童話ライオン族も楽じゃない


 
 
 
1 シマウマの逆襲

人族は、我らライオンを強い獣とみているが、そりゃー先入観というもんだ。ライオンキング(百獣の王)という呼び名もあるが我々にしてみれば、冗談ではない。ライオンだって生きるのが辛いのだ。精一杯生きていてもそうだ。生きるためにする狩りがそんなに容易いものでないことは、人族だって知っているはずだ。

この前だってそうだ。弱そうな子供のシマウマが、寝そべっていた我々の前、をひらひらと走って行った。あんまり美味そうではなかった。第一肉がついていない。痩せすぎだ。こんなのご馳走ではない。もっと大きくなって食べた方がいいに決まっている。ところが倅のミコが、「かあさん。お腹空いた」というものだから、草原を抜き足でその獲物を追いかけて行った。

ハイエナたちが、「お前、馬鹿か?」というように、過ぎていった。ミコのためだ。どんな辱めを受けようと、母ライオンとしての義務がある。こっちは短距離ランナーだから、目の前まで近寄り、獲物にのしかかって、首筋をがぶりとやる。それでたいがいの獲物の息の根を止める。後はゆっくりと皮を剥ぎ、内蔵の柔らかなところから戴くのだ。

そんなシナリオを描いて、倅に母の強さを見せようと、一気に走り出した。その時だ。草原の向こうから、黒い塊が、ドドドーと地響きをたてて迫ってくるではないか。何だ。ゾウの群れか、それともバッファローか、とにかく速く獲物を捕らえて逃げるしかない。倅のミコは、こっちを見て、「はやくエサをください」という風にしている。しかしその黒い塊は、見る間に近づいて来てしまった。速すぎる。いったい何ものなのだ。目をこすって、よく見れば、シマウマの群れではないか。驚いた。シマウマたちはまるで隊列を組むように、屈強そうな若い馬を先頭にして、こっちに遮二無二に突進して来る。

中に獲物にしようとしていた子の親がいるのかもしれない。子のシマウマは、すばしっこく右に左に、私の攻撃をかわすと、あざけるように、後ろ足を蹴り上げて、シマウマの隊列の中に紛れて見えなくなった。すると一頭のシマウマが、「あの敵ライオンを倒せ」と合図したかと思うと、猛烈な勢いで、攻撃を仕掛けてきた。

肝を潰したが後の祭りだった。「ミコ危ない。逃げろ」、必死で倅に合図に送ると、一目散に北の方角に逃げたのだった。倅が踏みつぶされてしまったかもしれない。でも倅も小さくてもライオンの端くれだ。無事逃げてくれればいいが・・・。一瞬そんなことを思いながら走った。無茶苦茶だった。短距離ランナーが、マラソンを完走した位の距離を走らされ、挙げ句の果てには、散々に罵られ、前足と言わず後ろ足と言わず、シマウマたちに蹴られ、小突かれ、命からがら、山の麓にある小さな岩穴に身を隠したのだった。
 

2 母ヌシの幻

岩穴に入ると、そこには暗闇があり、ほっとした。もう誰にも追い回されることはない。何にも代え難い安らぎを感じた。ズキズキと全身が痛む。ミコはどうしているだろう。シマウマの群れにこづかれ踏みつけられているイメージが浮かぶ。大丈夫。きっと大丈夫。そう言い聞かせていると、ほどなく睡魔が襲ってきて、眠っていた。

すぐに夢をみた。さっきのあの忌々(いまいま)しい光景が現れて私を苦しめるのだ。暗い闇の彼方から、凄まじい音が聞こえてきたかと思うと、キリマンジェロの山ほどもある巨大なシマウマがこっちに向かって突進してくる。その余りの巨大さに私の貧弱な体が凍り付いたように動かない。シマウマは怒りを漲らせて、グングンと近づいてくる。急にシマウマの姿が大きくなって、前足が私の体に覆い被さってきた・・・。

突然画面が暗くなって、私は美しい泉の畔(ほとり)にいた。泉は深いエメラルド色で日の光を受けて輝いている。空を見上げれば不思議なことに空には太陽が三つ懸かっていて、ダイヤモンドのようにまぶしい光りを放っていた。泉の周囲には、シュロの木に似た背の高い木が、並んでいる。長く垂れ下がっている葉をそよ風が揺らして、サラサラと音を立てている。小鳥たちはそのリズムに合わせて、美しく恋の唄をさえずっている。

