給食費を払わない親がいる日本の風景


ー 子供の教育よりも親の教育が必要ー


最近、教育の 問題が議論されているが、どうも、勉強と道徳が一緒のテーブルで論じられているようで、まったく議論になっていないと思うのだ。そもそも教育のはじまり は、親が自分の子どもが、社会に適合し、生存できるための基礎を教えることである。

学校で教わるのは、漢字や数学の公式で、昔はムチをもって親がそれらも教えたこともある。親がバカになった子供をみて、学校が悪い、先生がだらしないか ら、自分の子が駄目になったと思うのは、自由だが、私からすれば、まったくトンチンカンな責任のなすりつけで、子が悪くなったのは、まったくもって親の責 任以外にはないのである。

もしもその学校が子に合わないというのであれば、親はその学校から別の学校に入れれば良い。自分の子が親に似て、頭が良くなさそうだ、となれば、手の器用 なものは、職人にでも、少しばかり口が上手ければ、落語家にすればよい。昔から「親の顔がみたい」という言葉があるが、これは子は親に似るということなの だ。

さてここからが、今日言いたいことである。親というからには、子の手本にならなければならないのだが、自分の子が食べた学食費を払わない親が日本中で増え ているそだ、ひどい話しだ。要するに今の親は親の体をなしていないのである。これで子がいい子になれ、勉強もできる子になれと言ったところで、無理な話 だ。子は親の鏡、子は親を見て育つのだから、日本中が駄目な子で溢れることは、当然なことだ。

日本中この調子だから、教育問題と先生たちがいくら頑張っても、よくなる訳がない。まず親が、借りたものは返す。約束は守る。ウソは付かない。恥を知る。 と言った常識を身に付けなければならないのではないだろうか。いったい戦後の民主主義とはなんだったのか。過度な人権の尊重と民主主義の勘違いが、非常識 なる親を大量生産してしまったということであろう。ともかく、学費も払わない親が学校や先生に文句いうなど、いい加減にしろ、と言いたい
佐藤弘弥

2007.01.25  佐藤弘弥

義経伝説
思いつきエッセイ