平家物語 灌頂卷  (流布本元和九年本)
 

1 女院御出家(にようゐんごしゆつけ)

建礼門院は、東山の麓、吉田の辺(へん)なるところにぞ、たちいらせたまひける。中納言の法印慶恵(きやうゑ)とまうす奈良法師の坊なりけり。すみあらしてとしひさしうなりければ、にはにはくさふかく、のきにはしのぶしげれり。すだれたえねやあらはにて、あめかぜたまるべうもなし。はなはいろいろにほへども、あるじとたのむひともなく、つきはよなよなさしいれども、ながめてあかすぬしもなし。むかしはたまのうてなをみがき、にしきのちやうにまとはれて、あかしくらさせたまひしが、いまはありとしあるひとにも、みなわかれはてて、あさましげなるくちばうに、いらせたまひけんおんこころのうち、おしはかられてあはれなり。うをのくがにあがれるがごとく、とりのすをはなれたるがごとし。さるままには、うかりしなみのうへ、ふねのうちのおんすまひも、いまはこひしうぞおぼしめされける。さうはみちとほし、おもひをさいかいせんりのくもによす。はくをくこけふかくして、なんだとうざんいつていのつきにおつ。かなしともいふはかりなし。かくて女院は、文治ぐわんねんごぐわつひとひのひ、おんぐしおろさせたまひけり。おんかいのしには、ちやうらくじのあしようばうのしやうにんいんせいとぞきこえし。おんふせには、せんていのおんなほしなり。

すでにいまはのときまでも、めされたりければ、そのおんうつりがもいまだうせず、おんかたみにごらんぜんとて、西国よりはるばるとみやこまで、もたせたまひたりしかば、いかならんよまでも、おんみをはなたじとこそおぼしめされけれども、おんふせになりぬべきもののなきうへ、かつうはかのおんぼだいのためにもとて、なくなくとりいださせおはします。しやうにんこれをたまはつて、なにとそうすべきむねもなくして、すみぞめのそでをかほにおしあててなくなくごしよをぞまかりいでられける。くだんのぎよいをば、はたに、ぬうて、ちやうらくじのぶつぜんにかけられけるとぞきこえし。女院はじふごにて、にようごのせんじをかうぶり、じふろくにてこうひのくらゐにそなはり、くんわうのかたはらにさぶらはせたまひて、あしたにはあさまつりごとをすすめ、よるはよをもつぱらにしたまへり。にじふににてわうじごたんじやうあつて、くわうたいしにたち、くらゐにつかせたまひしかば、ゐんがうかうぶらせたまひて、建礼門院とぞまうしける。

入道相国のおんむすめなるうへ、てんしのこくもにてましませば、よのおもうしたてまつることなのめならず。ことしはにじふくにぞならせましましける。たうりのおんよそほひなほこまやかに、ふようのおんかたちもいまだおとろへさせたまはねども、ひすゐのおんかんざしつけても、なににかは、せさせたまふべきなれば、つひにおんさまをかへさせたまひてげり。うきよをいとひ、まことのみちにいらせたまへども、おんなげきはさらにつきせず。ひとびといまはかくとてうみにしづみしありさま、せんてい、二位殿のおんおもかげ、ひしとおんみにそひて、いかならんよに、わするべしともおぼしめさねば、つゆのおんいのちの、なにしにいままでながらへて、かかるうきめをみるらんとて、おんなみだせきあへさせたまはず。さつきのみじかよなれども、あかしかねさせたまひつつ、おのづからうちまどろませたまはねば、むかしのことをばゆめにだにもごらんぜず。かべにそむけるのこんのともしびのかげかすかに、よもすがらまどうつくらきあめのおとぞさびしかりける。しやうやうじんがしやうやうきうにとぢられたりけんかなしみも、これにはすぎじとぞみえし。むかしをしのぶつまとなれとてや、もとのあるじのうつしうゑおきたりけん、はなたちばなのかぜなつかしく、のきちかくかをりけるに、やまほととぎすのふたこゑみこゑおとづれてとほりければ、女院、ふるきことなれども、おぼしめしいでて、おんすずりのふたにかうぞあそばされける。

