六本木ヒルズの回転ドア事故は「大都市再開発」への警鐘か?! 

-安全基準なき回転ドアの危険-


六本木ヒルズの事故は「大都市再開発」への警鐘か?! 

大都市再開発で象徴的な存在となっていた六本木ヒルズで、痛ましい事故が起きてしまった。3月26日午前、この四月に小学一年に進学するはずだった6才の少年が、入口の回転ドアに挟まれて死亡してしまったのだ。

その後になって、次々と杜撰(ずさん)なビル管理の実態が明らかになった。同様の事故が、以前にも、何度もあったという。事故が起きる度に、入口にテープを張ったり、安全装置のセンサーの感度を上げたりしてきたようだ。しかし、所詮それは、場当たり的な小手先の変更であり、回転ドア自身を取り払うなどの抜本的な対策がなされて来なかった。今回の事故は、そんな森ビル自身の安全に対する配慮の甘さがもたらした人災である。

私自身、回転ドアが大嫌いである。回転ドアがあっても、横に普通の自動ドアがあれば、そこを通るようにしている。もしも自動ドアが無ければ、やむを得ずに通るが、近くに回転ドアでない入口があれば、少し遠くても、歩くようにしている。何故か、それは、どうも危ないと感じるからである。あのように、重たいドアに挟まれたら、大人だって一溜まりもない。足でも首でも千切れてしまうだろう。

回転ドアの設置には、ビル管理上の空調効率を上げる目的などがあるようである。しかし巨大ビルも、居住空間で在る限り、まずはそこに住む人間の安心と安全、次にそこを訪れる人間の安心と安全という観点から設置すべきかどうかを判断してもらいたいものだ。

厳しい言い方をすれば、今回の事故は、森ビルのビル事業の採算性に比重を置いた経営体質を浮き彫りにした事件であった。屋上で、稲を植えるパフォーマンスなど、話題を常に提供し続けている「六本木ヒルズ」であるが、今回の事故以外にも、余りにも高い高級マンションの賃料など、およそ市民の金銭感覚をあざ笑うかのような経営姿勢に首を傾げる人も多い。

東京から、むかし懐かしい街並みが、日一日と失われつつある。そして「大都市再開発」ばかりが、声高に叫ばれ、巨大なビルが、次々と、モグラたたきのモグラのように出現している昨今である。今回起こった痛ましい少年の死は、東京という都市における大都市再開発思想そのものに、大きな警鐘を鳴らしているように思えてならない。

佐藤

 


2004.3.31
 
 

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