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政治家の顔


 



 

 
鈴木宗男という人物を見ながら、「この人物が何故、政治権力の中に深く潜行し、隠然とした力を持ち得たのか・・・?」と考えてしまった。

彼は自分で「古いタイプの政治家」と語っていたが、それは利権にすり寄り、利権を選挙区に誘導するという意味であろうか。彼は又「たたき上げの政治家」とも自称しているようだが、それは危ない端を何度も渡って今日の地位というものをつくってきたというある種の自負のようにも思える。

きっと一歩間違えば、政治家失格の烙印を押されて葬り去られかねないことを実行しているうちに党のボスに近づき気に入られ、次第に隠然たる力を持つようになり、ボスのやり方をそっくり真似て、官僚の生態を知りつくしその弱点を握って、恫喝を加え、美食を喰わせ、ついにはエリートの官僚までも尻の下に敷いてしまったのであろう。

まあ、政治に興味がないものからすれば、それで何が楽しいの?と云いたくなるのであるが、自分で付けた勢いは如何ともし難く、なりふり構わないやり方が、周囲に害毒となってしまっていることにも無頓着となり、ついには政治の怪物の如き相貌になったことにも気づかない有様で、今日の集中砲火となったのであろう。

ともかく彼に限らず、政治家の顔が、どんどん悪くなっていく印象を受けるのは私だけの錯覚だろうか。アフガニスタンのカイザイ氏の演説での表情を見た後に、彼を見たせいだろうか。余りに違いすぎるのだ。何故これほど日本の政治家の顔が情けないものになってしまったのだろう。

カイザイ氏は、内政時と外交時ではまるで別人のような表情をしている。内政では、実に厳しい顔で、アフガンの人々に復興への本気さを滲ませているように見える、一方外交時の顔は、実に穏やかで、周囲を和ませるような所がある。またこの人物が復興アフガンのトップであれば、何とか大丈夫だろう、と思わせるような何かがある。それでいて品格というものを片時も失わない。

実はカイザイ氏の父もアフガンの政治家だったが、タリバン政権成立後は、パキスタンに亡命していた。しかし数年前に、パキスタンでタリバンと思われる暴漢によって、暗殺された。彼自身もまた何度も命を狙われ、その都度奇蹟的に生き延びて来た経緯を持つ政治家だ。

もちろん政治というものは顔で行うものでないが、それでも私は敢えて、政治家よ、自分の顔に責任を持てと云いたい。佐藤

 


2002.3.13
 

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