花巻の「イギリス海岸」に立つ


訳あって、宮沢賢治のふるさとの花巻に行った。賢治がイギリス海岸と名付けた北上川の畔に着くと、周囲の景色は、以前のような賢治の見たあの「イギリス海岸」ではなかった。

周辺は「水辺プラザ」として遊歩道が造られ、ボート停泊所なども設置されている。水辺には芝生も敷かれ、付近には障害者用の駐車場も造られたりしている様子だが、何か強い違和感に襲われてしまった。賢治の作品にある「イギリス海岸」の太古のイメージがすっかり近代的に修景されてしまったからだ。何故手つかずの自然をそのまま未来に遺そうとはしないのだろう。そう思うと悲しさが込み上げてきた・・・。

遊歩道から下を見れば、一匹の鵜が、支流から流れる堰の横っちょに立って、じっと泡立つ方を見ている。どうした訳か、鵜はまったく動こうとしない。瀬を昇ってくる魚を狙っているであろうが、きっとお目当てのものが来ないのだ。

鵜は、悟りを得た哲学者のように一点を見据えたまま、晩秋の夕暮れに佇んでいる。瀬の上流を見れば、鴨たちが、空の色を映して、桃色の水面を長閑に泳いでいる。イギリス海岸では、釣り人がひとり、悠然と釣糸を垂れているのが見えた。川縁を歩いて下流の方に進むと、解けた雪が凍ってしまっているので、歩く度にカサカサと音を立てた。晩秋の夕暮れは驚くほど早い。もう三時半だというのに辺りには夕闇が忍び寄っていた。陽は西方に傾き、今すぐにも山の端に沈んでしまいそうだ。

岸辺の歩道の向こうから若い恋人たちの笑い声が聞こえてくる。他愛もないことを話ながら、じゃれ合っている様子だ。実に楽しそうだ。きっと付き合いだして間もないカップルに違いない。二人はこの先、どのような運命の人生を送っていくのだろう。そんなことを勝手に思いながら、滔々と流れる北上川の彼方に目をやると、そこには満月までは少し日にちのありそうな白い月が群青色の空にポッカリと浮かんでいる。ふり返って、また堰の方を見れば、まだ鵜は動かない。それが私にはまるで外とうを着て田畑を歩く賢治の古き写真のように見えた・・・。
 

白き月北上川に昇りゐて去らぬ川鵜は佇む賢治
瀬の前に鵜の一羽ゐて秋の暮れイギリス海岸に白き月昇る
花巻のイギリス海岸秋暮れて賢治の御霊鵜となりをれり

 


2002.9.20
2002.11.24
 

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