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ユネスコ世界 遺産目前!?

8月下旬平泉にイコモスがやってくる

佐藤 弘弥



変貌した柳の御所跡一本桜附近の景観
(07年7月22日 鈴木紀子氏提 供)

 
  
 イ コモスがやってくる

もうすぐ(8月27日〜29日)、平泉に、イコモス(国際記念物・遺産会議)がやってくる。イコモスは、ユネスコ世界遺産 委員会の諮問機関である。その目的は、たったひとつ、平泉が世界遺産に相応しいところかどうかの判断だ。いよいよ、平泉の世界遺産になるかどうかの最終局 面がきたことになる。このイコモスの調査は、当初秋と思われていた。それが、急遽2ヶ月近く早まったこともあり、さまざまな憶測を呼んでいる。

平泉にやってくる調査員は、スリランカのイコモス国内委員ジャガス・ウィーラシンハ氏ということだ。スリランカは国民の70%が仏教徒というお 国 柄で、推薦書にある平泉文化の中核思想である「浄土思想」についての理解も比較的容易ではないかとする見方もある。

ただ、今年の石見銀山の世界遺産登録がイコモスの判断で、登録に待ったが掛けられたこともあり、地元関係者は、想像以上にピリピリしているようである。今 回の調査で、昨年暮れにユネスコ本部に提出した推薦書の内容と実際の平泉の状況が比較されることになる。また今後の遺産の保全計画(アクションプラン) なども厳しく チェックされる。

平泉の世界遺産入りについては、先の「浄土思想」についての真正性の証明や平泉のコア・ゾーン周辺の景観破壊や人工的造作物(特に鉄塔)の移転問題が、先 に進まず、イコモスの調査委員からは、コア・ゾーン特に柳の御所一帯から衣川周辺が、バイパス工事や堤防のかさ上げ工事による景観の修復について、厳しい 指摘がなされる可能性が高いと予想されている。

また日本の歴史上屈指のヒーローである源義経の居城とされる高館からの景観は、かつて松尾芭蕉が「夏草や兵どもが夢の跡」と詠嘆した地であり、これまで平 泉第一の景勝地と言われてきた聖地である。しかし現在、その直下を、平泉バイパスが掠めるようにして敷設され、かつての景観は見るも無惨に損なわれてし まっている。

さらに高館の南に拡がる広大な柳の御所や無量光院跡は、発掘調査の進行中であるとは言え、見事な田園風景は、無惨に消え失せて、単なる土塊(つちくれ)の 拡 がる大地となってしまっている。かつて、この柳の御所は、奥州藤原氏四代の政庁の跡があったとされ、ここから東に目を転じ大河北上川越しに見る桜の名所束 稲山の景色は絶景であったとされる。



蘇 生が本格化した一本桜
(07年7月22日 鈴木紀子氏提 供)

しかし今、土塊の問題の柳の御所の発掘現場の片隅で、その頃の豊かな潤いを伝える桜がたった一本残っている。数年前に、この発掘調査と平泉バイパス工事に よる環境の激変から、枯死が心配されてきたが、地元住民と盛岡の有志たちが、EM(有用微生物群)溶液を献身的に継続して撒くなどの必死のボランティアが 功を奏して、一時は若葉も出なかった桜に、一昨年、僅かに葉が付き、今年は更に葉だけではなく、新芽なども発芽しているのが見られるようになった。


 甦りつつある柳の御所跡の一本桜こそ平泉の誇り

去る7月22日(日)には、ボランティアの有志たちは、今が大事と、更にEMの活性液1トンをトラックで運び桜の根元にしっかりと散布した。




一本桜に1トンのEM溶液を散布
(07 年7月22日 鈴木紀子氏提供)

その際、盛岡からわざわざ来てくれたEM研究機構の石川研究員の観察記録によれば、ふたつの喜ぶべきことが起こっているということだ。

第一は、太い幹の根元から3メートルと5メートルのあたりに、新芽が散見される。これは、確実に木がよみがえってきている証拠であり、新芽が出てきている 高さと同じ距離だけ地下にも根が張ってきていると考えられる。

第二には、大量の活性液を散布している最中、幹の周囲1メートル四方に驚くほどの数のミミズが大量発生していた。しかもそのミミズは太くて長く驚くほど りっぱで元気なこと。これは、活性液を散布によって、土壌改善が進み、一本桜の土壌環境が大幅に改善してきていると推測される。

この平泉の一部の人は、この柳の御所の少しだけ甦りつつある桜を、イコモスの調査委員に見せるのは、マイナスではないか、と見る向きがあるそうだ。しか し、ユネスコ世界遺産の精神とは、単なる遺跡を保存するということではなく、文明化の開発に晒され、その存在がこの地上から消えてしまうようなものを、保 護保全していこうとの条約なのである。

と考えれば、むしろ、平泉の人々と世界遺産推進の関係者は、間 もなくやってくるイコモス調査員にこのように説明し胸を張るべきだ。

私たちはこの枯死寸前まで弱りきった一本の桜を守り抜くことが世界遺産に通じる心 だと思ってきました。この平泉は、今から約900年前、初代藤原清衡が、中尊寺建立の際に言ったように”二度と戦争を起こしてはならない。そのために、こ の世に極楽浄土を再現してみせる”という並々ならぬ決意を込めて造らせた平和の都です。極楽浄土には花は欠かせません。やがてこの柳の御所跡のしだれ桜は 見事な花を結ぶでしょう。この一本の桜を守ることが、平泉の建都精神に叶う行為ことだと信じています。」と。


  「平泉守(ひらいずみもり」になる覚悟

平泉の住人たちは、誤解をしてはならない。平泉が、世界遺産登録されるということは、平泉が日本有数の観光地として認められ、バラ色未来が約束されるとい うことではけっしてない。

むしろ、世界遺産登録によって、平泉とその周辺自治体や住民には、この人類共通の遺産を守り抜く義務が生じてくる。世界遺産はその後も委員会によって継続 的に監視(モニタリング)される。それにより改善が求められるケースもある。改善がならさないような場合は、登録の削除がなされることもある。尚5年ごと 学術的報告書提出の義務も負う。

これまでのように衣川の堤防のかさ上げ工事なども、容易には出来なくなる。いくら住民の要望とは言え、コンクリートむき出しの現在のような素材と形状で は、平泉全体の景観を損なうとして、たとえ緩衝地帯(バッファ・ゾーン)とは言え、大変な懸念が表明され、許可されることはないだろう。

確か世界遺産なったばかりの高野山で、参道を中国産の石で修復しようとしたところ、「何を考えているのですか?!」と、委員会より自治体関係者が、厳しく 叱責されたという話しを聞いた。それほどの厳しさをもって、自治体も住民も取り組む必要があるということだ。つまり平泉の住民も、世界遺産登録後は、自ら が「墓守」や「桜守」のような意味の「平泉守(ひらいずみもり」になる覚悟を持たなければならないのである。

(2007.8.1 平泉を世界遺産にする会 代表世話人  佐藤弘弥記)

2007.08.01 佐藤弘弥

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