ほととぎすはなたちばなのかをとめてなくはむかしのひとぞこひしき W093

にようばうたちは、二位殿、ゑちぜんのさんみのうへのやうに、さのみたけうみづのそこにもしづみたまはねば、もののふのあらけなきにとらはれて、きうりにかへり、おいたるもわかきも、あるひはさまをかへ、あるひはかたちをやつし、あるにもあらぬありさまどもにて、おもひもかけぬたにのそこ、いはのはざまにてぞ、あかしくらさせたまひける。すまひしやどは、みなけぶりとたちのぼりにしかば、むなしきあとのみのこつて、しげきのべとなりつつ、みなれしひとのとひくるもなし。せんかよりかへつて、しちせのまごにあひけんも、かくやとおぼえてあはれなり。

「をはらへのじゆぎよ」さんぬるしちぐわつここのかのひのおほぢしんに、ついぢもくづれ、あれたるごしよもかたぶきやぶれて、いとどすませたまふべきおんたよりもなし。りよくいのかんし、きうもんをまもるだにもなし。こころのままにあれたるまがきは、しげきのべよりもつゆけく、をりしりがほに、いつしかむしのこゑごゑうらむるもあはれなり。さるままには、よもやうやうながくなれば、いとどおんねざめがちにて、あかしかねさせたまひけり。つきせぬおんものおもひに、あきのあはれさへうちそひて、いとどしのびがたうぞおぼしめされける。なにごともみなかはりはてぬるうきよなれば、おのづからなさけをかけたてまつるべき、むかしのくさのゆかりもみなかれはてて、たれはぐくみたてまつるべしともおぼえず。
 
 

2 大原入り(おほはらいり)

されどもれんぜいのだいなごんたかふさのきやうのきたのかた、しちでうのしゆりのだいぶのぶたかのきやうのきたのかたより、しのびつつ、つねはこととひまうされけり。女院、「そのむかし、あのひとどものはぐくみにてあるべしとは、つゆもおぼしめしよらざりしものを」とて、おんなみだをながさせたまひければ、つきまゐらせたるにようばうたちも、みなそでをぞぬらされける。このおんすまひも、なほみやこちかくて、たまぼこのみちゆきびとの、ひとめもしげければ、つゆのおんいのちのかぜをまたんほど、うきこときかぬふかきやまの、おくのおくへも、いりなばやとはおぼしめされけれども、さるべきたよりもましまさず。あるにようばうのよしだにまゐつてまうしけるは、「これよりきた、をはらやまのおく、じやくくわうゐんとまうすところこそ、しづかにさぶらへ」とぞまうしける。女院、「やまざとはもののさびしきことこそあんなれども、よのうきよりはすみよかんなるものを」とて、おぼしめしたたせたまひけり。おんこしなどをば、のぶたかたかふさのきたのかたより、おんさたありけるとかや。

文治ぐわんねんながつきのすゑに、かのじやくくわうゐんへいらせおはします。みちすがらも、よものこずゑのいろいろなるを、ごらんじすぎさせたまふほどに、やまかげなればにや、ひもやうやうくれかかりぬ。のでらのかねのいりあひのこゑすごく、わくるくさばのつゆしげみ、いとどおんそでぬれまさり、あらしはげしく、このはみだりがはし。そらかきくもり、いつしかうちしぐれつつ、しかのねかすかにおとづれて、むしのうらみもたえだえなり。とにかくにとりあつめたるおんこころぼそさ、たとへやるべきかたもなし。うらづたひしまづたひせしかども、さすがかくはなかりしものをと、おぼしめすこそかなしけれ。いはにこけむして、さびたるところなれば、すままほしくぞおぼしめす。つゆむすぶにはのをぎはらしもがれて、まがきのきくのかれがれに、うつろふいろをごらんじても、おんみのうへとやおぼしけん。ほとけのおんまへにまゐらせたまひて、「てんししやうりやう、じやうどうしやうがく、いちもんばうこん、とんしようぼだい」といのりまうさせたまひけり。いつのよにもわすれがたきは、せんていのおんおもかげ、ひしとおんみにそひて、いかならんよにも、わするべしともおぼしめさず。さてじやくくわうゐんのかたはらに、はうぢやうなるおんあんじつをむすんで、ひとまをばぶつしよにさだめ、ひとまをばごしんじよにしつらひ、ちうやてうせきのおんつとめ、ぢやうじふだんのおんねんぶつ、おこたることなくして、つきひをおくらせたまひけり。かくてかみなづきなかのいつかのくれがたに、にはにちりしくならのはを、ものふみならしてきこえければ、女院、「よをいとふところに、なにもののとひくるやらん。あれみよや。しのぶべきものならば、いそぎしのばん」とてみせらるるに、をじかのとほるにてぞありける。女院、「さていかにやいかにや」とおほせければ、だいなごんのすけのつぼねなみだをおさへて、

