平家物語 巻第十一  (流布本元和九年本)
 
 

1 逆櫨(さかろ)

元暦二年正月十日、九郎大夫の判官義経院参して、大蔵卿泰経朝臣をもつて、奏聞せられけるは、「平家はしんめいにもはなたれたてまつり、きみにもすてられまゐらせて、ていとをいでてなみのうへにただよふおちうととなれり。しかるをこのさんがねんがあひだ、せめおとさずして、おほくのくにぐにをふさげられぬることこそくちをしうさふらへ。こんど義経においては、きかい、かうらい、けいたん、くものはて、うみのはてまでも、平家をほろぼさざらんかぎりは、わうじやうへかへるべからざる」よし、奏聞せられたりければ、ほふわうおほきにぎよかんあつて、あひかまへてよをひについで、しようぶをけつすべきよしおほせくださる。判官しゆくしよにかへつて、東国の侍どもにむかつてのたまひけるは、「こんど義経こそ院宣をうけたまはり、鎌倉殿の御代官として、平家追討のために、西国へはつかうすなれ。くがはこまのひづめのかよはんをかぎり、うみはろかいのたたんところまで、せめゆくべし。

それにすこしもしさいをぞんぜんひとびとは、これよりとうとう鎌倉へくだるべし」とぞのたまひける。さるほどに八島には、ひまゆくこまのあしはやくして、しやうぐわつもたち、にんぐわつにもなりぬ。はるのくさくれて、あきのかぜにおどろき、あきのかぜやんで、またはるのくさにもなれり。おくりむかへて、すでにみとせになりにけり。平家讃岐の八島へわたりたまひてのちも、東国よりあらてのぐんびやうすまんぎ、みやこについてせめくだるともきこゆ。またちんぜいより、うすき、へつき、松浦党どうしんして、おしわたるともきこえけり。かれをききこれをきくにも、ただみみをおどろかし、きもたましひをけすよりほかのことぞなき。

女院、きたのまんどころ、二位殿いげの女房たちさしつどひたまひて、こんどわがかたざまに、いかなるうきことをきき、いかなるうきめをかみんずらんと、なげきあひかなしみあはれけり。なかにも新中納言知盛のきやうののたまひけるは、「東国ほつこくのきようとらも、ずゐぶんぢうおんをかうぶつたりしかども、たちまちにおんをわすれ、ちぎりをへんじて、頼朝義仲らにしたがひき。まして西国とても、さこそはあらんずらめとおもひしかば、ただみやこのうちにて、いかにもならせたまへと、さしもまうしつるものを。わがみひとつのことならねば、こころよわうあこがれいでて、けふはかかるうきめをみるくちをしさよ」とぞのたまひける。まことにことわりとおぼえてあはれなり。さるほどににんぐわつみつかのひ、九郎大夫の判官義経、みやこをたつて、つのくにわたなべ、ふくしまりやうしよにてふなぞろへし、八島へすでによせんとす。あにのみかはのかみのりよりも、どうにちにみやこをたつて、これもつのくにかんざきにて、ひやうせんそろへて、せんやうだうへおもむかんとす。おなじきとをかのひ、いせ、いはしみづへくわんぺいしをたてらる。しゆしやうならびにさんじゆのしんき、ことゆゑなうみやこへかへしいれたてまつるべきよし、じんぎくわんのくわんにん、もろもろのしやし、ほんぐう、ほんじやにてきせいまうすべきむねおほせくださる。おなじきじふろくにち、わたなべ、ふくしまりやうしよにて、そろへたりけるふねどもの、ともづなすでにとかんとす。をりふしきたかぜきををつて、はげしうふいたりければ、ふねどもみなうちそんぜられていだすにおよばず。しゆりのために、そのひはとどまりぬ。

さるほどにわたなべには東国のだいみやうせうみやうよりあひて、「そもそもわれらふないくさのやうはいまだてうれんせず。いかがせん」とひやうぢやうす。梶原すすみいでて、「こんどのふねには、逆櫨をたてさふらはばや」とまうす。判官、「逆櫨とはなんぞ」。梶原、「むまはかけんとおもへばかけ、ひかんとおもへばひき、ゆんでへもめてへもまはしやすうさふらふが、ふねはさやうのとき、きつとおしまはすがだいじでさふらへば、ともへにろをたてちがへ、わいかぢをいれて、どなたへもまはしやすいやうにしさふらはばや」とまうしければ、判官、「まづかどでのあしさよ。いくさにはひとひきもひかじとおもふだに、あはひあしければひくはつねのならひなり。ましてさやうににげまうけせんに、なじかはよかるべき。とのばらのふねには、逆櫨をもかへさまろをも、ひやくちやうせんぢやうもたてたまへ。義経はただもとのろでさふらはん」とのたまへば、梶原かさねて、「よきたいしやうぐんとまうすは、かくべきところをもかけ、ひくべきところをもひき、みをまつたうして、かたきをほろぼすをもつて、よきたいしやうとはしたるざふらふ。さやうにかたおもむきなるをば、ゐのししむしやとて、よきにはせず」とまうす。判官、「ゐのししかのししはしらず、いくさはただひらぜめにせめて、かつたるぞここちはよき」とのたまへば、東国のだいみやうせうみやう、梶原におそれて、たかくはわらはねども、めひきはなひき、ききめきあへり。そのひ判官と梶原と、すでにどしいくさせんとす。されどもいくさはなかりけり。判官、「ふねどものしゆりして、あたらしうなつたるに、おのおのいつしゆいつぺいして、いはひたまへ、とのばら」とて、いとなむていにもてなし、ふねにひやうらうまいつみ、もののぐいれ、むまどもたてさせ、「ふねとうつかまつれ」とのたまへば、すゐしゆかんどりども、「これはじゆんぷうにてはさふらへども、ふつうにはすこしすぎてさふらふ。おきはさぞふいてさふらふらん」とまうしければ、判官おほきにいかつて、「かいしやうにいでうかうだるとき、かぜこはければとてとどまるべきか。のやまのすゑにてしに、うみかはにおぼれてうするも、みなこれぜんぜのしゆくごふなり。

むかひかぜにわたらんといはばこそ、義経がひがごとならめ。じゆんぷうなるが、ふつうにすこしすぎたればとて、これほどのおんだいじに、ふねつかまつらじとは、いかでかまうすぞ。ふねとうつかまつれ。つかまつらずは、しやつばらいちいちにいころせ、ものども」とぞげぢしたまひける。「うけたまはつてさふらふ」とて、いせのさぶらうよしもり、奥州の佐藤三郎兵衛継信、おなじき四郎兵衛忠信、えだのげんざう、くまゐたらう、むさしばうべんけいなどいふ、いちにんたうぜんのつはものども、「ごぢやうであるぞ、ふねとうつかまつれ。つかまつらずは、おのればらいちいちにいころさん」とて、かたてやはげて、はせまはるあひだ、すゐしゆかんどりども、「ここにていころされんもおなじこと、かぜこはくば、おきにてはせじににもしねや、ものども」とて、にひやくよそうがなかよりも、ただごそういでてぞはしりける。ごそうのふねとまうすは、まづ判官のふね、つぎにたしろのくわんじやのふね、ごとう兵衛ふし、かねこきやうだい、よどのがうないただとしとて、ふなぶぎやうののつたるふねなりけり。のこりのふねは、梶原におそるるか、かぜにおづるかしていでざりけり。判官、「ひとのいでねばとて、とどまるべきにあらず。つねのときはかたきもおそれて、ようじんすらん。かかるおほかぜおほなみに、おもひもよらぬところへよせてこそ、おもふかたきをばうたんずれ」とぞのたまひける。

判官、「おのおののふねにかがりなともいそ。ひかずおほうみえば、かたきもおそれてようじんしてんずぞ。義経がふねをほんぶねとして、ともへのかがりをまぼれ」とて、よもすがらわたるほどに、みつかにわたるところを、ただみときばかりにぞはしりける。にんぐわつじふろくにちのうしのこくに、つのくにわたなべ、ふくしまをいでて、あくるうのこくには、あはのぢへこそふきつけけれ。
 
 

2 勝浦合戦(かつうらかつせん 付おほざかごえ)

あけければ、なぎさにはあかはたせうせうひらめいたり。判官、「すはわれらがまうけをばしたりけるぞ。なぎさちかうなつて、むまどもおひおろさんとせば、かたきのまとになつていられなんず。なぎさちかうならぬさきに、ふねどものりかたぶけのりかたぶけ、むまどもおひおろしおひおろし、ふねにひきつけひきつけおよがせよ。むまのあしたち、くらづめひたるほどにもならば、ひたひたとうちのつて、かけよ、ものども」とぞげぢしたまひける。ごそうのふねには、ひやうらうまいつみ、もののぐいれたりければ、むまかずごじふよひきぞたてたりける。あんのごとくなぎさちかうなりしかば、ふねどものりかたぶけのりかたぶけ、むまどもおひおろしおひおろし、ふねにひきつけひきつけおよがす。

むまのあしたち、くらづめひたるほどにもなりしかば、ひたひたとうちのつて、判官ごじふよき、をめいてさきをかけたまへば、なぎさにひかへたりけるひやくきばかりのつはものども、しばしもたまらず、にちやうばかりざつとひいてひかへたり。判官なぎさにあがり、じんばのいきやすめておはしけるが、伊勢三郎義盛をめして、「あのせいのなかに、さりぬべきものあらば、いちにんぐしてまゐれ。たづぬべきことあり」とのたまへば、よしもりかしこまりうけたまはつて、ひやくきばかりのせいのなかへ、ただいつきかけいつて、なんとかいひたりけん、としのよはひしじふばかんなるをのこの、くろかはをどしの鎧きたるを、兜をぬがせ、ゆみのつるはづさせ、かうにんにぐしてまゐりたり。判官、「あれはなにものぞ」とのたまへば、「たうごくのぢうにんばんざいのこんどうろくちかいへ」となのりまうす。判官、「たとひなにいへにてもあらばあれ、しやつにめはなすな。もののぐなぬがせそ。やがて八島へのあんないしやにぐせんずるぞ。にげてゆかばいころせ、ものども」とぞげぢしたまひける。判官ちかいへをめして、「ここをばいづくといふぞ」ととひたまへば、「かつうらとまうしさふらふ」。判官わらつて、「しきだいな」とのたまへば、「いちぢやうかつうらざふらふ。

げらふのまうしやすきままに、かつらとはまうせども、もじにはかつうらとかいてさふらふ」とまうしければ、判官なのめならずによろこびたまひて、「あれききたまへとのばら、いくさしにむかふ義経が、かつうらにつくめでたさよ。もしこのへんに平家のうしろやいつべきじんはたれかある」とのたまへば、「あはのみんぶしげよしがおとと、さくらばのすけよしとほとてさふらふ」とまうす。「いざさらばけちらしてとほらん」とて、こんどうろくがせいのひやくきばかりがなかより、むまやひとをすぐつて、さんじつきばかり、わがせいにこそぐせられけれ。よしとほがじやうにおしよせてみたまへば、さんばうはぬま、いつぽうはほりなり。ほりのかたよりおしよせて、ときをどつとぞつくりける。じやうのうちのつはものども、「ただいとれやいとれ」とて、さしつめひきつめさんざんにいけれども、源氏のつはものどもこれをことともせず、ほりをこえ、兜のしころをかたぶけて、をめきさけんでせめければ、よしとほかなはじとやおもひけん、いへのこらうどうどもにふせぎやいさせ、わがみはくつきやうのむまをもつたりければ、それにうちのり、けうにしておちにけり。のこりとどまつてふせぎやいけるつはものども、にじふよにんがくびきりかけさせ、いくさがみにまつり、よろこびのときをつくり、「かどでよし」とぞよろこばれける。

「おほさかごえ」判官またばんざいのこんどうろくちかいへをめして、「八島には平家のせいいかほどあるぞ」ととひたまへば、「せんぎにはよもすぎさふらはじ」とまうす。判官、「などすくないぞ」。「かやうにしこくのうらうらしまじまに、ごじつきひやくきづつさしおかれてさふらふ。そのうへあはのみんぶしげよしがちやくし、でんないざゑもんのりよしは、いよのかはののしらうが、めせどもまゐらぬをせめんとて、さんぜんよきで、いよへこえてさふらふ」とまうす。判官、「さてはよきひまござんなれ。これより八島へは、いかほどあるぞ」とのたまへば、「ふつかぢでさふらふ」とまうす。「いざさらばかたきのきかぬさきによせん」とて、はせつひかへつ、かけつあゆませつ、あはと讃岐のさかひなる、おほさかごえといふやまを、よもすがらこそこえられけれ。そのよのやはんばかりに、たてぶみもつたるをとこいちにん、判官にゆきつれたり。よるのことではあり、かたきとはゆめにもしらず、みかたのつはものどもの八島へまゐるとやおもひけん、うちとけてものがたりをぞしける。判官、「われも八島にまゐるが、あんないをしらぬぞ。じんじよせよ」とのたまへば、「このをとこはたびたびまゐつて、あんないよくぞんじてさふらふ」とまうす。判官、「さてそのふみは、いづくよりいづかたへまゐらせらるるぞ」とのたまへば、「これはきやうより女房の、八島の大臣殿へまゐらせられさふらふ」。「さてなにごとにや」ととひたまへば、「べつのしさいでは、よもさふらはじ。

