童話 お婆さんと松

 

昔々、あるところに一本の太い松の木のある家がありました。松は幹の太さが直径1.5mばかり、高さはゆうに10mはあるような大赤松でした。その松の下には、春先になると黄色い福寿草が群をなし、藤の花の頃には、松に寄生している白い藤の花がいい匂いをさせておりました。

ところで松の前の道路は細く曲りくねっておりましたので、よく車が溝に落ちて助けを求めるということがありました。その度にその松にロープを掛けさせてくれと行ってくるのですが、いつも家にいるお婆さんは、「この松は、たとえ何処の誰だろうと、指一本触れさせる訳にはいかないものですから、あしからず、」と言って聞きません。仕舞いには「なんだよ。頑固ババア」と罵って帰る運転手もおりました。

ある日のことです。雨がざあざあ降る梅雨時のことでした。松の木の前の田圃(たんぼ)には、田植えしたばかりの早苗がきれいに整列しており、アマガエルが気持ち良さそうに鳴いています。丁度、県知事の乗っている高級乗用車が差しかかった時、向こうから対向車が来て、すれ違いました。お互いゆっくりすれ違ったはずなのですが、雨できっと路肩がゆるんでいたのでしょう。県知事の乗った車がガタンと2mばかり田圃に落ちてしまったのです。「すいません」運転手はすぐに謝りましたが、後の祭りでした。幸いスピードも出しているわけではないので、知事にケガはありませんでしたが、そこは田舎のこと。簡単にレッカー車など手配できる訳はありません。対向車の運転手も、相手の車が、県知事さんと聞いて、しきりに頭を下げています。そこで対向車の運転手は、すぐ前の家のおばあさんの所に駆け込んで言いました。

「なあ、ばあちゃん、今俺とすれ違いざまに知事さんの車が田圃に入ってしまったのさ。ばあちゃん所の、あの松にロープを掛けさせてもらって、俺の車で引っ張り上げようと思うので、ちょこっと貸してもらえねえか。頼むからさ」そして深々と頭を下げました。

するとお婆さんは、その運転手をしげしげとみて「ああ、裏山の杉太郎の息子か。申し訳ないが駄目だ。あの松は、もう歳だからな、そんなことしたら、たちまち枯れて倒れてしまうので無理だ」

「でもさあ、知事さんどうしても町の集会所まで急いで行かなければならないんだとさ。だから何とか急いであげないと、俺の責任になるからさ」

「だめだ。この松は歳とってる」

「そんなことないよ。根っこだってしっかりしているし、枝振りだってピンとしているだろう」

「駄目だ。この松に触ると。祟りがある。昔からそう言われている。駄目だ」

「でも、何とかしないと、この村の恥にもなるよ。ばあちゃんよ。何とかしないと、恥かくよ」

さすがのお婆さんもこの言葉にはこたえました。村の恥になるとまで、言われてはと、思って悩みました。この杉太郎の息子の後ろでは、県知事の運転手が「何とかしてください」というような顔で、お婆さんを見ております。

いよいよお婆さんは悩みました。さてどうしたもんか。お婆さんは家娘で、子供の頃から、ずっとこの松は、ご先祖さまが植えた松で、大事にするように言われておりましたし、何よりもある神社の松を分けていただいたものだから、関係ない人間が触ると祟りがあると教わって育ったのでした。さてしばらく悩んだ挙げ句、お婆さんは、「申し訳ないが、この松をお貸しするわけには参りません」ときっぱり言った。実はこの家の息子は、県庁に勤めに出ており、もしかしたら知事の一声で左遷されるかも知れません。しかしそれも承知でお婆さんは「貸せない」と言ったのでした。

その後、1時間ほどして、レッカー車が着き、何とか無事に知事の車も引き上げることができましたが、この知事の事件以来すっかり、お婆さんは落ち込んでしまいました。県庁に勤める息子は左遷はされませんでしたが、村人からは、随分ひどい嫌味を聞かされました。
あんなりっぱな松を持ちながら、少しも役に立たないではないか、というようなことも言われました。しかし黙ってお婆さんは耐えました。

そしてそれから三年ほど経った真冬の夜のことでした。夜みんなが寝ていますと、ミシミシという音がして、あの松の木が、倒れてしまったのです。樹齢は二百年ほど経っていましたから、おそらく寿命がきて、雪の重みに耐えきれなかったのでしょう。その時、お婆さんは、夢を見ていました。白い服を着た美しい姫様がお婆さんの前に現れて「お婆さんありがとう。あの時はありがとう。大事にしてくれてありがとう」そう言って空の彼方に消えていったのでした。目覚めたお婆さんの瞼からは、大きな涙が溢れていました。

もしかしたらあの「ミシミシ」という音は松の精のお礼の言葉だったかもしれない。そう思ったのです。そして一年後、お婆さんも天国に召されていきました。享年は88歳でした。

その松の生えていた場所には、今も福寿草と主を失った藤の花が仲良く寄り添って春を待って花を付けるといいます。佐藤
 


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2000.01.31