いはねふみたれかはとはんならのはのそよぐはしかのわたるなりけり W094

女院このうたあまりにあはれにおぼしめして、まどのこしやうじにあそばしとどめさせおはします。かかるおんつれづれのなかにも、おぼしめしなぞらふことどもは、つらきなかにもあまたあり。のきにならべるうゑきをば、しちぢうほうじゆとかたどれり。いはまにつもるみづをば、はつくどくすゐとおぼしめす。むじやうははるのはな、かぜにしたがつてちりやすく、うがいはあきのつき、くもにともなつてかくれやすし。せうやうでんにはなをもてあそんじあしたには、かぜきたつてにほひをちらし、ちやうしうきうにつきをえいぜしゆふべには、くもおほうてひかりをかくす。むかしはぎよくろうきんでんに、にしきのしとねをしき、たへなりしおんすまひなりしかども、いまはしばひきむすぶくさのいほ、よそのたもともしをれけり。
 
 

3 大原御幸(をはらごかう)

かかりしほどにほふわうは、文治二年の春の頃、建礼門院のをはらのかんきよのおんすまひ、ごらんぜまほしうおぼしめされけれども、きさらぎやよひのほどは、あらしはげしうよかんもいまだつきず。みねのしらゆききえやらで、たにのつららもうちとけず。かくてはるすぎなつきたつて、きたまつりもすぎしかば、ほふわうよをこめて、をはらのおくへごかうなる。しのびのごかうなりけれども、ぐぶのひとびとには、とくだいじ、くわざんのゐん、つちみかどいげ、くぎやうろくにん、てんじやうびとはちにん、ほくめんせうせうさぶらひけり。くらまどほりのごかうなりければ、かのきよはらのふかやぶがふだらくじ、をののくわうだいこうぐうのきうせきえいらんあつて、それよりおんこしにぞめされける。とほやまにかかるしらくもは、ちりにしはなのかたみなり。
あをばにみゆるこずゑには、はるのなごりぞをしまるる。ころはうづきはつかあまりのことなれば、なつくさのしげみがすゑをわきいらせたまふに、はじめたるごかうなれば、ごらんじなれたるかたもなく、じんせきたえたるほどもおぼしめししられてあはれなり。にしのやまのふもとに、いちうのみだうあり。すなはちじやくくわうゐんこれなり。ふるうつくりなせるせんずゐこだち、よしあるさまのところなり。いらかやぶれてはきりふだんのかうをたき、とぼそおちてはつきじやうぢうのともしびをかかぐとも、かやうのところをやまうすべき。にはのわかぐさしげりあひ、あをやぎいとをみだりつつ、いけのうきぐさなみにただよひ、にしきをさらすかとあやまたる。なかじまのまつにかかれるふぢなみの、うらむらさきにさけるいろ、あをばまじりのおそざくら、はつはなよりもめづらしく、きしのやまぶきさきみだれ、やへたつくものたえまより、やまほととぎすのひとこゑも、きみのみゆきをまちがほなり。ほふわうこれをえいらんあつて、かうぞあそばされける。

いけみづにみぎはのさくらちりしきてなみのはなこそさかりなりけれ W095

ふりにけるいはのたえまより、おちくるみづのおとさへ、ゆゑびよしあるところなり。りよくらのかき、すゐたいのやま、ゑにかくともふでもおよびがたし。さて女院のおんあんじつをえいらんあるに、のきにはつた、あさがほはひかかり、しのぶまじりのわすれぐさ、へうたんしばしばむなし、くさがんゑんがちまたにしげし、れいでうふかくさせり、あめげんけんがとぼそをうるほすともいつつべし。すぎのふきめも、まばらにて、しぐれもしももおくつゆも、もるつきかげにあらそひて、たまるべしともみえざりけり。うしろはやま、まへはのべ、いざさをざさにかぜさわぎ、よにたたぬみのならひとて、うきふししげきたけばしら、みやこのかたのことづては、まどほにゆへるませがきや、わづかにこととふものとては、みねにこづたふさるのこゑ、しづがつまぎのをののおと、これらがおとづれならでは、まさきのかづら、あをつづら、くるひとまれなるところなり。

