「一陽来復」について


 
「一陽来復(いちようらいふく)」という言葉がある。三省堂「明解四字熟語辞典」によれば、「冬がお笑い春が来ること。信念が来ること。また悪い事が続いた後で幸運に向かうこと。」いうことになるようだ。本来は、易占いの本の「易経(えききょう)」の「地雷復」の項から一人歩きを始めた言葉である。

「復」には元々「戻る」という意味があり、六本の卦(け)が上から「陰」が五つ並び、一番下に「陽」の卦が立った状態を言うのである。この一つの「陽」が立ったことが、「復」の卦そのものなのである。丁度太陽が、夜の闇の中に姿を隠し、この世を暗黒が支配していた。しかし明かぬ夜はないように、また再び、陽は確実に昇ってくる。その時の雷の一条の光りが、地上に光明を放つ。これがこの卦のイメージである。

また旧暦の十一月を、子(ね=ねずみ)の月と呼び、十二支の始まりとなる。旧暦十一月の冬至のことを「復」と呼ぶそうだ。何故、十二支の始まりが、旧暦の十一月なのかは不明であるが、きっとここにも古代の中国人の天体の運行と運勢の微妙な関係についての深い知恵が介在しているのであろう。

「易経」には、「復は亨る。出入疾(やまい)なく、朋(とも)来たりぬに咎(とが)なし。反復その道、七日にして来復。往くところ有るに利(よろ)し。」とある。

簡単に意訳をすれば、「復は大丈夫。行ったり来たりと出入りは激しく、友は来なくても、問題はない。我慢せよ。七日の我慢で必ずまた陽は射してくる。行け思うとおりに、行けば道は開ける」
と言ったようなことになるであろう。

「易経」を読む時のコツは、例の文句のように、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と心を静に解放して、理性的にでなく、感覚的に捉えることが肝心だ。要は「易経」の中に並ぶ文字を読んだ時に頭に浮かぶイメージを大切して、丁度夢見るように気持で出た卦と接すべきなのである。

単純に「運が良い」、とか「悪いとか」の直接的な意味を追い求めると、易経本来の運気が示す深い意味をくみ取る機会を失ってしまうのである。出た卦に一喜一憂してはならない。「卦」は「気」であって、その卦の中に、深い知恵と暗示が隠されているのである。だから眠りの中で、「夢」として流れる映像を捉えるように、むしろ漠然と頭に入ってくる言葉をイメージに置き換えて捉えるべきである。そうすることで、自分の中にある無意識が、易経と共鳴して、大いなる人生のヒントを与えてくれるのである。

ともかくこの「一陽来復」という言葉をよくかみ締めつつ、己の運気、周囲の運気の流れに敏感でありたいと思う。最後に「一陽来復」という言葉が、今の日本の閉塞情況を打開する知恵となることを祈念したいものだ。佐藤

 


2002.9.20
2002.11.11
 

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