イラクでの日本人拉致事件の真実

-今や世界は国家の論理だけで動いているのではない- 


去る2004年4月11日、ある人からメールが届いた。 
「佐藤さん。是非このサイトを開いてみてください。そこには、日本人三人がイラクで拉致拘束された真実があります・・・」という書き出しで始まり、あるサイトへのリンクが貼られていた。 

私は、直ぐさま、そのリンクをクリックした。 

ドイツ語のサイトだった。そこには驚ろくべき事実が活写されていた。何と、犯人グループがテレビ局アルジャジーラに手渡したビデオは、日本のマスコミでは無音という説明だったが、実は音も流れるシーンがあったのだ。ゆっくりと映像が流れ始めた。はじめ見慣れた音無のシーンが流れ、次の瞬間、突然画面が変わり、劣化ウラン弾の実態を調べるという目的をもってバグダッドを目指した今井紀明さん(18才)の恐怖の表情がアップで現れた。彼は大きな目を剥いて、我が身に迫った生命への危機を受け止めかねているように見えた。その首先には、大きな刀が突きつけられている。同時に犯人グループの「アラーアクバル」(神は偉大なり)の怒号と、三人の悲鳴が何度も繰り返されている。中でも高遠菜穂子さんの悲鳴は凄まじい。私はこのビデオに隠された真実に大変なショックを受けた。

先のメールには、「日本のテレビ局が、このテープの全容を伝えるように、マスコミ各社に依頼するメールを送って欲しい。このテープの真実を知ったならば、日本の世論も変わるのでは。ですから、是非お願いします」と書かれていた。 

何故、日本のマスコミは、このテープの全容を放送しなかったのか?私は考えた。そこで得た結論は、おそらく、日本の報道機関が、音のない部分だけを流した理由は、そのシーンが余りにも鬼気迫っていて、イスラム教あるいはイスラム社会全般というものに対し、偏見と誤解(あるいはある種の差別)を生み出しかねないとして、これを編集したものではないかということだった。この編集が正しかったかどうかは、軽々に判断できるものではないが、私は様々なことを加味して考えれば、おおむね了解できる判断ではなかったかと思う。 

仮にこのビデオを初めて目にした人がいたならば、イラク人やイスラムの教えというものに対して、あらぬ恐怖心とある種の偏見的イメージが現代日本人の中で芽生えてしまう危険が高い。一番あってはならぬシナリオは、せっかくイスラム圏の社会で、これまで培われてきた日本人に対する親しみの情が、今回の事件を契機として消えてしまうことである。今流行の言葉で言うならば、このビデオによってお互いを、異質な社会の「異質な人間」として「バカの壁」で隔ててはいけないということである。

そこで私は、メールにそのことを書いた。 
「残念ながら、あなた様のご期待にお応えすることはできませんが、イラクの人々の為に何か自分のできることをしたいと思います。イラクへ向かった三人のお気持ちに対しては私自身深い尊敬をもっております。何とか三人が無事に帰還されることを心より祈念いたします。また何かございましたならば、メールをいただきたいと思います」 

さて、今回の事件で、一部には、このような論調がある。 
「NGO活動は、自己責任の原則で行くべきで、外務省自身が渡航自粛を呼びかけている最中に行った三人にも責任はある。それを今更、家族が出てきて、国に救出を呼びかける姿は少し筋違いではないか。」 

この論調の典型は、麻生総務大臣のものだ。何かと問題発言の多い大臣だが、今回も、この人物は、「国が渡航を自粛しているのに、おかしい」と、まだ状況がはっきりしていない当日のインタビューにおいて家族の気持ちを逆なでする配慮を欠いた発言を行ったが、いずれこの発言は問題とされるだろう。 

今、世界は、国家という枠組みの中でのみ動いている訳ではない。むしろ、世界中のNGO組織が、世論を形成の役割を果たし、国家単位ではどうしてもできない行動を国家の限界を越えてやっていることが多い。今や国際的には、NGO組織の活発な活動が、その国の民主主義の成熟度を指し示すバロメーターとも考えられる。例えば、対人地雷の禁止を取り決めた1997年のオタワ条約締結までの流れは、国家の外交官たちが主導権を握ったものではなく、各国のNGO組織の呼びかけによって実現したものである。今世界中で国家という足かせを取り払って、世界市民という共通言語で、正義を実現するという流れが起きていることを、私たち日本人ももう少し理解しても良いと思う。(ちなみにこのオタワ条約には、国家として大国のアメリカ、ロシア、中国などは今だ締結していない。しかしこれらの国内ではNGOあるいは一人の市民として国家とは別の意見を持ち、世界から対人地雷を全廃する活動を続けている市民もいるのである) 

この日本人拉致事件が起こるとすぐに、日本や各国のNGO組織は、カタールに本部を置く、アルジャジーラに赴き、拉致された三人の救出のための行動を始めた。彼らの呼びかけもあって、日本国内や世界中からアルジャジーラには、三人を早期釈放することを促すメールが大挙して届いたのである。 

今回の日本人拉致事件の背景には、米国人の民間人4名が3月31日ファルージャで殺害された事件がきっかけとなって、アメリカ軍が、ファルージャを包囲、集中攻撃したことがあると推測されている。ファルージャの攻防では、4月13日現在、イラク人住民も多く巻き添えとなり、既に600名を越える犠牲者が出ているとの報道がなされている。アメリカ軍としては、自国の市民を殺されたことに対する報復の側面もあったものと思われる。またこの戦闘では、イスラム圏の人々の精神的宗教的支柱であるモスク(礼拝所)への攻撃も容赦なく行われるに及んで、所謂、報復の連鎖がイラク国内でも行われているのである。

こうなると日本が国として、自衛隊を派遣するために制定したイラク特措法の二条(基本原則)三項にある「そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる次に掲げる地域において実施するものとする」という文言に抵触する状況がイラク全土において起こりつつあると言わざるを得ないのである。

ここのところ、日本人だけではなく、世界各国の民間人が、手当たり次第に拉致誘拐されている。今回の日本人三人の拉致もまたこの流れの中で起こった事件である。おそらくは、アメリカ統治政策に反対する抵抗勢力側がアメリカ軍の軍事的攻勢を何とか止める為の苦肉の策と推測される。私たち日本人は、その背景を理解した上で、日本政府が進めている現アメリカ政権への無批判な追従がもたらす危険負担というものをもう一度考えてみるべき時期に差し掛かっているのではないかと思う。最後に今回イラクの人々のために日本を旅立って拉致された三人が無事帰還されることを祈りたい。了 

佐藤

 


2004.4.13
 
 

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