源氏すでによどがはじりにいでうかうでさふらへば、さだめてそれをこそつげまうされさふらふらめ」とまうしければ、判官、「げにさぞあるらん。そのふみうばへ」とて、もつたるふみをうばひとらせ、「しやつからめよ。つみつくりにくびなきつそ」とて、やまなかのきにしばりつけさせてこそとほられけれ。判官さてかのふみをあけてみたまへば、まことに女房のふみとおぼしくて、「九郎はすすどきをのこなれば、いかなるおほかぜおほなみをもきらひさぶらはで、よせさぶらふらんとおぼえさぶらふ。あひかまへておんせいどもちらさせたまはで、よくよくようじんせさせたまへ」とぞかかれたる。判官、「これは義経に、てんのあたへたまふふみや。鎌倉どのにみせまうさん」とて、ふかうをさめてぞおかれける。あくるじふはちにちのとらのこくに、讃岐のくにひけたといふところにおちついて、じんばのいきをぞやすめける。それよりしろとり、にふのや、うちすぎうちすぎ、八島のじやうへぞよせたまふ。判官またちかいへをめして、「これより八島へのたちは、いかやうなるぞ」ととひたまへば、「しろしめされねばこそ。むげにあさまにさふらふ。しほのひてさふらふときは、くがとしまとのあひだは、むまのふとばらもつかりさふらはず」とまうす。「かたきのきかぬさきに、さらばとうよせよや」とて、たかまつのざいけにひをかけて、八島のじやうへぞよせられける。

さるほどに八島には、あはのみんぶしげよしがちやくし、でんないざゑもんのりよしは、いよのかはののしらうが、めせどもまゐらぬをせめんとて、さんぜんよきで、いよへこえたりしが、かはのをばうちもらしぬ。いへのこらうどうひやくごじふにんがくびきつて、八島のだいりへまゐらせたるを、「だいりにて、ぞくしゆのじつけんしかるべからず」とて、大臣殿のおんしゆくしよにて、くびどものじつけんしておはしけるところに、ものども、「たかまつのざいけよりひいできたり」とて、ひしめきけり。「ひるでさふらへば、てあやまちにては、よもさふらはじ。いかさまにも、かたきのよせてひをかけたるとおぼえさふらふ。さだめておほぜいでぞさふらふらん。とりこめられてはかなひさふらふまじ。とうとうめさるべくさふらふ」とて、奏聞のまへのみぎはに、いくらもつけならべたるふねどもに、われもわれもとあわてのりたまふ。ごしよのおんふねには、女院、きたのまんどころ、二位殿いげの女房たちめされけり。大臣殿ふしは、ひとつふねにぞのりたまふ。そのほかのひとびとは、おもひおもひにとりのつて、あるひはいつちやうばかり、あるひはしちはつたんごろくたんなど、こぎいだしたるところに、源氏のつはものども、ひた兜しちはちじつき、奏聞のまへのなぎさに、つつとぞうちいでたる。しほひがたの、をりふししほひるさかりなりければ、むまのからすがしら、むながいづくし、ふとばらにたつところもあり、それよりあさきところもあり。けあぐるしほのかすみとともに、しぐらうだるなかより、しらはたざつとさしあげたれば、平家はうんつきて、おほぜいとこそみてげれ。判官かたきにこぜいとみえじとて、ごろつき、しちはつき、じつきばかり、うちむれうちむれいできたり。
 
 

3 継信最期(つぎのぶさいご)

判官その日の装束には、赤地の錦の直垂に、紫裾濃(むらさきすそご)の鎧きて、くはがたうつたる兜のををしめ、こがねづくりのたちをはき、にじふしさいたるきりふのやおひ、しげどうのゆみのまんなかとり、おきのかたをにらまへ、だいおんじやうをあげて、「いちゐんのおんつかひ、けんびゐしごゐのじようみなもとの義経」となのる。つぎになのるは、いづのくにのぢうにん、たしろのくわんじやのぶつな、つづいてなのるは、むさしのくにのぢうにん、かねこのじふらういへただ、おなじきよいちちかのり、伊勢三郎義盛とぞなのつたる。つづいてなのるは、ごとう兵衛さねもと、しそくしん兵衛のじようもときよ、奥州の佐藤三郎兵衛継信、おなじき四郎兵衛忠信、えだのげんざう、くまゐたらう、むさしばうべんけいなどいふいちにんたうぜんのつはものども、こゑごゑになのつてはせきたる。平家のかたには、これをみて、「あれいとれや、いとれ」とて、あるひはとほやにいるふねもあり、あるひはさしやにいるふねもあり。源氏のかたのつはものども、これをことともせず、ゆんでになしては、いてとほり、めてになしては、いてとほる。あげおいたるふねどものかげを、むまやすめどころとして、をめきさけんでせめたたかふ。

「継信さいご」なかにもごとう兵衛さねもとは、ふるづはものにてありければ、いそのいくさをばせず、まづだいりへみだれいり、てんでにひをはなつて、へんしのけぶりとやきはらふ。大臣殿、侍どもに、「源氏がせいはいかほどあるぞ」ととひたまへば、「しちはちじつきにはよもすぎさふらはじ」。「あなこころうや、かみのすぢをひとすぢづつ、わけてとるとも、このせいにはたるまじかりつるものを。なかにもとりこめてうたずして、あわててふねにのつて、だいりをやかせぬることこそくちをしけれ。能登殿はおはせぬか、くがにあがつて、ひといくさしたまへかし」とのたまへば、「うけたまはりさふらふ」とて、ゑつちうのじらう兵衛もりつぎをさきとして、つがふごひやくよにん、小舟にのり、やきはらひたる僧門のまへのみぎはにおしよせてぢんをとる。判官もはちじふよき、やごろによせてひかへたり。平家のかたより、ゑつちうのじらう兵衛、ふねのやかたにすすみいで、だいおんじやうをあげて、「そもそもいぜんなのりたまひつるとはききつれども、かいじやうはるかにへだたつて、そのけみやうじつみやうぶんみやうならず。けふの源氏のたいしやうぐんは、たれびとにてましますぞ。なのりたまへ」といひければ、いせのさぶらうすすみいでて、「あなこともおろかや、せいわてんわうにじふだいのこういん、鎌倉どののおんおとと、大夫の判官どのぞかし」。もりつぎきいて、「さることあり。

さんぬるへいぢのかつせんに、ちちうたれてみなしごにてありしが、くらまのちごして、のちにはこがねあきんどのしよじうとなり、らうれうせおうて、おくのかたへおちくだりし、そのこくわんじやめがことか」とぞいひける。よしもりあゆませよつて、「したのやはらかなるままに、きみのおんことなまうしそ。さいふわひとどもこそ、ほつこくとなみやまのいくさにうちまけ、からきいのちいきつつ、ほくろくだうにさまよひ、こつじきしてのばつたりし、そのひとか」とぞいひける。もりつぎかさねて、「きみのごおんにあきみちて、なんのふそくあつてか、こつじきをばすべき。さいふわひとどもこそ、いせのくにすずかやまにてやまだちし、さいしをもはぐくみ、わがみもしよじうも、すぎけるとはききしか」といひければ、かねこのじふらうすすみいでて、「せんないとのばらのざふごんかな。われもひともそらごといひつけ、ざふごんせんに、たれかはおとるべき。こぞのはる、つのくにいちのたににて、むさしさがみのわかとのばらの、てなみのほどをばみてんものを」といふところに、おととのよいち、そばにありけるが、いはせもはてず、じふにそくみつぶせとつてつがひ、よつぴいてひやうどはなつ。じらう兵衛が鎧のむないたに、うらかくほどにぞたつたりける。さてこそたがひのことばだたかひはやみにけれ。
能登殿、「ふないくさはやうあるものぞ」とて、鎧びたたれをばきたまはず、からまきぞめのこそでに、からあやをどしの鎧きて、いかものづくりのたちをはき、にじふしさいたる、たかうすべうのやおひ、しげどうのゆみをもちたまへり。わうじやういちのつよゆみせいびやうなりければ、能登殿のやさきにまはるもの、いちにんもいおとされずといふことなし。なかにも源氏のたいしやうぐん、九郎義経を、ただひとやにいおとさんと、ねらはれけれども、源氏のかたにもこころえて、伊勢三郎義盛、奥州の佐藤三郎兵衛継信、おなじきしらう兵衛ただのぶ、えだのげんざう、くまゐたらう、むさしばうべんけいなどいふ、いちにんたうぜんのつはものども、むまのかしらをいちめんにたてならべて、たいしやうぐんのやおもてにはせふさがりければ、能登殿もちからおよびたまはず。能登殿、「そこのきさふらへ、やおもてのざふにんばら」とて、さしつめひきつめさんざんにいたまへば、やにはに鎧むしやじつきばかりいおとさる。

なかにもまつさきにすすんだる奥州の佐藤三郎兵衛継信は、ゆんでのかたよりめてのわきへ、つといぬかれて、しばしもたまらず、むまよりさかさまにどうどおつ。能登殿のわらはに、きくわうまるといふだいぢからのかうのもの、もよぎをどしのはらまきに、さんまい兜のををしめ、うちもののさやをはづいて、継信がくびをとらんと、とんでかかるを、ただのぶそばにありけるが、あにがくびをとらせじと、よつぴいてひやうどはなつ。きくわうまるがくさずりのはづれを、あなたへ、つといぬかれて、いぬゐにたふれぬ。能登殿これをみたまひて、ひだんのてにはゆみをもちながら、みぎのてにて、きくわうまるをつかんで、ふねへからりとなげいれたまふ。かたきにくびはとられねども、いたでなればしににけり。このわらはとまうすは、もとはゑちぜんのさんみみちもりのきやうのわらはなり。しかるをさんみうたれたまひてのち、おとと能登殿にぞつかはれける。しやうねんじふはつさいとぞきこえし。

能登殿このわらはをうたせて、あまりにあはれにおもはれければ、そののちはいくさをもしたまはず。判官は、継信をぢんのうしろへかきいれさせ、いそぎむまよりとんでおり、てをとつて、「いかがおぼゆる、三郎兵衛」とのたまへば、「いまはかうにこそさふらへ」。「このよにおもひおくことはなきか」とのたまへば、「べつになにごとをかおもひおきさふらふべき。さはさふらへども、きみのおんよにわたらせたまふをみまゐらせずして、しにさふらふこそこころにかかりさふらへ。ささふらはでは、ゆみやとりは、かたきのやにあたつてしぬること、もとよりごするところでこそさふらへ。なかんづくげんぺいのごかつせんに、奥州の佐藤三郎兵衛継信といひけんもの、讃岐のくに八島のいそにて、しゆのおんいのちにかはりて、うたれたりなど、まつだいまでのものがたりに、まうされんこそ、こんじやうのめんばく、めいどのおもひでにてさふらへ」とて、ただよわりにぞよわりける。判官はたけきもののふなれども、あまりにあはれにおもひたまひて、鎧のそでをかほにおしあてて、さめざめとぞなかれける。「もしこのへんにたつときそうやある」とて、たずねいださせ、「ておひのただいましにさふらふに、いちにちぎやうかいてとぶらひたまへ」とて、くろきむまのふとうたくましきに、よいくらおいて、かのそうにぞたびにける。このむまは、判官ごゐのじようになられしとき、これをもごゐになして、大夫ぐろとよばれしむまなり。いちのたにのうしろ、ひよどりごえをも、このむまにてぞおとされける。おととただのぶをはじめとして、これをみる侍ども、みななみだをながして、「このきみのおんために、いのちをうしなはんことは、まつたくつゆちりほどもをしからず」とぞまうしける。
 
 

4 那須与一(なすのよいち)

