ライブドア=回遊魚説

天啓か旧 世代の逆襲かー

クリーニング屋のおじさんが、テレビを観なが ら、しゃべり掛けてきた。
「何でもやりすぎはいけませんやね。特に若い人の?」
何かと思い、画面を見れば、テレビでライブドア強制捜査の映像が映っている。
私は思わず、「砂上の楼閣ですからね」と応えた。
おじさんは、にやっとして、「その通りですぁー」と言った。

ライブドアの強制捜査を考えてみた。たまたま、この事件は、「ニートとホリエモンのいる風景」というサブタイトル を付した「格差拡大というキーワード」という小文を書いたばかりの時だったので、天啓のようなものを感じた。

旧世代の逆襲という見方もあるようだが、起こるべくして起こった事件と思う。そしておそらく、この事件の発端は、 内部からの告発だろう。人間というものは、とかくその中にいると非日常も日常と、異常もまた平常と思ってしまう。

そんな中で、ある時、自分はこんなことをしていていいのか、という心の内からの声が聞こえてくる時がある。そんな 人間の良心が、今回の唐突な事件の引き金となったのだろう。

ライブドアという会社を考えてみる。類似の企業に、ヤフーやグーグルがある。いや、ライブドアは、彼らのやり方を 真似ながら、決定的に違うところがある。それはIT技術力というものだ。特に最近のグーグルは、技術先行の先鋭的な戦略で同業他社との差別化を図り、国家 の戦略にも影響を及ぼすような企業に成長を遂げている。

方やライブドアは、企業買収と株式上場と株式分割を繰り返し、まるで呑み込む獲物を探し回っている回遊魚のよう だ。言うならばライブドアは「企業買収」という名の回遊魚だ。そこには自社開発の技術も情報の集積もなく、すべてが借り物ですべてが呑み込んだ獲物からく る技術だ。

たとえ時価総額が一兆円を越えようとも、回遊魚のような企業にいて、人間としてのプライドなど獲得できるはずはな い。虚しくなる一方だ。ではソフトバンクはどうか。はじめこの企業も、コンピューター関連の雑誌から始めた会社だ。しかしここには日本にITインフラを張 り巡らして、虚業から実業に転換するという強い意思がみられた。それがヤフーへの投資となり、今日の地位を築いたと言える。

社会の先端を行く企業は、今回のライブドア強制捜査を期に、自分の足下をもう一度見直して見るべきだ。どこにもな い技術や発想に裏打ちされた企業家精神と高い企業倫理観がなければ、内部からその組織はやがて瓦解してゆく運命にある。06.1.16 佐藤

2006.1.16 佐藤弘弥

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