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西行さんの非暴力

−西行さん鞭打たれる−


「西行物語」という鎌倉時代の比較的早い時期に成立した西行法師の伝記物語がある。日本中を歌を詠みながら歩いた西行さんの人生が、虚構を交えながら描かれていて、西行さんの人となりに触れられる味わいのある話が並んでいる。

ここから全国津々浦々、西行さんにまつわる様々な伝説伝承が始まったのかもしれない。作者は明らかではないが、おそらく、西行さんの熱烈な支持者で、仏教に帰依していた人物だったと思われる。この人物が、遺された「山家集」などの歌集を紐解きながら、歌と歌の前に添えてある短い詞書を頼りとして、西行法師という稀有な人物の生涯を機を織るような気持ちで想像を交えながら再構成していったものと推測される。

その物語の第19段から、晩年の陸奥への旅の話が始まる。それまで七年間ほど、西行さんは、伊勢の二見浦(現在の三重県度会郡二見町付近)という所に小さな庵を結んで住んでいたが、東大寺の大仏再建のための砂金の勧進を請われ、自らの老体にむち打って、奥州行を決意をするのである。この時、西行さんは69才の高齢だった。しかし彼は、自らの人生の最後の花道として、親しき友、藤原秀衡の待つ奥州へ旅立って行くのである。

第20段では、遠江国(とおとうみ)の天竜川の話が語られる。今の静岡県磐田市にある天竜川の渡し船に乗ろうとしている時のことだった。西行さんが、うまく渡しの船に乗り込んで、座っていると、後の方で「そこの法師、降りろ、降りろ」という声が聞こえる。西行さんはまさか自分のことではないと思って、知らぬふりをしていた。すると、怒ったその若侍は、立ち上がり、馬を叩くムチで、西行さんをさんざんに打って、額からは血が出るなどした。西行さんは、ただ黙って打たれるまま任せ、最後には侍に向かい合掌などをしながら、船を下りたというのである。

俄には信じられないような話だ。おそらく虚構であろう。だが西行さんほど肝が据わった人物ならばあり得ないことでもない。それにしても69才の高齢とは言え、西行さんは、世間に名の通った佐藤義清という北面の武士であり、棒きれひとつあれば、それこそ若侍の一人や二人組み伏せるのは容易いことであろう。それを敢えてせずに、まるでキリストの如く、打たれるままに、自らを打たせていたというのだから驚きである。

そんな突然の出来事に、お供をしてきたした僧侶は、船を下りると泣き悲しんでいるのを西行さんは、じっと見つめていた。そして最後にその僧侶に対してこのように言い放った。

「これ、都を出る時から、道中どんなにか苦しいことが起きるかもしれぬぞ。覚悟はよいか。と申したのはこのことなのだ。たとえ手足を切られ、命を失うとも、それを恨んでいるようでは話にならぬ。もしも昔のままの侍の心を取り戻したいようならば、髪を剃ったり僧衣をまとってはならぬ。仏の御心には、まず慈悲心というものがあるのを想起せよ。我々のような悪を為す不善の輩も仏は、間違いなく助けてくださるのだ。仇(あだ)を持って仇に向かってはならぬ。だからこそ「仇には忍を持って向かえ。そうすれば敵(かたき)の中にある仇も滅する」ということにもなるのだ。経の中に「長い間にかけて修した善根もただ一念の悪心を起こせば、たちまちに皆消え去る」とあるのを知っておるか。ある修行者は、杖で打たれた時に、「自らを律し深く他者を敬い給う菩薩の道」との念仏を唱えながら、ひたすら打つ者に深く頭を垂れていたというのである。これは皆、他者を利するべく大乗の心を持ってする仏道修行の道なのだ。今のようなことは、今後にもいつあるか分からぬと覚悟がなければ、お互いに心苦しいだけだから、お前は、今から直ちに都へ帰りなさい」

西行さんは、こうしてお供をしていた僧侶を、あっさりと都へ追い返してしまったというのである。まさに西行さんの人生に対する覚悟のほどが知れる逸話である。と同時に、この時の、西行さんの態度は、人間社会の一つの悪しきセオリーともなっている「仇には仇を持って返す」傾向に対する徹底的なる「ノー」の意思表示に思える。それは少々大げさに聞こえるかもしれないが、人類の倫理思想史の中でも普遍的な価値を持つ非暴力の思想そのものである。

私はこの西行物語を読みながら、つくづくと昨年(2001)の9月11日に突如として起こったニューヨーク同時多発テロのことを考えてしまった。アメリカの大統領は、直ちに緊急声明を出して、テロという暴力に対し、報復という暴力を持って対処した。もちろんそのことの是非善悪をこの場で安易に論じるつもりはないが、「仇に仇で対処」するやり方は、結局は暴力連鎖という途方もない暴力の応酬に世界を巻き込んで、ついには人類そのものが、絶滅にまで至らしめる可能性があることを覚悟して置くべきであろう。

西行物語の中にあるささやかな虚構が返って、現実の西行法師の本質的な部分を表現しているかもしれないと思いつつ、読み進むと話は21段となり、あの名歌「年長けて又越ゆべきと思ひきや命なりけり小夜の中山」の箇所に至るのである。それにしてももしも、西行さんが今に生きていて、あの9月11日以降の世界の動きを見ていたら、この世を何と歌うのであろうか。

 小夜更けにテレビに映る暴力の仇は仇呼び仏も泣けり

佐藤
 

 


2002.1.17

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