語り部世田谷文学館で語る

−東京世田谷文学館で佐藤玲子さんのおはなし会
 
 

語り部の話を熱心に聞く子供たち


ふるさとの訛り懐かし世田谷に佐藤玲子氏民話を語り


当日のレポート
7月26日。暑さ厳しき東京の世田谷文学館で佐藤玲子さんのおはなし会(語り部の会)がありました。玲子さんは、小野和子先生の解説で、栗駒山の周辺地域に伝わる民話を披露しました。

会場は地元の父母と夏休み中の子供たち、民話ファンが大勢集まり、満員の盛況でした。語り部の佐藤玲子さんと解説の小野和子さんが登場し、懐かしいお国訛りの話が「むがす・むがす・ずっとむがす・・・」と始まり、会場は俄に栗駒の古い民家の雰囲気になりました。礼子さん独特のユーモアを交えた東北弁が、会場をすっかり栗駒の里に変えてしまったのです。さらに驚いたのは、はじめて東北弁を聞く子も多いはずなのに、語り部のじき前に陣取って、熱心に玲子さんの話に聞き耳を立てていたことでした。

民話の持つ、不思議な魔力を見る思いがしました。何か、会場の都会っ子たちは、夏の暑さも忘れて、すっかり「レイコ・ワールド」の住人になっているようでした。(佐藤)

面白き世田谷っこが耳慣れぬ東北弁の民話を聞くも



まるで田舎の炉端で話を聞く気分がした

しんしんと降る雪の如語り部の言葉積りぬ人の心に


世田谷文学館と芦花公園


この日の世田谷は、ことさらに暑い一日だった。夏特有のかっとした青空に、溶鉱炉を100万個も凝縮したような太陽が輝き、その周囲を真綿のような夏雲が忙しく行き交っていた。会場の世田谷文学館は、徳富蘆花の住居があった芦花恒春園に近い瀟洒な住宅街の中にある。駅名の「芦花公園」は、この公園にちなんで付けられた駅名である。駅から、文学館までは7、8分の道程だが、入口に着くまで日陰を歩いたつもりだが、すでに額からは汗が噴き出していた。
 

久々に芦花公園駅に降り立ってみて、道幅が広がったな、と素直に思った。歩道も出来て歩きやすくなっている。ただ道がまっすぐではなく、やや坂になって曲がりくねっているのがいい。妙に心が安らぐ。とても木が多いのもいい。

最近ふるさとの城下町岩ヶ崎の町が、すっかり道がまっすぐになって、味気のない町に様変わりしてしまったのとは大違いだ。町づくりで大事なことは、歴史や伝統を踏まえた景観を残すことにある。便利さと景観とは時として相容れないものである。何故、昔道が曲がっていたか、何故、川は蛇行するのか。それは、単に戦の事ばかりを想定してそのようになったのでない。それは当初の設計思想が、自然に対する畏敬の念があったからに他ならない。つまり自然が長い年月を経て、作り出してきた自然の造形力をそのまま受け入れて、道をとし、川としたのである。

きっと芦花公園の道幅を広げるにあたっては、地元の住民や地権者を巻き込んだ侃侃諤諤(かんかんがくがく)の論争があったであろう。その結果、このような古い景観を大切にする形の道が残ったと思う。岩ヶ崎の道については、岩ヶ崎を通り過ぎるのは便利かもしれないが、それによって古い景観が失われたことを心ある人は知って置くべきではないだろうか。

世田谷文学館に入ると、絵本が会場いっぱいに並べてある。何か「絵本フォーラム’02、昔話と昔話絵本の世界展」を開催しているようである。子供たちが大勢いた。テレビ時代というが、やはり絵本というものは、子供にとって魅力があるのであろう。一階の奥に「おはなし会」の会場があり、すでに席は満席の盛況だった。

やがて語り部の佐藤玲子さんと解説の小野和子さんが登場した。静かにそしてやさしく懐かしいお国訛りの話が「むがす・むがす・ずっとむがす・・・」と始った。すると私の心は、もうすっかり遠いふるさとの栗駒にいる心地がした。まさに民話の持つ、不思議な魔力に触れる思いがした。

語り部が一声「むがす」と声出せば古き母屋に居る心地する


小野和子先生が語りの解説をする

語り部は囲炉裏と座布団恋しよに馴れぬ椅子にて話すこ語り

話は以下の通りでした。

1.ねずみはチュウ
2.雪わらし
3.川流れわらし
4.すりつくぞーすりつくぞー
5.こわーい学校
6.カミがない
7.小僧、小僧、まぁだか

雪わらし風呂に入れられ溶けて消ゆ話を盛夏に聞きては寒し



語り部佐藤玲子さんへ

−感想に代えて−

まさか、東京で、ふるさとの民話を聴く機会があるなんて思いませんでした。
この会を聴かせていただき、日本中でこのような機会が多くなればいいな、とつくづく思いました。それは特に日本の未来を担う子供たちが、自分たちの国にこのような素朴ながら、テレビや映画で見るアニメのようなものとはまったく異なった「おはなし」(語り)の世界があることを知ってもらうだけで意味があると思うからです。

語りは、語り部から発せられた言葉を、それを聴く者が自らの想像力をもって、認識することで生まれる芸術です。元々人間には少ない情報でもこれを想像力によって、そのイメージを増幅拡張して認識する能力があると言われています。ところが戦後の日本では、映画やテレビの発達によって、語りのような芸術を隅っこに追いやってしまいました。例えば、NHKの相撲のラジオの実況放送というものがありますが、昭和30年代の実況放送は実に分かりやすかったと思います。ところがこれを今聴いてみるとさっぱりイメージが湧いてきません。これはラジオ実況のアナウンサーの語りのレベルが低下してしまったこともあるでしょうし、こちら側の声による認識能力が落ちたことも原因でしょう。

「一目瞭然」あるいは「百聞は一見に如かず」という言葉があります。確かに聞くよりは見た方が認識のスピードは飛躍的に速まります。しかしそれは反面、人間の想像力を限定することに通じ、かつ個人の想像力の低下を招いてしまったことも事実です。現代人の見たものを、そのまま無批判で受け入れがちな傾向は、人間の未来にとって、非常に危険な兆候です。この40年余りの短い時間の間で、ラジオからテレビへの主力メディアの移行は、人間の認識の仕方のパターンを聴覚から視覚へと一変させてしまいました。もちろんこれはある種、進歩かもしれません。しかし反面それは、個々人の想像力を、広がりのない無味乾燥なものにしてしまったことも事実です。

今まさに、現代人は想像力そのものを失いかけています。今から30年も前、ジョン・レノンというロック歌手が「イマジン」(想像してごらん)という歌の中で「国境もない、争いもない社会を、想像してごらん」と歌いました。この言葉は、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の精神である「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」(ユネスコ憲章全文1945.11.16)という言葉にも通じる人類へのメッセージであると思っています。

想像力の貧困化が懸念されている今、玲子さんのような語り部の人々が果たす役割は、今後益々大きくなっていくと思われます。もちろんそれは玲子さんが語る民話が、子供たちの想像の翼を刺激し、彼らを大空に羽ばたかせる風の役割を果たされると思うからです。未来を担う子供たち、そして我々にも益々面白いお話をお聞かせください。今後一層のご活躍をお祈り申し上げます。(佐藤)

語りとは不思議なるかな聞く者の心に沁みる神秘の響き


 


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2002/7/28 Hsato