石原都知事の移民論 

−かつて日本はアメリカ以上に合衆国だった?! −

毎月一回、石原慎太郎都知事が、産経新聞に「日本よ」という記事を書いている。
今月(2003年8月)の「日本よ」のテーマは、中国からの不法入国問題である。日頃、中国を「シナ」と呼び、とかく中国政府からは、快く思われていない 石原知事だが、今回の話は、その内容の厳しさはともかく、結論の導き方は、的を得ていて概ね賛成できる内容だった。

まず池袋に町に視察に行ったという石原は、現実の不法滞在者の犯罪を踏まえてこのように始める。
「今この日本と中国との間にある隔差の最たるものは経済、言い換えれば生活水準の違いであって、…中国人の極めて現実的なDNAは、…その願望をかなえる ためには堂々と盗みもする。さらに大きな国家規模の技術隔差に関しては、…知的所有権など全く無視して盗み続けている。」

石原はこの日本と中国の隔差を、単なる悪感情として、自分の内部にため込んで置かず、普遍的な概念に置き換えてこのように続ける。
「時間的空間的にこの世界が狭くなってきている今、すべての隔差についての情報は瞬く間に伝わり、人間のきりない欲望はそうしたギャップを埋めるために、 法律をも含めすべての障壁を乗り越えようとする。・・・私たちはそろそろ大幅、本格的な移民政策を考えるべき時に来ていると思う。」

何と日本も移民を正式に国家の政策として考えるべきだと言っている。一部では国粋主義者か民族派の代表のように思われているあの石原慎太郎が、このように 語っているのだ。

さらに石原は続ける。
「考えてみれば、実は日本人のルーツはこの小さな日本列島の四方八方のあちこち、シナ、朝鮮、モンゴル、投句は東アジア、さらにはメラネシアにまで及んで いる。日本人なる人種は決して単一の血筋で出来上がっているものではなくて、実は今日のアメリカ以上のの合衆国なのである。」

日本をアメリカ以上の他民族融合国家だと言い切った石原慎太郎の脳裏には、おそらく、情報として、どのように考えても衰退の道をたどるしかないような人口 統計などが入っていて、日本の今後のためには移民政策のコペルニクス的転換しかないとの結論を導き出したのであろう。

そしてこのように結論を述べる。
「国家民俗の大計として人口問題、年齢層の不均衡の是正などのためにも、そしてこの社会を治安の面で刻一刻とむしばみつつあるあまりに多くの訃報入国不法 滞在外国人問題の解決のためにも、我々は歴史的にも通用しない妙な民族意識の迷妄を断って、国家社会の新しい繁栄のためにも積極的な移民政策の実行に踏み 切るべき時にきていると思われる」

異議はない。誰だって、移民政策を不安に思わない人間はいない。しかし放って置けば、日本という国家は、力を失って、不法滞在の外国人問題はなくならない であろう。石原の主張は、経済学的にも証明され得る。つまりちゃんとした移民政策がないからこそ、経済格差を利益を得る目的で違法を覚悟で、不法移民が増 えるのである。思い切って日本に移民をしたいという人たちに門戸を開放し、中国人に限らず、他の国からの移民を正式に受け入れる体制があれば、それこそ優 秀な人材が大挙して日本に押し寄せてきて、日本の経済や文化がプラス方向にかさ上げされることだろう。

その為には、まず
我々の心から、偏狭な民族主義的偏見のようなものを取り去ることが必要になるだろう。そう することで、重く閉ざされていた日本という国家の門は、未来に向かって大きく開かれるのである。佐藤

 


2003.8.4
 

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