平家物語 巻第十二  (流布本元和九年本)
 

1 大地震(だいぢしん)

さるほどに、平家滅び、源氏の世になつて後、国は国司に従がひ、しやうはりやうけのままなりけり。じやうげあんどしておぼえしほどに、おなじきしちぐわつここのかのひのむまのこくばかり、だいぢおびたたしううごいてややひさし。せきけんのうち、しらかはのほとり、ろくしようじみなやぶれくづる。くぢうのたふも、うへろくぢうふりおとし、とくぢやうじゆゐんのさんじふさんげんのみだうも、じふしちけんまでゆりたふす。くわうきよをはじめて、ざいざいしよしよのじんじやぶつかく、あやしのみんをく、さながらみなやぶれくづる。くづるるおとは、いかづちのごとく、あがるちりはけぶりのごとし。てんくらうしてひのひかりもみえず、らうせうともにたましひをうしなひ、てうしゆことごとくこころをつくす。またゑんごくきんごくもかくのごとし。やまくづれてかはをうづみ、うみただよひてはまをひたす。

渚こぐ舟はなみにゆられ、くがゆくこまはあしのたてどをうしなへり。大地さけてみづわきいで、ばんじやくわれてたにへまろぶ。こうずゐみなぎりきたらば、をかにのぼつてもなどかたすからざらん。みやうくわもえきたらば、かわをへだてても、しばしはさんぬべし。とりにあらざれば、そらをもかけりがたく、りうにあらざれば、くもにもまたのぼりがたし。ただかなしかりしは大地震なり。しらかは、六波羅、きやうぢうに、うちうづまれてしぬるもの、いくらといふかずをしらず。しだいしゆのなかに、すゐくわふううはつねにがいをなせども、だいぢにおいてことなるへんをなさず。こんどぞよのうせはてとて、じやうげやりどしやうじをたてて、てんのなりちのうごくたびごとには、こゑごゑにねんぶつまうし、をめきさけぶことおびたたし。ろくしちじふ、はつくじふのものども、「よのめつするなどいふことは、つねのならひなれども、さすがきのふけふとはおもはざりしものを」といひければ、わらんべどもはこれをきいて、なきかなしむことかぎりなし。ほふわうはいまぐまのへごかうなつて、おんはなまゐらさせたまふをりふし、かかる大地震あつて、しよくゑいできにければ、いそぎおんこしにめして、ろくでう殿へくわんぎよなる。ぐぶのくぎやうてんじやうびと、みちすがら、いかばかりのこころをかくだかれけん。ほふわうはなんていにあくやをたててぞおはします。しゆしやうはほうれんにめして、いけのみぎはへぎやうがうなる。

中宮、宮々は、あるひは御輿(こし)にめし、あるひは御車にたてまつて、他所へぎやうげいありけり。天文博士いそぎ内裏へはせ参つて、ゆふさりゐねのこくには、だいぢかならずうちかへすべきよしまうしければ、おそろしなどもおろかなり。むかしもんどくてんわうのぎよう、さいかうさんねんさんぐわつやうかの大地震には、とうだいじのほとけのみぐしをゆりおとしたりけるとかや。またてんぎやうにねんしんぐわつふつかの大地震には、しゆしやうごてんをさつて、じやうねいでんのまへにごぢやうのあくやをたてて、おはしましけるとぞうけたまはる。それはじやうだいなればいかがありけん。こののちはかかることあるべしともおぼえず。じふぜんていわうていとをいでさせたまひて、おんみをかいていにしづめ、だいじんくぎやうとらはれて、きうりにかへり、あるひはかうべをはねておほちをわたされ、あるひはさいしにわかれてをんるせらる。平家のをんりやうによつて、よのうすべきよしまうしければ、こころあるひとのなげきかなしまぬはなかりけり。
 
 

2 紺掻之沙汰(こんかきのさた)

おなじきはちぐわつにじふににち、高尾の文覚しやうにん、こさまのかみよしとものうるはしきかうべとて、たづねいだしてくびにかけ、かまだびやうゑがくびをば、でしがくびにかけさせ、関東へぞくだられける。さんぬるぢしようしねんしちぐわつに、むほんをすすめまうさんがために、ひじり、そぞろなるどくろをひとつとりいだし、しろいぬのにつつんで、「これこそこさまのかみよしとものかうべよ」とて、たてまつられたりければ、やがてむほんをおこし、ほどなくよをうつとつて、いつかうちちのかうべとしんぜられけるところに、いままたたづねいだしてぞくだられける。これはよしとものねんらいふびんにしてめしつかはれけるこんかきのをとこ、へいぢののちは、ごくしやのまへなるこけのしたにうづもれて、ごせとぶらふひともなかりしを、ときのたいりにつけてまうしうけ、ひやうゑのすけ殿は、いまこそるにんでおはすとも、すゑたのもしきひとなり。またよにいでてたづねたまふこともやと、ひがしやまゑんがくじといふところに、ふかうをさめておきたりしを、もんがくたづねいだしてくびにかけ、かのこんかきのをとこともに、あひぐしてぞくだられける。ひじりけふすでに鎌倉へいるときこえしかば、げんにゐ、かたせがはのはたまでむかひにぞいでたまふ。

それよりいろのすがたにいでたつて、鎌倉へかへりいらる。ひじりをばおほゆかにたて、わがみはにはにたつて、なくなくちちのかうべをうけとりたまふぞあはれなる。これをみたてまつるだいみやうせうみやう、みなそでをぞぬらされける。せきがんのさがしきをきりはらつて、あらたなるだうぢやうをつくり、いつかうちちのおんためとくやうじて、しようぢやうじゆゐんとかうせらる。くげにもかやうのことどもをきこしめして、こさまのかみよしとものはかへ、ないだいじんじやうにゐをおくらる。ちよくしはさせうべんかねただとぞきこえし。頼朝のきやう、ぶようのめいよちやうじたまへるによつて、みをたていへをおこすのみならず、ばうぶそんりやうまでぞうくわんぞうゐにおよびぬるこそありがたけれ。
 
 

3 平大納言流され(へいだいなごんのながされ)

くぐわつにじふさんにち、平家のよたうの、みやこのうちにのこりとどまつたるを、みなくにぐにへつかはさるべきよし、鎌倉よりくげへまうされたりければ、さらばつかはさるべしとて、平大納言ときただのきやうのとのくに、くらのかみのぶもとさ殿くに、さぬきのちうじやうときざねあきのくに、ひやうぶのせふまさあきらおきのくに、にゐのそうづせんしんあはのくに、ほつしようじのしゆぎやうのうゑんかづさのくに、きやうじゆばうのあじやりゆうゑんびんごのくに、ちうなごんのりつしちうくわいはむさしのくにとぞきこえし。あるひはさいかいのなみのうへ、あるひはとうくわんのくものはて、せんどいづくをごせず。こうくわいそのごをわきまへず、わかれのなみだをおさへつつ、めんめんにおもむかれけんこころのうち、おしはかられてあはれなり。なかにも平大納言時忠のきやうは、建礼門院のわたらせたまふよしだにまゐつてまうされけるは、「おんいとままうさんがために、くわんにんどもにしばしのいとまこうてまゐつてさふらふ。時忠こそせめおもうして、けふすでにはいしよへおもむきさふらへ。おなじみやこのうちにさふらひて、おんあたりのおんことどもをも、うけたまはらまほしうぞんじさふらひしに、かかるみにまかりなつてさふらへば、いまよりのち、またいかなるおんありさまどもにてか、わたらせたまひさふらはんずらんと、おもひおきまゐらせさふらふにこそ、さらにゆくべきそらもおぼえまじうさふらへ」と、なくなくまうされければ、にようゐん、「げにもむかしのなごりとては、そこばかりこそおはしつるに、いまはなさけをかけとひとぶらふひとも、たれかあるべき」とて、おんなみだせきあへさせたまはず。

