クローン人間についての懐疑

クローン人間についてT


最近人間の寿命が伸びたとは云え、たかだか80年の命である。宇宙の時間で云えば、人の一生などは、さしずめ瞬きの時間よりも短く儚きものに違いない。

それでも近頃は、その80年の命では足りないとばかりに、自分の複製(クローン人間)を欲しいと云う人間まで現れる始末だ。自分と遺伝子構造がまったく同じ人間を造り出すことで、彼らはもう一度人生を行き直そうというのであろうか。

確かに様々な生きる上での知恵を持って、もう一度人生をやり直せたら、人生に失敗する確率は少ないかも知れないが、経験の豊富さだけが人生を豊かにするとも思えない。しかも自分の傷ついた遺伝子の箇所を修復もせず、クローン人間として再生して、もう一度人生をやり直すという考え方は少し短絡的で、生命倫理の観点からも許されるべきことではないであろう。

クローン技術を研究している科学者も概ね、クローン人間を造り出すことには懐疑的だ。クローン生物研究の最先端にいるロックフェラー大学の若山照彦(助教授)は、次のように指摘する。
「クローン人間などということを云う人は、知らないで云っているに過ぎない。クローン研究者であれば、クローン技術が、まだ確立されていないもので、いかに危険であるかを知っているはずだ」

他の研究者も見解はほとんど同じで否定的な声が大半なようだ。要はクローン生物は、太りやすい体質を持ち、3%しか正常な生物は出ないとも云われる。また早死をする傾向があり、予期せぬことが起こりやすいく現時点では危険過ぎる技術と指摘されている。日本の厚生労働省に当たるアメリカの厚生医薬品局は、アメリカ議会における公聴会で、やはりクローン人間解禁に否定的な見解を明確に示した。

人間の遺伝子レベルの解読が進み、人間の生物学的な運命が、解き明かされつつある今日、今度は自らの複製を造るという所まで話が進みかけている。これは現代文明の主流たる欧米流の思想が、人間の欲望をどこまでも肯定的に解釈する思想の招く誤った帰結であり、到底許されるものではない。

人の一生は、キャンバスに描かれた絵の如きものだが、その画というものは、この世にたった一枚しか存在しないからこそ価値がある。人生はたった一度だから良い。自分のクローンが、あたかも永遠に自分の命が、続いて行くように思っている人がいたら、それは幻想に過ぎない。クローン人間が自分の横に存在した所で、その人間は自分と同じ遺伝子を持ったアカの他人と気づくべきである。考えて見れば、一卵性双生児だって、同じ遺伝子を持ちながら、時として、全く別の人生を歩むことが多い。離れて暮らした双子が、心の痛みを共有したという話は聞かない。

要はクローン技術が確立した所で、育っていくクローンは、環境と世の中の変化によって、遺伝子が瞬間瞬間に変容しながら、別の意識を持った人間として生きて行くだけのことなのだ。大事なのは、たった一枚渡された人生というキャンバスに、どんな画を描くかである。

百年も生き永らえぬ命かな空蒼くしてソメイヨシノ咲く
 


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2001.4.2