さるほどにあは讃岐に平家をそむいて、源氏をまちけるつはものども、あそこのみね、ここのほらより、じふしごきにじつき、うちつれうちつれはせきたるほどに、判官ほどなくさんびやくよきになりたまひぬ。「けふはひくれぬ、しようぶをけつすべからず」とて、げんぺいたがひにひきしりぞくところに、おきよりじんじやうにかざつたる小舟いつそう、みぎはへむいてこぎよせ、なぎさよりしちはつたんばかりにもなりしかば、ふねをよこさまになす。「あれはいかに」とみるところに、ふねのうちよりとしのよはひじふはつくばかんなる女房の、やなぎのいつつぎぬに、くれなゐのはかまきたるが、みなぐれなゐのあふぎの、ひいだしたるを、ふねのせがいにはさみたて、くがへむいてぞまねきける。判官ごとう兵衛さねもとをめして、「あれはいかに」とのたまへば、「いよとにこそさふらふらめ。ただしたいしやうぐんのやおもてにすすんで、けいせいをごらんぜられんところを、てだれにねらうていおとせとのはかりごととこそぞんじさふらへ。

さりながらあふぎをば、いさせらるべうもやさふらふらん」とまうしければ、判官、「みかたにいつべきじんは、たれかある」ととひたまへば、「てだれどもおほうさふらふなかに、しもづけのくにのぢうにん、なすのたらうすけたかがこに、よいちむねたかこそ、こひやうではさふらへども、てはきいてさふらふ」とまうす。判官、「しようこがあるか」。「さんざふらふ。かけどりなどをあらそうて、みつにふたつは、かならずいおとしさふらふ」とまうしければ、判官、「さらば、よいちよべ」とてめされけり。よいちそのころは、いまだはたちばかんのをのこなり。かちに、赤地のにしきをもつて、おほくびはたそでいろへたる直垂に、もよぎをどしの鎧きて、あしじろのたちをはき、にじふしさいたるきりふのやおひ、うすぎりふに、たかのはわりあはせて、はひだりける、ぬためのかぶらをぞさしそへたる。しげどうのゆみわきにはさみ、兜をばぬいでたかひもにかけ、判官のおんまへにかしこまる。

判官、「いかによいち、あのあふぎのまんなかいて、かたきにけんぶつせさせよかし」とのたまへば、よいち、「つかまつともぞんじさふらはず。これをいそんずるものならば、ながきみかたのおんゆみやのきずにてさふらふべし。いちぢやうつかまつらうずるじんに、おほせつけらるべうもやさふらふらん」とまうしければ、判官おほきにいかつて、「こんど鎌倉をたつて、西国へむかはんずるものどもは、みな義経がげぢをそむくべからず。それにすこしもしさいをぞんぜんひとびとは、これよりとうとう鎌倉へかへらるべし」とぞのたまひける。よいちかさねてじせば、あしかりなんとやおもひけん、「ささふらはば、はづれんをばぞんじさふらはず、ごぢやうでさふらへば、つかまつてこそみさふらはめ」とて、おんまへをまかりたち、くろきむまのふとうたくましきに、まろぼやすつたるきんぷくりんのくらおいてのつたりけるが、ゆみとりなほし、たづなかいくつて、みぎはへむいてぞあゆませける。

みかたのつはものども、よいちがうしろをはるかにみおくつて、「このわかもの、いちぢやうつかまつらうずると、おぼえさふらふ」とまうしければ、判官もたのもしげにぞみたまひける。やごろすこしとほかりければ、うみのなかいつたんばかりうちいれたりけれども、なほあふぎのあはひは、しちたんばかりもあるらんとこそみえたりけれ。ころはにんぐわつじふはちにちとりのこくばかんのことなるに、をりふしきたかぜはげしうふきければ、いそうつなみもたかかりけり。ふねはゆりあげゆりすゑただよへば、あふぎもくしにさだまらず、ひらめいたり。おきには平家ふねをいちめんにならべてけんぶつす。くがには源氏くつばみをならべてこれをみる。いづれもいづれもはれならずといふことなし。よいちめをふさいで、「なむはちまんだいぼさつ、べつしてはわがくにのしんめい、につくわうのごんげん、うつのみや、なすのゆぜんだいみやうじん、ねがはくは、あのあふぎのまんなかいさせてたばせたまへ。

これをいそんずるものならば、ゆみきりをりじがいして、ひとにふたたびおもてをむかふべからず。いまいちどほんごくへかへさんとおぼしめさば、このやはづさせたまふな」と、こころのうちにきねんして、めをみひらいたれば、かぜもすこしふきよわつて、あふぎもいよげにこそなつたりけれ。よいちかぶらをとつてつがひ、よつぴいてひやうどはなつ。こひやうといふでう、じふにそくみつぶせ、ゆみはつよし、かぶらはうらひびくほどにながなりして、あやまたずあふぎのかなめぎは、いつすんばかりおいて、ひいふつとぞいきつたる。かぶらはうみへいりければ、あふぎはそらへぞあがりける。はるかぜにひともみふたもみもまれて、うみへさつとぞちつたりける。みなぐれなゐのあふぎの、ゆふひのかかやくに、しらなみのうへにただよひ、うきぬしづみぬゆられけるを、おきには平家ふなばたをたたいてかんじたり。くがには源氏えびらをたたいて、どよめきけり。
 
 

5 弓流し(ゆみながし)

あまりのおもしろさに、かんにたへずやおもひけん、ふねのうちより、としのよはひごじふばかんなるをのこの、くろかはをどしの鎧きたるが、しらえのなぎなたつゑにつき、あふぎたてたるところにたつて、まひすましたり。伊勢三郎義盛、よいちがうしろにあゆませよつて、「ごぢやうであるぞ。これをもまたつかまつれ」といひければ、よいちこんどはなかざしとつてつがひ、よつぴいてひやうどはなつ。まひすましたるをのこの、まつただなかを、ひやうつばといて、ふなぞこへまつさかさまにいたふす。「ああいたり」といふものもあり、「いやいやなさけなし」といふものもおほかりけり。平家のかたには、しづまりかへつておともせず、源氏はまたえびらをたたいて、どよめきけり。平家これをほいなしとやおもひけん、ゆみもつていちにん、たてついていちにん、なぎなたもつていちにん、むしやさんにんなぎさにあがり、「源氏ここをよせよや」とぞまねきける。判官、「やすからぬことなり。むまづよならんわかたうども、はせよせてけちらせ」とのたまへば、むさしのくにのぢうにん、みをのやのじふらう、おなじきしらう、おなじきとうじち、かうづけのくにのぢうにん、にふのしらう、しなののくにのぢうにん、きそのちうじ、ごきつれて、をめいてかく。

まづたてのかげより、ぬりのにくろぼろはいだるだいのやをもつて、まつさきにすすんだる、みをのやのじふらうが、むまのひだんのむながいづくしを、はずのかくるるほどにぞいこうだる。びやうぶをかへすやうに、むまはどうどたふるれば、ぬしはゆんでのあしをこえ、めてのかたへおりたつて、やがてたちをぞぬいたりける。またたてのかげより、おほなぎなたうちふつてかかりければ、みをのやのじふらう、こだちおほなぎなたにかなはじとやおもひけん、かいふいてにげければ、やがてつづいておつかけたり。なぎなたにてながんずるかとみるところに、さはなくして、なぎなたをばゆんでのわきにかいはさみ、めてのてをさしのべて、みをのやのじふらうが兜のしころをつかまうどす。つかまれじとにぐる。さんどつかみはづいて、しどのたび、むずとつかむ。しばしぞたまつてみえし。はちつけのいたより、ふつとひつきつてぞにげたりける。のこりしきは、むまををしうでかけず、けんぶつしてぞゐたりける。

みをのやのじふらうは、みかたのむまのかげににげいつて、いきつぎゐたり。かたきはおうてもこず。そののち兜のしころをば、なぎなたのさきにつらぬき、たかくさしあげ、だいおんじやうをあげて、「とほからんものはおとにもきけ、ちかくはめにもみたまへ。これこそきやうわらんべのよぶなる、かづさのあくしち兵衛かげきよよ」となのりすてて、みかたのたてのかげへぞのきにける。
平家これにすこしここちをなほいて、「あくしち兵衛うたすな、ものども、かげきようたすな、つづけや」とて、にひやくよにんなぎさにあがり、たてをめんどりばにつきならべ、「源氏ここをよせよや」とぞまねいたる。判官やすからぬことなりとて、たしろのくわんじやをまへにたて、ごとう兵衛ふし、かねこきやうだいをゆんでめてになし、いせのさぶらうをうしろとして、判官はちじふよきをめいてさきをかけたまへば、平家のかたには、むまにのつたるせいはすくなし、たいりやくかちむしやなりければ、むまにあてられじとやおもひけん、しばしもたまらずひきしりぞき、みなふねにぞのりにける。たてはさんをちらしたるやうに、さんざんにけちらさる。源氏かつにのつて、むまのふとばらつかるほどに、うちいれうちいれせめたたかふ。ふねのうちよりくまでないがまをもつて、判官の兜のしころに、からりからりとうちかけうちかけ、にさんどしけれどもみかたのつはものども、たちなぎなたのさきにて、うちはらひうちはらひせめたたかふ。されどもいかがはしたまひたりけん、判官ゆみをとりおとされぬ。

うつぶし、むちをもつてかきよせ、とらんとらんとしたまへば、みかたのつはものども、「ただすてさせたまへすてさせたまへ」とまうしけれども、つひにとつて、わらうてぞかへられける。おとなどもは、みなつまはじきをして、「たとひせんびきまんびきに、かへさせたまふべきおんだらしなりとまうすとも、いかでかおんいのちには、かへさせたまふべきか」とまうしければ、判官、「ゆみのをしさにも、とらばこそ。義経がゆみといはば、ににんしてもはり、もしはさんにんしてもはり、をぢためともなどがゆみのやうならば、わざともおといてとらすべし。わうじやくたるゆみを、かたきのとりもつて、これこそ源氏のたいしやうぐん、九郎義経がゆみよなど、てうろうぜられんがくちをしさに、いのちにかへてとつたるぞかし」とのたまへば、みなまたこれをぞかんじける。いちにちたたかひくらしよにいりければ、平家のふねはおきにうかび、源氏はくがにうちあがつて、むれたかまつのなかなるのやまに、ぢんをぞとつたりける。源氏のつはものどもは、このみつかがあひだはねざりけり。をととひつのくにわたなべ、ふくしまをいづるとて、おほかぜおほなみにゆられて、まどろまず、きのふあはのくにかつうらについていくさし、よもすがらなかやまこえ、けふまたいちにちたたかひくらしたりければ、ひともむまもみなつかれはてて、あるひは兜をまくらにし、あるひは鎧のそで、えびらなどをまくらとして、ぜんごもしらずぞふしにける。されどもそのなかに、判官といせのさぶらうはねざりけり。判官はたかきところにうちあがつて、かたきやよすととほみしたまふ。いせのさぶらうは、くぼきところにかくれゐて、かたきよせば、まづむまのふとばらいんとてまちかけたり。平家のかたには、能登殿をたいしやうぐんとして、そのよようちにせんと、したくせられたりけれども、ゑつちうのじらう兵衛と、えみのじらうが、せんぢんをあらそふほどに、そのよもむなしくあけにけり。よせたりせば、源氏なじかはたまるべき、よせざりけるこそ、せめてのうんのきはめなれ。
 
 

6 志度合戦(しどかつせん)

あけければ、平家はたうごくしどのうらへこぎしりぞく。判官はちじふよき、しどへおうてぞかかられける。平家これをみて、「源氏はこぜいなりけるぞ。なかにとりこめてうてや」とて、せんよにんなぎさにあがり、源氏をなかにとりこめて、われうつとらんとぞすすみける。さるほどに八島にのこりとどまつたるにひやくよきのせいども、おくればせにはせきたる。平家これをみて、「あはや源氏のおほぜいのつづいたるは。なんじふまんぎがあるらん、とりこめられてはかなふべからず」とてひきしりぞき、みなふねにぞのりにける。しほにひかれ、かぜにまかせて、いづちをさすともなく、ゆられゆくこそかなしけれ。しこくをば九郎大夫の判官せめおとされぬ。くこくへはいれられず、ただちううのしゆじやうとぞみえし。判官はしどのうらにおりゐて、くびどものじつけんしておはしけるが、伊勢三郎義盛をめして、「あはのみんぶしげよしがちやくし、でんないざゑもんのりよし、いよのかはののしらうが、めせどもまゐらぬをせめんとて、そのせいさんぜんよきで、いよへこえたりけるが、かはのをばうちもらしぬ。いへのこらうどうひやくごじふにんがくびきつて、八島のだいりへまゐらせたるが、けふこれへつくときく。なんぢゆきむかつて、こしらへてみよ」とのたまへば、よしもりかしこまりうけたまはつて、しらはたひとながれたまはつてさすままに、てぜいじふろくき、みなしらしやうぞくにいでたつて、はせむかふ。