そもそもこの時忠のきやうとまうすは、ではのせんじとものぶがまご、ぞうさだいじんときのぶこうのこなりけり。こけんしゆんもんゐんのおんせうと、たかくらのしやうくわうのごぐわいせき、またにふだうしやうこくのきたのかた、はちでうのにゐ殿も、あねにておはしければ、けんぐわんけんじよくおもひのごとくこころのままなり。さればじやうにゐの大納言にもほどなくへあがつて、けんびゐしのべつたうにも、さんかどまでなりたまへり。このひとのちやうむのときは、しよこくのせつたうがうだう、さんぞくかいぞくなどをば、やうもなくからめとつて、いちいちにひぢのもとより、ふつふつとうちきりうちきりおつぱなたる。さればひと、あくべつたうとぞまうしける。しゆしやうならびにさんじゆのしんき、ことゆゑなうみやこへかえしいれたてまつるべきよしのゐんぜんのおつかひ、おつぼのめしつぎはなかたがつらに、なみかたといふやいじるしをせられけるも、ひとへにこの時忠のきやうのしわざなり。こけんしゆんもんゐんのおんなごりにておはしければ、ほふわうもおんかたみにごらんぜまほしうはおぼしめされけれども、かやうのあくぎやうによつて、おんいきどほりあさからず。はうぐわんもまたしたしうなられたりければ、やうやうにまうされけれども、かなはずしてつひにながされたまひけり。

しそくのじじうときいへとて、しやうねんじふろくになりたまふは、これはるざいにはもれて、をぢのさいしやうときみつのきやうのもとにおはしけるが、きのふより大納言のしゆくしよにおはして、ははうへそつのすけどもともに、大納言のたもとにすがり、いまをかぎりのなごりをぞをしまれける。大納言、「つひにすまじきわかれかは」と、こころづようはのたまへども、さこそはこころぼそかりけめ。としたけよはひかたぶいて、さしもむつまじかりけるさいしにも、みなわかれはてて、すみなれしみやこをば、くもゐのよそにかへりみて、いにしへはなにのみききしこしぢのたびにおもむいて、はるばるとくだりたまふに、「かれはしがからさき、これはまののいりえ、かたたのうら」とまうしければ、大納言なくなくえいじたまひけり。

かへりこんことはかたたにひくあみのめにもたまらぬわがなみだかな W092

きのふはさいかいのなみのうへにただよひて、をんぞうゑくのうらみを、へんしうのうちにつみ、けふはほつこくのゆきのしたにうづもれて、あいべつりくのかなしみを、こきやうのくもにかさねたり。
 

4 土佐坊斬られ(とさぼうきられ)

さるほどに判官には、鎌倉殿よりだいみやうじふにんつけられたりけるが、ないないごふしんをかうぶりたまふときこえしかば、こころをあはせて、いちにんづつみなくだりはてにけり。きやうだいなるうへ、ことにふしのちぎりをして、いちのたに、だんのうらにいたるまで、平家をせめほろぼし、ないしどころ、しるしのおんはこ、ことゆゑなうみやこへかへしいれたてまつり、いつてんをしづめしかいをすます。

くんじやうおこなはるべきところに、なにのしさいあつてか、かかるきこえのありけんと、かみいちじんよりしもばんみんにいたるまで、ひとみなふしんをなす。そのゆゑは、このはるつのくにわたなべにて、さかろたてうたてじのろんをして、おほきにあざむかれしことを、かぢはらゐこんにおもひ、つねはざんげんして、つひにうしなひけるとぞ、のちにはきこえし。鎌倉殿、判官にせいのつかぬまに、いまいちにちもさきにうつてをのぼせたうはおもはれけれども、だいみやうどもさしのぼせば、うぢせたのはしをもひき、きやうとのさわぎともなつて、なかなかあしかりなんず。いかがせんとおもはれけるが、ここにとさばうしやうしゆんをめして、「わそうのぼつて、ものまうでするやうで、たばかつてうて」とのたまへば、とさばうかしこまりうけたまはつて、しゆくしよへもかへらず、すぐにきやうへぞのぼりける。くぐわつにじふくにちに、とさばうみやこへのぼつたりけれども、つぎのひまで判官殿へはさんぜず。

判官、とさばうがのぼつたるよしをきこしめして、武蔵坊弁慶をもつてめされければ、やがてつれてぞまゐつたる。判官、「いかにとさばう、鎌倉殿よりおんふみはなきか」とのたまへば、「べつのおんこともさふらはぬあひだ、おんふみをばまゐらせられずさふらふ。おんことばでまうせとおほせさふらひつるは、『たうじみやこにべつのしさいのさふらはぬは、さてわたらせたまふおんゆゑなり。あひかまへてよくよくしゆごせさせたまへとまうせ』とこそおほせさふらひつれ」とまうしければ、判官、「よもさはあらじ。義経うちにのぼつたるおんつかひなり。だいみやうどもさしのぼせば、うぢせたのはしをもひき、きやうとのさわぎともなつて、なかなかあしかりなんず。わそうのぼつてものまうでするやうで、たばかつてうてとおほせつけられたんな」とのたまへば、とさばうおほきにおどろき、「なにによつてか、ただいまさるおんことのさふらふべき。これはいささかしゆくぐわんのしさいさふらひて、くまのさんけいのために、まかりのぼつてさふらふ」とまうしければ、そのとき判官、「かげときがざんげんによつて、鎌倉ぢうへだにいれられずして、おひのぼせられしことはいかに」。

とさばう、「そのおんことはいかがましましさふらふやらん、しりまゐらせぬざふらふ。しやうしゆんにおいては、まつたくおんぱらくろおもひたてまつらぬざふらふ」。いつかうふちうなきよしのきしやうもんを、かきしんずべきよしをまうす。判官、「とてもかくても、鎌倉殿によしとおもはれたてまつたるみならばこそ」とて、もつてのほかにけしきあしげにみえたまへば、とさばう、いつたんのがいをのがれんがために、ゐながらしちまいのきしやうをかき、あるひはやいてのみ、あるひはやしろのほうでんにこめなどして、ゆりてかへり、おほばんじゆのものどももよほしあつめて、そのよやがてよせんとす。

判官は磯のぜんじといふしらびやうしがむすめ、しづかといふをんなをちようあいせられけり。しづかかたはらをへんしもたちさることなし。しづかまうしけるは、「おほちはみなむしやでさぶらふなる。みうちよりもよほしのなからんに、これほどまでおほばんじゆのものどもが、さわぐべきことやさぶらふべき。いかさまにも、これはひるのきしやうぼふしがしわざとおぼえさぶらふ。ひとをつかはしてみせさぶらはばや」とて、六波羅のこにふだうしやうこくのめしつかはれけるかぶろを、さんしにんめしつかはれけるを、ににんみせにつはかす。ほどふるまでかへらず。をんなはなかなかくるしかるまじとて、はしたものをいちにんみせにつかはす。やがてはしりかへつて、「かぶろとおぼしきものは、ふたりながらとさばうがか殿まへに、きりふせられてさぶらふ。

