実話 親子熊の悲劇 


 
「近頃、熊の親子の話出ないけれども、どうなしました?」
「ああ、あの親子熊ねえ、実は駆除されてしまってさぁ…。」
くりこま荘の菅原次男さんから、そのように呆気ない返答を聞き、思わず言葉を失ってしまった。

実は数年前から、栗駒山麓の駒ノ湯温泉のくりこま荘に、熊の親子が夜な夜な来るようになった。別に餌付けをしたわけではないが、熊の生活道路の上に、くりこま荘が建っているらしく、山の宿の東方にある若いブナ林の前の小さな池に親子の熊が、水を呑みにやって来るようになった。まず母熊が用心をしながら姿を現し、その後に小熊がヒョイと人間の赤ちゃんのようにヨチヨチと来る。

その余りの可愛らしさに次男さんは目を奪われた。獣でもこんなに深い愛を持って子を慈しみながら育てている。一方、親子断絶を象徴するような事件ばかりが起こる人間の世の殺伐とした世相を考えると、「人間はこの親子の熊にもっと学ぶべきだ」と、素直に思えたと云うのである。

親子熊の親子が現れると、次男さんは、待ってましたとばかりに、その日に泊まっていた人たちに知らせに回る。それが時には、真夜中の一時を過ぎる時もある。旅人たちは、眠い目をこすりながら、そっと露天風呂の桟敷席に座る。始めは黒い物がうごめいているようにしか見えない。それが段々と眼が馴れて来ると、熊の親子の愛らしい仕草にすっかり魅了されて、釘付けとなってしまうのだ。こうして熊の親子は、たちまち山の宿の人気者となり、この親子を観察する目的でくりこま荘に何度もやって来る人も現れるようになった。

実のところ、熊の生態というものは、余り知られていない。縄張りのような生活圏を持ち日に数十キロの距離を移動しながら餌を採るもの位は分かっているようだが、それ以上の詳しいことは人間さまと言ったって少しも知らないのである。

ところで、くりこま荘の近くには日本画家の能島和明先生のアトリエがある。どうやら、このアトリエの軒先も、熊の親子の生活道路の中にあるようで、度々先生のご一家によって、目撃されている。先生のアトリエには、大きな犬がいて、熊の親子が来ると、この犬が吠えて、先生に親子が通ることを知らせるのだそうだ。そしてふたりのお嬢さんが、そっと熊の親子の影が通り過ぎるのを楽しみとして見送るのである。

熊にとって、本当に怖いのは、犬ではない。人間が一番恐いと言う。熊自身人間の怖さは、肌に感じて知っている。だからよほどのことがないと、熊は人間の側には現れないのである。熊の親は、自分の子に人間に近づいてはならないことをきっと身をもって教えるのだろう。でも最近では、奥山の木が切り倒されて、熊の食料となる木の実などが乏しいので、どうしても、人間の住む里の方まで、足を伸ばすようになった。熊の親子がくりこま荘にやって来たのも、こんなことが原因だったのかもしれない。

こうしてある日、悲劇が起きた。栗駒山の山懐にある、イチゴ畑に熊が現れるというので、熊を捕らえる為のワナが仕掛けられた。イチゴ畑を荒らす有害獣の駆除が目的だった。もちろんこの考え方は人間の一方的な言い分だ。しかしそのワナにあの母熊が掛かってしまった。きっと我が子の為にオリに入って、餌を手づかみしようとした瞬間、ガチャンとオリがふさがってしまった。それでも母は、子熊をなんとか、逃がした。きっと必死の思いで泣き叫んで、小熊を泣く泣く追いはらった。その夜、獣が異様なほど悲しい声で泣くのを、能島先生のふたりのお嬢さんが聞いていた。

明くる日、そこに鉄砲を持ったハンターがやって来た時には、小熊の姿はなかった。おそらく小熊は、じっと親熊の姿を遠くから見ていたのかもしれない。哀れ捕らわれた母は、情け容赦なく、その場で、人のように裁判も受けることもなく射殺されてしまった。その時、親熊は、大きな声で、二度吠えたと言う。きっとそれは、
「坊や。私の坊や。人間に近づいてはなりませんよ。どうか元気で育ってね」という祈りだったのではなかろうか。それに呼応するように、遠くで小熊の叫ぶ声も聞こえてきた。

母熊が、駆除と称して射殺されたのを、能島先生のご一家が知ったのは、数日後だった。ふたりのお嬢さんは、余りのことに目を真っ赤にして泣き、能島先生は、どうしようもない怒りを、町の関係者にぶつけたが、後の祭りだった。それからしばらく、夜になると、小熊と思われる熊の悲しい鳴き声が、山の奥から聞こえてきたというが、いつの間にか、その声も聞かれなくなった…。

 夜な夜なにくりこま荘に現れし熊の親子は駆除されしとか
 何をもて害獣なりし環境を害され生きる熊たちの権利は
 名も無くて弔ふ者もなき母の熊の無念を誰ぞ知るらむ

 佐藤
 

 


2003.1.6
 

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