横綱朝青龍を見る

-思わず判官贔屓の本領が・・・- 

大相撲14日目、両国国技館に行く。東の桟敷に坐る。桟敷に4人は本当に狭い。日本人は、戦後栄養状態もよくなって、体も大きくなった上に、正座というものをしなくなったせいもある。時計を見れば、三時半。これで6時まで保つかと思いながらも、焼き鳥の串を片手に日本酒の熱いのをきゅっとあおると、まあ、いい気分になって、後ろのお父さんの、かけ声に、乗って、思わず手を叩いていた。

今日のメインは、何と言っても、朝青龍の優勝のかかった一番だ。13戦全勝で来ているのだが、追う力士がいない。琴光喜が2敗で続いているが、当初、横綱昇進かと期待された栃東は、大きく崩れて、興味は、とかくお行儀が悪いと批判されるひとり横綱朝青龍の全勝優勝に絞られてきた感じだ。

ただひとり横綱を追う琴光喜は、釣り落としという荒技で、朝青龍に投げ飛ばされてしまった。とにかく今場所の横綱は、強い。おそらく彼の全盛期だろう。相撲取りの盛りの時は短い。「命短し勝て勝て力士」と言いたい。すっかりヒール(悪役)になった朝青龍だ。こうなったら、憎たらしいほど、勝って勝って勝ちまくって、根性の稀薄になった日本人力士を投げ飛ばしてくれればいい。そんなことを思った。

朝青龍を見ていると、集中力が他の力士とは全然違う。体重は140キロと幕内力士の平均以下だが、スピードも体のバランスも図抜けたものを感じた。一頃の北の湖(現理事長)のあのふてぶてしい風貌にもどこか似ている。国技館に足を運ぶ前は、まず琴光喜が本日勝って、朝青龍が千代大海に負ける。というシナリオを描いていた。まず琴光喜が勝った。よし、次は千代大海頑張れ、そう思って、土俵を見ていると、たいそうな気合いで、ふたりが土俵に上がった。歓声がすごい。懸賞の幕が随分出た。まるで国技館が、永谷園に占拠された錯覚にとらわれた。
「千代大海頼むぞ」
「千代勝ってくれ」
「チヨタイカーイ」
その声援は、すべてが千代大海に対するものだ。朝青龍は、まるで国技館中(いや日本中か)を敵に回して闘っているのだ。さすがに私の中で、判官贔屓のDNAが首をもたげてきた。よっぽど、「よー、モンゴルの星」「モンゴル魂、見せてくれ」と叫びたかったが、さすがに照れて、声が前に出ない。

時間いっぱいになると、いつものように、大股で塩を取りに行き、顔の皮がすり切れるほどにタオルで、ごしごしとやった。少し千代ノ富士に似た塩をまいて、立ち合いとなる。気負ったのか、朝青龍の方が先に突っかけ、たまらず千代大海は待ったをした。そして2度目、ぶつかり合うと、激しい付き合い、目一杯千代大海も突き上げたが、朝青龍の下半身は土俵に根を張ったように安定している。結局、千代大海は、たまらず叩こうとした所を一気に押し倒されてしまった。その瞬間だった。朝青龍は、東の二階の方を見上げて、笑顔で拳を突き上げるそぶりをみせた。この仕種にもクレームがつくかもしれない。聞けば、両親と兄が見に来ていたということだ。完璧な勝利だった。

結局、朝青龍は、翌日の千秋楽に栃東にもあっさりと勝って、見事に全勝優勝を果たした。まったく、ふがいない日本人力士を尻目に、まさに気合い違い、格の違いを見せつけた初場所となった。周囲から引退勧告までちらほらと聞こえてきて、朝青龍の危機感と負けじ魂がこの結果を生んだのだろうか。もちろん朝青龍には、今後横綱としての品格を身につけてもらわねば困る。と同時に、日本人にかつてあって、いま欠けているものが、横綱朝青龍には確かにある。そこのところを日本人力士も我々日本人も、謙虚な姿勢で学ぶべきではあるまいか。

佐藤

 


2004.1.30
 
 

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