か殿まへには、くらおきむまども、ひつたてひつたて、おほまくのうちには、ものども、よろひき、かぶとのををしめ、やかきおひ、ゆみおしはり、ただいまよせんといでたちさぶらふ。すこしもものまうでのけしきとはみえさぶらはず」とまうしければ、判官、さればこそとて、たちとつていでたまへば、しづか、きせながとつてなげかけたてまつる。たかひもばかりしていでたまへば、むまにくらおいて、ちうもんのくちにひつたてたり。判官これにうちのり、「かどあけよ」とてあけさせ、いまやいまやとまちたまふところに、やはんばかりに、とさばうひたかぶとしごじつき、そうもんのまへにおしよせて、ときをどつとぞつくりける。判官あぶみふんばりたちあがり、だいおんじやうをあげて、「ようちにも、またひるいくさにも、義経たやすううつべきものは、につぽんごくにはおぼえぬものを」とて、はせまはりたまへば、むまにあてられじとやおもひけん、みななかをあけてぞとほしける。

さるほどに伊勢三郎義盛、奥州の佐藤兵衛忠信、江田のげんざう、熊井太郎、武蔵坊弁慶などいふ、いちにんたうぜんのつはものども、みうちにようちいつたりとて、あそこのしゆくしよ、ここのやかたよりはせきたるほどに、判官ほどなくろくしちじつきになりたまひぬ。とさばう、こころはたけうよせたれども、たすかるものはすくなう、うたるるものぞおほかりける。さばうかなはじとやおもひけん、けうにしてくらまのおくへひきしりぞく。鞍馬は判官のこさんなりければ、かのほふしからめとつて、つぎのひ判官殿へつかはす。そうじやうがたにといふところに、かくれゐたりけるとかや。とさばうそのひのしやうぞくには、かちのひたたれに、くろかはをどしのよろひきて、しゆつちやうどきんをぞきたりける。判官えんにたつて、とさばうをおほにはにひきすゑさせ、「いかにとさばう、きしやうには、はやくも、うてたるぞかし」とのたまへば、「さんざふらふ。あることにかいてさふらへば、うててさふらふ」とまうす。

判官なみだをはらはらとながいて、「しゆくんのめいをおもんじて、わたくしのめいをかろんず。こころざしのほどまことにしんべうなり。わそういのちをしくば、たすけて鎌倉へかへしつかはさんはいかに」とのたまへば、とさばうゐなほりかしこまつて、「こはくちをしきことをものたまふものかな。たすからうどまうさば、とのはたすけたまふべきか。鎌倉殿の、ほふしなれども、おのれぞねらはんずるものをと、おほせをかうむつしよりこのかた、いのちをばひやうゑのすけ殿にたてまつりぬ。なじかはふたたびとりかへしたてまつるべき。ただはうおんにはとくとくかうべをはねられさふらへ」とまうしければ、さらばとて、やがてろくでうかはらへひきいだいてぞきりてんげる。ほめぬひとこそなかりけれ。
 
 

5 判官都落ち(はうぐわんのみやこおち)

ここにあだちのしんざぶらうといふざつしきあり。「きやつはげらふなれども、さかざかしきものにてさふらふ。めしつかはれさふらへ」とて、鎌倉殿より判官につけられたりけるとかや。これは、ないないくらうがふるまひをみて、われにしらせよとなり。とさばうがきらるるをみて、よをひについではせくだり、このよしかくとまうしければ、鎌倉殿おほきにおどろき、しやていみかはのかみのりよりに、うつてにのぼりたまふべきよしのたまへば、しきりにじしまうされけれども、いかにもかなふまじきよしを、かさねてのたまふあひだ、ちからおよばずいそぎもののぐして、おんいとままうしにまゐられたりければ、鎌倉殿、「わとのもまたくらうがふるまひしたまふなよ」とのたまひけるおんことばにおそれて、しゆくしよにかへり、いそぎもののぐぬぎおき、きやうのぼりをばおもひとどまりたまひぬ。まつたくふちうなきよしのきしやうもんを、いちにちにじふまいづつ、ひるはかき、よるはおつぼのうちにてよみあげよみあげ、ひやくにちにせんまいのきしやうをかいてまゐらせられたりけれども、かなはずして、のりよりつひにうたれたまひけり。つぎにほうでうのしらうときまさに、ろくまんよきをさしそへて、うつてにのぼせらるるよしきこえしかば、判官、うぢせたのはしをもひき、ふせがばやとおもはれけるが、ここにをがたのさぶらうこれよしは、平家をくこくのうちへもいれずして、おひいだすほ殿たせいのものなり。

「われにたのまれよ」とのたまへば、「ささふらはば、みうちにさふらふきくちのじらうたかなほは、ねんらいのかたきでさふらふあひだ、たまはつてきつてのち、たのまれたてまつらん」とまうしければ、判官さうなうたうでげり。やがてろくでうかはらへひきいだいてぞきりてげる。そののちこれよしりやうじやうす。おなじきじふいちぐわつふつかのひ、くらうたいふの判官ゐんざんして、おほくらきやうやすつねのあそんをもつて、そうもんせられけるは、「頼朝、らうどうどもがざんげんによつて、義経うたんとつかまつりさふらふ。うぢせたのはしをもひき、ふせがばやとはぞんじさふらへども、きやうとのさわぎともなつて、なかなかあしうさふらひなんず。ひとまづちんぜいのかたへも、おちゆかばやとぞんじさふらふ。あはれゐんのちやうのおんくだしぶみをたまはつて、まかりくだりさふらはばや」とまうされたりければ、ほふわう、このこといかがあらんずらんと、おぼしめしわづらはせたまひて、しよきやうにおほせあはせらる。しやきやうまうされけるは、「義経みやこにさふらひなば、とうごくのおほぜいみだれいつて、きやうとのさうどうたえまじうさふらふ。しばらくちんぜいのかたへも、おちゆきさふらはば、そのおそれあるまじうさふらふ」とまうされたりければ、さらばとて、ちんぜいのものども、をがたのさぶらうこれよしをはじめとして、うすき、へつぎ、まつらたうにいたるまで、みな義経が、げぢにしたがふべきよしの、ゐんのちやうのおんくだしぶみをたまはつて、あくるみつかのうのこくに、みやこにいささかのわづらひもなさず、なみかぜをもたてずして、そのせいごひやくよきでぞくだられける。

ここに摂津国の源氏、おほだのたらうよりもと、このよしをきいて、鎌倉殿となかたがうてくだりたまふひとを、さうなうわがもんのまへをとほしなば、鎌倉殿のかへりきこしめされんずるところもあり、やひとついかけたてまつらんとて、てぜいろくじふよき、かはらづといふところにおつついてせめたたかふ。判官、「そのぎならば、いちにんももらさずうてや」とて、ごひやくよきとつてかへし、おほだのたらうろくじふよきをなかにとりこめて、われうつとらんとぞすすみける。おほだのたらうよりもと、いへのこらうどうおほくうたせ、わがみておひ、むまのふとばらいさせ、ちからおよばでひきしりぞく。のこりとどまつてふせぎやいけるつはものども、にじふよにんがくびきりかけさせ、いくさがみにまつり、よろこびのときをつくり、かどでよしとぞよろこばれける。

