庄司戻しの

福島県表郷村の名木の行方



福島県の表郷村にあると言う「庄司戻しの桜」という名木を見に行くことにした。その日、白河は桜咲く四月にもかかわらず、梅雨時のような霧雨で煙っていた。桜とは言っても、実はもうその桜は存在していない。あるのは、後の世の人が立てた石碑だけが残っている。その桜ならぬ石は、白河の関跡にあるという。

「白河の関に。」と、新白河の駅前でタクシ−を拾った。少し行くと、公園のようなところへ差しかかった。

「お客さん、南湖(なんこ)公園は見ないの?桜の見時ですよ。」

名君、松平定信公が作ったという、この公園には、紅色をしたシダレ桜が、今を盛りと咲いている。運転手からすれば、何故この桜ではなく、地元の自分も知らないような桜を探しているのだ?と、思ったはずだ。私が求めているものは、ただ美しい桜ではない。この世にはすでにないかも知れぬ、桜の名残を探しているのだ。

それで、「いや、私が見たいのは庄司戻しの桜だけです。」と言った。

「庄司戻しの桜ですか…!?」どうもわかっていないようだ。

「桜といっても、石碑が残っているだけのようですが!」

「…そう言えば、関の近くに石があると聞いたことがあります。」ほっとした。

「実は私は庄司(佐藤)の子孫なんです。」

「ル−ツ探しというやつですか!?」

その昔、佐藤庄司元治(もとはる)は、信夫(しのぶと読む。現在の福島市にあたる。)と、飯坂温泉の長だった。彼の二人の息子が、平家追い討ちに向かう義経(よしつね)の家来となって西国へ向かう時、元治はこの白河の地まで彼らを見送りに来た。その時、手にしていた桜の木の杖を「もしも、我が息子達が忠義を尽くして真の男となるならば、この地に根づけ!」と、願をかけて地に突き刺した。やがて彼の二人の息子は、義経四天王と称される男となり、杖も見事な桜に成長したと言う。それが庄司戻しの桜のいわれなのである。

やがて、表郷(おもてごろ)村を過ぎて、白河の関が見えてきた。「確か、この辺りですよ。」小さな桜が点在している。

「ここですか。」胸が高鳴った。

「白河の関ですよ。」

今、白河の関には白河神社がある。ここが、古代において、大和朝廷とエミシと言われた東北の国の国境(くにざかい)であったのだ。神社の鳥居をくぐると、何か感じるものがあった。言葉にならない霊気のようなものが漂っている。また、来よう。絶対に来よう。そう感じながら、タクシーに戻った。

「早かったですね。」と運転手が言う。

余分なものなど、一切見ないのだ。すぐに100mばかり戻ると、庄司戻しの桜の石碑があった。石碑によれば、天保(江戸時代)の時代に、野火にて焼失したとある。今は石碑と小さな看板と幼い桜が、当時の雰囲気をわずかに伝えているだけだった。

名所や名跡と言われているものは、以外にあっけない気がするものが多い。庄司戻しの桜も例外ではなかった。しかし、それで私には十分すぎるほどの貴重な経験であった。

人は名跡の中に、静かに眠っている名残や香りのようなものこそ感じるべきである。ともかくこうして私は祖先の魂に触れることが叶ったのであった。佐藤

 


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1998.4.15