泉の西方を見れば、ギリシャ風の宮殿が立っていて、大理石の階段を下りてくる人がいる。白い絹の長いドレスを着たその女性は、長い金色の髪を後でひっつめに束ねて、青い目をしていた。どこかで見たことがあると思ったのは、彼女の瞳が、目の前の泉の色に似ていたからだろう。
彼女が美しい声で私に言った。
「あなたは、何故ご自分がライオンとして生まれてきたのかを、全身で受け止めなくてはいけません」
その声は、私の全身を貫き、その瞬間、何故か体がワナワナと震えだして止まらない。どうしたのだろう。仕方なく手足をさすってみたが駄目だ。その時だ。よく見れば、私の体は、いつの間にか、人間の女性の手足となっているではないか。びっくりしてその人を見れば、ただ優しく微笑んでおられる。私の中で、何かが弾ける音がした。
そして私は思わず叫んだ。
「女神さま!!」
しかし声を発した時、目の前の女神も宮殿も、泉の青さの中に吸い寄せられるように跡形もなく消えてしまった。

私はもう一度「女神さま」と叫ぼうとした。だが、その叫びは、ライオンの「ガォー」という遠吠えになって虚しく周囲に木霊(こだま)するだけだった。見れば、さっきまで、白く長い私の両手両足は、目の前で、見る間に太く短く剛毛の生えたライオンのものに変わってしまっていた。

仕方なく、泉の水をゴクリと一呑みすると、泉に背を向けて、草原の方に歩き出した。向こうからは、数頭のライオンの群れがやってきた。顔見知りかな、と思って見れば、何と母のヌシがいる。私の家族だ。ヌシは私に近づくと、その大きな舌で私の頬をやさしく舐めてくれた。ヌシは、こんなことを言ってくれた。
「あなたは、生きなければいけない。ライオン族の生というものがどんなものであるか、経験を積まなければいけない。そして自分が憧れたものの真実の姿を見極めなければいけないのですよ」

母のヌシと会うのは久しぶりだった。ヌシは、数年前、狩りの最中に私の目の前で亡くなった。あの時の光景は忘れられない。ヌシは、ヌーの群れを見つけ、群れからはぐれたものを獲物にしようとした。ところがそのヌーには、子供がいた。木陰で弱っていた我が子を励ましているヌーを見た時、ヌシは、子供の顔を見て、一瞬躊躇してしまった。次の瞬間、ヌシが、我が子を狙っていると思ったヌーの母親は、猛然と鋭いツノを突き立てて、ヌシに向かってきたのだ。捨て身の反撃だった。一瞬私にはかわしたように見えたが、ヌシの脇腹は、見る間に血の色に染まっていった・・・。

悲しかった。私が泣きながら、側に行くと、母も目に涙を一杯にためて、こう言った。
「ニコ、・・・。私の娘。母さんにはもう時間がない。生きることはけっして楽なことではないけれど、あなたには時間が残されている。だからいっぱい生きて、いっぱい苦しみ、いっぱい子をなして、生きることを、その子供たちに教えるのよ。ね。そしたらあなたの中に私は生きる。あなたの子供たちの中にも私は生きることになるのよ・・・」

母はこうして死んだ。それから私は、家族をつくり、10頭の子をなし、育ててきた。7頭がメスで、3頭がオスだった。その子たちに母のことを話し、どんな時にも強く生きなければならないことを教えた。母の死の教訓から、狩りにとって一瞬の躊躇は、禁物であること。ライオンとして死がいつ訪れても後悔しないで生きる心構え。そして子供たちへの教育は身をもって、それこそ命がけで教えねばならないことなど・・・。

そんな母のヌシが目の前にいる。ヌシの目が誰かに似ているような気がした。そんな風に思うと見る間に、ヌシの顔が変化して、人間の顔になた。遠い記憶の中に眠っている顔・・・。思い出せないジレンマから、頭が割れそうに痛み出していた。遠くから私を呼ぶ声が聞こえた。そしてその声は、次第に近くなってくる。段々と記憶が戻ってくると、その声の主が、倅のミコであることが分かった。
 

