知事の名刺を破る県職員幹部が現れたのも、そんな空気の反映であった。

考えて見れば、県政というものの中心にいる知事という存在は、直接に県民の投票で決まるのであるから、国で言えば、日本の首相というよりは、国民が直接政治リーダーを選ぶ大統領のような存在である。

長野県の民意を集約すれば、現在、田中知事の、脱ダム脱公共事業の公約を指示する県民が6割を越えるという高い支持率が、知事の誕生から現在に至るまで、一貫して続いている。これは何人も否定し得ない冷厳な事実である。しかもこれこそが田中知事の「脱ダム・脱公共事業」の政策理念を背後から支えている民意である。

ところが、県議会の趨勢は、と言えば、旧態依然とした特定の団体や業界の利権を反映する議員達が牛耳っていて、知事の政策にことごとく異を唱えることになっていた。早い話が知事に対抗する県議団が、総与党体制のような状態を形成し、知事がこれに対してどんなに民意を武器に対抗しても、議会の流れを変えることは容易ではなかったようだ。

何故、長野県民の民意と県議会議員の間に意識のズレが生じているか。おそらくそれは、第一に、政治に白けきっている人々(無党派層)が、県議会議員に立候補する人間の顔ぶれを見て、積極的に選挙投票に参加してこないことがあること。また第二には、過疎化している農村部の周辺の選挙民の投票行動に変化が表れていないこと等が上げられるであろう。つまり旧態依然とした、組織選挙が行われていて、県民一人一人の自主的な気持での投票行動が、疎外されているということなのである。きっと投票している本人も、今のままでは、マズいと思いながらも、代わり映えのしない候補者をこれまでの慣習的なやり方で選んでいるか、あるいは投票せずに棄権をしているというのが正直なところではあるまいか。

こうして長野の県政を見ていると、日本という社会のミニ版がそこにあるように思える。日本の国民がどんなに小泉改革に期待をかけようとも、それに思いっきりブレーキを踏み、改革自体を潰そうとする勢力がいて、少しも前に進めない情勢が出来上っている。但し、国政レベルの方が、長野県の情勢より遙かに質の悪い状況にあることは一目瞭然だ。それは小泉首相という一国のリーダーが、国民の総意で選ばれたリーダーではなく、自民党という政党が担ぎ上げた政権であるから、どうしても腹を据えた政策ができないことになってしまうということに起因した日本国家のシステム上の構造的問題ではあるまいか。やはり日本でも国民がリーダーを直接選べるようなやり方を真剣に考える時期に差し掛かったと見るべきではないだろうか。佐藤
 

 


2002.7.12
 

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