五木寛之の「百寺巡礼」に思うこと

-もっとじっくり時間を掛ける企画では- 


今、作家の五木寛之が注目されている。その理由は、ベストセラーになっている「百寺巡礼」にある。これは日本全国の百寺を選び出し、当の古寺を巡るという企画である。本だけではなくビデオも発売し、百寺を独特の五木節で、紹介するというものだ。だが、その発刊のスピードが、二年で百寺完結と、かなり早い。なぜ、そんなに急ぐのか。そこに「売らんかな」の思惑も透けて見える。

そもそもこの企画では、日本の百寺を巡るというものだが、どんな基準で、百寺を誰が決めたのものか。曖昧である。出版社側のアイデアであろうか。資料から何から、出版社が探してきて、最後に、「五木寛之」という権威が登場するシナリオだ。

本来、自分が、過去に巡った寺で、老いた後に、心に掛かる寺を、作者が再び巡って歩くというのなら、なるほどと思う。ところが、今回の企画は、付け焼き刃のような慌ただしさを感じてしまう。

ひとりの表現者が日本文化の粋ともいうべき古寺を巡礼するということは、それなりの覚悟と思い入れがあるべきだ。世に高齢者のトレッキングブームを起こした深田久弥の「日本百名山」のアイデアを拝借し、巡礼ブームでも起こすつもりだろうか。それにしても、なぜ、百寺でなければならないのか。京都だけでも、寺は2千五百もあるのである。今回は、五木氏自身初めて訪れる寺もかなり多いと聞く。二年という短期間で、実施されるとすれば、「百寺巡礼」と言っても、「巡礼」という言葉に凝縮される「祈り」という純粋な響きが、こちらに伝わってこない。

私は、五木氏を、戦後の日本の文壇において、独自の道を切り開いた作家のひとりと評価するものである。しかし今回の百寺巡礼という仕事には、どこか散漫なものを感じて、違和感をもってしまうのである。

作家に限らず、芸術家というものは、最後に、大作を仕上げなければならない、という強迫観念に囚われてしまうもののようだ。故司馬遼太郎の命を縮めたものは、はっきり言って週刊朝日に連載された「街道を行く」のハードすぎるプロジェクトだったように思う。「火の鳥」の漫画家、故手塚治虫も、過労によって、命を縮めた。彼らは、自分の命を紡ぐようにして、大作を残し亡くなったのである。余りにも慌ただしい今回の「百寺巡礼」の仕事が、五木氏の体調を崩してしまうことも十分に考えられる。周囲の人間は、その辺りの配慮も必要ではないだろうか。

とは言っても、今回の百寺巡礼が、故司馬遼太郎の「街道を行く」という仕事と最終的に比較されることになるかもしれない。もちろん、その成否は、ひとえに今後の五木氏の「百寺巡礼」の筆致に掛かっている。その為にも、もっともっと時間を掛けて、じっくりとその古寺の歴史文化の本質に迫って行くべきではないかと思うばかりである。佐藤

 


2004.4.6
 
 

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