そのひは、つのくにだいもつのうらにぞつきたまふ。あくるよつかのひ、だいもつのうらより舟にてくだられけるが、をりふしにしのかぜはげしうふきければ、判官ののりたまへる舟は、すみよしのうらへうちあげられて、それよりよしのやまへぞこもられける。よしのぼふしにせめられて、ならへおつ。ならぼふしにせめられて、またみやこへかへりのぼり、ほつこくにかかつて、つひにおくへぞくだられける。判官のみやこよりぐせられたりけるじふよにんのにようばうたちをば、みなすみよしのうらにすておかれたりければ、ここやかしこのまつのした、いさごのうへにたふれふし、あるひははかまふみしだき、あるひはそでかたしいてなきゐたりけるを、すみよしのじんぐわん、これをあはれんで、のりものどもをしたてて、みなきやうへぞおくりける。判官のむねとたのまれたりけるをがたのさぶらうこれよし、しだのさぶらうせんじやうよしのり、びぜんのかみゆきいへらがのつたる舟どもも、ここかしこのうらうらしまじまにうちあげられて、たがひにそのゆくへをもしらざりけり。

にしのかぜたちまちにはげしうふきけるは、平家のをんりやうとぞきこえし。おなじきなぬかのひ、ほうでうのしらうときまさ、ろくまんよきをあひぐしてしやうらくす。あくるやうかのひゐんざんして、「いよのかみみなもとの義経、ならびにびぜんのかみゆきいへ、しだのさぶらうせんじやうよしのり、みなつゐたうすべきよしのゐんぜんたまはるべきよし、頼朝まうしさふらふ」とまうしければ、ほふわうやがてゐんぜんをぞくだされける。さんぬるふつかのひは、義経まうしうくるむねにまかせて、頼朝そむくべきよしのゐんのちやうのおんくだしぶみをなされ、おなじきやうかのひは、頼朝のきやうのまうしじやうによつて、義経うつべきよしのゐんぜんをくださる。あしたにかはりゆふべにへんず。ただせけんのふぢやうこそかなしけれ。
 
 

6 吉田大納言之沙汰(よしだのだいなごんのさた)

さるほどに、鎌倉のさきのひやうゑのすけ頼朝、につぽんごくのそうづゐふくしをたまはつて、たんべつにひやうらうまいあておこなふべきよし、くげへまうされたりければ、ほふわうおほせなりけるは、「むかしよりてうてきをたひらげたるものには、はんごくをたまはるといふこと、むりやうぎきやうにみえたり。されどもさやうのことはありがたきためしなり。これは頼朝がくわぶんのまうしじやうかな」とて、しよきやうにおほせあはせられたりければ、くぎやうせんぎあつて、「よりとものきやうのまうさるるところ、だうりなかばなり」と、しよきやういちどうにまうされたりければ、ほふわうもちからおよばせたまはず、やがておんゆるされありけり。しよこくにしゆごをおきかへ、しやうゑんにぢとうをふせらる。かかりしかば、いちまうばかりもかくるべきやうぞなかりける。鎌倉殿かやうのことをば、くげにもひとおほしといへども、よしだの大納言つねふさのきやうをもつてまうされけり。この大納言は、うるはしきひとときこえたまへり。そのゆゑは、平家にむすぼほれたりしひとびとも、源氏のよのつよりしのち、あるひはふみをつかはし、あるひはししやをたてて、さまざまにへつらはれたりけれども、この大納言は、さもしたまはず。されば、平家のとき、ほふわうをせいなんのりきうにおしこめたてまつて、ごゐんのべつたうをおかれけるにも、はちでうのちうなごんながかたのきやう、この大納言、ににんをぞふせられける。ごんのうちうべんみつふさのあそんのこなりけり。しかるをじふにのとし、ちちのあそんうせたまひしかば、みなしごにておはせしかども、しだいのしようじんとどこほらず、さんじのけんえうをけんたいして、せきらうのくわんじゆをへ、さんぎ、だいべん、ださいのそつ、ちうなごん、大納言にへあがつて、ひとをばこえたまへども、ひとにはこえられたまはず。さればひとのぜんあくは、きりふくろをとほすとてかくれなし。ありがたかりし大納言なり。
 
 

7 六代(ろくだい)

さるほどに、ほうでうのしらうときまさは、鎌倉殿のおんだいくわんに、みやこのしゆごしてさふらはれけるが、「平家のしそんといはんひと、なんしにおいていちにんももらさず、たづねいだしたらんともがらには、しよまうはこふによるべし」とひろうせらる。きやうぢうのじやうげ、あんないはしつたり、けんじやうかうむらんとて、たづねもとむるこそうたてけれ。かかりしかば、いくらもたづねいだされたり。げらふのこなれども、いろしろうみめよきをば、「あれはなんのちうじやう殿のわかぎみ、かのせうしやう殿のきんだち」などいふあひだ、ちちははなげきかなしめども、「あれはめのとがまうしさふらふ、これはかいしやくのにようばうが」なんどまうして、むげにをさなきをば、みづにいれ、つちにうづみ、すこしおとなしきをば、おしころし、さしころす。

ははのかなしみめのとがなげき、たとへんかたぞなかりける。ほうでうもしそんさすがひろければ、これをいみじとはおもはねども、よにしたがふならひなればちからおよばず。なかにもこまつのさんみのちうじやうこれもりのきやうのわかぎみ、六代御前とて、としもすこしおとなしうまします。そのうへ平家のちやくちやくにしておはしければ、いかにもしてとりたてまつてうしなはんとて、てをわけてたづねけれども、もとめかねて、すでにむなしうくだらんとしけるところに、あるにようばうの六波羅にまゐつてまうしけるは、「これよりにし、へんぜうじのおく、だいかくじとまうすやまでらのきた、しやうぶだにとまうすところにこそ、こまつのさんみのちうじやうこれもりのきやうのきたのかた、わかぎみ、ひめぎみ、しのうでましますなれ」といひければ、ほうでううれしきことをもききぬとおもひ、かしこへひとをつかはして、そのへんをうかがはせけるほどに、あるばうににようばうたちあまた、をさなきひとびと、ゆゆしうしのうだるていにてすまはれたり。まがきのひまよりのぞいてみれば、しろいえのこのにはへはしりいでたるをとらんとて、よにうつくしきわかぎみの、つづいていでたまひけるを、めのとのにようばうとおぼしくて、「あなあさまし。ひともこそみまゐらせさぶらへ」とて、いそぎひきいれたてまつる。これぞいちぢやうそにてましますらんとおもひ、いそぎはしりかへつて、このよしまうしければ、つぎのひ、ほうでう、しやうぶだにをうちかこみ、ひとをいれてまうされけるは、「こまつのさんみのちうじやうこれもりのきやうのわかぎみ、六代御前のこれにましますよしうけたまはつて、鎌倉殿のおんだいくわんとして、ほうでうのしらうときまさが、おんむかひにまゐつてさふらふ。とうとういだしまゐらさせたまへ」とまうされければ、ははうへゆめのここちして、つやつやものをもおぼえたまはず。さいとうご、さいとうろく、そのへんをはしりまはつてうかがひけれども、ぶしどもしはうをうちかこんで、いづかたよりいだしまゐらすべしともおぼえず。

