今年の桜はつまらない

私の桜のイメージ


今年の桜は、つまらない。何故つまらないかと云えば、余りにも開花があっけなかったからだ。やはり日本人の心にある桜のイメージは、蕾を少しずつ膨らませながらも、戻りかけた寒気にさらされ、冷たい雨に打たれて、咲くか咲かないか、どきどきしながら、見守っていると、少し蕾が開き、ぱっと咲くかと思うと、今度は春の嵐がやってきて、枝ごと千切られてしまうのではないか、などと居たたまれない気分にさせられ、今日咲くか、明日咲くか、と一日千秋の思いで見ていても、まだ咲かず、諦めた頃の朝、ふと外に出てみると、ふっくらとした花が開いている・・・あの感じがいいのである。そこでこんな狂歌(ざれうた)を詠んでみた。

花や花 花は嵐に打たれつつ 
       咲かぬも風情 咲くまでが花

このように考えると、桜はどこか、人間の人生と似ているところがあるように思えてくる。若いうちにあっという間に成功を手にして、ぱっと散ってしまう人間もあれば、なかなか芽が出ずに、他人が諦めかけた頃、見事な花をつける人間もある。
相撲界で云えば、魁皇という力士がいて、今場所で二度目の優勝を遂げた。なかなか咲かぬ花が、見事な花を付ける予感を感じさせる。

ナツメロソングに、このような歌詞がある。
「♪♪花も嵐も踏み越えて、行くが男の生きる道・・・」(「旅の夜風」作詞西城八十、作曲万城目正)
どうしてもこの出だしの歌詞だけが耳に残る。男が花も嵐も踏み越えて前に進む存在なら、花もまた嵐に負けずに、咲く姿こそ花の道というもののような気がする。

人は花の姿に己を見、時に、励まされ、和まされ、生きる勇気をもらうのである。だからこそ花の王である桜は、簡単に咲いてはならぬのである。佐藤
 


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2001.3.28