さるほどに伊勢三郎、でんないざゑもんゆきあうたり。あはひいつちやうばかりをへだてて、たがひにあかはたしらはたうつたてたり。よしもり、のりよしがもとへししやをたてて、「かつきこしめされてもやさふらふらん、鎌倉どののおんおとと、九郎大夫の判官どのこそ、平家追討の院宣をうけたまはつて、西国へむかはせたまひてさふらふ。そのみうちに、伊勢三郎義盛とまうすものにてさふらふが、いくさかつせんのれうでさふらはねば、もののぐをもしさふらはず、きうせんをもたいしさふらはず。たいしやうにまうすべきことあつて、これまでまかりむかつてさふらふぞ。あけていれさせたまへ」といひおくつたりければ、さんぜんよきのつはものども、みななかをあけてぞとほしける。いせのさぶらう、でんないざゑもんにうちならべていひけるは、「かつききたまひてもさふらふらん。鎌倉どののおんおとと、九郎大夫の判官どのこそ、平家追討のために、これまでむかはせたまひてさふらふが、をととひあはのくにかつうらについて、ごへんのをぢ、さくらばのすけどのうつとり、きのふ八島についていくさし、ごしよだいりみなやきはらひ、しゆしやうはうみへいらせたまひぬ。

大臣殿ふしをば、いけどりにしまゐらせてさふらふ。能登殿もおんじがい、そのほかのひとびとは、あるひは、おんじがい、あるひはうみへいらせたまふ。よたうのせうせうのこつたるをば、けさしどのうらにてみなうつとりさふらひぬ。ごへんのちちあはのみんぶどのは、かうにんにまゐらせたまひてさふらふを、よしもりがあづかりたてまつてさふらふが、『あなむざん、でんないざゑもんのりよしが、これをばゆめにもしらずして、あすはいくさしてうたれんずることのむざんさよ』と、よもすがらなげきたまふがいたはしさに、つげしらせまゐらせんがために、これまでまかりむかつてさふらふぞ。いまはいくさしてうたれたまはんとも、また兜をぬぎゆみのつるをはづし、かうにんにまゐつて、ちちをいまいちどみたまはんとも、ともかうもごへんのおんぱからひぞ」といひければ、でんないざゑもん、「かつきくことにすこしもたがはず」とて、兜をぬぎゆみのつるをはづして、かうにんにまゐる。たいしやうかやうになるうへは、さんぜんよきのつはものどもも、みなかくのごとし。

よしもりがわづかじふろくきにぐせられて、おめおめとかうにんにこそなりにけれ。よしもりでんないざゑもんをあひぐして、判官のおんまへにかしこまつて、このよしかくとまうしければ、「よしもりがはかりごと、いまにはじめぬことなれども、しんべうにもつかまつたるものかな」とて、やがてでんないざゑもんをば、もののぐめされて、いせのさぶらうにあづけらる。「さてあのつはものどもはいかに」とのたまへば、「ゑんごくのものどもは、たれをたれとかおもひまゐらせさふらふべき。ただよのらんをしづめて、くにをしろしめされんを、しゆにしまゐらせん」とまうしければ、判官、「このぎもつともしかるべし」とて、さんぜんよきのつはものどもを、みなわがせいにぞぐせられける。さるほどにわたなべふくしまりやうしよに、のこりとどまつたりけるにひやくよそうのふねども、梶原をさきとして、おなじきにじふににちのたつのいつてんに、八島のいそにぞつきにける。「しこくをば九郎判官せめおとされぬ。いまはなんのようにかあふべき。むゆかのしやうぶ、ゑにあはぬはな、いさかひはててのちぎりきかな」とぞわらはれける。判官八島へわたりたまひてのち、すみよしのかんぬしつもりのながもり、みやこへのぼり院参して、「さんぬるじふろくにちのうしのこくばかり、たうしやのだいさんのじんでんより、かぶらやのこゑいでて、にしをさしてまかりさふらひぬ」と、奏聞せられたりければ、ほふわうおほきにぎよかんあつて、ぎよけんいげ、しゆじゆのじんぼうを、ながもりしてすみよしのだいみやうじんへまゐらせらる。むかしじんぐうくわうごう、しんらをせめさせたまひしとき、いせだいじんぐうより、にじんのあらみさきをさしそへさせたまひけり。にじんおんふねのともへにたつて、しんらをやすうせめしたがへさせたまひけり。いこくのいくさをしづめさせたまひて、きてうののち、いちじんはつのくにすみよしのこほりに、とどまらせおはします。すみよしだいみやうじんこれなり。いまいちじんは、しなののくにすはのこほりにあとをたる。すはのだいみやうじんのおんことなり。「むかしのせいばつのことを、おぼしめしわすれさせたまはで、いまもてうのをんできを、ほろぼしたまふべきにや」と、きみもしんもたのもしうぞおぼしめされける。
 
 

7 壇ノ浦合戦(だんのうらかつせん)

さるほどに判官八島のいくさにうちかつて、すはうのぢへおしわたり、あにのみかはのかみとひとつになる。平家はながとのくにひくしまにつくときこえしかば、源氏もおなじくにのうち、おひつにつくこそふしぎなれ。ここにきのくにのぢうにん、くまののべつたうたんぞうは、平家ぢうおんのみなりしが、たちまちにこころがはりして、平家へやまゐらん、源氏へやまゐらんとおもひけるが、まづたなべのいまぐまのにしちにちさんろうし、みかぐらをそうして、ごんげんへきせいまうしければ、「ただしらはたにつけ」とのごたくせんありしかども、なほうたがひをなしまゐらせて、しろきにはとりななつ、あかきにはとりななつ、これをもつてごんげんのおんまへにて、しようぶをせさせけるに、あかきにはとりひとつもかたず、みなまけてぞにげにける。

さてこそ源氏へまゐらんとはおもひさだめけれ。さるほどにいちもんのものどもあひもよほし、つがふそのせいにせんよにん、にひやくよそうのひやうせんにとりのり、にやくわうじのおんしやうだいを、ふねにのせまゐらせ、はたのよこがみには、こんがうどうじをかきたてまつて、だんのうらへよするをみて、源氏も平家もともにはいしたてまつる。されどもこのふね源氏のかたへつきければ、平家きようさめてぞみえられける。またいよのくにのぢうにん、かはののしらうみちのぶも、ひやくごじつそうのたいせんに、のりつれてこぎきたり、これもおなじう源氏のかたへつきければ、平家いとどきようさめてぞおもはれける。

源氏のせいはかさなれば、平家のせいはおちぞゆく。源氏のふねはさんぜんよそう、平家のふねはせんよそう、たうせんせうせうあひまじれり。げんりやくにねんさんぐわつにじふしにちのうのこくに、ぶぜんのくにたのうら、もんじのせき、ながとのくにだんのうら、あかまがせきにて、げんぺいのやあはせとぞさだめける。そのひ判官と梶原と、すでにどしいくさせんとす。梶原すすみいでて、「けふのせんぢんをば、かげときにたびさふらへかし」。判官、「義経がなくばこそ」とのたまへば、梶原、「まさなうさふらふ。とのはたいしやうぐんにてましましさふらふものを」とまうしければ、判官、「それおもひもよらず、鎌倉どのこそたいしやうぐんよ。義経はいくさぶぎやうをうけたまはつたるみなれば、ただわどのばらとおなじことよ」とぞのたまひける。梶原、せんぢんをしよまうしかねて、「てんぜいこのとのは、侍のしゆにはなりがたし」とぞつぶやきける。判官、「わどのはにつぽんいちのをこのものかな」とて、たちのつかにてをかけたまへば、梶原、「こはいかに、鎌倉どのよりほか、べつにしゆをばもちたてまつらぬものを」とて、これもおなじうたちのつかにてをぞかけける。ちちがけしきをみて、ちやくしのげんだかげすゑ、じなんへいじかげたか、おなじきさぶらうかげいへ、おやこしゆじうじふしごにん、うちもののさやをはづいて、ちちといつしよによりあうたり。

判官のけしきをみたてまつて、伊勢三郎義盛、奥州の佐藤四郎兵衛忠信、えだのげんざう、くまゐたらう、むさしばうべんけいなどいふ、いちにんたうぜんのつはものども、梶原をなかにとりこめて、われうつとらんとぞすすみける。されども判官には、みうらのすけとりつきたてまつり、梶原には、とひのじらうつかみついて、りやうにんてをすつてまうしけるは、「これほどのおんだいじをまへにかかへながら、どしいくさしたまひなば、平家にせいつきさふらひなんず。かつうは鎌倉どののかへりきこしめされんずるところも、をんびんならず」とまうしければ、判官しづまりたまひぬ。梶原すすむにおよばず。それよりして、梶原判官をにくみそめたてまつて、ざんげんしてつひにうしなひたてまつたりとぞ、のちにはきこえし。

さるほどにげんぺいりやうばうぢんをあはす。ぢんのあはひ、うみのおもてわづかにさんじふよちやうをぞへだてたる。もんじ、あかま、だんのうらは、たぎりておつるしほなれば、平家のふねはこころならず、しほにむかつておしおとさる。源氏のふねはおのづから、しほにおうてぞいできたる。おきはしほのはやければ、みぎはについて、梶原かたきのふねのゆきちがふを、くまでにかけてひきよせ、のりうつりのりうつり、おやこしゆじうじふしごにん、うちもののさやをはづいて、ともへにさんざんにないでまはり、ぶんどりあまたして、そのひのかうみやうのいちのふでにぞつきにける。

「とほや」さるほどにげんぺいりやうばうぢんをあはせて、ときをつくる。かみはぼんでんまでもきこえ、しもはけんらうぢじんも、おどろきたまふらんとぞおぼえたる。ときのこゑもしづまりしかば、新中納言知盛のきやう、ふねのやかたにすすみいで、だいおんじやうをあげて、「てんぢくしんだんにも、につぽんわがてうにも、ならびなきめいしやうゆうしといへども、うんめいつきぬればちからおよばず。されどもなこそをしけれ。東国のものどもによわげみすな。いつのためにかいのちをばをしむべき。いくさようせよ、ものども、ただこれのみぞおもふことよ」とのたまへば、ひだのさぶらうざゑもんかげつね、おんまへにさふらひけるが、「これうけたまはれ、侍ども」とぞげぢしける。かづさのあくしち兵衛すすみいでて、「そればんどうむしやは、むまのうへにてこそ、くちはききさふらふとも、ふないくさをばいつてうれんしさふらふべき。たとへばうをのきにのぼつたるでこそさふらはんずらめ。いちいちにとつて、うみにつけなんものを」とぞまうしける。ゑつちうのじらう兵衛すすみいでて、「おなじうはたいしやうのげん九郎とくみたまへ。九郎はせいのちひさきをのこの、いろのしろかんなるが、むかばのすこしさしいでて、ことにしるかんなるぞ。ただし鎧直垂をつねにきかふなれば、きつとみわけがたかんなり」とぞまうしける。あくしち兵衛かさねて、「なんでふそのこくわんじやめ、たとひこころこそたけくとも、なにほどのことかあるべき。しやかたわきにはさんで、うみにいれなんものを」とぞまうしける。

新中納言知盛卿は、かやうにげぢしたまひてのち、小舟にのり、大臣殿のおんまへにおはしてまうされけるは、「みかたのつはものども、けふはようみえさふらふ。ただしあはのみんぶしげよしばかりこそ、こころがはりしたるとおぼえさふらへ。かうべをはねさふらはばや」とまうされければ、大臣殿、「さしもほうこうのものであるに、みえたることもなくして、いかでかかうべをばはねらるべき。しげよしめせ」とてめされけり。しげよしそのひのしやうぞくには、むくらんぢの直垂に、あらひがはの鎧きて、おんまへにかしこまつてぞさふらひける。大臣殿、「いかにしげよしは、こころがはりしたるか。けふはわるうみゆるぞ。しこくのものどもに、いくさようせよとげぢせよ。おくしたんな」とのたまへば、「なんでふおくしさふらふべき」とて、おんまへをまかりたつ。