ははうへはわかぎみをかかへたてまつて、「ただわれをうしなへや」とて、をめきさけびたまひけり。めのとのにようばうも、おんまへにたふれふし、こゑもをしまずをめきさけぶ。ひごろはものをだにたかくいはず、しのびつつかくれゐたりしかども、いまはいへのうちにありとあるものの、こゑをととのへてなきかなしむ。ほうでうもいはきならねば、さすがあはれげにおぼえて、なみだをおさへ、つくづくとぞまたれける。ややあつて、またひとをいれてまうされけるは、「よもいまだしづまりさふらはねば、しどけなきおんこともぞさふらはんずらん。ときまさがおんむかひにまゐつてさふらふ。べつのしさいはさふらふまじ。とうとういだしまゐらさせたまへ」とまうされければ、わかぎみ、ははうへにまうさせたまひけるは、「つひにのがるまじうさふらふうへ、はやはやいださせおはしませ。ぶしどものうちいつてさがすほどならば、なかなかうたてげなるおんありさまどもを、みえさせたまひさふらはんずらん。たとひまかりてさふらふとも、しばしもあらば、ほうでうとかやにいとまこうて、かへりまゐりさふらはん。いたうななげかせたまひさふらひそ」と、なぐさめたまふこそいとほしけれ。

さてしもあるべきことならねば、ははうへは、わかぎみになくなくおんものきせまゐらせ、おんぐしかきなでて、すでにいだしまゐらせんとしたまひけるが、くろきのずずのちひさううつくしきをとりいだいて、「あひかまへて、これにて、いかにもならんまで、ねんぶつまうしてごくらくへまゐれよ」とてぞたてまつらる。わかぎみこれをとらせたまひて、「ははうへにはけふすでにわかれまゐらせさふらひぬ。いまはいかにもして、ちちのましますところへこそまゐりたけれ」とのたまへば、いもうとのひめぎみの、しやうねんとをになりたまひけるが、「われもまゐらん」とて、つづいていでたまひけるを、めのとのにようばうとりとどめたてまつる。六代御前、ことしはじふにになりたまへども、よのひとのじふしごよりもおとなしく、みめすがたうつくしう、こころざまいうにおはしければ、かたきによわげをみえじとて、おさふるそでのひまよりも、あまりてなみだぞこぼれける。さておんこしにめされたまふ。ぶしどもうちかこんでいでにけり。さいとうご、さいとうろくも、おんこしのさうについてぞまゐりける。ほうでう、のりがへどもをおろいて、むまにのれといへどものらず。だいかくじより六波羅まで、かちはだしでぞまゐりたる。ははうへ、めのとのにようばう、てんにあふぎちにふして、もだえこがれたまひけり。ははうへ、めのとのにようばうにのたまひけるは、「このひごろ、平家のこどもとりあつめて、みづにいれ、つちにうづみ、あるひはおしころし、さしころし、さまざまにしてうしなふよしきこゆなれば、わがこをば、なにとしてかうしなはんずらん。としもすこしおとなしければ、さだめてくびをこそきらんずらめ。ひとのこは、めのとなん殿もとにつかはして、ときどきみることもあり。

それだにも、おんあいのみちはかなしきならひぞかし。いはんやこれは、うみおとしてよりこのかた、ひとひかたときもみをはなたず、ひとももたぬこをもちたるやうにおもひ、あさゆふふたりのなかにてそだてしものを、たのみをかけしひとに、あかでわかれてのちは、ふたりをうらうへにおいてこそなぐさみしに、いまははやひとりはあれども、ひとりはなし。けふよりのちはいかがせん。このみとせがあひだ、よるひるきもたましひをけして、おもひまうけたることなれども、さすがきのふけふとはおもひもよらず、ひごろははせのくわんおんを、さりともとこそたのみたてまつりしに、つひにとられぬることのかなしさよ。ただいまもやうしなひつらん」とかきくどき、そでをかほにおしあてて、さめざめとぞなかれける。よるになれども、むねせきあぐるここちして、つゆもまどろみたまはざりしが、ややあつてめのとのにようばうにのたまひけるは、「ただいまちとうちまどろみたりつるゆめに、このこがしろいむまにのつてきたりつるが、『あまりにおんこひしうおもひまゐらせさふらふほどに、しばしのいとまこうてまゐつてさふらふ』とて、そばについゐて、なにとやらんよにうらめしげにてありつるが、いくほどなくて、うちおどろかされ、そばをさぐれどもひともなし。ゆめだにもしばしもあらで、やがてさめぬることのかなしさよ」とぞ、なくなくかたりたまひける。さるほどにながきよを、いとどあかしかね、なみだにとこもうくばかりなり。かぎりあれば、けいじんあかつきをとなへて、よもあけぬ。さいとうろくかへりまゐつたり。ははうへ、「さていかにや」ととひたまへば、「いままではべちのおんこともさふらはず。これにおんふみのさふらふ」とて、とりいだいてたてまつる。これをあけてみたまふに、「いままではべちのしさいもさふらはず。さこそおんこころもとなうおぼしめされさふらふらん。いつしかたれたれもおんこひしうこそおもひまゐらせさふらへ」と、おとなしやかにかきたまへり。ははうへこれをかほにおしあてて、とかうのことものたまはず、ひきかづいてぞふしたまふ。かくてじこくはるかにおしうつりければ、さいとうろく、「ときのほどもおぼつかなうさふらふ。

おんぺんじたまはつてかへりまゐりさふらはん」とまうしければ、ははうへなくなくおんぺんじかいてぞたうでげる。さいとうろくいとままうしていでにけり。めのとのにようばう、せめてのこころのあられずさにや、だいかくじをばまぎれいでて、そのへんをあしにまかせてなきあるくほどに、あるひとのまうしけるは、「これよりおく、たかをといふやまでらのひじり、もんがくばうとまうすひとこそ、鎌倉殿のゆゆしきだいじのひとにおもはれまゐらせてましましけるが、じやうらふのこをでしにせんとて、ほしがらるるなれ」といひければ、めのとのにようばう、うれしきことをもききぬとおもひ、すぐにたかをへたづねいり、ひじりにむかひまゐらせて、なくなくまうしけるは、「ちのなかよりいだきあげたてまつり、おほしたてまゐらせて、ことしはじふにになりたまひつるわかぎみを、きのふぶしにとられてさぶらふなり。おんいのちをこひうけて、おんでしにせさせたまひなんや」とて、ひじりのおんまへにたふれふし、こゑもをしまずをめきさけぶ。まことにせんかたなげにぞみえたりける。ひじりもむざんにおもひて、ことのしさいをとひたまふ。ややあつておきあがり、なみだをおさへてまうしけるは、「こまつのさんみのちうじやうこれもりのきやうのきたのかたに、おんしたしうましますひとのわかぎみを、やしなひまゐらせてさぶらひつるを、もしちうじやう殿のきんだちとや、ひとのまうしてさぶらふらん、きのふぶしにとられてさぶらふなり」とぞかたりける。ひじり、「さてそのぶしをばたれといふやらん」。「ほうでうのしらうときまさとこそなのりまうしさぶらひつれ」。ひじり、「いでさらばたづねてみん」とて、つきいでぬ。めのとのにようばう、このことばをたのむべきにはあらねども、きのふぶしにとられてよりこのかた、あまりにおもふはかりもなかりつるに、ひじりのかくのたまへば、すこしこころをとりのべて、いそぎだいかくじへぞまゐりける。ははうへ、「さてわごぜは、みをなげにいでぬるやらん。われもいかなるふちかはへも、みをなげばやなどおもひたれば」とて、ことのしさいをとひたまふ。めのとのにようばう、ひじりのまうされつるさまを、こまごまとかたりまうしたりければ、「あはれ、そのひじりのおんばうの、このこをこひうけて、いまひとたびわれにみせよかし」とて、うれしさにも、ただつきせぬものはなみだなり。そののちひじり六波羅にいでて、ことのしさいをとひたまふ。

