喫茶去とは?!

 
 「喫茶去」(きっさこ)という禅語がある。意味は、”お茶でも飲んで、去れ” ということになる。禅の喝(かつ)という一声を言葉にしたようなものだ。それが、長い年月を経て、いつの間にか、「どうぞお茶でも飲んで行ってください」という優しい言葉に、解釈されるようになった。禅語を分かりやすく説明する本にも、大体そのように書かれている。しかしこれは茶の心が、一般大衆化された時に、起こった曲解である。

本来、「喫茶去」は文字通り、お茶呑んで去れ、という絶対的な諭しだった。諭しという言い方に違和感があるかも知れないが、お茶は気まぐれで、出すものではなかった。

禅門に入るには、それなりの覚悟がいる。中にいる師もまた、覚悟を持って、その人物を迎えるのである。まず茶を呑みなさいではない。まず「お前なんか、禅など分からないのだから、茶でも喰らって、早くここから立ち去れ」と、いう意味にもなる。だから、その門を一旦くぐった者が、時には、樫の棒で、散々殴られ、その門を後にすることだってある。

あるエピソードがある。ある禅門を志した僧侶が、幾たびに樫の棒で殴られて、入門したいという意志に取り合ってくれなかった。ある日、僧侶は、今日こそはと、覚悟を決めて、門が閉まる時に、門に足を挟んで、「今日こそは、僧門に入れてくれるまでは、たとえ足が千切れようとも動きません」と、言った。それでも情け容赦なく、門は閉まる。ギィーという鈍い音を立てて門が閉まる。脂汗を出しながら、その僧侶は我慢をした。精神は堪えられたが、足が悲鳴をあげて、壊れてしまった。でも、僧侶は我慢した。

「中に入れてくれるまでは絶対に離れません・・・」

しばらくして、門が静に開いた。見れば、そこに高僧が一人、立っていた。

「見事、よくぞ、堪えたな。入門許す」

「ありがとうございます。ありがとうございます。…」
その時、何か頭の中で、ひらめくものがあった。

「ああやっと、分かりました。あの門が開かぬ意味が、…」

すると、高僧は、優しい笑顔でこう云った。
「見事、大悟(たいご=悟ること)なされたな。見事、さあ足を見せなさい。すぐに治療しよう。その後に茶を一服差し上げよう」

もちろん足は、一生曲がったまま治らない。しかしながら、この僧侶は、その後高僧の後を継いで、この総門を率いることとなる。

ともかくいずれかの「門を叩く」ということは本来そのような意味を持つ。簡単に門を叩いた者は、それこそ樫の棒で撲殺されかねないのである。茶を呑む、即ち喫茶とは、そのようにして味わう禅的な境地をも意味するのである。

日本における茶の道の完成者、千利休ももちろんそのことの意味をよく知っている男だった。その上で利休は、こうも云った。

「自分の亡き後、茶道は広まるだろうが、お茶の心は廃れるだろう」

確かに今や、利休の茶の心は廃れ、形式と所作に堕っして、花嫁道具の一部と化してしまった感がある。まさに千利休は、茶の道の完成者にして、禅の心を、その生き様にて、後世に示した芸術家であった。即ち利休は、自らの皺(しわ)腹をかっさばき、臓物を晒して、茶の心を知らぬ秀吉をあざ笑いながら死んで云った。一人の茶人の生き様の、何と凄まじいことであろう。 

かくも壮絶なる精神を内包した人間が、覚悟を持って「喫茶去」と、一言云うから、この言葉は、すばらしいのだ。喫茶去。茶を呑んで去れ。この精神を分からず、茶の心はわからない。佐藤
 


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2000.6.29