無言の言」について

 
 
「沈黙は金・雄弁は金」ではないが、世に「無言の言」というものがある。簡単に言えば、しゃべらないことが、返って力を持つ言葉になる、ということだ。しかし「無言の言」と言ったって、まったく普段から何も考えることもなく「沈黙」や「無言」を通しているのであれば、それはただの無知無能ということであり、話にはならない。何かしら確固たる意見を持ち、思考を重ねている人物が、その噴出する思いを抑えて、沈黙を守るからこそ、「無言の言」として力を持ち得るのである。

歴史上の人物からこの「無言の言」について考えてみると、確かに歴史に残る人物の最期の言葉というものは、意外なほどあっけなく、まさに「無言の言」と言えるものだ。

例えば聖書におけるキリストの最期を見てみよう。周知のように聖書の中に「キリスト伝」と言うべきものは四冊ある。それぞれマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネである。この四冊では、キリストが息を引き取る場面の描き方が微妙に違っている。

マルコとマタイによるものは、「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」(神よ何故私をおみすてになられるのか)と一瞬神に対する懐疑?の念を独白している。それに対してルカとヨハネによるそれでは、まさに死そのものを従容として死を受け入れるといった感じに仕上がっている。先ほどは微妙という表現をしたが、よくよく考えてみれば大きな開きだ。

特に文献成立史上一番最後に成立した?とみられるヨハネによる福音書では、「成就されました」というようなキリストの最期の言葉を入れることによって、ドラマチックにしかも完璧なまでに神の子としての死を受け入れる姿が描かれている。

これは、冷静に考えればキリストの神格化の過程でキリストのイメージが意識的に神の次元に高められていく一断片ということができる。私としては、どうしても「何故おみすてになれれるのか」という言葉に、人間としての「悔しさ」を表白したキリスト像に共感(シンパシー)と現実性(リアリティー)を感じる。

おそらく30才そこそこのキリスト本人は、使命感とエネルギーも有り余り、もっと自分が為すべきことがあると考えていたに違いない。しかし状況は、自分が死すべき方向に向かって、どんどん突き進んでおり、死ぬ以外に我が身を生かす道が閉ざされていることを知るのである。
だからこそこのキリストの最期の「神よ、どうして私をおみすてになるのですか」という言葉にはリアリティーがあるのである。この無念の独白こそが、キリストの思想であり、歴史の中で残ったことの大きな原動力ではなかったか。弟子達は、師としてのキリストの無念を何とかして、後の世に伝えたいと思ったに違いない。つまり弟子達は、「師が何を我々に伝え、何をこの地上で何を実現したかったのか」、と真剣に話し会い、そこにキリストの思想というものが、まとめられる大きな契機が発生したのである。

これはソクラテスの場合でも同じであった。もしも若者を扇動したとして、捕またソクラテスが、命を惜しみ、毒杯をあおることなく、逃亡していたらどうだったろう。どこかで無罪などを主張したとし、老いぼれて死んでいたとしたら、今日までソクラテスの哲学は、きっと残っていなかったに違いない。毒杯による刑死こそが、ソクラテスの名と思想の価値を後の世に仕える大きな原動力となったことは明白である。

ソクラテスのように多くを語らず、死の床につくから、ソクラテスの哲学は生きたのである。死による沈黙。その空白を埋める想像力がある人間は必ず存在する。それがソクラテスにとっては、プラトンだった。おそらくプラトンは、どうしてもソクラテスの考え方(哲学)を後の世に仕えなければならないと、思ったに違いない。

ブッダにしても、孔子にしても、最期の言葉は、実にあっけないものだった。むしろ語らなかったと言うべきだ。もちろん著作なども一切著さず遺さない。弟子達が、その後に結集し、言行録をまとめようとする。語らない「無言の言」という決断こそが、彼らの思想を遺さねばと思う心ある人の気持ちをかき立てたのである。佐藤


義経伝説ホームへ

2001.1.12