ほうでうまうされけるは、「鎌倉殿のおほせには、平家のしそんといはんひと、なんしにおいて、いちにんももらさずたづねいだして、うしなふべし。なかにもこまつのさんみのちうじやうこれもりのきやうのしそく、六代御前とて、としもすこしおとなしうまします。そのうへ平家のちやくちやくなり。こなかのみかどしん大納言なりちかのきやうのむすめのはらにありときく。いかにもしてとりたてまつて、うしなひまゐらせよと、おほせをかうむつしあひだ、すゑずゑのきんだちたちをば、せうせうとりたてまつてはさふらへども、このわかぎみのざいしよを、いづくともしりまゐらせずして、すでにむなしうくだらんとつかまつるところに、おもはざるほか、をととひききいだしまゐらせて、きのふこれまでむかへたてまつてさふらへども、あまりにうつくしうましましさふらふほどに、いまだともかうも、したてまつらでおきたてまつてさふらふ」とまうされければ、ひじり、「いでさらば、みまゐらせん」とて、わかぎみのわたらせたまふところにまゐつてみたまへば、ふたへおりもののひたたれに、くろきのずずてにぬきいれておはします。かみのかかり、すがたことがら、まことにあてにうつくしく、このよのひとともみえたまはず。こよひうちとけてまどろみたまはぬかとおぼしくて、すこしおもやせたまふをみまゐらするにつけても、いとどらうたくぞおもはれける。わかぎみひじりをみたまひて、いかがおぼしけん、なみだぐみたまへば、ひじりもすぞろにすみぞめのそでをぞぬらされける。すゑのよにはいかなるをんできとなりたまふといふとも、これをばいかでかうしなひたてまつるべきとおもはれければ、ほうでうにむかつてのたまひけるは、「ぜんぜのことにやさふらふらん、このわかぎみをみまゐらせさふらへば、あまりにいとほしうおもひまゐらせさふらふ。なにかくるしうさふらふべき。

はつかのいのちをのべてたべ。鎌倉へくだつて、まうしゆるいてたてまつらん。そのゆゑは、ひじり鎌倉殿をよにあらせたてまつらんとて、ゐんぜんうかがひにきやうへのぼるが、あんないもしらぬふじがはのすそに、よるわたりかかつて、すでにおしながされんとしたりしこと、またたかしやまにてひつぱぎにあひ、からきいのちばかりいきつつ、ふくはらのろうのごしよにまゐつて、ゐんぜんまうしいだいてたてまつしときのおんやくそくには、たとひいかなるだいじをもまうせ、ひじりがまうさんずることどもをば、頼朝いちごがあひだは、かなへんとこそのたまひしか。そのほかたびたびのほうこうをば、かつみたまひしことぞかし。ことあたらしうはじめてまうすべきにあらず。ちぎりをおもんじていのちをかろんず。鎌倉殿にじゆりやうがみつきたまはずは、よもわすれたまはじ」とて、やがてそのあかつきぞたたれける。さいとうご、さいとうろく、ひじりをしやうじんのほとけのごとくにおもうて、てをあはせてなみだをながす。これらまただいかくじにまゐつて、このよしまうしければ、ははうへいかばかりかうれしうおもはれけん。されども鎌倉のはからひなれば、いかがあらんずらんとおもはれけれども、はつかのいのちののびたまふにぞ、ははうへ、めのとのにようばう、すこしこころをとりのべて、ひとへにはせのくわんおんのおんたすけなればにやと、たのもしうぞおもはれける。かくしてあかしくらさせたまふほどに、はつかのすぐるはゆめなれや、ひじりもいまだみえたまはず。これはさればなにとしつることどもぞやと、なかなかこころぐるしくて、いまさらまたもだえこがれたまひけり。ほうでうも、「ひじりのはつかとまうされしやくそくのひかずもすぎぬ。いまは鎌倉殿おんゆるされなきにこそあんなれ。さのみざいきやうして、としをくらすべきにあらず。いまはくだらん」とてひしめきけり。さいとうご、さいとうろくもてをにぎり、きもたましひをけしておもへども、ひじりもいまだみえたまはず、つかいものをだにものぼせねば、おもふはかりぞなかりける。

これらまただいかくじにまゐり、「ひじりもいまだみえたまはず。ほうでうもあかつきげかうつかまつりさふらふ」とて、なみだをはらはらとながしければ、ははうへへひじりのさしもたのもしげにまうしてくだりぬるのちは、ははうへ、めのとのにようばう、すこしこころもとりのべて、ひとへにくわんおんのおんたすけなりと、たのもしうおもはれつるに、このあかつきにもなりしかば、ははうへ、めのとのにようばうのこころのうち、さこそはたよりなかりけめ。ははうへ、めのとのにようばうにのたまひけるは、「あはれおとなしやかならんずるものが『みちにてひじりにゆきあはんところまで、このこをぐせよ』といへかし。もしこひうけてのぼらんに、さきにきられたらんずるこころうさをば、いかがせん。さてやがてうしなひげなりつるか」ととひたまへば、「このあかつきのほどとこそみえさせましましさふらへ。そのゆゑは、このほどおとのゐつかまつりさふらひつるほうでうのいへのこらうどうどもも、よになごりをしげにて、あるひはねんぶつまうすものもさふらふ、あるひはなみだをながすものもさふらふ」とまうす。ははうへ、「さてこのこがありさまはなにとあるぞ」ととひたまへば、「ひとのみまゐらせさふらふときは、さらぬていにもてないて、おんずずをくらせましましさふらふ。またひとのみまゐらせさふらはぬときは、かたはらにむかはせたまひて、おんそでをおんかほにおしあてて、なみだにむせばせたまひさふらふ」とまうす。ははうへ、「さぞあるらめ。としこそをさなけれども、こころすこしおとなしやかなるものなり。しばしもあらば、ほうでうとかやにいとまこうて、かへりまゐらんとはいひつれども、けふすでにはつかにあまるに、あれへもゆかず、これへもみえず。またいづれのひいづれのとき、かならずあひみるべしともおぼえず。こよひかぎりのいのちとおもうて、さこそはこころぼそかりけめ。さてなんぢらはいかがははからふやらん」とのたまへば、「これはいづくまでもおんともつかまつり、いかにもならせましまさば、ごこつをとりたてまつり、かうやのおやまにをさめたてまつり、しゆつけにふだうつかまつり、ごぼだいをとぶらひまゐらせんとこそぞんじさふらへ」とて、なみだにむせしづんでぞふしにける。かくてじこくはるかにおしうつりければ、ははうへ、「ときのほどもおぼつかなし、さらばとうかへれ」とのたまへば、ににんのものどもなくなくいとままうしてまかりいづ。さるほどにおなじきじふにんぐわつじふしちにちのあかつき、ほうでうのしらうときまさ、わかぎみぐしたてまつて、すでにみやこをたちにけり。さいとうご、さいとうろくも、おんこしのさうについてぞまゐりける。ほうでうのりかへどもおろいて、「むまにのれ」といへどものらず。