法皇、「ひとやある、ひとやある」とめされけれども、おんいらへまうすものもなし。ややあつておいおとろへたるあまいちにんまゐりたり。「女院はいづくへごかうなりぬるぞ」とおほせければ、「このうへのやまへはなつみにいらせたまひてさぶらふ」とまうす。「さこそよをいとふおんならひといひながら、さやうのことにつかへたてまつるべきひともなきにや、おんいたはしうこそ」とおほせければ、このあままうしけるは、「ごかいじふぜんのおんくわはうつきさせたまふによつて、いまかかるおんめをごらんぜられさぶらふにこそ。しやしんのぎやうに、なじかはおんみををしませたまひさぶらふべき。いんぐわきやうには、『よくちくわこいん、けんごげんざいくわ、よくちみらいくわ、けんごげんざいいん』ととかれたり。くわこみらいのいんぐわを、かねてさとらせたまひなば、つやつやおんなげきあるべからず。むかししつだたいしは、じふくにてがやじやうをいで、だんどくせんのふもとにて、このはをつらねてはだへをかくし、みねにのぼつてたきぎをとり、たににくだりてみづをむすび、なんぎやうくぎやうのこうによつてこそ、つひにじやうとうしやうがくしたまひき」とぞまうしける。

このあまのありさまをごらんずれば、みにはきぬぬののわきもみえぬものを、むすびあつめてぞきたりける。あのありさまにても、かやうのことまうすふしぎさよとおぼしめして、「そもそもなんぢはいかなるものぞ」とおほせければ、このあまさめざめとないて、しばしは、おんぺんじにもおよばず。ややあつてなみだをおさへて、「まうすにつけてはばかりおぼえさぶらへども、こせうなごん入道しんせいがむすめ、あはのないしとまうすものにてさぶらふなり。はははきのにゐ、さしもおんいとほしみふかうこそさぶらひしに、ごらんじわすれさせたまふにつけても、みのおとろへぬるほどおもひしられて、いまさらせんかたなうこそさぶらへ」とて、そでをかほにおしあてて、しのびあへぬさま、めもあてられず。ほふわう、「げにもなんぢは、あはのないしにてあるござんなれ。ごらんじわすれさせたまふぞかし。なにごとにつけても、ただゆめとのみこそおぼしめせ」とて、おんなみだせきあへさせたまはねば、ぐぶのくぎやうてんじやうびとも、ふしぎのことまうすあまかなとおもひたれば、ことわりにてまうしけりとぞ、おのおのかんじあはれける。

さてかなたこなたをえいらんあるに、にはのちぐさつゆおもく、まがきにたふれかかりつつ、そとものをだもみづこえて、しぎたつひまもみえわかず。
さて女院のおんあんじつへいらせおはしまし、しやうじをひきあけてえいらんあるに、ひとまにはらいかうのさんぞんおはします。ちうぞんのみてには、ごしきのいとをかけられたり。ひだんにふげんのゑざう、みぎにぜんだうくわしやう、ならびにせんていのみえいをかけ、はちぢくのめうもん、くでふのごしよもおかれたり。らんじやのにほひにひきかへて、かうのけぶりぞたちのぼる。かのじやうみやうこじの、はうぢやうのしつのうちに、さんまんにせんのゆかをならべ、じつぱうのしよぶつをしやうじたまひけんも、かくやとぞおぼえける。しやうじにはしよきやうのえうもんども、しきしにかいてところどころにおされたり。そのなかにおほえのさだもとぼつしが、せいりやうぜんにしてえいじたりけん、「せいがはるかにきこゆこうんのうへ、しやうじゆらいかうすらくじつのまへ」ともかかれたり。すこしひきのけて、女院のぎよせいとおぼしくて、

