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子供の顔


 



 

 
子供のあどけない顔は、今時の若い女性の言葉ではないが「カワイイ」。人間に限らず、動物でも幼い子の顔はやはり「カワイイ」。何でも危険に遭った時でも「カワイイ」方が、見逃してくれることがあるので、子供は生物の戦略としてカワイク生まれてくるのだそうだ。

しかし昨今、カワイイはずの子供を虐待して、死にまで至らしめる親がいるのだから、分からない。他人の子でもカワイイのに、自分の子がカワイクないはずがないと思うのだが、世の中は、鬼のような親が増えてきているということだろうか。弱い者を助けるのが人間の美徳である。昔から弱い者いじめをする奴に大した奴はいない。と言われて育ってきたせいか、どうにも我慢ができない。一方では子を甘やかし、生まれっぱなしのワガママなままの子供で放っておいて、他人の迷惑をまったく気にしない親が増えている。

子を虐待する親も困るが、子を放りっぱなしでいる親も、困ったものだ。私が新幹線のグリーン車で良い気分で眠っていると、ギャーギャーと子が泣き出した。親はというと、構わずにそのままにしている。オイオイ何とかしてくれ、あんた親だろう。と思っているが、遠慮した。昔であれば、周囲の迷惑を考えて、抱き起こして、オシリをパタパタと叩いて、あやしたものだ。それでも駄目な場合は、車両から外に連れ出して、親も泣きやむように努力したものだが、近頃は、親もまったく無頓着になって「子は泣くもの」と決め込んでいるように見える。

子には教育が必要だが、それより現在の日本社会では親になるための教育が必要のようだ。子に必要以上の暴力をふるう親がいる。また子の動向にまったく無頓着な親がいる。どちらの親も自分と似た駄目な親を再生産していることに気づいていない。

横目で親の間の抜けた面を見ながら、「ダメダコリャー」と唸った。するとその隣の子の顔もさっぱりカワイイ顔には見えなかった。佐藤
 

 


2002.3.12
 

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