「さいごのおんともでさふらへば、くるしうもさふらはず」とて、ちのなみだをながいて、かちはだしでぞくだりける。わかぎみは、さしもはなれがたうおぼしけるははうへ、めのとのにようばうにもわかれはてて、すみなれしみやこをば、くもゐのよそにかへりみて、けふをかぎりのあづまぢにおもむいて、はるばるとくだられけんこころのうち、おしはかられてあはれなり。こまをはやむるぶしあれば、わがくびきらんかときもをけし、ものいひかはすものあれば、すはいまやとこころをつくす。しのみやがはらとおもへども、せきやまをもうちすぎて、おほつのうらにもなりにけり。あはづのはらかとうかがへば、けふもはやくれにけり。くにぐにしゆくじゆくうちすぎうちすぎくだりたまふほどに、するがのくににもなりしかば、わかぎみのつゆのおんいのち、けふをかぎりとぞみえし。

せんぼんのまつばらといふところに、おんこしかきすゑさせ、「わかぎみおりさせたまへ」とて、しきがはしいてすゑたてまつる。ほうでういそぎむまよりとんでおり、わかぎみのおんそばちかうまゐつてまうされけるは、「もしみちにてひじりにやゆきあひさふらふと、これまでぐそくしたてまつてさふらへども、やまのあなたまでは、鎌倉殿のごしんぢうもはかりがたうさふらへば、あふみのくににてうしなひまゐらせたるよし、ひろうつかまつりさふらはん。いちごふしよかんのおんみなれば、たれまうすとも、よもかなはせたまひさふらはじ」とまうされければ、わかぎみ、とかうのへんじにもおよびたまはず。さいとうご、さいとうろくをめしてのたまひけるは、「あなかしこ、なんぢらみやこへのぼり、われみちにてきられたりなどまうすべからず。そのゆゑは、つひにはかくれあるまじけれども、まさしうこのありさまをききたまひて、なげきかなしみたまはば、ごせのさはりともならんずるぞ。鎌倉までおくりつけてのぼつたるよしまうすべし」とのたまへば、ににんのものども、なみだをはらはらとながす。

ややあつてさいとうごなみだをおさへてまうしけるは、「きみのかみにもほとけにもならせたまひなんのち、いのちいきてふたたびみやこへかへりのぼるべしともぞんじさふらはず」とて、またなみだをおさへてふしにけり。わかぎみいまはかうとみえしとき、みぐしのかたにかかりけるを、ちひさううつくしきおんてをもつて、まへへかきこさせたまふを、しゆごのぶしどもみまゐらせて、「あないとほし、いまだおんこころのましますぞや」とて、みなよろひのそでをぞぬらしける。

そののちわかぎみ、にしにむかつててをあはせ、かうじやうにじふねんとなへさせたまひつつ、くびをのべてぞまたれける。かののくどうざうちかとし、きりてにえらまれ、たちをひきそばめ、ひだんのかたよりわかぎみのおんうしろにたちまはり、すでにきらんとしけるが、めもくれこころもきえはてて、いづくにかたなをうちつくべしともおぼえず、ぜんごふかくにおぼえければ、「つかまつともぞんじさふらはず。たにんにおほせつけられさふらへ」とて、たちをすててぞのきにける。「さらばあれきれ、これきれ」とて、きりてをえらぶところに、ここにすみぞめのころもきたりけるそういちにん、つきげなるむまにのつて、むちをうつてぞはせたりける。そのへんのものども、「あないとほし、あのまつばらのなかにて、よにうつくしきわかぎみを、ほうでう殿のただいまきりたてまつらるぞや」とて、ものども、ひしひしとはしりあつまりければ、このそうこころもとなさに、むちをあげてまねきけるが、なほもおぼつかなさに、きたるかさをぬいで、さしあげてぞまねきける。ほうでう、しさいありとてまつところに、このそうほどなくはせきたり、いそぎむまよりとんでおり、「わかぎみこひうけたてまつたり。鎌倉殿のみげうしよこれにあり」とてとりいだす。ほうでうこれをひらいてみるに、「まことや、こまつのさんみのちうじやうこれもりのきやうのしそく、六代御前たづねいだされてさふらふ。しかるをたかをのひじりもんがくばうの、しばしこひうけうどさふらふ。うたがひをなさずあづけらるべし。ほうでうのしらう殿へ、頼朝」とあそばいて、ごはんあり。ほうでうおしかへしおしかへし、にさんべんようで、「しんべうしんべう」とて、さしおかれければ、さいとうご、さいとうろくはいふにおよばず、ほうでうのいへのこらうどうどもも、みなよろこびのなみだをぞながしける。
 
 

8 泊瀬六代(はせろくだい)

さるほどに文覚坊もいできたり、「わかぎみこひうけたてまつたり」とて、きしよくまことにゆゆしげなり。「このわかぎみのちち、さんみのちうじやう殿は、どどのいくさのたいしやうぐんにておはしければ、たれまうすともいかにもかなふまじきよしのたまふあひだ、ひじりがこころをやぶらせたまひては、いかでかみやうがのほどもおはすべきなんど、さまざまあつこうまうしつれども、なほもかなふまじきよしのたまひて、なすののかりにいでたまひしあひだ、あまつさへもんがくもかりばのともして、やうやうにまうしてこひうけたてまつたり。いかにおそうおぼしつらんな」とのたまへば、ほうでうまうされけるは、「ひじりのはつかとおほせられし、やくそくのひかずもすぎぬ。いまは鎌倉殿おんゆるされもなきぞとこころえて、ぐしたてまつてくだりさふらふほどに、かしこうぞ、ただいまここにてあやまちつかまつるらんに」とて、くらおいてひかせられたりけるのりがへどもに、さいとうご、さいとうろくをのせてのぼせらる。

わがみもはるかにうちおくり、「いましばらくもおんともまうすべうさふらへども、これは鎌倉にさしてひろうつかまつるべきだいじどもあまたさふらふ」とて、それよりうちわかれてぞくだられける。まことになさけふかかりけり。さるほどにたかをのもんがくしやうにん、わかぎみうけとりたてまつて、よをひについでのぼるほどに、をはりのくにあつたのへんにて、ことしもすでにくれぬ。あくるしやうぐわついつかのよにいつて、みやこへのぼり、にでうゐのくまなるところに、もんがくばうのしゆくしよのありけるに、まづそれにおちついて、わかぎみしばらくやすめたてまつり、やはんばかりにだいかくじへいれたてまつり、もんをたたけども、ひとなければおともせず。わかぎみのかひたまひたりけるしろいえのこの、ついぢのくづれよりはしりいでて、ををふつてむかひけるに、わかぎみ、「ははうへはいづくにましますぞ」とのたまひけるこそいとほしけれ。さいとうご、さいとうろく、あんないはしつたり、ついぢをこえ、もんをあけていれたてまつる。

