「傷だらけの人生」的現代日本を憂うる 


 


「何から何まで真暗闇よ すじの通らぬことばかり」という演歌がある。国の内外を見るとき、まさにこの心境がしてくる。心にじわり、じわりと鶴田浩二の三四年前の歌唱が甦ってくる。20代の人は知らないかも知れない。「傷だらけの人生」(昭和45年発売藤田まさと作詩吉田正作曲)という歌だ。

国の内外を問わず、筋の通らぬことばかりが起きる。それも皆、仕方なく引きおこされたことではなく、人間の欲心というものが根底にあって起こった人災である。天災というなら諦めもする。しかし問題の発端は、どんなに美辞麗句を並べ立てたところで、大国のエゴと飽くなき富への野望以外の何物でもない。

国外を見れば、今やブッシュの戦争と揶揄(やゆ)されるまでに至ったイラク戦争という泥沼にどっぷりと浸かってしまって身動きの取れなくなった唯一の超大国アメリカの姿がある。今度は、ファルージャでの戦闘行為に続いて、捕虜に対する虐待行為があったことが、大きく報道されている。日本は、日米関係を重視する立場から、そのアメリカの言うままに、イラク戦争にも、人道支援という危うい大義を振りかざして、内戦状態のイラクで、悪戦苦闘を続けることになった。いったいアメリカも日本もどうするのか。こうなったら、国連しかないと、アメリカも国連主導のイラク戦争の収拾策を模索し始めたが、国際政治においてはいったん掛け違えたボタンを是正するのは、ワイシャツやブラウスの場合のように容易くできるものではない。

そんな中で、ヨーロッパ諸国は、EUという緩やかな連合国家を立ち上げ、最近その加盟国が二五カ国に拡大した。人口(四億五千万)やGDPの規模では、アメリカと肩を並べるような超国家が誕生したことになる。もしもこれにロシアが加入することになれば、EUは、一気に国際政治経済の主導権を握ってしまう可能性が出てきた。そんなに遠くない将来、それはあっという間に実現してしまう可能性がある。

個人でも、国家でも、企業でもそうだが、一人勝ちの状況では、社会の発展はない。競争する相手があってこそ、社会的発展はある。その意味で、アメリカの一人勝ちではなく、国際政治の中でお互いを監視できるほどの競争関係が構築されることは悪いことではない。

意見が、右に左に大きくブレ易い日本人の心を熟知しているある評論家は、昨今の憲法論議の高まりを見たのか、「憲法改憲談義の前に、日本人はすべきことがある。それは日本の社会に健全な民主主義が定着させることだ」と語った。もっともだと思う。

国内を見れば、先頃の、イラク人質事件において、被害者となった三人の若者たちは、「自作自演」だの「自業自得」、「自己責任」など、とんでもないバッシングを受けて、今や引きこもり状態となった。この事件ひとつをとっても、「いったい日本に民主主義はあるのか」と、叫びたくなるような有様だ。新聞によれば、帰ってくる三人に向かって、旗竿に「恥を知れ」とか「経費を払え」と書いて、罵声を浴びせた人間もいると聞く。これを見たニューズウィークの記者は、「アメリカならば、間違いなく、ヒーローとして帰って来るのに、日本ではまるで犯罪者のようだった。これは子供社会のイジメと同じ構造を持つのでは?!」と真顔で語った。

国際社会の中で、日本人の心が疑われはじめている。かつて戦時中、「非国民」という言葉で、戦争反対を唱える人間の口を封じた同じ心理が、日本人の潜在意識の中で、醸成されはじめている。これは非常に危険なことである。まさか、そこまではと笑っている人がいるかもしれない。しかしある与党政治家が、偶然に帰国した三人に対し「反日分子」「救出に血税を使うのは不愉快の極み」という発言は、まさに新たな「非国民」の思想とも言えるようなものだ。意見の違う人間を封じ込めてしまうようなムードが社会にある限り、鶴田浩二の歌のように、日本の未来のお先は、真っ暗闇だ。

最後にその歌のセリフで締めくくろう。
「古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます。どこに新しいものがございましょう。生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左も真暗闇じゃござんせんか・・・」佐藤

 


2004.5.6

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