おもひきやみやまのおくにすまひしてくもゐのつきをよそにみんとは W096

さてかたはらをえいらんあるに、ぎよしんじよとおぼしくて、たけのおんさをに、あさのおんころも、かみのふすまなんどかけられたり。さしもほんてうかんどのたへなるたぐひかずをつくし、りようらきんしうのよそほひも、さながらゆめにぞなりにける。ほふわうおんなみだをながさせたまへば、ぐぶのくぎやうてんじやうびとも、まのあたりみたてまつりしことども、いまのやうにおぼえて、みなそでをぞしぼられける。ややあつてうへのやまより、こきすみぞめのころもきたりけるあまににん、いはのかけぢをつたひつつ、おりわづらひたるさまなりける。

法皇、「あれはいかなるものぞ」とおほせければ、らうになみだをおさへて、「はながたみひぢにかけ、いはつつじとりぐして、もたせたまひてさぶらふは、女院にてわたらせたまひさぶらふ。つまぎにわらびをりそへてもちたるは、とりかひの中納言これざねがむすめ、ごでうのだいなごんくにつなのやうじ、せんていのおんめのと、だいなごんのすけのつぼね」とまうしもあへずなきけり。ほふわうおんなみだをながさせたまへば、ぐぶのくぎやうてんじやうびとも、みなそでをぞぬらされける。女院は、よをいとふおんならひといひながら、いまかかるありさまをみえまゐらせんずらんはづかしさよ、きえもうせばやとおぼしめせどもかひぞなき。よひよひごとのあかのみづ、むすぶたもともしをるるに、あかつきおきのそでのうへ、やまぢのつゆもしげくして、しぼりやかねさせたまひけん。やまへもかへらせたまはず、またおんあんじつへもいらせおはしまさず、あきれてたたせましましたるところに、ないしのあままゐりつつ、はながたみをばたまはりけり。
 
 

4 六道之沙汰(ろくだうのさた)

「よをいとふおんならひ、なにかくるしうさぶらふべき。はやはやおんげんざんあつて、くわんぎよなしまゐらさせさぶらへ」とまうしければ、女院おんなみだをおさへて、おんあんじつにいらせおはします。「いちねんのまどのまへには、せつしゆのくわうみやうをごし、じふねんのしばのとぼそには、しやうじゆのらいかうをこそまちつるに、おもひのほかのごかうかな」とて、おんげんざんありけり。ほふわうこのおんありさまをえいらんあつて、おほせなりけるは、「ひさうのはちまんごふ、なほひつめつのうれへにあひ、よくかいのろくてん、いまだごすゐのかなしみをまぬかれず。きけんじやうのしようめうのらく、ちうげんぜんのかうだいのかく、ゆめのうちのくわはう、またまぼろしのあひだのたのしみ、すでにるてんむぐうなり。しやりんのめぐるがごとし。

天人の五衰の悲しみ、にんげんにもさふらひけるものかな。さるにてもたれかこととひまゐらせ(さふらふ)。なにごとにつけても、さこそいにしへをのみこそおぼしめしいづらめ」とおほせければ、女院、「いづかたよりもおとづるることもさぶらはず。のぶたかたかふさのきやうのきたのかたより、たえだえまうしおくることこそさぶらへ。そのむかしあのひとどものはぐくみにてあるべしとは、つゆもおぼしめしよらざりしものを」とて、おんなみだをながさせたまへば、つきまゐらせたるにようばうたちも、みなそでをぞぬらされける。ややあつて女院なみだをおさへてまうさせたまひけるは、「いまかかるみになりさぶらふことは、いつたんのなげきまうすにおよびさぶらはねども、ごしやうぼだいのためには、よろこびとおぼえさぶらふなり。

たちまちにしやかのゆゐていにつらなり、かたじけなくもみだのほんぐわんにじようじて、ごしやうさんじゆうのくるしみをのがれ、さんじにろくこんをきよめて、ひとすぢにくほんのじやうせつをねがひ、もつぱらいちもんのぼだいをいのり、つねにはしやうじゆのらいかうをごす。いつのよにもわすれがたきは、せんていのおんおもかげ、わすれんとすれどもわすられず、しのばんとすれどもしのばれず。ただおんあいのみちほど、かなしかりけることはなし。さればかのごぼだいのために、あさゆふのつとめおこたることさぶらはず。これもしかるべきぜんぢしきとおぼえさぶらふ」とまうさせたまへば、ほふわうおほせなりけるは、「それわがくにはそくさんへんどなりといへども、かたじけなくもじふぜんのよくんにこたへ、ばんじようのあるじとなり、ずゐぶんひとつとしてこころにかなはずといふことなし。なかんづくぶつぽふるふのよにむまれて、ぶつだうしゆぎやうのこころざしあれば、ごしやうぜんしようたがひあるまじきことなれば、にんげんのあだなるならひ、いまさらおどろくべきにはさふらはねども、おんありさまみまゐらせさふらふに、せんかたなうこそさふらへ」とて、おんなみだせきあへさせたまはず。