ちかうひとのすんだるところともみえず。わかぎみ、「ひとめもはぢず、いのちのをしうさふらふも、ははうへをいまいちどみばやとおもふためなり。いまはいきてもなににかはせん」とて、もだえこがれたまひけり。そのよはそこにてまちあかし、あけてのち、きんりのひとにたづぬれば、「としのうちはだいぶつまうでときこえさせたまひし。しやうぐわつのほどは、はせでらにおんこもりとこそうけたまはりさふらへ」とまうしければ、さいとうろくいそぎはせへくだり、ははうへにこのよしかくとまうしければ、ははうへとるものもとりあへず、いそぎみやこへのぼり、だいかくじへぞおはしたる。ははうへ、わかぎみをただひとめみたまひて、「いかに六代御前、これはゆめかやうつつか。はやはやしゆつけしたまへ」とのたまへども、もんがくをしみたてまつて、ごしゆつけをばせさせたてまつらず。すぐにたかをへむかへとつて、かすかなるははうへをもはぐくみけるとぞきこえし。くわんおんのだいじだいひは、つみあるをもつみなきをも、たすけたまふことなれば、じやうだいにはかかるためしもやあるらん。ありがたかりしことどもなり。
 
 

9 六代斬られ(ろくだいきられ)

さるほどに六代御前、やうやうおひたちたまふほどに、じふしごにもなりたまへば、いとどみめかたちうつくしく、あたりもてりかかやくばかりなり。ははうへこれをみたまひて、「よのよにてあらましかば、たうじはこんゑづかさにてあらんずるものを」とのたまひけるこそあまりのことなれ。鎌倉殿、びんぎごとに、たかをのひじりのもとへ、「さてもあづけたてまつしこまつのさんみのちうじやうこれもりのきやうのしそく、六代御前は、いかやうのひとにてさふらふやらん。むかし頼朝をさうしたまひしやうに、てうのをんできをもたひらげ、ちちのはぢをもきよむべきほ殿じんやらん」とまうされければ、もんがくばうのへんじに、「これはいつかうそこもなきふかくじんにてさふらふぞ。おんこころやすくおぼしめされさふらへ」とまうされけれども、鎌倉殿なほもこころゆかずげにて、「むほんおこさば、やがてかたうどすべきひじりのおんばうなり。さりながらも頼朝いちごがあひだは、たれかかたむくべき、しそんのすゑはしらず」とのたまひけるこそおそろしけれ。

ははうへこのよしをききたまひて、「いかにや六代御前、はやはやしゆつけしたまへ」とありしかば、しやうねんじふろくとまうししぶんぢごねんのはるのころ、さしもうつくしきおんぐしを、かたのまはりにはさみおろし、かきのころも、かきのはかま、おひなどよういして、やがてしゆぎやうにこそいでられけれ。さいとうご、さいとうろくも、おなじさまにいでたつて、おんともにぞまゐりける。まづかうやへのぼり、ぜんぢしきしたまひけるたきぐちにふだうにたづねあひ、ごしゆつけのさま、ごりんじうのありさま、くはしうたづねとひ、かつうはそのあともなつかしとて、くまのへこそまゐられけれ。はまのみやとまうしたてまつるわうじのおんまへより、ちちのわたりたまひたりしやまなりのしまみわたいて、わたらまほしくはおもはれけれども、なみかぜむかうてかなはねば、ちからおよびたまはず、ながめやりたまふに、わがちちはいづくにかしづみたまひけんと、おきよりよするしらなみにも、とはまほしうぞおもはれける。

はまのまさごもちちのごこつやらんとなつかしくて、なみだにそではしをれつつ、しほくむあまのころもならねど、かはくまなくぞみえられける。渚にいちやとうりうし、よもすがらきやうよみねんぶつして、ゆびのさきにてはまのまさごにほとけのすがたをかきあらはし、あけければ、そうをしやうじ、さぜんのくどくさながらしやうりやうにとゑかうして、みやこへかへりのぼられけんこころのうち、おしはかられてあはれなり。そのころのしゆしやうは、ごとばのゐんにてましましけるが、ぎよいうをのみむねとせさせおはします。

せいだうはいつかうきやうのつぼねのままなりければ、ひとのうれへなげきもやまず。ごわうけんかくをこのみしかば、てんがにきずをかうむるともがらたえず、そわうさいえうをあいせしかば、きうちうにうゑてしするをんなおほかりき。かみのこのむことに、しもはしたがふならひなれば、よのあやふきありさまをみては、こころあるひとのなげきかなしまぬはなかりけり。なかにもにのみやとまうすは、せいだうをもつぱらとせさせたまひて、おんがくもんおこたらせたまはねば、もんがくはおそろしきひじりにて、いろふまじきことをのみいろひたまへり。いかにもして、このきみをくらゐにつけたてまつらばやとおもはれけれども、頼朝のきやうのおはしけるほどは、おもひもたたれず。かくてけんきうじふねんしやうぐわつじふさんにち、頼朝のきやうとしごじふさんにてうせたまひしかば、もんがくやがてむほんをおこされけるが、たちまちにもれきこえて、もんがくばうのしゆくしよにでうゐのくまなるところに、くわんにんどもあまたつけられて、はちじふにあまつてからめとられて、つひにおきのくにへぞながされける。

文覚、京を出づるとて、「これほどにおいのなみにたつて、今日明日を知らぬ身を、たとひちよくかんなればとて、みやこのかたほとりにもおかずして、はるばるとおきのくにまでながされけるぎつちやうくわじやこそやすからね。いかさまにもわがながさるるくにへ、むかへとらんずるものを」と、をどりあがりをどりあがりぞまうしける。このきみはあまりにぎつちやうのたまをあいせさせたまふあひだ、もんがくかやうにはあつこうまうしけるなり。そののちじようきうにごむほんおこさせたまひて、くにこそおほけれ、はるばるとおきのくにまでうつされさせましましける、しゆくえんのほどこそふしぎなれ。そのくににてもんがくがばうれいあれて、おそろしきことどもおほかりけり。つねは御前へもまゐり、おんものがたりどもまうしけるとぞきこえし。さるほどに六代御前は、さんみのぜんじとて、たかをのおくにおこなひすましておはしけるを、鎌倉殿、「さるひとのこなり、さるもののでしなり。たとひかしらをばそりたまふとも、こころをばよもそりたまはじ」とて、めしとつてうしなふべきよし、鎌倉殿より公家へ奏聞申うされたりければ、やがてあん判官すけかぬにおほせてめしとつて、つひに関東へぞくだされける。するがのくにのぢうにん、をかべのごんのかみやすつなにおほせて、さがみのくにたごえがはのはたにて、つひにきられにけり。じふにのとしより、さんじふにあまるまでたもちけるは、ひとへにはせのくわんおんのごりしやうとぞきこえし。さんみのぜんじきられてのち、平家の子孫は永く絶えにけり。
 
 
 

巻第十二 了



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2000.11.20
2001.10.08Hsato

原テキスト作成 荒山慶一氏

荒山氏のURLは以下の所にある。

平家物語協会(Heike Academy International)
http://www.cometweb.ne.jp/ara/

佐藤弘弥一部改変中