不運の投手河原のアクシデント

 
 
巨人に河原という投手がいる。この投手が、練習中に打者の打ったピッチャーライナーを避けきれず右手小指を骨折するというアクシデントが2月22日に起こった。

全治4週間だそうだが、四月初めの開幕までには、体調は戻りそうにない。この河原なる投手、数年前に駒大からドラフト一位で巨人に入団した。伸びのある速球を武器とする投手で、巨人軍の先発の柱になりうる逸材と期待されたものだった。

確かに玉の切れは抜群で、絶好調時には、これは打てない、いうほどの投手だ。昨年も呼称上がりで、いきなり連続完封劇を演じるなど、大器の片鱗を見せた。ただしこの投手どうも運がない。入団早々、女性問題でスキャンダルを起こし、それからは肩の故障そして手術、また肩の故障と、苦しい、多難な野球人生を送ってきた。

河原投手の身体的特徴は、身長は183センチと高いのだが、70キロにも満たない細い体だ。このエンピツのような体をムチのように使って玉を投げる様は、悲壮感さえ漂うのである。顔はといえば、見るからに神経質そうな美形で、顔巾が山羊ほどに細い。確かに言葉は悪いが、不運を自分から招いているような顔をしている。

昨日の右手小指に打球を受けるというアクシデントがテレビに映った。それを観ながら、私は思わず「ああ、またやってしまった」、「何てこの投手は運がないんだろう」と叫んだ。

・・・少し間を置いて「待てよ」と、考えた。チャンネルを他に回して、もう一度、アクシデントのシーンを別の角度から観た。そして思ったことは、「何だよ。構えができていれば取れた打球じゃないか」という単純な考えだった。結論で云えば、投手で一番大事なのは、右の肩と肘、そして手である。彼は厳しいようだが、打球に対する備えを怠っていた。練習という気分もあったのかも知れないが、突っ立ったままで、右手をかばうそぶりもないまま打球が右手小指をかすめて行ったようだ。

彼の野球人生の運の悪さは、おそらく彼のこの時の感覚に集約されているのではあるまいか。つまり河原は、運が悪いのではなく、「備え」、や「構え」の感覚が、乏しいために、瞬間に来る打球のようなものに対して、即応できないということである。おそらく本人に聞いたら、「肩は人一倍大事にしている」、「投球後のケアも十二分にしている」と答えるだろう。しかしこれは感覚の問題だ。彼の無意識の部分が、どうもぽっかりと穴が開いているように思えてならないのである。

結論である。
「不運」「非運」は「運」に「不」や「非」の付いた形であり、運に不や非が付いた原因や理由さえ解明できたならば、運を別の方向に向けることができる。すなわちそこで運気が変わり、「開運」ということになる。運は眼には見えない気であり、感覚なのだ。すると河原投手の場合は、おのれの心(無意識)の中に、「備え」「構え」の感覚を身につけたならば、必ずや人生は、大きく変わるように思えるのである。佐藤
 
 


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2001.2.23