童話 河童の逆襲

ワルイゴトスット・バヅアダルヨ


河の童(わらべ)と書いて河童(かっぱ)と読む。広辞苑によれば、カッパはカハワッパの訳で。もちろん想像上の動物で。その面差しは四?五歳の子供のようで。顔は虎に似ており、くちばしはとがり、身にうろこや甲羅があり、毛髪は少なく、頭上に凹みがあって、少量の水を容れるようだ。頭に水がある間は、力も強く、他の動物を水中に引き入れて血を吸うといわれる。特に河の辺にきた馬を水の中に引き入れてしまうと恐れられている。

しかし河童の駒引きという行為もほとんど失敗が多く、どじを踏んで人間に捕まってこっぴどく叱られ、謝って許してもらうという情けない民話も多く残っている。どうもこの河童のことを考えていくと、里の民と山の民の抜き差しならない対立を象徴している話のように解釈できそうだ。つまり里の民の貴重な財産である馬を盗もうとする山の民との間の小競り合いが民話となっておもしろおかしく語り伝えられたということである。もちろんこの河童は河の神様(水神)であり、日本だけではなく広く世界中の民話や伝説として語り継がれている。そのことを論じた「河童駒引考」(岩波文庫石田英一郎著)という本もある。

しかし大家の本はどうもこちらのイマジネーションを奪いがちなので、あえてこの本の内容は考えずに、イメージの翼を広げてみよう。すると山の民のいたずら坊主が、馬を盗もうとする光景が鮮明に浮かんでくる。例えばこうだ。

童話 河童の話

むかしむかしずっとむかし。まだ今の山の民が、里に住んでいた頃、自分たちの住んでいた所に勝手に柵を張って、自分の土地とだと主張する民が南からやってきた。

そこで山の民が、「ここは俺だずが神様がら借りでる土地だっか、柵を張るのはやめでけろ」と話にいった。すると南から来た馬のように顔の長い民は、「お前が言っていることがわからん。文句があるなら、役所に行って役人に言ってくれ」と言った。確かに明らかに言葉は違っていたが、身振り手振りで、柵を取り壊すように言ったのだが、一向に聞き入れる様子がない。そこで大勢の山の民がそれに怒って、更に柵を壊すように抗議に押し寄せた。みんなは口々に「住むのはいいげっと、柵を作るのやめでけろ。ここは神様から借りている土地だがら、お前だずが勝手に柵っこなど造るごとなど許されねのだ。ワルイゴトスット・バヅアダルヨ」と叫んだ。

怖ろしくなった南の民は、すぐに役人の所へ駆けつけて「助けてください。山の民に殺されてしまいます」役人は鉄の鎧兜で武装した兵士たちを男が張った柵の前に派遣した。小競り合いがたちまち暴動に発展し、武装していなかった山の民に多くの負傷者が出た。柵はいよいよ二重三重になり、元いた民は、山に逃げ込んで山の民となってしまったのである。柵の中では、大きな馬が何頭も嘶いている。柵は放牧した馬を飼うためのものだったが、同時に山の民から、里の民を守る防壁の役割を果たすようになっていった。

山の民からすれば、柵も何もすべては神から預かっているものに過ぎず、しかも神を祀る祭壇もいつの間にか、奪われてしまったのだ。ご先祖から代々受け継いできた大地が、今や馬を飼う民の柵で囲われ、祭壇だった聖なる土地は、今や馬糞の山となっている。時々血の気の多い者が、柵を壊して、我が土地を奪い返そうと、跳ね上がって反抗しては、逆に命を失った。次第に柵は、広がりを見せて、山の民の居住地域は、追いつめられて、山の奥へ奥へと押し込められていくようになった。

そんな時、山の民の中で虚しい抵抗を試みる若者が現れた。怒りに任せた計画は、意外なほど単純で柵の中の馬を奪うことであった。どこで馬を奪うかということを考えた末に、馬が河に水を飲みにきた時を狙おうということになった。盗賊となった男は、草や木を切って体に張り付けて、野や山に完全に自分を同化させて機会を待った。馬が来た。はじめは緊張でドキドキしていたが、馬という動物の優しさもあって、これが難なく成功してしまった。そして一頭また一頭と、里の民の馬は、その男によって奪われていった。

里の民は、馬の数が足りないことに気づいてびっくりした。どうしたんだろう。ということになり、監視が強化された。ある日、夕暮れが迫る川縁で奇妙な格好をしたものが逃げて行くの目撃した里の民は、「河に小さな童のようなものがいて、馬を引っ張ろうとしたので、こら、と怒鳴ったら逃げて行った」と、主張した。みんなはそんな馬鹿なということになったが、故事に詳しいものが、「いやそれはおそらく河童というものだろう」と主張しだした。

その話によれば、「河童は水の神様で、馬を水の中に引き入れては、その内蔵を食らうのだ」という。人々はびっくりして、水の神に祈りを捧げることを主張した。しかし一人だけ、「そんな馬鹿なことがあるものか。俺様がその妖怪とやらを退治してやる」と、言い出す若者が現れて、河童がよく悪さを働く河の辺に隠れて、河童の出現を来る日も来る日も待ったのであった。

そして10日ほどしてやっと奇妙な格好をした一人の山の民が捕まえられた。人々の前に連れ出された河童ならぬ山の民は、散々樫の棒で殴られて、「さあ何か言いたいことはあるか」と、お役人に言われた。そこで山の民は、自分の心を隠してこのように言った。
「許してけらいん。ほんとに申しわげないごどしました。これがらは心を改めて二度と里の民の馬を盗んだりしねがら許してけらいん。ほんの出来心だっかしょ。馬っこは今、山の里さ大事に飼っているがら、すぐ換すようにすますがら・・・。どうぞ縄っこ、ほどいてねけべが」と涙を流しながら言った。

里の役人もこの言葉には、痛く心に感じるものがあったようで、「分かった二度と罪を犯さないようにするのだな。そして馬はもちろん返して貰う。今回だけは許そうと思うが皆の衆どうだろう」と里の民の顔を一通り見渡した。どうやら今回は大目に見ようという雰囲気があったので、「分かった。皆も同じ気持ちのようなので、許すとしよう」と言って、縄を解くように命じた。そして縄は、静かに解かれた。すると雰囲気が一変した。空は急に真っ赤に変色し、ただの夕日でないことは明らかだった。何か悪いことが起きる、と誰もがそう思った。

次の瞬間、さっきまで泣きじゃくっていた山の民の顔は見る間に、緑色になり、唇はとがって、頭にはお皿が現れた。背中には亀のような甲羅が、足にはカエルのような水掻きが現れて、「ギャー、ギャー」と叫んだ。里の民は、今目の前で何が起こっているのか、理解できぬままただ呆然として立ちつくすだけだった。
すると天上の方から、静かなで荘厳な声が聞こえて来て、辺り一帯に響き渡った。

「我が大地を犯す者。我ら大地を犯す者。我ら大地を犯す者に告ぐ。山の民に罪なし。罪あるは汝等。必ずこの報いあらん」

* * *

それから三日後、その里には山津波が押し寄せて、柵も里の民もことごとく泥に流されて消えてしまった。佐藤

 


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2000.3.15