小笹寿司と奈良の食文化

食文化というもの



小笹のおやじさんが、初めて来た感じの親子3人連れにこう言った。
「お客さんどっから来たの?」

座っていた旦那が答える。
「奈良から来ました」

「ほう、奈良から、奈良は食べるもの、ないものね」

その余りのストレートな言い分に私が口を挟む。
「おやじさんいくら何でも失礼でしょう。」

すると奈良の旦那が平然と答える。
「いや、ないんですよ。おっしゃる通りです。わしらだって、よう、外へは食べにでませんわ」

「いや、奈良漬けとか、あるじゃないですか」と私が言う。(ちなみに小笹では、実に歯ごたえの良い奈良漬けがあり、私はそれを最後の口 直しで「ボリボリ」と囓るのを恒例としている・・・。奈良漬けの製造元は栃木県とのこと。)

すると、今度は旦那の奥さんとおぼしき女性が答える。
「奈良漬けくらいです。本当にないですわ」
押っつけ旦那が話す。

「鮓と言えば、鯖の鮓くらいですかね。でもあんまり食べませんわ」

この親子は、小笹の評判を聞いて、奈良からわざわざ親子3人で来たのだと言う。
おそらく娘さんが、名店を載せた雑誌か何かを見て、是非食べてみたいと上京してきたのだろう。

一通り江戸前の味を味わうと、「本当に美味しかったです」と満足しきった表情を浮かべて、街路に消えた。

こっちはつむじ風か何かにでも遇ったような感じだった。
「まあよくあそこまでいいますね」と、一言冗談を言うタイミングを見計らっているうちに、
再び娘さんがのれんをくぐってきて、
「本当に今日はありがとうございました。両親も感激しておりまして、本当にごちそうさまでした」と深々と頭を下げた。

おやじさんは、一瞬照れたような笑みを浮かべたが、ちょっと間をおいて、いつもの渋い顔に戻って、「どうもありがとう」と言って見送っ た。

「しかし、おやじさんもよく言いますね。」と私が言うと、

「いや、無いんだよ。そんなもんさ。さっきあの旦那が鯖の鮓と言ったが、ほんとのところは、鮎だろうね。」

「ああ、なるほど、でもおやじさんの言っていることは、事実ですね。いかに奈良には、昔都があったところで今は何もないんですからね。 同じようなことをギリシャに行った時思いましたよ。行く前には、ヨーロッパ文明の源流に触れられると思っていたのですが、行ってみてがっかりでした。まず パルテノン神殿が観光化し過ぎているのがいけません。だって昔は時の為政者にしたって、年に何回しか、登らないような所ですよ。それが今は、ギリシャの古 い神々はどっかにやって、夜は赤や黄色にライトアップしてみせる。期待していたギリシャ料理もあんまり優れた食文化とは思えませんでした。それと同じなん ですかね。はじめイタリアに行っているんで、それ以上の文化を期待したのが、原因かもしれませんがね。要はローマという国家にギリシャ文明の総てが総合さ れてしまったのですかね」

「ほう、そんなこともあるかね」と、おやじさんは、煙草に火を付けて一服をはじめる。

「才能ある職人から、芸術家からなにから、一切ギリシャから去っていったのでしょうね。確かに地中海の海や島々には、まだ神が住んでい る神々しさのようなものはありますが、街も人も自分達のアイデンティティの源泉であるギリシャの神々を信じていないのです。現在宗教は、ギリシャ正教なの ですが、何であの素晴らしい神々を観光の道具にして、ユダヤ教に源泉をもつキリストを信じなければ行けないのですかね。大きな違和感を持ちましたね。でも イタリアはまるで違います。街を歩いていて、文化を伝える息吹のようなものを至る所で感じました。普通のレストランに入っても、その味付けは、非常に凝っ ていて緻密な感じを受けます。うまくは言えないのですが、文化や文明というものは、固形的にあるのでは無くて、生きていてふわふわしていて、ちょうど味覚 のような感覚かも知れませんよね。だから職人さんがその微妙な味の感覚を、又弟子の伝えていって、決して途絶えず、しかもまた別の物に進化しえる創造的な 部分を残していなければと思いますね。もちろん難しいのですが、その意味では、私は文化としてのイタリアの現在の進化した形を、フェラーリの造形的な美し さや、イタリアンファッションという言葉があるイタリアのファッションデザインにギリシャ時代以来受け継がれてきたヨーロッパ文化の最先端を見ますね。ま あ現代ギリシャ批判になってしまいましたが、文化というものは、生きてなければなりません。奈良でどんなに古い遺物が発見されたとしても、現代の奈良が問 題です。いったん途絶えてしまった文化や文明を甦らせることは容易ではありません。考古学が例え奈良県人のアイデンティティを擽ったところで、その後の京 都千二百年に渡って、継続的に創り上げてきた文化には、到底及びません。京都という街は単に人が多くいるだけではなくて、文化が今でも新たに創られている という息吹のようなものを感じますからね。丁度奈良と京都の関係は、ギリシャとローマの関係に似ていると言えるかもしれません」

「早い話が、生きているってことだね。佐藤さん」一服を終えたおやじさんがすっと立ち上がる。

すると、戸がガラガラと成って、若い衆が「○○さんお見えです」と言う。
おやじさんは、そのお客さんをジロリと覗いて、「へい、いらっしゃい」。
いつもの渋く低い声が店に響く・・・。

私も負けずに、「おやじさん、奈良漬けお願いします」

2000年3月24日。相変わらず頑固を絵に描いたような小笹のおやじさんであった。佐藤弘弥記
 


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2000.3.26