3 倅ミコの親孝行

目を開けると、朝日が岩穴に鋭く射し込んでいる。ミコは耳元で「かあさん。大丈夫?」とささやいた。

ミコは思いの外に元気で、口にくわえていた小さな肉片を、置くと「母さんこれ食べて」と言った。
「どうしたのその肉は?」
「ハイエナのおじさんたちが、食べ残したのを、隙をみて持ってきたの。母さんと一緒食べようと思って」
まったく、親がなくても子は育つとはこのことだ。涙が溢れそうになった。こんな小さな身体で、私のことが心配で、探しに探して、ここにやって来たのだろう。お腹も空いているに違いない。それでもこの子は、私と一緒に食べるつもりで、我慢してきたのだ。自分の子ながら、何かものすごく尊い神さまにでも出会った気がした。

体を起こそうとしたら、骨がギシギシと音を立てた。びっくりしたのか、ミコの耳がピンと立っていた。
「大丈夫。母さん」
大丈夫ではない。きっと背中の骨が折れているかもしれない。
「何言ってるの。これぐらいで駄目になっているようでは、ライオンなんてやってられないでしょう。さあ、あなたから食べなさい。自分が獲ってきたはじめてのごちそうなんだから」
「でも、母さんから」
「いいの。あなたは立派なオスライオンにならなくてはいけない身よ。さあ」
ミコは、遠慮がちにがぶりと肉片を噛むと、こっちを見ながら、目を細めながら肉を食べた。ミコが食べた後、私もその小さな肉にかぶりついた。今まで、こんなうまい肉を食べたことははじめてだった。思わず、「ミコ、うまいよ。この肉。最高ね。ありがとう」と叫んだ。ミコは、満足気に、「よかった。またボク獲ってくるね」と言って笑った。

それからが大変だった。しばらく体の傷が癒えないので、狩りができないものだから、ミコには迷惑をかけた。でもミコは、これによって急に逞しくなって、大人への階段を昇っていくような感じだった。随分と身体も大きくなった。

人族の言葉に「親はなくても子は育つ」という言葉があるらしい。ミコの成長をつぶさに見ながら、親は子にただ一生懸命生きているという姿を見せさえすればそれでいいのだ、とつくづく思い知らされた。たとえそれがどんなにみっともない姿でもだ。いやむしろ、カッコ悪い姿こそ積極的に見せるべきかもしれない。反面教師というやつだ。しかも親はそれを子に堂々と見せるべきなのだ。

今回、シマウマに散々いたぶられることになった経緯を自分ながらに考えてみた。私自身が、子供のシマウマを狩るということに心の中で、少なからぬ抵抗感があった。それがシマウマの逆襲を生んだ要因だったかもしれない。要は気が進まないまま狩りをしてしまったのだ。それがあのような惨めな結果を呼び込んだのである。

どんな動物の子にしろ、その表情は幼気(いたいけ)でカワイイ。それは幼い者、弱い者の戦略でもある。一瞬の躊躇は、母のヌシが命を失ったことの原因でもあった。やはり私はヌシの子なのだ。どっかで、母ヌシの心を受け継いでいるのかもしれない。母が持っていた業のような「優しさから来る躊躇」というようなものを消さなければ、私だけではなく、我が子たちも、このアフリカの草原で生き抜いていくことは不可能になる。この弱い心を無くさなければいけない。そんなことを思いながら、身体の傷が癒える日を待った。
 

4 トラウマライオンで終わりたくない

数ヶ月を経て、身体の傷は、ほぼ癒えた。でもいざ狩りに出てみると、とんでもないことが起こってしまった。

もう身体は何ともない。でも狩りをしようとすると、妙な汗を掻く、足ががくがくと震えだし、頭の中が真っ白になる。そしてあの忌まわしい光景が浮かぶ。そうだ。あのキリマンジェロほどもあるシマウマの化け物が頭の中を駆け回って、何もすることが出来なくなる。シマウマに対するトラウマというものか。自分でも幻想と分かっているのに、身体が鎖に繋がれたようになってどうしようもないのだ。
ミコが私の異変に気づいて「母さんどうしたの?」と云った。

