小笹の箸袋U
 
安田靫彦の選んだ二文字



小笹寿司の箸袋をもらって帰る。箸袋の上の二文字は、日本画壇の巨匠のひとり安田靫彦画伯が、書いた ものだ。画伯は、良寛さんの筆運びに出会って感動し、生涯良寛さんの書の影響下にあった。

箸袋を壁に画鋲で留め、しみじみと眺める。さっぱり読めない。くずし字辞書を、何冊か引っぱり 出して、片っ端からひいてみる。やはり分からない。気になって仕方ない。小笹のオヤジさんに今さら、あの字は、何と読むのですか?などと聞くのもしゃく だ。

そこで意地になる。人間、意地になっても分からないものは、分からない。悔しさは募る。四六時 中二文字が頭から離れない。数日あって、「草書字典」なるものを手に入れた。すると、まさしくあった。ついに謎が解けた。

二字は「好日」という言葉であった。さて謎が解けてみると、なぜ安田靫彦という天才画家が、小 笹寿司の箸袋になぜ、この言葉を選んだのか知りたくなった。

好日とは、新明解国語辞典によれば、「十分に人生の楽しみが味わえる日々」とな る。だから日々是好日は、「平穏無事であったり、天気が良かったりして気持ちのよい日」と解釈される。また岩波国語辞書では、シンプルに「安 らかに過ごせる、よい日」とある。

広辞苑では更に一言「よい日」としか書いていない。しかしこれらの辞書は、まる で好日の意味が分かっていない。むしろ辞書を引いて、そのまま考える人は、安田さんの思想を取り違えて解釈する危険性もわいてくる。

この好日の原典は、中国の禅の書として有名な、碧巌録(へきがんろく)、第六則「雲門十五日 (うんもんじゅうごにち)」である。

雲門(864〜949)という禅の坊さんは弟子たちにこう言った。

「十五日以前は問わない。15日後について、一言言ってみよ」

しかし雲門に、向かってむやみなことは言えないと、畏れいって、誰も答える者はいない。そこで 雲門が自ら、「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」と言ったのである。

何かさっぱり分からないようだが、要する に過去のことはいいから、これからの未来について、言ってみよ、という訳である。しかし弟子たちは考えすぎて、答えられなかった。 そこで毎日、毎日何が有っても、好日と思う気持ちを持って、精一杯生きろと言ったのである。だから広辞苑の解釈の「よき日」というのは、厳密に言えば間違 いということになる。

これで安田画伯が、この箸袋に込めた思いがはっきりした。つまり好日とは”晴れようが、曇って いようが、今この時を感謝の念を持って生きよう”ということである。

安田画伯は、あの良寛さんを心から敬愛し、私費を投じて、新潟の柏崎に良寛庵を作った人物であ る。その良寛さんが72歳の時、大地震に遭遇し、何とか窮死に一生を得た。その時、友人に送った手紙にこう書いている。

私も草庵も無事だった。親類にも被害は なかった。めでたいものだ。それにつけても、いっそひと思いに死ねば、こんな悲惨な光景を目にすることもなかったのに、しかし災難に遭う時節には、災難に遭うのがよかろう。また死ぬ時節には、死ぬのもよかろう。これが災難をのがれる妙法というものかもしれない」(佐藤訳)

また書家の相田みつをの詩にこのようなものがある。

「うつくしいものを うつくしいと思 える あなたの こころが うつくしい」 このうつくしいを好日に替えて、読んでみる。すると、 好日を 好日と思える あなたの こ ころが 好日である、となる。 だから本来、苦しかろうが、殺されようとしていようが、好日と直感できれば、その日は、好日となるの である。

たとえば、明治の英傑、山岡鉄舟翁が1888年、胃ガンが悪化して、死ぬ間際、座禅を組みつ つ、

腹痛や 苦しきなかに 明けカラス」と辞世の句を詠んで逝った。この時、山岡 は、最後の生命力を振り絞りつつ、苦しき中に、光明を感じつつ、この世を去った。つまり山岡は、好日を実感しつつ亡くなったのである。

同じように、赤穂浪士の大石良雄が、
あら楽し 思いは晴るる身は捨る 浮世の外にかかる雲なし」と詠んだ後に、自刃して 果てた。何故大石は、腹を切る瞬間に、「とっても楽しい気分だ」などと詠んであの世へ旅立って逝ったのか。それは自分が思いをすべて果たして死ぬ瞬間好日 を観相しえたからである。決して単なる意地を張って言った辞世の歌ではない。これが好日の極地というものかもしれない・・・。

結論である。安田靫彦という一人の天才 は、小笹寿司に通うことに「好日」を感じ、この同じ思いを、他の小笹に通う人にも感じて欲しい、ということを祈念して、「好日」という二文字を、箸袋に書 き入れたはずである

このようにたった二文字の謎を解読するだけで、人生に対する無限の智慧(ちえ)を手に入れるこ とができる。本当にありがたいことではないか。

佐藤弘弥記

 


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1998.11.25