自衛隊のイラク派兵を考える

-派兵だけが国益を守る道ではない-
 

2003年12月9日、イラクに自衛隊が派遣するための、基本計画が発表された。

これで、憲法によって戦闘行為はできない「自衛隊」が、戦争状態にあるイラクに派遣される道が開かれた。今後、派兵までの手続きとしては、まず防衛庁長官が、自衛隊に派兵命令を出し、首相は国会に派兵命令の承認を得る必要がある。まだ正式に派兵が決まった訳ではない。自民党内部にも派兵反対を明確にしている人物もいる。連立を組む公明党にも違和感を表明する政治家もいる。議論はまさに始まったばかりだ。

翌朝、12月の師走の首都東京の空を、迷彩色の自衛隊のヘリコプターが、二機低空で西に向かうのが見えた。何かただならぬ気配を感じた。必ず近い将来悪いことが、起こるという予感が脳裏をよぎった。いよいよ、日本も戦争に突入する。もはや、日本はアメリカの引きおこした戦争に引きずり込まれてしまったのだ。

数年前、米大統領ブッシュから首相なり立ての小泉がボンバージャケットを着せて貰った時から嫌な予感がしていた。結局、良い気分にさせ、断り切れなくして、仲間に引きずり込む古今東西ワルの常套手段だ。

思うに、ブッシュは、戦後最低の大統領である。ケネディを暗殺した首謀者と言われるリンドン・ジョンソン(在位1963ー1969)もいる。彼はまたベトナム戦争に介入し、泥沼化を招いた張本人だ。しかしとてもブッシュに及ぶものではない。何しろ、時代錯誤の軍事産業や石油業界の支持を受けたこのブッシュの登場は、中東政策において、過度の緊張状態を作り出し、それによって軍事産業には一時的な恩恵をもたらしたが、しかしその陰で、新たに育ったIT産業芽をことごとく摘み取ってしまった。これらの産業は、21世紀のアメリカ経済いやしいては世界経済を牽引すると見られていたのだ。9.11のテロも、もし仮にブッシュ政権が強行路線を取らなければ、起こらなかった可能性が高い。

ブッシュのやり方は、仕掛けられるのを待つのではなく、緊張を作り出し、敵対する側が仕掛けてくるのを待たずに、圧倒的な軍事力で、先制攻撃をし一挙に壊滅に追いやろうというものだ。これがブッシュ政権のやり方だ。

しかし戦争は机上の計算通りには行かない。あの天才ナポレオンでも、ロシアの冬将軍の到来を甘く見て、敗北に至った。湾岸戦争で父がやり残したことをブッシュはやり遂げようとした。しかしこのイラク戦争の根底を探れば、そこには、十字軍以来の、キリスト教とイスラム教の宗教対立がある。

そのことは、アメリカによって、表面的な敵イラクのフセイン政権かもしれない。しかし全イスラム教徒が、キリスト教国家の代表としてのアメリカを敵視するということを意味している。極力、宗教対立に持ち込まず、イラク市民をフセイン政権から解放するということが、アメリカのイラク戦争の大義であった。その大義の正当性を主張するため、フセイン政権は、国内に大量破壊兵器を隠していると、国連の大勢の意見をほとんど威嚇する形で、強行的に進められた。

イラク戦争は、アメリカの戦争というよりは、ブッシュの戦争の色彩が濃い。結局、イギリスブレアー政権は、このブッシュのプランに乗って、その人格までも疑われることになった。しかも湾岸戦争が、国連決議という枠組みで行われた戦闘であったのに対し、イラク戦争は、国連決議が得られぬまま、米英軍によって、強行された極めて大義の曖昧な戦争であったということになる。開戦の大義であった「大量破壊兵器」は、戦争開始から10ヶ月になる今現在も発見されていない。この事実は何よりも重い。

今、大義なきブッシュの戦争に、日本人は、否応なしに巻き込まれようとしている。いつ、ブッシュの戦争に荷担した日本の首都東京あるいは主要都市にテロが起こされても不思議はない。戦後の日本人の悪いクセは、すべて他人事と解釈することだ。「イラクへの自衛隊派遣」にしても、日本人の深層には、「どうせ、自分が行くわけではない。どっちでもいい。自衛隊さん。ご苦労さん」という心理がどっかにある。自分に関わりのないことであれば、人が死のうが傷つこうが関係ないのだ。その結果、憲法解釈がねじ曲げられて、自衛官は、戦場のイラクに向かうことになる。

さて来年に迫った大統領選挙で、ブッシュが再選される見通しはどのくらいだろう。五分五分か、いやそれ以下だと思う。アメリカの政権が変わる可能性は高いのだ。その時、日本の貢献は、問い直される可能性がある。真の同盟国というならば、時には誤った政策には、「ノー」という助言があって当然だろう。結局、これでは、ペリーの黒船以来のアメリカの日本外交のキーワード「強く叩けば応じる国」という日本の情けないイメージなど払拭されるはずはない。ニューズ・ウィークに「属国日本」という特集が今年あったが、これではまさに「日本」はアメリカの属国でしかない。「敗戦国」というの汚名もある。この惨めな立場を拭い捨てる道が、イラクに自衛隊を派遣する国益だとするならば、私は自衛隊派兵にノーと言いたい。

さて、今朝のテレビで、自衛隊が投入されるという駐留予定地「サマワ」の町が映し出された。人口40万ほどの日本で言えば長野市ほどの町であるが、現在失業者があふれ、電気や水道などのインフラ整備も必要なようだ。その町では、もっぱら「日本の軍隊と日本企業が来るのだ」という噂が流れていているようだ。つまり雇用が増え、インフラ整備も進むという期待があるようだ。

そのサマワの町には、アラビア語で、
「歓迎、日本人のみなさま」という幕が付けられていた。
その下は、日本語で、
「歓迎、自衛隊のみなさま」と書かれていた。

この看板を見ながら、何故か、宮沢賢治の「注文の多い料理店」という童話を思い出した。周知のようにこの物語は、東京から来たハンターが、山で迷って、山猫の料理店に迷い込んで、料理を食べさせて貰うつもりが、何だかんだと注文を付けられて、危うく喰われてしまいそうになる寓話である。自衛隊が、「注文の多い料理店」に迷い込まねば良いが、と思うばかりだ。

佐藤

 


2003.12.10
 

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