新中納言は、たちのつかくだけよとにぎるままに、「あつぱれしげよしめがくびうちおとさばや」と、大臣殿のおんかたを、しきりにみまゐらさせたまへども、おんゆるされなければ、ちからおよびたまはず。さるほどに平家はせんよそうをみてにつくる。まづやまがのひやうどうじひでとほ、ごひやくよそうでせんぢんにこぎむかふ。まつうらたうさんびやくよそうで、にぢんにつづく。平家のきんだちたち、にひやくよそうでさんぢんにつづきたまへり。なかにもやまがのひやうどうじひでとほは、くこくいちのつよゆみせいびやうなりければ、われほどこそなけれども、ふつうざまのせいびやうごひやくにんすぐつて、ふねぶねのともへにたて、かたをいちめんにならべて、ごひやくのやをいちどにはなつ。源氏のかたにもさんぜんよそうのふねなりければ、せいのかずさこそはおほかりけめども、あそこここよりいけるほどに、いづくにせいびやうありともみえざりけり。なかにもたいしやうぐんげん九郎義経は、まつさきにすすんでたたかひけるが、たても鎧もこらへずして、さんざんにいしらまさる。平家、みかたかちぬとて、しきりにせめつづみをうつて、をめきさけんでせめたたかふ。
 
 

8 遠矢(とほや)

源氏のかたには、和田小太郎義盛、ふねにはのらず馬にうちのり、鐙のはなふみそらし。平家のせいのなかを、さしつめひきつめさんざんにいる。もとよりせいびやうのてききにてありければ、さんちやうがうちのものをば、はづさず、つよういけり。なかにもことにとほういたるとおぼしきやを、「そのやたまはらん」とぞまねきける。新中納言知盛のきやう、このやをぬかせてみたまへば、しらのにつるのもとじろ、こうのはわりあはせてはいだるやの、じふさんぞくみつぶせありけるに、くつまきよりいつそくばかりおいて、わだのこたらうたひらのよしもりと、うるしにてぞかきつけたる。平家のかたにもせいびやうおほしといへども、さすがとほやいるじんやなかりけん。ややあつていよのくにのぢうにん、にゐのきしらうちかきよ、このやをたまはつていかへす。これもさんちやうよを、つといわたいて、わだがうしろいつたんばかりにひかへたる、みうらのいしざこんのたらうが、ゆんでのかひなに、したたかにこそたつたりけれ。みうらのひとどもよりあひて、「あなにくや、わだのこたらうが、われほどのせいびやうなしとこころえて、はぢかきぬるをかしさよ」とわらひければ、よしもり、やすからぬことなりとて、こんどは小舟にのつてこぎいだし、平家のせいのなかを、さしつめひきつめさんざんにいければ、ものどもおほくておひいころさる。ややあつておきのかたより、判官ののりたまひたるふねに、しらののおほやをひとついたて、これもわだがやうに、「そのやたまはらん」とまねきけり。

判官このやをぬかせてみたまへば、しらのにやまどりのををもつてはいだるやの、じふしそくみつぶせありけるに、くつまきよりいつそくばかりおいて、いよのくにのぢうにん、にゐのきしらうちかきよと、うるしにてぞかきつけたる。判官、ごとう兵衛さねもとをめして、「みかたにこのやいつべきじんはたれかある」とのたまへば、「かひ源氏に、あさりのよいちどのこそ、せいびやうのてききにてさふらへ」とまうしければ、判官、「さらばよいちよべ」とてめされけり。あさりのよいちいできたり。判官、「いかによいち、このやただいまおきよりいてさふらふが、そのやたまはらんとまねきさふらふ。ごへんいられさふらひなんや」とのたまへば、「たまはつてみさふらはん」とて、とつてつまよつて、「これはのがよわうさふらふ。やづかもすこしみじかうさふらへば、おなじうはよしなりがぐそくにてつかまつりさふらはん」とて、ぬりのにくろぼろはいだるだいのやの、わがおほでにおしにぎつて、じふごそくみつぶせありけるを、ぬりごめどうのゆみの、くしやくばかりありけるに、とつてつがひ、よつぴいてひやうどはなつ。

これもしちやうよを、つといわたいて、おほふねのへにたつたる、にゐのきしらうちかきよが、まつただなかを、ひやうつばといて、ふなぞこへまつさかさまにいおとす。もとよりこのあさりのよいちは、せいびやうのてききにて、にちやうがうちをわしるしかをばはづさず、つよういけるとぞきこえし。そののちはげんぺいのつはものども、たがひにおもてもふらず、いのちもをしまずせめたたかふ。されども平家のおんかたには、じふぜんていわう、さんじゆのしんきをたいしてわたらせたまへば、源氏いかがあらんずらんと、あやふうおもふところに、しばしはしらくもかとおぼしくて、こくうにただよひけるが、くもにてはなかりけり。ぬしもなきしらはたひとながれまひさがつて、源氏のふねのへに、さをづけのをの、さはるほどにぞみえたりける。

「せんていのごじゆすゐ」判官、「これははちまんだいぼさつの源氏たまへるにこそ」とよろこんで、兜をぬぎ、てうづうがひして、これをはいしたてまつりたまふ。つはものどももみなかくのごとし。またおきよりいるかといふうを、いちにせんはうで、平家のふねのかたへぞむかひける。大臣殿、こばかせはるのぶをめして、「いるかはつねにおほけれども、いまだかやうのことなし。きつとかんがへまうせ」とのたまへば、「このいるかはみかへりさふらはば、源氏ほろびさふらひなんず。はみとほりさふらはば、みかたのおんいくさあやふうおぼえさふらふ」とまうしもはてぬに、平家のふねのしたを、すぐにはうでぞとほりける。よのなかはいまはかうとぞみえし。あはのみんぶしげよしは、このさんがねんがあひだ、平家についてちうをいたしたりしかども、しそくでんないざゑもんのりよしを、いけどりにせられて、いまはかなはじとやおもひけん、たちまちにこころがはりして、源氏とひとつになりにけり。新中納言知盛のきやう、「あつぱれしげよしめを、きつてすつべかりつるものを」と、こうくわいせられけれどもかひぞなき。平家のかたのはかりごとには、よきむしやをばひやうせんにのせ、ざふにんばらをばたうせんにのせて、源氏こころにくさに、たうせんをせめば、なかにとりこめてうたんと、したくせられたりしかども、しげよしがかへりちうのうへは、たうせんにはめもかけず、たいしやうぐんのやつしのりたまへるひやうせんをぞせめたりける。そののちはしこくちんぜいのつはものども、みな平家をそむいて、源氏につく。いままでしたがひつきたりしかども、きみにむかつてゆみをひき、しゆにたいしてたちをぬく。かしこのきしにつかんとすれば、なみたかうしてかなひがたし。ここのみぎはによらんとすれば、かたきやさきをそろへてまちかけたり。げんぺいのくにあらそひ、けふをかぎりとぞみえたりける。
 

9 先帝身投げ(せんていみなげ)

さるほどに源氏のつはものども、平家のふねにのりうつりければ、すゐしゆかんどりども、あるひはいころされ、あるひはきりころされて、ふねをなほすにおよばず、ふなぞこにみなたふれふしにけり。新中納言知盛卿、小舟にのつて、いそぎごしよのおんふねへまゐらせたまひて、「よのなかはいまはかうとおぼえさふらふ。みぐるしきものをば、みな海へ入れて、ふねのさうぢめされさふらへ」とて、はいたり、のごうたり、ちりひろひ、ともへにはしりまはつて、てづからさうじしたまひけり。

女房たち、「ややちうなごんどの、いくさのやうはいかにやいかに」ととひたまへば、「ただいまめづらしきあづまをとこをこそ、ごらんぜられさふらはんずらめ」とて、からからとわらはれければ、「なんでふただいまのたはぶれぞや」とて、こゑごゑにをめきさけびたまひけり。二位殿は、ひごろよりおもひまうけたまへることなれば、にぶいろのふたつぎぬうちかづき、ねりばかまのそばたかくとり、しんしをわきにはさみ、ほうけんをこしにさし、しゆしやうをいだきまゐらせて、「われはをんななりとも、かたきのてにはかかるまじ。しゆしやうのおんともにまゐるなり。おんこころざしおもひたまはんひとびとは、いそぎつづきたまへや」とて、しづしづとふなばたへぞあゆみいでられける。

しゆしやうことしは、はつさいにぞならせおはします。おんとしのほどより、はるかにねびさせたまひて、おんかたちいつくしう、あたりもてりかかやくばかりなり。おんぐしくろうゆらゆらと、おんせなかすぎさせたまひけり。しゆしやうあきれたるおんありさまにて、「そもそもあまぜ、われをばいづちへぐしてゆかんとはするぞ」とおほせければ、二位殿、いとけなききみにむかひまゐらせ、なみだをはらはらとながいて、「きみはいまだしろしめされさふらはずや。ぜんぜのじふぜんかいぎやうのおんちからによつて、いまばんじようのあるじとはうまれさせたまへども、あくえんにひかれて、ごうんすでにつきさせたまひさぶらひぬ。まづひんがしにむかはせたまひて、いせだいじんぐうにおんいとままうさせおはしまし、そののちにしにむかはせたまひて、さいはうじやうどのらいかうにあづからんとちかはせおはしまして、おんねんぶつさぶらふべし。

このくにはそくさんへんどとまうして、ものうきさかひにてさぶらふ。あのなみのしたにこそ、ごくらくじやうどとて、めでたきみやこのさぶらふ。それへぐしまゐらせさぶらふぞ」と、さまざまになぐさめまゐらせしかば、やまばといろのぎよいにびんづらゆはせたまひて、おんなみだにおぼれ、ちひさううつくしきおんてをあはせ、まづひんがしにむかはせたまひて、いせだいじんぐう、しやうはちまんぐうに、おんいとままうさせおはしまし、そののちにしにむかはせたまひて、おんねんぶつありしかば、二位殿やがていだきまゐらせて、「なみのそこにもみやこのさぶらふぞ」となぐさめまゐらせて、ちひろのそこにぞしづみたまふ。かなしきかな、むじやうのはるのかぜ、

たちまちにはなのおんすがたをちらし、いたましきかな、ぶんだんのあらきなみ、ぎよくたいをしづめたてまつる。てんをばちやうせいとなづけて、ながきすみかとさだめ、もんをばふらうとかうして、おいせぬとざしとはかきたれども、いまだじつさいのうちにして、そこのみくずとならせおはします。じふぜんていゐのおんくわはう、まうすもなかなかおろかなり。うんしやうのりようくだつて、かいていのうをとなりたまふ。だいぼんかうだいのかくのうへ、しやくだいきけんのみやのうち、いにしへはくわいもんきよくろのあひだに、きうぞくをなびかし、いまはふねのうちなみのしたにて、おんみをいつしにほろぼしたまふこそかなしけれ。
 

10 能登殿最期(のとどのさいご)

女院はこのありさまをみまゐらせたまひて、いまはかうとやおぼしめされけん、おんすずり、おんやきいし、さうのおんふところにいれて、うみにいらせたまふを、わたなべのげんごむまのじようむつる、小舟をつとこぎよせて、おんぐしをくまでにかけてひきあげたてまつる。大納言のすけのつぼね、「あなあさまし、それは女院にてわたらせたまふぞ。あやまちつかまつるな」とまうされたりければ、判官にまうして、いそぎごしよのおんふねへうつしたてまつる。さて大納言のすけのつぼねは、ないしどころのおんからうとをとつて、うみにいらんとしたまひけるが、はかまのすそをふなばたにいつけられて、けまとひたふれたまひけるを、ぶしどもとりとどめたてまつる。そののちおんからうとのぢやうをねぢきつて、おんふたをすでにひらかんとす。たちまちにめくれはなぢたる。平大納言ときただのきやうは、いけどりにせられておはしけるが、「あれはいかに、ないしどころにてわたらせたまふぞ。

ぼんぶはみたてまつらぬことぞ」とのたまへば、つはものどもしたをふつておそれをののく。そののち判官ときただのきやうにまうしあはせて、もとのごとくからげをさめたてまつらる。さるほどに、かどわきのへいぢうなごんのりもり、しゆりのだいぶつねもり、きやうだいてにてをとりくみ、鎧のうへにいかりをおうて、うみにぞしづみたまひける。こまつのしんざんみのちうじやうすけもり、おなじきせうしやうありもり、いとこのさまのかみゆきもりも、てにてをとりくみ、これも鎧のうへにいかりをおうて、いつしよにうみにぞいりたまふ。ひとびとはかやうにしたまへども、大臣殿ふしは、さもしたまはず、ふなばたにたち、しはうみめぐらしておはしければ、平家の侍ども、あまりのこころうさに、そばをつとわしりとほるやうにて、まづ大臣殿をうみへがばとつきいれたてまつる。これをみてゑもんのかみ、やがてつづいてとびいりたまひぬ。ひとびとは、鎧のうへに、おもきものをおうたりいだいたりして、いればこそしづめ、このひとおやこは、さもしたまはず。