女院重ねてまうさせたまひけるは、「わがみへいしやうこくのむすめとして、てんしのこくもとなりしかば、いつてんしかいはみなたなごころのままなりき。さればはいらいのはるのはじめより、いろいろのころもがへ、ぶつみやうのとしのくれ、せふろくいげのだいじんくぎやうにもてなされしありさまは、ろくよくしぜんのくものうへにて、はちまんのしよてんにゐねうせられさぶらふらんやうに、ひやくくわんことごとくあふがぬものやさぶらひし。せいりやうししんのゆかのうへ、たまのすだれのうちにもてなされ、はるはなんでんのさくらにこころをとめて、ひをくらし、きうかさんぷくのあつきひは、いづみをむすんでこころをなぐさみ、あきはくものうへのつきを、ひとりみんことをゆるされず。けんとうそせつのさむきよは、つまをかさねてあたたかにす。

ちやうせいふらうのじゆつをねがひ、ほうらいふしのくすりをたづねても、ただひさしからんことをおもへり。あけてもくれても、たのしみさかえさぶらひしこと、てんじやうのくわはうも、これにはすぎじとこそおぼえさぶらひしか。さてもじゆえいのあきのはじめ、きそよしなかとかやにおそれて、いちもんのひとびと、すみなれしみやこをば、くもゐのよそにかへりみて、ふるさとをやけのがはらとうちながめ、いにしへはなをのみききし、すまよりあかしのうらづたひ、さすがあはれにおぼえて、ひるはまんまんたるたいかいに、なみぢをわけてそでをぬらし、よるはすざきのちどりとともになきあかす。うらうらしまじま、よしあるところをみしかども、ふるさとのことはわすられず。

かくてよるかたなかりしは、ごすゐひつめつのかなしみとこそおぼえさぶらひしか。およそにんげんのことは、あいべつりく、をんぞうゑく、しくはつく、ともにひとつとして、わがみにしられて、のこるところもさぶらはず。さてもちくぜんのくにださいふとかやについて、すこしこころをのべしかば、これよしとかやにくこくのうちをもおひいだされ、さんやひろしといへども、たちよりやすむべきところもなし。おなじあきのくれにもなりしかば、むかしはここのへのくものうへにてみしつきを、やへのしほぢにながめつつ、あかしくらしさぶらひしほどに、かみなづきのころほひ、きよつねのちうじやうが、『みやこをば源氏がためにせめおとされ、ちんぜいをばこれよしがためにおひいださる。あみにかかれるうをのごとし。いづくへゆかばのがるべきかは。ながらへはつべきみにもあらず』とて、うみにしづみさぶらひし。これぞうきことのはじめにてはさぶらひしか。なみのうへにてひをくらし、ふねのうちにてよをあかす。みつぎものもなければ、ぐごをそなふることもなく、たまたまぐごをそなへんとすれども、みづなければまゐらず。たいかいにうかむといへども、うしほなればのむことなし。これまたがきだうのくるしみとこそおぼえさぶらひしか。

かくてむろやまみづしまにかどのいくさにかちしかば、いちもんのひとびと、すこしいろなほつてみえさぶらひしかば、つのくにいちのたにとかやに、じやうくわくをかまへ、おのおのなほしそくたいをひきかへて、くろがねをのべてみにまとひ、あけてもくれても、いくさよばひのこゑのたゆることもなかりしは、しゆらのとうじやう、たいしやくのあらそひも、これにはすぎじとこそおぼえさぶらひしか。いちのたにをせめおとされてのち、おやはこにおくれ、めはをつとにわかる。おきにつりするふねをば、かたきのふねかときもをけし、とほきまつにしろきさぎのむれゐるをみては、源氏のはたかとこころをつくす。かくてもんじあかまだんのうらのいくさ、すでにけふをかぎりとみえしかば、にゐのあまなくなくまうしさぶらひしは、『このよのなかのありさま、いまはかうとおぼゆるなり。こんどのいくさに、をのこのいのちのいきのこらんことは、せんまんがひとつもありがたし。たとひまたとほきゆかりは、おのづからいきのこることありといふとも、わらはがごしやうとぶらはんこともありがたし。

