イラク戦争は本当に終わったのか?
 

-見えぬ真実・見えぬ犠牲者-


 


おぞましい光景を見た。
巨大なビルが、瓦礫の山となり、どれがコンクリートで、鉄筋で、どこが人間の骸(むくろ)なのかの見分けもつかない。1トンにも及ぶ、強力な威力を持つ爆弾が悲劇という言葉も吹き飛ぶような勢いで世界最古の都市バグダッドの中心部で炸裂した。けぶる瓦礫の中に何人の犠牲者が眠っているのだろう。肝心のフセイン大統領はこの中にいるのか、それともいないのか。アメリカ軍は、眼を凝らし、この中の埋もれている骸の一体一体を、探すのだろう。いったい戦争における真実とはどうしたら知ることができるのだろう。残念だが、おそらく、戦勝国の報道の中では、民間人のイラク戦争の正確な被害者の数が、今後とも明かされることはないであろう。いつもそうだ。敗国の死者は、戦勝国の掲げる正義のうちの犠牲者として、語られぬ運命にある。しかしどこにも自国の正確な歴史を忘れまいとして、語り継ぎ、あるいは密かに記録に留める良心の人が必ずいるものである。真実の一端は、敗者の側のそうした隠れたレポートの中にこそあるものだ。

おぞましい光景を見た。
昨日まで、敵と叫んでいたアメリカの戦車が、イラクの首都バグダッドに入ると、どこからともなく、イラクの民衆がまるで映画のエキストラの如く走り寄ってきて、フセインの巨大な銅像を、いっしょに引き倒しにかかった。この象徴的な、場面は明らかに、当初から、画策されていたプロパガンダであろう。

おぞましい光景を見た。
国連イラク大使が、バグダッドにアメリカ軍の戦車は入って、フセインの影が消えたと報道された瞬間に、「ゲームは終わった。望むのは一刻も早い平和。私はフセイン政権とはもう関係ない。」と叫んだ。この変わり身の早さは、どこかでも見たことがある…。

おぞましい光景を見た。
子供たちまでが、イラクの官庁や高級住宅街に入って、盗品を山と抱えて逃げてゆく。傍らでは、昨日まで、神のようにあったフセインの写真が子供たちの足の下で笑っている。

いったい何をもって、人は人と呼ばれ得るのだろう。いったいどれほどの戦争の愚を経験すれば、人間は、おぞましい姿を晒さない高貴な存在になれるのだろう。イラク戦争は本当に終わったのか。洪水のように流れてくる報道を朝まで見続けても真実は、見えて来る気がしないのは、ひとり私だけだろうか。アラブ版CNN「アルジャジーラ」バグダッド支局の攻撃と、記者の死。そしてロイターのカメラマンの死。こうしてイラク戦争の報道は、バランスを失ったものとなった。後味の悪さばかりが残る…。

今はただこの戦争で、傷つき亡くなった人々と、これから一生を通じてイラク戦の傷を負って生きる人々の苦悩に安らぎあれ、と祈るしかないかもしれぬ。2003.4.10 佐藤

 


2003.4.10
 

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