なまじひにすゐれんのじやうずにておはしければ、大臣殿は、ゑもんのかみしづまば、われもしづまん、たすからば、われもともにたすからんとおもひ、たがひにめをみかはして、かなたこなたへおよぎありきたまひけるを、伊勢三郎義盛、小舟をつとこぎよせて、まづゑもんのかみを、くまでにかけてひきあげたてまつる。大臣殿、いとどしづみもやりたまはざりしを、いつしよにとりあげたてまつてげり。めのとごのひだのさぶらうざゑもんかげつね、このよしをみたてまつて、「わがきみとりたてまつるはなにものぞ」とて、小舟にのり、よしもりがふねにおしならべてのりうつり、たちをぬいてうつてかかる。よしもりあぶなうみえけるところに、よしもりがわらは、しゆをうたせじと、なかにへだたり、さぶらうざゑもんにうつてかかる。さぶらうざゑもんがうつたちに、よしもりがわらは、兜のまつかううちわられて、にのたちにくびうちおとさる。よしもりはなほあぶなうみえけるを、となりのふねより、ほりのやたらうちかつね、よつぴいてひやうどはなつ。さぶらうざゑもん、うち兜をいさせてひるむところに、ほりのやたらう、よしもりがふねにのりうつり、さぶらうざゑもんにくんでふす。ほりがらうどうやがてつづいてのりうつり、さぶらうざゑもんがこしのかたなをぬき、鎧のくさずりひきあげて、つかもこぶしも、とほれとほれとみかたなさいて、くびをとる。大臣殿は、めのとごがめのまへにて、かやうになるをみたまひて、いかばかりのことをかおもはれけん。

およそ能登殿のやさきにまはるものこそなかりけれ。のりつねはけふをさいごとやおもはれけん、赤地のにしきの直垂に、からあやをどしの鎧きて、くはがたうつたる兜のををしめ、いかものづくりのたちをはき、にじふしさいたるきりふのやおひ、しげどうのゆみもつて、さしつめひきつめ、さんざんにいたまへば、ものどもおほくておひいころさる。やだねみなつきければ、こくしつのおほたち、しらえのおほなぎなた、さうにもつて、さんざんにないでまはりたまふ。新中納言知盛のきやう、能登殿のもとへししやをたてて、「いたうつみなつくりたまひそ。さりとてはよきかたきかは」とのたまへば、能登殿、「さてはたいしやうにくめござんなれ」とて、うちものくきみじかにとり、ともへにさんざんにないでまはりたまふ。されども判官をみしりたまはねば、もののぐのよきむしやをば、判官かとめをかけてとんでかかる。判官もないないおもてにたつやうにはしたまへども、とかうちがへて、能登殿にはくまれず。されどもいかがはしたまひたりけん、判官のふねにのりあたり、「あはや」とめをかけて、とんでかかる。判官かなはじとやおもはれけん、なぎなたをばゆんでのわきにかいはさみ、みかたのふねの、にぢやうばかりのきたりけるに、ゆらりととびのりたまひぬ。

能登殿はやわざやおとられたりけん、つづいてもとびたまはず。能登殿いまはかうとやおもはれけん、たちなぎなたをもうみへなげいれ、兜もぬいですてられけり。鎧のそで、くさずりをもかなぐりすて、どうばかりきておほわらはになり、おほてをひろげて、ふねのやかたにたちいで、だいおんじやうをあげて、「源氏のかたにわれとおもはんものあらば、よつてのりつねくんでいけどりにせよ。鎌倉へくだり、ひやうゑのすけにものひとことばいはんとおもふなり。よれやよれ」とのたまへども、よるものいちにんもなかりけり。ここにとさのくにのぢうにん、あきのがうをちぎやうしけるあきのだいりやうさねやすがこに、あきのたらうさねみつとて、およそにさんじふにんがちからあらはしたるだいぢからのかうのもの、われにちつともおとらぬらうどういちにんぐしたりけり。おととのじらうも、ふつうにはすぐれたるつはものなり。かれらさんにんよりあひて、「たとひ能登殿、こころこそかうにおはすとも、なにほどのことかあるべき。たけじふぢやうのおになりとも、われらさんにんがつかみついたらんに、などかしたがへざるべき」とて、小舟にのり、能登殿のふねにおしならべてのりうつり、たちのきつさきをととのへて、いちめんにうつてかかる。能登殿これをみたまひて、まづまつさきにすすんだる、あきのたらうがらうどうに、すそをあはせて、うみへどうどけいれたまふ。つづいてかかるあきのたらうをば、ゆんでのわきにかいはさみ、おととのじらうをば、めてのわきにとつてはさみ、ひとしめしめて、「いざうれおのれら、しでのやまのともせよ」とて、しやうねんにじふろくにて、うみへつつとぞいりたまふ。
 

11 内侍所都入(ないしどころのみやこいり)

新中納言知盛のきやうは、「みるべきほどのことをばみつ、いまはただじがいをせん」とて、めのとごのいがのへいないざゑもんいへながをめして、「ひごろのけいやくをばたがへまじきか」とのたまへば、「さることさふらふ」とて、ちうなごんどのにも、鎧にりやうきせたてまつり、わがみもにりやうきて、てにてをとりくみ、いつしよにうみにぞいりたまふ。これをみて、たうざにありける、にじふよにんの侍ども、つづいてうみにぞしづみける。されどもそのなかに、ゑつちうのじらう兵衛、かづさのごらう兵衛、あくしち兵衛、ひだのしらう兵衛などは、なにとしてかはのがれたりけん、そこをもつひにおちにけり。かいしやうにはあかはた、あかじるしども、きりすてかなぐりすてたりければ、たつたがはのもみぢばを、あらしのふきちらしたるにことならず。みぎはによするしらなみは、うすぐれなゐにぞなりにける。

ぬしもなきむなしきふねどもは、しほにひかれかぜにしたがひて、いづちをさすともなく、ゆられてゆくこそかなしけれ。いけどりには、さきのないだいじんむねもりこう、平大納言ときただ、ゑもんのかみきよむね、くらのかみのぶもと、讃岐のちうじやうときざね、大臣殿のはつさいのわかぎみ、ひやうぶのせふまさあきら、そうにはにゐのそうづせんしん、ほつしようじのしゆぎやうのうゑん、ちうなごんのりつしちうくわい、きやうじゆばうのあじやりゆうゑん、侍にはげんだいふの判官すゑさだ、つの判官もりずみ、とうないさゑもんのじようのぶやす、きちないさゑもんのじようすゑやす、あはのみんぶしげよしふし、いじやうさんじふはちにんなり。きくちのじらうたかなほ、はらだの大夫たねなほは、いくさいぜんより兜をぬぎ、ゆみのつるをはづいて、かうにんにまゐる。女房たちには、女院、きたのまんどころ、らふのおんかた、大納言のすけどの、そつのすけどの、ぢぶきやうのつぼねいげ、いじやうしじふさんにんとぞきこえし。げんりやくにねんのはるのくれ、いかなるとしつきにて、いちじんかいていにしづみ、ひやくくわんはしやうにうかぶらん。こくもくわんぢよは、とういせいじゆのてにしたがひ、しんかけいしやうは、すまんのぐんりよにとらはれて、きうりへかへりたまひしに、あるひはしゆばいしんがにしきをきざることをなげき、あるひはわうぜうくんがここくにおもむきしうらみも、これにはすぎじとぞみえし。

しんぐわつみつかのひ、九郎大夫の判官義経、げんはちひろつなをもつて、ゐんのごしよへ奏聞せられけるは、「さんぬるさんぐわつにじふしにちのうのこくに、ぶぜんのくにたのうら、もんじがせき、ながとのくにだんのうら、あかまがせきにて、平家をことごとくせめほろぼし、ないしどころ、しるしのおんはこ、ことゆゑなうみやこへかへしいれたてまつるべき」よし、奏聞せられたりければ、ほふわうおほきにぎよかんあつて、ひろつなをおつぼのうちへめして、かつせんのしだいをくはしうおんたづねあつて、ぎよかんのあまりに、ひろつなをたうざにさひやうゑにぞなされける。おなじきいつかのひ、ほくめんにさふらふとう判官のぶもりをめして、「ないしどころ、しるしのおんはこ、いちぢやうかへりいらせたまふか、みてまゐれ」とて、西国へつかはさる。のぶもりやがてゐんのおむまたまはつて、しゆくしよへもかへらず、むちをあげ、にしをさしてぞはせくだる。さるほどに九郎大夫の判官義経、へいじなんによのいけどりども、あひぐしてのぼられけるが、おなじきじふしにちはりまのくにあかしのうらにぞつかれける。なをえたるうらなれば、ふけゆくままにつきすみのぼり、あきのそらにもおとらず。女房たちは、さしつどひて、「ひととせこれをとほりしには、かかるべしとはおもはざりしものを」とて、しのびねになきぞあはれける。そつのすけどの、つくづくつきをながめたまひて、いとおもひのこせることもおはせざりければ、なみだにとこもうくばかりにて、かうぞおもひつづけらる。

ながむればぬるるたもとにやどりけりつきよくもゐのものがたりせよ W085

ぢぶきやうのつぼね、
くものへにみしにかはらぬつきかげのすむにつけてもものぞかなしき W086 

大納言のすけのつぼね、
わがみこそあかしのうらにたびねせめおなじなみにもやどるつきかな W087

判官はたけきもののふなれども、さこそおのおのの、むかしこひしう、ものがなしうもやおはすらんと、みにしみてあはれにぞおもはれける。おなじきにじふごにち、ないしどころ、しるしのおんはこ、とばにつかせたまふときこえしかば、だいりよりおんむかひにまゐらせたまふひとびと、かでのこうぢのちうなごんつねふさのきやう、けんびゐしのべつたうさゑもんのかみさねいへ、たかくらのさいしやうのちうじやうやすみち、ごんのうちうべんかねただ、えなみのちうじやうきんとき、たぢまのせうしやうのりよし、ぶしにはいづのくらんどの大夫よりかぬ、いしかはのはんぐわんだいよしかぬ、さゑもんのじようありつなとぞきこえし。そのよのねのこくに、ないしどころ、しるしのおんはこ、だいじやうぐわんのちやうにいらせおはします。ほうけんはうせにけり。しんしはかいしやうにうかびたるを、かたをかのたらうつねはるがとりあげたてまつたりけるとかや。
 
 

12 剣(けん)  欠落
 

13 一門大路渡(いちもんおほぢわたされ)

さるほどににのみやかへりいらせたまふときこえしかば、ほふわうよりおんむかひのおんくるまをまゐらせらる。おんこころならず、ぐわいせきの平家にとらはれさせたまひて、さいかいのなみのうへにただよはせたまふおんことを、おんぼぎもおんめのとぢみやうゐんのさいしやうも、なのめならずおんなげきありしに、いままちうけまゐらせたまひて、いかばかりらうたくおぼしめされけん。おなじきにじふろくにち、へいじのいけどりども、とばについて、やがてそのひみやこへいつておほぢをわたさる。こはちえふのくるまの、ぜんごのすだれをあげ、さうのものみをひらく。大臣殿はじやうえをきたまへり。ひごろはさしもいろしろうきよげにおはせしかども、しほかぜにやせくろみて、そのひとともみえたまはず。されどもしはうをみめぐらして、いとおもひいれたまへるけしきもおはせざりけり。おんこゑもんのかみきよむねは、しろき直垂にて、ちちのおんくるまのしりにぞまゐられける。なみだにむせびうつぶして、めもみあげたまはず、まことにふかうおもひいれたまへるけしきなり。平大納言ときただのきやうのくるまも、おなじうやりつづけられたり。讃岐のちうじやうときざねも、どうしやにわたさるべかりしかども、源氏よらうとてわたされず。

くらのかみのぶもとは、きずをかうむつたりしかば、かんだうよりいりにけり。これをみんとて、ゑんごくきんごく、やまやまてらでら、きやうぢうのじやうげおいたるもわかきも、おほくきたりあつまつて、とばのみなみのもん、つくりみち、よつづかまで、はたとつづいて、いくせんまんといふかずをしらず。ひとはかへりみることをえず、くるまはわをめぐらすことあたはず。さんぬるぢしようやうわのききん、東国西国のいくさに、ひとだねおほくほろびうせたりといへども、なほのこりはおほかりけりとぞみえし。みやこをいでてなかいちねん、むげにまぢかきほどなれば、めでたかりしこともわすられず。さしもおそれをののきしひとの、けふのありさま、ゆめうつつともわきかねたり。こころなきあやしのしづのをしづのめにいたるまで、みななみだをながし、そでをぬらさぬはなかりけり。ましてなれちかづきたりしひとびとのこころのうち、おしはかられてあはれなり。ねんらいぢうおんをかうむつて、ふそのときよりしこうせしともがらの、さすがみのすてがたさに、おほくは源氏につきたりしかども、むかしのよしみたちまちにわするべきにもあらねば、さこそはかなしうもおもひけめ。

