ロシア原潜事故に思う

極限の人間と使命感


人は極限の中で何を思うものだろう?ロシア原潜「クルスク」の沈没事故報道を聞きながらそんなことを思った。いかに鍛えられ選ばれたエリート水兵でも、極限の状況の中では恐怖心もあるだろうに、どのようにして精神の安定を保っているのだろう…と?

同じようなことが、一五年前に日本の空で起きている。それは今年の八月で、犠牲者の一五年周忌がやってきた日航機事故のことである。先日、非公式なルートからその事故機でのコックピット内の会話内容が公開された。もちろんプライベートな部分はカットされているものらしいが、機長を中心としたクルーが、最後の最後まで、飛行機をコントロールしようとする緊迫した空気に触れて胸が詰まる思いがした。

途中、一瞬「これは駄目かもしれないね」と言いながらも、また「機首を上げろ」、「山が迫っている」と叫ぶように、必死で部下に指示を与える。部下も緊張した中にも、機長に「わかってますよ」と言いたげな感じで「やってます」と低く答える。

そこには自分の身に迫りくる最後の時など、まるで意に介さないような強烈な使命感に支えられた緊張がただよっている。自分たちクルーの機内での会話が、ブラックボックスに搭載されたエンドレステープの中に記録されていることも彼らの脳裏のどこかにあったはずだ。おそらく機長を中心としたクルーだって、自分の家族や、大事な人に、最後の言葉を残したかったに違いない。それを自らの意志力で飲み込みながら、ただ自らに科せられた使命を全うしているのだ。

鍛えられた人間というものは、その最後の瞬間も目を閉じたりせずに死ぬということを、どこかで聞いたことがある。このクルーたちも、使命を全うするため、利かなくなった操縦桿を握りながら、目を開けた状態でオスタカ山に激突したのではなかろうか。ただただ彼らの強い使命感に、人間精神の崇高な一面を見せつけられる思いがした。

人間というものは、一つの使命を手渡されると、たとえ自身が絶命しかねない極限に在っても最後までそれを全うしようとするものである。それを称して使命感という。日航機のクルーたちは、その肩に500人以上の人命を守るという使命を背負い、また日航(JAL)という一企業の信頼を守る使命感を持って、自らの職場であるコックピットで、最後までその使命を果たそうとして亡くなった。逆にいえば彼らは、使命感というものに支えられて、極限の精神状況を乗り越えたともいえる。まさに使命感とは、読んで字のごとく自らの命をどのように使うかという微妙な「感覚」なのかもしれない。

今、この瞬間も、北のベレンツ海では、故障し沈没したロシアの原子力潜水艦「クルスク」内部で、残り少ない酸素を吸いながら、深海の暗闇の中で、恐怖と必死で戦っている118人の若者たちがいる。

救助の潜水挺が、何度かドッキングをしようとしたが流れの速さと潜水艦が斜めに倒れていることで、救助が出来なかった。その時、船艇を叩く、音か聞こえていたという。潜水艦の乗組員は、高度な訓練と適正検査を受けたエリート兵だ。おそらく彼らも日航機のクルーたちと同様、使命感がその極限にある精神を支えているに違いない。何とか、無事の帰還を祈りたい。佐藤
 


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2000.8.18