家族の絆


北朝鮮からやってきたジェンキンスさんを見ながら、その政治的な背景はともかく、つくづくと家族というものの絆を考えさせられた。

一般に「ジェンキンス軍曹」はアメリカに背いた犯罪者と見なされている。その結果、アメリカにいた彼の親族縁者は、裏切り者の家族という形で、肩身の狭い思いをこの五十年間に渡って続けてきたのである。彼の姉は、屈辱を晴らす機会もなく、亡くなっている。しかし彼のアメリカの一族は、けっして彼を見捨てなかった。

ジェンキンス氏の甥に当たる男性は、日本にやってきて、彼に面会を求めたが、実現していない。姪に当たる女性は、アメリカのメディアに向かって、「やっと母(ジェンキンス氏の姉)の汚名を晴らす時が来た」と力強く語った。一族は、全米中の冷たい視線を浴びながらも、けっしてめげることなく、「ジェンキンス氏の無実」を信じて、家族がひとつになっているように感じる。

もしも、自分だったら、どうかと考える。おそらく一族の「恥」として、語ることを避け、心の奥底で葬ってしまっているかもしれない。これはある種の「タブー」である。

何故、ジェンキンス氏の家族たちは、これほどの「意志」をもって、国家的な罪を負ってしまった人間を信じられるものか。これは法や道徳の問題というよりは、おそらくそれは彼らが「家族」だからである。また彼には拉致された日本人を妻と二人の娘がいる。彼女たちもまた、父と共に、アメリカ軍に出頭し、場合によっては父の罪まで背負う覚悟があるように思う。

このジェンキンス氏の周辺を見るにつけて、「家族」という結びつきの温かさと不思議を思わずにはいられない。国家というもの。社会正義というもの。そのようなものをも越える何かが、「家族」というものの中にあるとすれば、家族の崩壊が叫ばれている昨今の日本の家族の弱り切った結びつきを見るにつけ、何か心に清々しい風が吹いてくるのを感じてしまうのは、私だけだろうか・・・。

 罪人の夫(つま)父叔父を守らんと家族の絆ただ深かりし 
 

 


2004.9.14

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