みなそでをかほにおしあてて、めをみあげぬものもおほかりけり。大臣殿のうしかひは、木曽が院参のとき、くるまやりそんじてきられたりしじらうまるがおとと、さぶらうまるにてぞありける。西国にては、かりをのこになつたりけるが、とばにて判官にまうしけるは、「とねりうしかひなどまうすものは、いやしきげらふのはてにて、こころあるべきではさふらはねども、ねんらいめしつかはれまゐらせさふらひしおんこころざしあさからずさふらふ。なにかくるしうさふらふべき。おんゆるされをかうむつて、大臣殿のごさいごのおんくるまを、いまいちどつかまつりさふらはばや」とまうしければ、判官なさけあるひとにて、「もつともさるべし。とうとう」とてゆるされけり。さぶらうまるなのめならずによろこび、じんじやうにしやうぞくき、ふところよりやりなはとりいだいてつけかへ、なみだにくれて、ゆくさきはみえねども、うしのゆくにまかせつつ、なくなくやつてぞまかりける。ほふわうはろくでうひんがしのとうゐんに、おんくるまをたててえいらんある。ぐぶのくぎやうてんじやうびとのくるまどもも、おなじうたてならべられたり。さしもおんみちかうめしつかはせたまひしかば、ほふわうもおんこころよわう、いまさらあはれにぞおぼしめされける。

「ひごろはいかなるひとも、あのひとびとのめにもみえ、ことばのすゑにもかからばやとこそおもひしに、けふかやうにみなすべしとは、たれかおもひよりしぞや」とて、じやうげそでをぞぬらされける。ひととせむねもりこうないだいじんになつて、よろこびまうしのありしとき、くぎやうにはくわざんのゐんのちうなごんかねまさのきやうをはじめたてまつて、じふににんこしようしてやりつづけらる。くらんどのかみちかむねいげのてんじやうびとじふろくにんせんぐす。ちうなごんしにん、さんみのちうじやうもさんにんまでおはしき。くぎやうもてんじやうびとも、けふをはれとときめきたまへり。そのときこのときただのきやう、ごぜんへめされまゐらせて、やうやうにもてなされ、しゆじゆのひきでものたまはつて、いでられたまひしは、めでたかりしぎしきぞかし。

けふはげつけいうんかくいちにんもしたがはず。おなじうだんのうらにていけどりにせられたりしにじふよにんの侍どもも、みなしろき直垂にて、くらのまへわにしめつけてぞわたされける。ろくでうをひんがしへかはらまでわたいて、それよりかへつて、判官のしゆくしよ、ろくでうほりかはなるところにすゑたてまつて、きびしうしゆごしたてまつる。大臣殿はおんものまゐらせけれども、むねせきふさがつて、おはしをだにもたてられず。よるになれども、しやうぞくをだにもくつろげたまはず。そでかたしいてふしたまひたりけるが、おんこゑもんのかみに、おんじやうえのそでをうちきせたまへるを、しゆごのぶしどもみたてまつて、「あはれたかきもいやしきも恩愛の道ほどかなしかりけることはなし。おんじやうえのそでをうちきせたまひたればとて、なにほどのことかおはすべき。せめてのおんこころざしのふかさかな」とて、みな鎧のそでをぞぬらしける。
 
 

14 鏡(かがみ)欠落
 
 

15 平大納言文の沙汰(へいだいなごんのふみのさた)

平大納言時忠卿父子も、判官の宿所ちかうぞおはしける。世の中はかくなるうへは、とてもかうてもとこそおもはるべきに、大納言命を惜しうやおもはれけん、子息讃岐の中将時実を招いて、「ちらすまじきふみどもいちがふ、判官にとられてあるぞとよ。これを鎌倉の源二位に見せなば、ひともおほくほろび、わがみもいのちたすかるまじ。いかがせん」とのたまへば、中将まうされけるは、「九郎はたけきもののふなれども、女房などのうつたへなげくことをば、いかなるだいじをも、もてはなれずとこそうけたまはつてさふらへ。ひめぎみたちあまたましましさふらへば、いづれにてもごいつしよみせさせおはしまし、したしうならせたまひてのち、おほせいださるべうもやさふらふらん」とまうされたりければ、そのとき大納言、なみだをはらはらとながいて、「さりともわれよにありしときは、むすめどもをば、にようごきさきにたてんとこそおもひしか。

なみなみのひとにみせんとは、つゆもおもはざりしものを」とてなかれければ、ちうじやう、「いまはさやうのこと、ゆめゆめおぼしめしよらせたまふべからず、たうぷくのひめぎみの、しやうねんじふしちになりたまふを」とまうされけれども、大納言、それをばなほいとほしきことにおぼして、さきのはらのひめぎみの、しやうねんにじふいちになりたまふをぞ、判官にはみせられける。これはとしこそすこしおとなしけれども、みめすがたよにすぐれ、こころざまいうにおはしければ、判官も、よにありがたきことにおもひたまひて、さきのうへの、かはごえのたらうしげふさがむすめもありけれども、それをばべつのところにうつしたてまつて、ざしきしつらうてぞおかれける。さて女房、かのふみのことをのたまひいだされたりければ、判官あまつさへふうをだにとかずして、いそぎ大納言のもとへつかはさる。

なのめならずよろこびて、やがてやいてぞすてられける。いかなるふみどもにてかありけん、おぼつかなうぞみえし。平家ほろび、いつしかくにぐにしづまつて、ひとのかよひもわづらひなく、みやこもおだしかりければ、よにはただ、「判官ほどのひとぞなき。鎌倉のげんにゐ、なにごとをかしいだしたる。よはいつかう判官のままにてあらばや」なんどいふことを、げんにゐもれききたまひて、「こはいかに、頼朝がよくはからひて、つはものどもをさしのぼせたればこそ、平家はたやすうほろびたれ。九郎ばかりしては、いかでかよをばしづむべき。ひとのかくいふにおごつて、いつしかよをわがままにすることでこそあれ。ひとこそおほけれ、平大納言のむこにおしなつて、大納言もてあつかふらんもうけられず。またよにもはばからず、大納言のむこどりいはれなし。さだめてこれへくだつても、くわぶんのふるまひをせんずらん」とぞのたまひける。
 
 

16 副将斬られ(ふくしやうきられ)

元暦二年五月六日(七日の本も在り)、九郎大夫の判官義経、大臣殿ふしぐそくしたてまつて、くわんとうへくだらるべきにさだまりしかば、大臣殿判官のもとへししやをたてて、「みやうにちくわんとうへげかうのよしそのきこえさふらふ。それにつきさふらひては、いけどりのうちに、はつさいのわらはとつけられまゐらせてさふらふは、いまだうきよにさふらふやらん。たまはつていまいちどみさふらはばや」とのたまひつかはされたりければ、判官のへんじに、「たれとてもおんあいのみちは、おもひきられぬことにてさふらへば、まことにさこそはおぼしめされさふらふらめ」とて、かはごえのこたらうしげふさがもとにあづけおきたてまつたりけるわかぎみを、いそぎ大臣殿のもとへぐそくしたてまつるべきよし、のたまひつかはされたりければ、かはごえ、ひとにくるまかつて、のせたてまつる。

ににんの女房どもも、ともにのつてぞいでにける。わかぎみはちちをはるかにみまゐらせたまはねば、よにもなつかしげにてぞおはしける。大臣殿、わかぎみをみたまひて、「いかにふくしやう、これへ」とのたまへば、いそぎちちのおんひざのうへへぞまゐられける。大臣殿、わかぎみのかみかきなで、なみだをはらはらとながいて、「これききたまへ、おのおの、このこはははもなきものにてあるぞとよ。このこがははは、これをうむとて、さんをばたひらかにしたりしかども、やがてうちふしなやみしが、つひにはかなくなるぞとよ。『こののちいかなるひとのはらに、きんだちをまうけたまふとも、これをばおぼしめしすてずして、わらはがかたみにごらんぜよ。さしはなつてめのとなどのもとへもつかはすな』といひしことのふびんさよ。てうてきをたひらげんとき、あのゑもんのかみには、たいしやうぐんをせさせ、これにはふくしやうぐんをせさせんずればとて、なをふくしやうとつけたりしかば、なのめならずうれしげにて、いまをかぎりのときまでも、なをよびなどしてあいせしが、なぬかといふに、つひにはかなくなつてあるぞとよ。

このこをみるたびごとには、そのことがわすれがたくおぼゆるぞや」とてなかれければ、しゆごのぶしどもも、みな鎧のそでをぞぬらしける。ゑもんのかみもなきたまへば、めのともそでをぞしぼりける。ややあつて大臣殿、「いかにふくしやう、はやとうかへれ」とのたまへども、わかぎみかへりたまはず。ゑもんのかみこれをみたまひて、あまりにあはれにおもはれければ、「ふくしやうこよひはとうかへれ。ただいままらうとのこうずるに。あしたはいそぎまゐれ」とのたまへども、ちちのおんじやうえのそでにひしととりついて、「いなや、かへらじ」とこそなかれけれ。かくてはるかにほどふれば、ひもやうやうくれかかりぬ。さてしもあるべきことならねば、めのとの女房、いだきとつて、つひにくるまにのせたてまつる。ににんの女房どもも、ともにのつてぞいでにける。

大臣殿、わかぎみのおんうしろを、はるかにごらんじおくつて、「ひごろのこひしさはことのかずならず」とぞかなしみたまひける。このこはははのゆゐごんのむざんさに、さしはなつてめのとなどのもとへもつかはさず、あさゆふおんまへにてそだてたまふ。さんざいでうひかうぶりして、よしむねとぞなのらせける。やうやうおひたちたまふほどに、みめすがたよにすぐれ、こころざまいうにおはしければ、大臣殿も、いとしううれしきことにおぼして、さればさいかいのなみのうへ、ふねのうちまでもひきぐして、かたときもはなれたまはず。しかるをいくさやぶれてのちは、けふぞたがひにみたまひける。しげふさ、判官にまうしけるは、「そもそもわかぎみをばなにとおんぱからひさふらふやらん」とまうしければ、「鎌倉までぐそくしたてまつるにおよばず。なんぢこれにてともかうもあひはからへ」とのたまへば、しげふさしゆくしよにかへつて、ににんの女房どもにいひけるは、「大臣殿はあすくわんとうへげかうさふらふ。しげふさもおんともにまかりくだりさふらふあひだ、わかぎみをばきやうとにとどめおき、をがたのさぶらうこれよしがてへわたしまゐらせさふらふべし。とうとうめされさふらへ」とて、おんくるまをよせたりければ、わかぎみはまたさきのやうに、ちちのおんもとへかと、うれしげにおぼしたるこそいとほしけれ。ににんの女房も、ひとつくるまにのつてぞいでにける。ろくでうをひんがしへ、かはらまでやつてゆく。

めのとの女房、「あはれこれはあやしきものかな」と、きもたましひをけしておもふところに、ややあつてつはものどもごろくじつきがほど、かはらなかへうつていでたり。やがてくるまをやりとどめ、「わかぎみおりさせたまへ」とて、しきがはしいてすゑたてまつる。わかぎみあきれたるおんありさまにて、「そもそもわれをばいづちへぐしてゆかんとはするぞ」とのたまへば、ににんの女房ども、とかうのおんぺんじにもおよばず、こゑをはかりにをめきさけぶ。しげふさがらうどう、たちをひきそばめ、ひだんのかたよりわかぎみのおんうしろにたちまはり、すでにきりたてまつらんとしけるを、わかぎみみつけたまひて、いくほどのがるべきことのやうに、いそぎめのとのふところのうちへぞにげいらせたまひける。

ににんの女房ども、わかぎみをいだきたてまつて、「ただわれわれをうしなひたまへ」とて、てんにあふぎちにふして、なきかなしめどもかひぞなき。ややあつてしげふさ、なみだをおさへてまうしけるは、「いまはいかにもかなはせたまふべからず」とて、いそぎめのとのふところのうちより、わかぎみひきいだしまゐらせ、こしのかたなにておしふせて、つひにくびをぞかいてげる。くびをば判官にみせんとてとつてゆく。ににんの女房ども、かちはだしにておつつき、「なにかくるしうさぶらふべき。おんくびをばたまはつて、おんけうやうしまゐらせさぶらはん」とまうしければ、判官なさけあるひとにて、「もつともさるべし。とうとう」とてたびにけり。ににんの女房ども、なのめならずによろこび、これをとつてふところにひきいれて、なくなくきやうのかたへかへるとぞみえし。そののちごろくにちして、かつらがはに女房ににんみをなげたりといふことありけり。いちにんをさなきひとのくびをふところにいれて、しづみたりしは、このわかぎみのめのとの女房にてぞありける。いまいちにんむくろをいだいてしづみたりしは、かいしやくの女房なり。めのとがおもひきるは、せめていかがせん、かいしやくの女房さへ、みをなげけるこそあはれなれ。
 

