二人の男の死


2002年6月13日、演歌の村田英雄(むらたひでお:73才)が亡くなったと思ったら、15日、役者の室田日出男(むろたひでお:64才)が亡くなった。ひらがなで書くと一字しか違わない。この二人の相次いでの死に、どこか不思議な感覚をもってしまった。それはこの二人が、今日本人が急速に失いつつある「男っぽさ」というものを強烈に発するキャラクターであったことからかもしれない。

「吹けば飛ぶような将棋の駒に賭けた命を笑わば笑え」
故人を偲ぶ番組で、「王将」を歌う男盛りの村田英雄がいた。太い眉と浪花節で潰した渋い声が画面一杯に映る。その男臭さといったら、ちょっと表現に困るほどの凄さだ。このような男を、糖尿病という病魔は襲った。それでも当人は、両足を切断し、骨と皮だけとなっても、演歌を歌い続けた。

「やーるとおもえーば どこまでーやるさ それが男の命じゃないか」
今度は、衰弱した歌手村田がいて、掠れた声を絞り出すように歌っている。なぜここまでして歌わなければならないのか。そんな気さえしてしまう映像だった。歌というもの一筋に歩いてきた男が、自分の決めた道に最後までこだわりをみせる姿が妙に痛々しく悲しい。でもその姿は実に壮絶なのだが、どっかに清々しい風が吹いている感じもするから不思議だ。

それにしても若い頃のむせ返るような「男っぽさ」と晩年の衰弱した姿のこの余りにも違いはなんであろう。後輩にあたる北島三郎が、病室に見舞いに行くと、「お前も体には気を付けろよ」と言われたそうだ。

室田日出男は、渋い脇役(バイプレイヤー)だった。どんな作品よりも、私は「前略お袋さま」で見せた飄々とした演技が懐かしい。主役の萩原健一を向こうに回しての、骨っぽい演技は、画面に強い陰翳を残した。その後は、正直言って、彼のキャラクターを生かし切った役を得たとは言いがたい。もっと大成していい役者だった。昨年、平成13年度の大河ドラマ「時宗」に出演した彼の演技は、一世一代の演技だった気がしていた。きっと彼自身、もう何年も自分が生きられる身体ではないことを薄々自覚していたと思われる。肺ガンの為か、やせ細って、年齢以上に老け込んで見えた。声も若い頃のような凄みのあるものではない。それでも「時宗」という歴史的人物の周辺にいて、精一杯に男を張る人物の悲哀が滲み出るような素晴らしい演技だった。

二人の「男っぽい」人物の相次ぐ死に接しながら、「老いとはいったい何か」ということを改めて考える自分が居た。

かつて指揮者のカラヤンは、老いて言うことが聞かなくなった自分の体にいらつきながらこのようなことを言ったことがある。
「私の魂はちっとも老いていない。私にはやるべきことが残っている。だとしたら神は私に新しい体を与える義務がある」

いかにも厳格で強固な魂を持っているカラヤンらしい言葉だ。
ゲーテの最後の言葉の「もっと光を」ももしかすると、この世に対する執着心のようなものを象徴しているのかもしれない。佐藤
 
 

 


2002.6.13
 

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