「大丈夫。ちょっと頭が痛いだけ。」と云ったが、その後も、狩りに幾たびに、同じようになった。通り過ぎる獣たちが皆、「アイツ何か変だ」というような目つきで通り過ぎていく。この前は、でかいキリンの奴にその前足で、蹴られそうになった。完全に、ライオンとしての威厳も発言力も失った私は、ただ倅のミコの成長に頼る存在となった。日増しに雄ライオン特有のタテガミも立派に生えてくるのを、横目で見ながら、幻想の中のシマウマの影に怯える自分自身の老いというものを、しみじみと感じて悲しくなった。思えば親は子供が成長分だけ、年老いていることになる。親の命が子に受け継がれ、役割を終えた親は、老いさらばえて、アフリカの大地に朽ち果て、草木の肥やしとなる。それが一度この世に生を受けたものの宿命なのか・・・。

でも待てよ。私のライオンの生が、こんなもので終わっていいのか。在りもしないはずのシマウマの影に怯える情けないトラウマライオンで。

自分をトラウマライオンと自分で思いながら可笑しくなった。誰だって心に、拭い去れないオリのようなものを持っている。そこに触れられると、何か得体の知れないむず痒いような傷みが込み上げてくるのだ。このオリのようなトラウマの塊をどうしたら、払ってしまえるのだろう。心に浮かぶ巨大なシマウマをどのようにしたら、打ち負かすことができるというのか。

そんなことを考えながら、歩いていると、象の親子が、パォーと一声「そこどけ、ヤセライオンめ!!」というので、カチンと来た。「よし、この象を巨大なシマウマと思って、ぶつかってみるか」と思って、ギロリと睨みつけて、身構えて、「ガゥー」と低く吠えて見た。象の方は、「何考えてんだ」というような態度で、長い鼻を上げて横に振るのだった。

ここで私は完全に切れた。私はキバを向いて、象の背後に回ると象の大きな背中にはい上がった。子象は驚いて、飛び退いた。遙か遠くで、「母さん何やってんだ?!」というミコの大きな声が聞こえた。もうどうしようもない。戦いは始まったのだ。象の奴もまた驚いたらしく、パォー、パォーと叫んで、仲間に合図を送った。すると遠くから「パォー、パォー」と聞こえた。木霊かと思ったが、その後に、ド、ド、ド、ドゥーという象の仲間が集まって来るのが聞こえた。

象がもの凄い勢いで首を振ったので、私は地面にいやという程叩きつけられた。

もう痛くもなにもない。意識が別の次元に移ったようだ。暗い闇の中に吸い込まれるようになり、私の側に母のヌシがいるのを感じた。
ヌシは言った。
「何をしているのニコよ。私と同じようにあなたは死ぬ気かい?」
「そうじゃない。自分の情けない幻想を振り払おうとしているの。死ぬ気なんかないわ」
「でも、このままではあなたは象の群れになぶり殺されてしまう。それをミコが見ている。これでは私と一緒ではないの・・・。第一あなたのトラウマとやらは、狩りでの一瞬の躊躇から出たものよ」
「でも、母さん。私はそれを何とか越えたいの。母さんの優しさが、母さんの死を呼んだように、私の幻想への怯えは、母さんから受け継いだ、その優しさにあった。でもライオンにとって、狩りの時の優しさは死に通じると教わった。母さんあなたから。あなたから教わったの。その怯えを振り払いたい。たとえその結果、死ぬことがあったとしても、それは仕方ない。私のライオンの生は十分に意味があったと思う。第一、それを倅のミコが見ている。怯えを克服しようとした私の一部始終を見せておきたい。そうすればこの思いは、ミコに受け継がれていく。ずっと、ずっと受け継がれて行くの・・・」

「パォー」という象たちの凄まじい怒りの声が周囲に満ち溢れ、私は目を覚ました。象たちは憎しみを瞳に湛えて、その中の血気盛んな象が「やってしまえ」と叫んだ。私は立ち上がり、もう一度身構え、威厳を持って大きく二度三度と大空に向けて吠えた。象は、蔑(さげす)んだ高笑いを浮かべて、「馬鹿が」と前足を高く上げた。踏みつぶすつもりだろうがそうはいかない。私は目の前にいる象の右側に廻ると、後に居たリーダーの象が、大声を上げた。「子供を守れ。もう一匹、オスライオンがいるぞ」

ミコだった。ミコは隙を見て、子僧に狙いをつけ、その足に噛みついた。象たちの目が、私に集中していたので、そこに隙が出た。ミコは私を何とか助けようとしたのだ。「ミコ何をしているの」と私が叫ぶと、「母さん。待っててよ」と言いながら、象たちの視線を自分の方に惹きつけようとした。リーダーの声につられて、象たちは、ミコに攻撃を絞ろうとした。

