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寿命というものを考える

−人間の寿命は10倍になってもおかしくない?−


 
ふと鏡を見ながら、老いというものは、人間という生物機械にとっては、プログラムなのだな、と感じた。人間が、何故このような80年足らずの命しかないか、という寿命についての明確な生物学的説明はつかないと聞く。寿命というものを、厳密に考えれば、考えるほど分からなくなる。最後には、創造の神様が、きっとその位の所で、プログラムを組んだのだろう、と考えるしかない。

何故、生物は生まれ、そしてたちまちのうちに老い、やがて死に至ってしまうのだろう。DNAの中には、体内時計の働きをする時間遺伝子のようなものが在るらしいから、、人間が死ぬまでの間、体内時計として、時間がこのように経過したら、白髪を出し、細胞の分裂を非活発にして、自身を死に至らしめるプログラムを粛々としてこなしていくのだろう。そこには恐怖の悲しみもなく、あらかじめ書き込まれたプログラムを実行する醒めた機械的な作業が存在するだけである。

まさに人間の寿命というものは、二重の螺旋状に繋がった四つの塩基(アデニン A、グアニン G、シトシン C、チミンT)の組み合わせで書き込まれた生命活動のプログラムに過ぎないことになる。ある学者は、「生命」というものを遺伝子の乗り物とみる考える方もあるようだ。別の見方をすれば、「生命」というものは、この地球上に非常に単純な生物が誕生して以来の、より高度な生命誕生への自己成長過程だと考えられなくもない。

その考え方に立てば、何も人間が遺伝子操作などを研究しなくても、時間さえ掛ければ、人間そのものが、別の次元の生命に向かって進化を遂げて行くことは、はっきりしている。

今この人間の寿命を支配しているであろう遺伝子の解読解明が、急速に進んでいる。もしもそれが時計遺伝子の原理が解明されれば、人間の遺伝子をそのものを書き換えるよりは、遺伝子の中の体内時計の遺伝子をちょっと遅らせる方が手っ取り早い。そうすれば人間の寿命は、簡単に今の10倍くらいとなり、千年位の寿命になるかもしれない。

人間の絶対的条件である肉体というものを、牢獄にたとえる考えたがある。確かに肉体は、魂を閉じこめておく牢獄に見えないこともない。人間はこの寿命という限界ある肉体を持つことによって、心にある目というものが目覚めるのが、どうしても遅れてしまう傾向にある。それは余りにも肉体が持っているエネルギーが強烈な為に、本来心の根底に眠っている意識かあるいは魂と人々が称しているもの活動が鈍ってしまうのである。それは丁度、朝方には、あれほど鮮明に覚えていた夢でも、意識をしていなければ、昼頃には、完全に忘れてしまう例を想起すればわかるだろう。こんなことを考えると「老いる」ということも、そう悪いことではない。誰かが「老人力」などと表して肯定的に捉えていたが、その考え方も分かる。

古来よりインドの修行者は、自らの肉体を限界まで、追い込んで、肉体的なエネルギーの影響を排除することに全神経を集中した。自分自身の心が本来持っている根源の意識の覚醒を計ろうとしたのである。お釈迦さんも(ゴータマ・シュッタルタ)その一人だった。しかしあらゆる伝統的な苦行を繰り返した果てに、彼は感じたことは、苦行(肉体エネルギーの排除)では得るものはないという現実だった。彼はこう思ったのだろう。「人間は肉体のエネルギーを使って思考しているのだから、人間として覚醒しなければならない・・・」と。その微妙な感覚こそが、悟りと呼ばれるものだ。

彼は人間の苦しみの原因を探って、その根源まで遡って追求していく中で、生命という過去から未来永劫に受け継、がれていくものの尊い何ものかが在ることを知った。心の眼で己の中にある意識の中心を覗いた時、その中にすべての答があることを見たのだ。余りの単純さと美しさに、お釈迦さんは愕然とした・・・。きっと彼は、今から二千五百年の前、1953年二重螺旋の配列を発見したワトソンとクリックどころではない興奮を覚えて、誰かにこの事実を話したいという思いに駆られた。誰も知らないような人間の秘密を知ってしまった彼は、幸福感に満たされブッタガヤの菩提樹の下で、禅を組んだまま、数日間、留まっていたというのである。

人間は死ぬものである。お釈迦さんもまた八十歳の寿命を全うして土に帰った。しかしお釈迦さんの命は、本当になくなったのであろうか。いや生きている。それは宗教として生きているのでない。我々一人一人の心の中にお釈迦さんに通じる意識として確かに生きているのである。

さてお釈迦さんが己の心の中で見た「すべての答え」とは何だろう。それは人間は、己の人間として限界を知り、与えられた生命のなかで、周囲に良き影響を及ぼし、また次の世代に良きものを伝えていく、使命のようなものを意識した自分の姿ではなかっただろうか。その時、明らかに、彼は思考の限界を突破した。つまり今の今まで牢獄や苦としか思えなかった人生が、少しも牢獄や苦などではなく、白く輝く蓮の大輪に見えたはずである。そしてブッタ(覚醒者)となったゴータマは、自らが泥池に生えた蓮の花のように生き始め、そのことの素晴らしさを、己の命の尽きるまで、広めるために生き続けたのである。もしかすると、お釈迦さんは、今日我々が最先端の生命科学として捉えていることを宗教的な直感力をもって理解していたのかもしれない。佐藤
 

 


2002.1.27
 

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