むかしよりをんなはころさぬならひなれば、いかにもしてながらへて、しゆしやうのおんぼだいをとぶらひ、われらがごしやうをもたすけたまへ』とまうしさぶらひしを、ゆめのここちしておぼえさぶらひしほどに、かぜたちまちにふき、ふうんあつくたなびき、つはものどものこころをまどはし、てんうんつきて、ひとのちからにもおよびがたし。すでにかうとみえしかば、にゐのあませんていをいだきまゐらせて、ふなばたにいでしとき、あきれたるおんありさまにて、『そもそもあまぜ、われをばいづちへぐしてゆかんとするぞ』とおほせければ、にゐのあま、なみだをはらはらとながいて、いとけなききみにむかひまゐらせて、『きみはいまだしろしめされさぶらはずや。ぜんぜのじふぜんかいぎやうのおんちからによつて、いまばんじようのあるじとはむまれさせたまへども、あくえんにひかれて、ごうんすでにつきさせたまひさぶらひぬ。まづひんがしにむかはせたまひて、いせだいじんぐうふしをがませおはしまし、そののちさいはうじやうどのらいかうにあづからんと、ちかはせおはしまして、おんねんぶつさぶらふべし。

このくにはそくさんへんどとまうして、こころうきさかひにてさぶらふ。あのなみのそこにこそ、ごくらくじやうどとまうして、めでたきみやこのさぶらふ。それへぐしまゐらせさぶらふぞ』と、やうやうになぐさめまゐらせしかば、やまばといろのぎよいにびんづらゆはせたまひて、おんなみだにおぼれ、ちひさううつくしきおんてをあはせ、まづひんがしにむかはせたまひて、いせだいじんぐうにおんいとままうさせたまひ、そののちにしにむかはせたまひて、おんねんぶつありしかば、にゐのあませんていをいだきまゐらせて、うみにしづみしありさま、めもくれ、こころもきえはてて、わすれんとすれどもわすられず。しのばんとすれどもしのばれず。かくていきのこりたるものどもの、をめきさけびしありさまは、けうくわん、だいけうくわん、むげんあび、ほのほのそこのざいにんも、これにはすぎじとこそおぼえさぶらひしか。さてもののふどものあらけなきにとらはれて、のぼりさぶらひしほどに、はりまのくにあかしのうらとかやについて、ちとまどろみたりしゆめに、むかしのだいりにははるかにまさりたるところに、せんていをはじめまゐらせて、いちもんのげつけいうんかく、おのおのゆゆしげなるれいぎどもにてなみゐたり。

みやこをいでてのち、いまだかかるところをみず。『ここをばいづくといふぞ』ととひさぶらひしかば、にゐのあまこたへまうしさぶらひしは、『りうぐうじやうとまうすところなり』。『さてはめでたきところかな。このくににくはなきやらん』ととひさぶらひつれば、『りうちくきやうにみえてさぶらふ。ごせよくよくとぶらはせたまへ』とまうすとおぼえてゆめさめぬ。そののちはいよいよきやうよみねんぶつして、かのおんぼだいをとぶらひたてまつる。これひとへにろくだうにたがはじとこそおぼえさぶらへ」とまうさせたまへば、ほふわうおほせなりけるは、「いこくのげんざうさんざうは、さとりのまへにろくだうをみき。わがてうのにちざうしやうにんは、ざわうごんげんのおんちからによつて、ろくだうをみたりとこそうけたまはれ。まのあたりごらんぜられけるこそ、ありがたうさふらへ」とぞおほせける。
 

5 女院死去(にようゐんしきよ)

