毛越寺常行堂前のお地蔵さん

毛越寺常行堂前の地蔵菩薩
(2004年8月13日佐藤撮影)


 


毛越寺の常行堂の左前にかなり大きな石像が安置してある。はじめて見た時には、正直何も感じなかったが、常行堂に何度も足を運んでいるうちに、気になる存在となった。穏やかで大作りなお顔が何ともありがたく感じられるのだ。どうも以前何かの書籍で拝見した円仁さんの木像に似ている気がした。

山形の立石寺は、中尊寺や毛越寺同様、慈覚大師と呼ばれる円仁さんゆかりの古刹であるが、実はここに円仁さんの遺骨が納められていると云われる棺(ひつぎ)が伝わっている。その棺(ひつぎ)の中に、数体の人骨と一緒に円仁像と思われる木像が発見されている。私は、常行堂の前のこの石像が、この円仁さんの像に似ているように思えた。木像の面差しの特徴は、耳や目鼻立ちが大きいことである。特に下に向かって大きくなだらかに湾曲した鼻は常行堂の石像によく似ている。

毛越寺の常行堂の立て札には、ただ地蔵菩薩とのみ説明がある。地蔵菩薩とは、早い話が、お地蔵さんのことである。この菩薩は、お釈迦さん(仏)が居なくなって、弥勒(みろく)菩薩が現れるまで、この世の民を救い導くとされる仏教修行者を指す。この地蔵さんが、他の仏像にも増して余計に日本人に人気があるのは、おそらく我々凡なる人間に近い存在だからであろう。

大乗仏教の哲学から云えば、私たちは皆菩薩になる資質を持つ者と考えられている。その意味で、私たちは皆菩薩なのである。だから何か人生において正しき目標をもって励めば、それが菩薩行となる。かつてマラソン選手にアべべ・ビキラというエチオピアの英雄がいた。彼は1964年の東京オリンピックとその次のメキシコオリンピックで2連覇を果たした名選手であったが、彼の走る姿は「走る哲学者」と呼ばれるほどで、あたかも瞑想をしているような顔をして、42.195キロを走っていた。おそらく、彼は意識することなく、座る禅の「座禅」ではなく、「走る禅」を実践していたのかもしれない。

ある時、もしかすると、この常行堂の地蔵菩薩は、円仁さんを面差しを写して制作されたものではないかと思うようになった。そこで常行堂の鐘楼の横にある売店にいる寺僧に尋ねてみると、毛越寺管轄の近くの寺院に在ったものをこの場所に移してきたとのことだった。私の予想は見事に外れたことになる。それでも私はこの穏やかな表情の中に、円仁さんが生きているなと強く感じるのである。 

 


2004.8.19

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