象たちに動揺が走った。口々に「坊や、坊や」と叫びながら、ミコを踏みつぶそうと躍起になった。流石にミコは、若い。右に左に、ターンをすると、動きの鈍い象たちに苛立ちが現れた。私はもう一度体勢を立て直して、小僧に狙いを定めて、攻撃をした。ミコのためだ。生きるためだ。象たちは、二頭の必死の攻撃にタジタジとなり、ついに母親の象が、涙を流して、「もういい。止めましょう。もういいわ」と叫んだ。

その象の首筋からは、赤い血が一筋の流れとなって滴り出ていた。私が最初に襲った母親象だった。側にいる子象の足からも、大量の血が溢れ出していた。
見かねた象のリーダーが、叫んだ。
「もういい。この位にしておけ。こいつらは狂っている。報われない戦いで、死ぬ気だ。こんなライオンたちを相手にしていたら、こっちがおかしくなる。見ろ。あのライオンの目を、とうに命は捨ててしまっている。相手にしてはならん。」

すると象たちは、子象と母親象を守るように丸くなって囲いをつくり、外側には屈強なオスの象が列をなして、後ずさりを始めた。何でこのようなことになったのか、分からない。とにかく象たちは、我々の前から次第に小さくなって、やがて見えなくなった。微かに象たちの雄叫びが遠くで聞こえたように感じたが、ともかくミコと私にとって、一難は去った。ミコは、口に血を滲ませていた。きっと子象からの返り血だろう。ミコは口を開けて、激しく呼吸していたが、その形相は、もうすっかり大人のライオンの威厳が漲っていて、側に寄るのさえ、畏れ多い感じがした。

人はこのような我が種族の容貌を見て、百獣の王などという異称を付けたのだろう。しかしライオン族は、けっして楽な生を送っているのではない。ライオンに天敵はいない、などという見方も、ウソだ。ライオンには天敵だらけだ。隙があれば、ライオンだって餌食になる。ライオンは、直接他の種族の狩りの標的になることは少ない。しかしいったんキズを追って、彷徨っていれば、必ず時を見て、これを狩ろうとする獣が現れるのだ。ハイエナやハゲタガ我々を狙っているだけではない。一番怖いのは人族だ。彼らは今では、ヤリやツブテに代わって、ライフル銃で我々の仲間の命を次々と奪っている。私の身内でも兄ライオンが一頭、それから妹ライオンが2頭、闇のライオンハンターに殺されてしまった・・・。

「母さん。大丈夫なの?」ミコは、言った。
「ああ、大丈夫さ?」
「どうして、象なんかに、あんなことを?」
「ごめんね。母さん、何か分からなくなってしまって、気が付いたら飛びついていたって感じなのよ」
「でも、驚いたよ。象なんかに立ち向かうなんてさあ・・・」
「ごめん、本当にびっくりさせてしまってね。でも母さんは嬉しいさ。命の恩人がミコだもの。これは誇れるよ。ほんと、あの象の大群をひとりで、追いはらってくれたんだから。」
そう言い終わると、私はミコの口に付いた血の跡を、たっぷりと唾液を付けて拭いて上げたのだった。そうすることで、私の心のモヤのようなものが、一気に晴れた気がした。ミコは目を細めて横になっているが、外のものが見たら、きっと恋人同士の語らいのように思ったであろう。

もうすっかり、日は西に傾いている。アフリカの草原には夕暮れが迫っていた。彼方にはキリマンジェロが、万年雪を湛えて、ボォーと霞んで座っていた。夕日の受けて、シマウマたちの群れが、小さな影の塊となって、走っていくのが見えた。もうシマウマを見ても何も思わなくなっている自分に気が付いた。やがて日は沈み、次第に空が群青色に変わっていった。白い月が東の空に懸かっている。私にはその月が母のヌシの笑顔に見えた。そして月になったヌシが言うのだ。
「よかったね。ニコ。もっと生きて、もっと学んで来なさい。ニコ」
そう言いながら、母なる月は満面の笑みを浮かべて、天空から青白い光りを煌々と放つのだった。了
佐藤
 

 


2002.8.1
 

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