村山直儀の新作「希望」を見る 

「希望」若き女優の肖像(全体/未完成)
(作村山直儀 油彩30号 2004年)

うら若きノーマ・ジーンの瞳より夢と希望の華の萌え立つ
 

「希望」若き女優の肖像(頭部)

旅立てるノーマ・ジーンは「希望」なる女神となりて我が胸中に在り


村山直儀の新作「希望」(若き女優の肖像を見た。2004年5月29日(土)、銀座のギャラリー「ミハラヤ」で開催中の「村山直儀のおもしろ世界展」に行くと、入口に、その画は掛けてあった。どこから見ても紛れもなく、マリリン・モンロー(1926-1962)の肖像だった。

私がギャラリーに入るなり、白いドレスシャツ姿の村山は、すぐに、私を見つけて、「どうかね、佐藤さん、この絵?」と言った。村山はまるで闘牛士(マタドール)のような鋭い眼光でこちらをギロリと凝視してくる。よっぽどの自信作なのだろう。まだ未完成だと村山ははっきりと言った。

私は答えようもなく、しばしの間、じっと30号の画を凝視したままその場に立ちすくんだ。

肖像の前に立ったまま、様々なことを思った。とかく、私たちは、モンローというと、どうしても我々は「セックスシンボル」というイメージで見てしまう。ところが、この肖像は、どこかに夢見る乙女のような若々しい雰囲気が漂っている。おそらくモンローが映画界にデビューする直前の1946年頃の肖像だと思われる。村山にそのことを尋ねると、「モンローはね、17才で結婚したんだね。ルーマニア系のアメリカ人だよ。実は小さな彼女のポートレイト見つけてね。これがいいんだな。大女優の時代にはない夢見るような目線がね」と言った。

少ししてこの村山の新作の奥から、若い頃のモンローの夢とか希望が、散華(さんげ)のように降り注いでくるのを感じた。そこでひとつの考えが浮かんだ。散華のように降り注いでくるものとは、単なるモンロー個人のものではなく、アメリカという国家の夢や希望ではないか、ということだ。1946年といえば、丁度第二次大戦にアメリカが勝利し、世界中の富と人材が、この国に集まってくる直前の時代である。アメリカにとって、第二次大戦の終結は、名実ともに自国が世界の覇者になることを意味した。当時の映画をみれば、コダック社が開発した総天然色の映画の豪華さは、宝石のような輝きを放っていた。モンローは、アメリカ映画産業というよりは、アメリカの夢や希望を体現した女優であった。世界の人々は、マリリン・モンローという女優の中に、アメリカそのものを見たことにる。こうしてモンローは、銀幕を通して、20世紀の「自由の女神」となり、我々の心の奥に生き続けているのである。

アンディ・ウォーホル(1928-1987)の現代アートにモンローの写真を加工した有名な作品がある。それ以後、様々に取り上げられてきたモンローだが、このように無名時代のマリリンモンローを描いた作品は、見たことがない。また鬼才村山直儀は、21世紀の現代において、新しい「モンロー像」を提示したことになる。それはアメリカの一人の乙女の夢が、いつしかアメリカという国家の夢と希望とすり替わって象徴化して行く過程を彷彿とさせるものである。かつて本名ノーマ・ジーンという無名の美しき乙女は、映画というものを通じて、世界中の人間の心に浸透し、ついには「マリリン・モンロー」という元型(集合的無意識)にまで昇華して永遠に生き続けることになったのである。

それにしてもひとりの肖像を通じて、時代をも描ききってしまう村山直儀という芸術家の美意識と感性には驚かされるばかりだ。了  佐藤

 


2004.5.31

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