今年も梅雨
が明け、夏の盛りとなった。そうすると、心は奥州の毛越寺大泉が池に飛んだ。この池の周囲を歩くだけで、心が落ちついてくるのを感じる。一種の魔法のよ
うでもある。正門からまっすぐ本堂に延びる参道をゆっくりと歩き、ご本尊の薬師如来に祈ると、南大門の跡と言われる辺りから、私は決まって右回りに、池の
周囲を廻るのが常となっている。「洲浜(すはま)」と呼ばれる前を通り、目を東に転じれば、塀の向こう方には「観自在王院」の庭園が拡がり、遙か彼方には
屏風のようにして束稲山や観音山が低く
聳えている。
そこから左に折れて、常行堂の阿弥陀如来に手を合わせる。この堂の前には、大きな石の地蔵菩薩がどっかと腰を下ろしている。この地蔵菩薩だが、私には
慈覚大師に見えて仕方がない。山形の山寺(立石寺)にあるという慈覚大師の頭部を掘った木像と似ているからだ。実に穏やかな表情をしたお地蔵さんである。
ここを更に進むと「遣り水」に辿り付く。遣り水から流れ出る
周囲で毎年五月、「曲水の宴(ごくすいのえん)」が模様されるようになった。遣り水を過ぎてどんどんと行くと、この写真の経典を収めていたとされる経楼の
跡に辿り着くのである。

曲水の宴 遣水周辺にて
毎年開催
(2004年5月23日 佐藤撮影)
曲水の
宴もたけなわ歌人はや遣り水映る華となりたり
毛越寺
の在りし日の燦然たる美しさは、わが国に並ぶものがないと言われるほどの偉容であったが、私はそれより、今の大泉が池の佇まいの方が何倍も好きである。そ
れはけっしてやせ我慢などではない。文化庁長官の心理学者河合隼雄氏も、どこかで、「この大泉が池に立つとほとんど人工物が見えない、これは素晴らしいこ
とだ」という意味のことを言われていた。同感である。常行堂にしても、本堂にしても、木立によって囲まれているために、この毛越寺周辺は、景色として、人
工の寺院に比して
自然が勝っているのである。もちろん自然と言っても、この大泉が池は、作庭記などの厳密な庭造りのマニュアルに添って配置されたものであることは周知の事
実だ。しかしなが
ら、そこにあった伽藍が焼失し、木木が大きな梢を成したことで、平泉の街並みさえも、遮られることになり、そこにこの寺を造営した二代基衡や秀衡、あるい
は庭造りに京都からやってきたと思われる庭職人さえも予想もしなかった大泉が池独特の「庭園美」が出現したということではなかろうか。