さるほどに、寂光院の鐘の声、今日も暮れぬとうち知られ、夕陽西に傾けば、おん名残りは尽きせずおぼしめされけれども、おん涙をおさへて、還御(くわんぎよ)ならせたまひけり。女院はいつしか昔をやおぼしめし出ださせ給ひけん、忍びあへぬおん涙に、袖のしがらみせきあへさせ給はず。おん後を、遙かにご覧じおくつて、還御もやうやうのびさせ給へば、おんあんじつにいらせたまひて、仏のおん前に向かはせ給ひて、「天子聖霊(てんししやうりやう)、成等正覚(じやうとうしやうがく)、一門亡魂(いちもんばうこん)、頓証菩提(とんしようぼだい)」と、祈りまうさせ給ひけり。昔はまづ、東に向はせ給ひて、伊勢大神宮、正八幡宮伏し拝ませおはしまし、「天子宝算(てんしはうさん)千秋万歳(せんしうばんぜい)」とこそ祈り申させ給ひしに、今はひきかへて、西に向はせ給ひて、「過去聖霊(くわこしやうりやう)、かならず一仏土(いちぶつど)へ」と、祈らせ給ふこそ悲しけれ。女院はいつしか昔恋しうもやおぼしめされけん。御庵室(あんじつ)の御障子に、かうぞあそばされける。

このごろはいつならひてかわがこころ大宮人のこひしかるらん W097

いにしへも夢になりにしことなれば柴のあみ戸もひさしからじな W098 

また御幸(ごかう)の御共にさぶらはれける、徳大寺の左大将実定公、御庵室の柱に、書きつけられけるとかや。

いにしへは月にたとへし君なれどそのひかりなき深山辺の里 W099

女院は来し方ゆく末の、うれしう、辛かりしことども、おぼしめしつづけて、おん涙にむせばせ給ふ折節、山時鳥(やまほととぎす)のふた声、み声おとづれて通りければ、女院、

いざさらば涙比べん時鳥(ほととぎす)われもうき世にねをのみぞなく W100

そもそも壇ノ浦にて、生捕りにせられたりけるに、十余人の人々、或ひは頭をはねて大路(おほち)をわたされ、或ひは妻子に別れて遠流(をんる)せらる。池の大納言のほかは、一人も命をいけて都におかず。四十余人の女房たちの御ことは、なんの沙汰にも及ばず。親類に従がひ、所縁についてぞましましける。忍ぶおもひはつきせねども、さてこそ嘆きながらも過されけれ。上は玉の簾のうちまでも、風しづかなる家もなく、下はしづがふせやのうちまでも、塵をさまれる宿もなし。枕をならべしいもせも、雲ゐのよそにぞなりはつる。やしなひたてし親と子も、行方知らず別れけり。これは入道相国、上は一人をもおそれず、下は万民をも顧みず、死罪流刑、げくわんちやうにん、思ふ様につねにおこなはれしがいたすところなり。さればふその善悪は、かならず子孫に及ぶといふことは疑ひなしとぞ見えける。

かくて女院はむなしう年月をおくらせたまふほどに、れいならぬおん心地いできさせたまひて、うちふさせ給ひしが、日頃よりおぼしめしまうけたるおんことなれば、仏の御手にかけられたりける、五色の糸をひかへつつ、「南無西方極楽世界の教主、弥陀如来、本願過ち給はずは、必ずず引摂(いんぜふ)し給へ」とて、おん念仏ありしかば、大納言佐(すけ)の局、阿波内侍(あはのないし)、左右(さう)にさぶらひて、今をかぎりのおん名残りの惜しさに、声々にをめきさけびたまひけり。おん念仏のおん声、やうやうよわらせましましければ、西に紫雲たなびき、異香(いぎやう)室にみちて、音楽空に聞こゆ。限りあるおんことなれば、建久二年二月中旬に、一期遂に終わらせ給ひけり。

二人の女房たちは、后宮(きさいのみや)のおん位よりつきまゐらせて、片時も離れまゐらせずしてさぶらはれしかば、別路(わかれぢ)のおん時も、やるかたなくぞおもはれける。この女房たちは、昔の草のゆかりも、みな枯れ果てて、寄る方もなき身なれども、折々のおん仏事、営みみたまふぞあはれなる。この人々も、遂には龍女(りうによ)が正覚の跡を追ひ、ゐだいけ夫人(ぶにん)の如くに、みな往生の素懐(そくわい)を遂げるとぞきこえし。
 
 

灌頂卷 了



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2000.11.20
2001.10.08Hsato

原テキスト作成 荒山慶一氏

荒山氏のURLは以下の所にある。

平家物語協会(Heike Academy International)
http://www.cometweb.ne.jp/ara/

佐藤弘弥一部改変中