無関心天国の日本

−日本社会の精神的病巣の一断片−


 
昨日、近くの本屋にいくと、茶髪にヒップホップ系のカッコウをした中学生ぐらいの女の子が二人いて、立ち話をしている。一冊の本を取り上げては、「結構面白いね。」「こんなのホント、へー」「六法全書ってこうなってるの?」などと、大きな声で話している。どう見ても勉強の好きそうなタイプには見えない。私自身不思議な感じで、この子達の存在を見ていた。そばには店員のカウンターがあり、いかにも無気力そうな男性店員が本を整理している。おそらくバイトの子であろう。見るからにやる気がなさそうだ。 
女の子が言った。 
「お兄さん、手紙の書き方の本ある。手紙うまくなりたいの?」 
するとその店員は、「どうぞこっちです」と言って、女の子ふたりを別のコーナーに案内した。その子達がいた所に行ってみると、さっき見ていて、手に取ったと思われる本が、グジャグジャに散乱している。ケースを抜いたら抜いたまま、向きが右左互い違い、せっかく積んであったのが崩れている。

「何だこれは?!」と「おい、おまえら、」と、言おうとしたが、止めた。考えてみると、本来「店員」が注意すべきことだ。むしろこの女の子達よりも注意も出来ないこの店員に腹を立てた。もちろんここが私自分の本屋だとしたら、ただでは済まない状況だ。 

自分の職場が、目の前で荒らされているのにその状況をまるで他人事のように、仕事をのんびりと続けている店員の無関心の馬鹿さ加減に呆れてしまった。その店員は、気づいていないのか?散乱した本を直す雰囲気はない。いったいどうなっているのだ。この本屋は?

しかし昔は、この本屋もテキパキとした正社員が、何人かにて、万引きなど容易にできそうもない雰囲気だった。ところが、リストラ日本のご多分に漏れず、この本屋も、店員の数が極端に少なくなってしまった。その挙げ句に、このような隙だらけの本屋となってしまったのだろう・・・。

そのうちに、先の女の子たちが、出口に向かった。彼女たちは、手に大きな布の袋を持っている。「おい、おい、どうするんだ。少女よ。」私は心の中でそう叫んだ。この子達は、おそらくこの馬鹿な店員の無関心を良いことに、高そうな本を目一杯、袋に詰め込んでいるに違いない。もちろん現場を見たわけではないが、少なくても私はそう確信した。しかもこの子達は、初犯ではない。何回か、同じような行為を繰り返しているはずだ。仕草が馴れすぎていてふてぶてしい。

そのうちふたりは、堂々と布の袋を前に抱えて、カウンターの前を難なく突破し、出口へと出ていった。よっぽど、カウンターのおばさんに、あのふたり万引きしている感じだから、呼び止めて調べた方がいいよ。と言おうとしたが、やっぱり止めた。ここまで来るとやられる方の店側にも、大いに問題があるように思われた。

ともかく店側に客を迎える構えが出来ていない。「これが今時の日本か」、日本社会の縮図がこの場所にある気がした。やる方もやられる方も、余りにもレベルが低いとしか言えない。しかも今回の女の子はまだ中学生で不良も初歩段階。それが来て、どんなことをするのか分からないほど、他人に関して無関心なのだ。これでは取られて当然だ。そんな気さえした。あの茶髪の女の子たちは、きっと「世の中こんな簡単なものか」、「万引きやっても注意もされない」、「何て馬鹿な大人たちだろう」などと思ったに違いない。 

これが日本の現状なのだ。モラルを自己の内部でしっかりと確立できていない子が、悪いことをやっても、注意もできない社会。それが日本という社会に蔓延している病気の正体だ。今年の成人式が、社会問題となったことは記憶に新しい。高松市で、一部の若者が市長に対して、クラッカーを鳴らして威嚇した事件である。あの時のフイルムをよく見ると分かることだが、あの前段で、連中が一升瓶を抱えて、回し呑みをするシーンがある。それに対し、市側の若手の職員が見ていて、彼らを注意するどころか、見て笑っているのだ。その後も自分のボスである市長が、暴徒と化して、クラッカーで襲われるのを素早く割って入るようなことはなかった。まあ、構えが出来ていないから、何もできないのだ。彼らは、ただ目の前で起こっている決してあってはならない不道徳な行動に対して見て見ぬ振りをしていたのだ。

これで本当に良いのか?無関心と他人事の日本よ。核家族化が進み、隣近所にどこの誰が住んでいるかも分からないような社会のなれの果てに、ついに無関心社会はここに窮まったという気がするのは、私だけか?佐藤 
 


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2001.1.24