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ミレーの遺作 スプリング(春)
”旅に病んで夢は枯野をかけ廻(めぐ)る” この句は有名な芭蕉最後の句である。枯野だから季語はもちろん秋。芭蕉の旅に対する飽くなき執念がにじみ出ている強烈な句である。芭蕉は、「奥の細道」の旅に出る時、自分の粗末な家を売り払い、 ”草の戸も住み替わる世ぞ雛(ひな)の家”(訳:こんな粗末な家にも住み替わる時がきた。後にはかわいい娘が雛壇を飾る家となるだろうよ)という句を残して旅立った。 更に芭蕉の旅に対する覚悟を物語る次のような句がある。 ”野ざらしを心に風のしむ身かな”(訳:旅の果てには、自分も野ざらしの骸骨になるかもしれぬ。秋風が身にしむことだ。それでも旅への思いを捨てきれず、こうして旅立つわが身だ)家を売り払った芭蕉には、もはや帰るべき家がない。旅の枕だけが芭蕉のたったひとつの安住の家である。
私はこの句を読むと、どうしてもミレーの最後の「スプリング(春)」と題された左の絵を思い出してしまう。 西洋と東洋、秋と春、様々な違いはあるが、優れた芸術家がたどり着いた境地の偶然の一致を見る思いがする。 さてこの絵をよく見ると、奥の木の下を男がひとりさまよっている。どう見ても旅人ではない。おそらくこれはミレー自身だろう。私にとっては、この男は芭蕉でもある。 遠くにはあの世を象徴するように虹が架かっている。虹の向こうにはあの世があるのだろうか・・・。 このようにミレーは人生の長い旅路の果てに、夢の中の野原をさまよう己れの姿を描いて最後の作品とした。 芭蕉は、ただ旅にあこがれ、ほとんど無一文で死んだ。ミレーだって残したのは、いくつかの優れた絵画だけであった。しかし彼らの残した足跡は、人類共通の財産となって、永遠の輝きを放っている。人は誰もが彼らのような生き方を真似できるはずはない。しかし少なくても彼らの人生から、学ぶことはできる。あなたは何を持って自分の生涯とするか。
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1999.04.2