17 腰越(こしごえ)

元暦二年五月七日、九郎大夫の判官義経、大臣殿(おほいとの)ふしぐそくしたてまつて、すでにみやこをたちたまふ。粟田口(あはだぐち)にもかかりたまへば、おほうちやまはくもゐのよそにへだたりぬ。せきのしみづをみたまひて、大臣殿なくなくえいじたまひけり。

みやこをばけふをかぎりのせきみづにまたあふさかのかげやうつさん W089

みちすがらもこころぼそげにおはしければ、判官なさけあるひとにて、やうやうになぐさめたてまつりたまふ。大臣殿、「あはれいかにもして、こんどのいのちをたすけてたべ」とぞのたまひける。判官、「ささふらへばとて、おんいのちうしなひたてまつるまでは、よもさふらはじ。たとひささふらふとも、義経かうてさふらへば、こんどのくんこうのしやうにまうしかへて、おんいのちばかりをばたすけたてまつらん。さりながらも、とほきくに、はるかのしまへもうつしぞやりまゐらせんずらん」とまうされたりければ、大臣殿、「たとひえぞがちしまなりとも、いのちだにあらば」とのたまひけるこそくちをしけれ。ひかずふれば、おなじきにじふさんにち、判官鎌倉へくだりつきたまふべきよしきこえしかば、梶原へいざうかげとき、判官にさきだつて、鎌倉どのへまうしけるは、「いまはにつぽんごくのこるところもなう、したがひつきたてまつてさふらふ。さはさふらへども、おんおとと九郎大夫の判官どのこそ、つひのおんかたきとはみえさせたまひてさふらへ。そのゆゑはいちをもつてまんをさつすとて、『いちのたにをうへのやまよりおとさずは、とうざいのきどぐちやぶれがたし。

さればいけどりをも、しにどりをも、まづ義経にこそみすべきに、もののようにもあひたまはぬかばどののげんざんにいるべきやうやある。ほんざんみのちうじやうどのを、いそぎこれへたびさふらへ。たばずは、義経まゐつてたまはらん』とて、すでにこといでこんとしさふらひしをも、かげときがよくはからひて、とひにこころをあはせて、ほんざんみのちうじやうどのを、とひのじらうさねひらがもとにあづけおきたてまつてのちこそ、よはしづまつてさふらへ」とまうしければ、鎌倉どのおほきにうちうなづいて、「九郎がけふこれへいるなる。おのおのよういしたまへ」とのたまへば、だいみやうせうみやうはせあつまつて、鎌倉どのはほどなくすせんぎにこそなりたまへ。

鎌倉どのは、ぐんびやうななへやへにすゑおき、わがみはそのうちにおはしながら、「九郎はすすどきをのこなれば、このたたみのしたよりもはひいでんずるものなり。されども頼朝は、せらるまじ」とぞのたまひける。かねあらひざはにせきすゑて、大臣殿ふしうけとりたてまつて、それより判官をばこしごえへおひかへさる。判官、「こはさればなにごとぞや。こぞのはる、木曽義仲を追討せしよりこのかた、ことしのはる、平家をことごとくほろぼしはてて、ないしどころ、しるしのおんはこ、ことゆゑなうみやこへかへしいれたてまつり、あまつさへたいしやうぐん大臣殿ふしいけどりにして、これまでくだりたらんにはたとひいかなるふしぎありとも、いちどはなどかたいめんなからん。およそくこくのそうづゐぶしにもふせられ、せんおん、せんやう、なんかいだう、いづれなりともあづけられ、いつぱうのおんかためにもなされんずるかとこそおもひたれば、さはなくして、わづかにいよのくにばかりちぎやうすべきよしのたまひて、鎌倉ぢうへだにいれられずして、こしごえへおひのぼせられしことはいかに。およそにつぽんこくぢうをしづむることは、義仲義経がしわざにあらずや。たとへばおなじちちがこにて、さきにうまるるをあにとし、のちにうまるるをおとととするばかりなり。てんがをしらんに、たれかはしらざらん。しやするところをしらず」とつぶやかれけれどもかひぞなき。判官なくなくいつつうのじやうをかいて、ひろもとのもとへつかはさる。

そのじやうにいはく、「みなもと義経おそれながらまうしあげさふらふいしゆは、御代官のそのひとつにえらばれ、ちよくせんのおんつかひとして、てうてきをたひらげ、くわいけいのちじよくをすすぐ。くんしやうおこなはるべきところに、おもひのほかにここうのざんげんによつて、ばくたいのくんこうをもだせらる。義経をかすことなうしてとがをかうぶる。こうあつてあやまりなしといへども、ごかんきをかうぶるのあひだ、むなしくこうるゐにしづむ。ざんしやのじつぷをただされず、鎌倉ぢうへだにいれられざるあひだ、そいをのぶるにあたはず。いたづらにすじつをおくる。このときにあたつて、ながくおんがんをはいしたてまつらず。こつにくどうはうのぎすでにたえ、しゆくうんきはめてむなしきににたるか。はたまたぜんぜのごふいんをかんずるか。かなしきかな、このでう、こばうぶそんりやうさいたんしたまはずんば、たれのひとかぐいのひたんをまうしひらかん。

いづれのひとかあいれんをたれんや。ことあたらしきまうしでう、じゆつくわいににたりといへども、義経しんだいはつぷをふぼにうけ、いくばくのじせつをへずして、こかうのとのごたかいのあひだ、みなしごとなつてははのふところのうちにいだかれて、やまとのくにうだのこほりにおもむきしよりこのかた、いちにちへんしあんどのおもひにぢうせず、かひなきいのちはそんすといへども、きやうとのけいぐわいなんぢのあひだ、みをざいざいしよしよにかくし、へんどゑんごくをすみかとして、どみんひやくしやうらにぶくじせらる。しかれどもかうけいたちまちにじゆんじゆくして、平家のいちぞくつゐたうのために、しやうらくせしむるてあはせに、まづ木曽義仲をちうりくの後、平家をせめかたぶけんがために、あるときはががたるがんぜきに、しゆんめにむちうつて、かたきのためにいのちをほろぼさんことをかへりみず、あるときはまんまんたるだいかいに、ふうはのなんをしのぎ、みをかいていにしづめんことをいたまずして、かばねをけいげいのあぎとにかく。しかのみならずかつちうをまくらとし、きうせんをげふとするほんい、しかしながらばうこんのいきどほりをやすめたてまつり、ねんらいのしゆくばうをとげんとほつするほかはたじなし。

あまつさへ義経五位の尉にふにんのでう、たうけのちようじよくなにごとかこれにしかん。しかりといへども、いまうれへふかくなげきせつなり。ぶつしんのおんたすけにあらずよりほかは、いかでかしうそをたつせん。これによつてしよじしよしやのごわうはういんのうらをもつて、まつたくやしんをさしはさまざるむね、につぽんごくちうのだいせうのじんぎみやうだうをしやうじおどろかしたてまつて、すつうのきしやうもんをかきしんずといへども、なほもつてごいうめんなし。それわがくにはしんこくなり。しんはひれいをうけたまふべからず。たのむところたにあらず。ひとへにきでんくわうだいのじひをあふぎ、べんぎをうかがひ、かうぶんにたつせしめ、ひけいをめぐらして、あやまりなきむねをいうぜられ、はうめんにあづからば、しやくぜんのよけいかもんにおよび、えいぐわながくしそんにつたへ、よつてねんらいのしうびをひらき、いちごのあんねいをえん。しよしにつくさず。しかしながらせいりやくせしめさふらひをはんぬ。義経きようくわうつつしんでまうす。げんりやくにねんろくぐわついつかのひ、みなもとの義経しんじやう、いなばのかうのとのへ」とぞかかれたる。
 
 

18 大臣殿誅伐(おほいとのちうばつ)

さるほどに、鎌倉どの、大臣殿にたいめんある。おはしけるところ、にはをひとつへだてて、むかひなるやにすゑたてまつり、すだれのうちよりみいだしたまひて、ひきのとうしらうよしかずをもつてまうされけれるは、「そもそも平家を頼朝がわたくしのかたきとは、ゆめゆめおもひたてまつらず。そのゆゑはこにふだうしやうこくのおんゆるされさふらはずは、頼朝いかでかたすかるべき。さてこそにじふよねんまでまかりすぎさふらひしか。されどもてうてきとならせたまひてのちは、いそぎ追討すべきよしの院宣をたまはつてさふらへば、さのみわうぢにはらまれて、ぜうめいをそむくべきにもあらねば、これへむかへたてまつたり。さりながらもかやうにおんげんざんにいりさふらひぬることこそ、かへすがへすもほんいにさふらへ」とぞまうされける。よしかずこのことまうさんとて、大臣殿のおんまへへまゐつたりければ、ゐなほりかしこまりたまふぞくちをしき。

しよこくのだいみやうせうみやうおほうなみゐたりけるなかに、きやうのものいくらもあり、また平家のけにんたつしものもあり。みなつまはじきをして、「あないとほし。あのおんこころでこそ、かかるおんめにもあはせたまへ。ゐなほりかしこまりたまひたればとて、いまさらおんいのちのたすかりたまふべきか。西国にていかにもなりたまふべきひとの、いきながらとらはれて、これまでくだりたまふもことわりかな」といひければ、「げにも」とまうすひともあり、またなみだをながすものもおほかりけり。そのなかにあるひとのまうしけるは、「まうこしんざんにあるときは、すなはちはくじうふるひおづ。

かんせいのうちにあるときは、すなはちををふつてじきをもとむとて、たけきとらのしんざんにあるときは、もものけだものおぢおそるといへども、とつておりのなかにこめられてのちは、ををふつてひとにむかふらんやうに、いかにたけきたいしやうぐんも、うんつきかくなつてのちは、こころかはるならひなれば、この大臣殿も、さこそおはすにや」と、まうすひとびともありけるとかや。判官やうやうにちんじまうされけれども、かげときがざんげんのうへは、鎌倉どのさらにもちひたまはず。大臣殿ふしぐしたてまつて、いそぎのぼりたまふべきよしのたまふあひだ、ろくぐわつここのかのひ、また大臣殿ふしうけとりたてまつて、みやこへかへりのぼられけり。大臣殿は、かやうにいちにちもひかずののぶることを、うれしきことにおぼしけるこそいとほしけれ。みちすがらも、「ここにてやここにてや」とおもはれけれども、くにぐにしゆくじゆくうちすぎうちすぎとほりぬ。

をはりのくにうつみといふところあり。「これはひととせこさまのかみよしともがちうせられしところなれば、ここにてぞいちぢやうきられつらん」とおもはれけれども、そこをもつひにすぎしかば、「さてはわがいのちのたすからんずるにこそ」と、おぼしけるこそはかなけれ。ゑもんのかみは、さはおもひたまはず、「かやうにあつきころなれば、くびのそんぜぬやうにはからひて、みやこちかうなつてこそきられんずらめ」とおもはれけれども、ちちのあまりになげきたまふがいたはしさに、さはまうされず、ひとへにねんぶつをのみぞすすめまうされける。

おなじきにじふさんにち、近江(あふみ)国にしのはらのしゆくにつきたまふ。きのふまではふしひとつところにおはせしかども、けさよりひきわかつて、べつのところにすゑたてまつる。判官なさけあるひとにて、みつかぢよりひとをさきだてて、ぜんぢしきのためにとて、おほはらのほんしやうばうたんがうとまうすひじりをしやうじくだされたり。大臣殿、ぜんぢしきのひじりにむかつてのたまひけるは、「さてもゑもんのかみは、いづくにさふらふやらん。たとひかうべをこそはねらるるとも、むくろはひとつむしろにふさんとこそおもひしに、いきながらわかれぬることこそかなしけれ。このじふしちねんがあひだ、いちにちへんしもはなれず、こんど西国にて、いかにもなるべかりしのみの、いきながらとらはれて、きやう鎌倉はぢをさらすも、ひとへにあのゑもんのかみゆゑなり」とてなかれければ、ひじりもあはれにおもはれけれども、われさへこころよわうては、かなはじとやおもはれけん、なみだおしのごひ、さらぬていにもてなし、「あはれたかきもいやしきも、おんあいのみちは、おもひきられぬことにてさふらへば、まことにさこそはおぼしめされさふらふらめ。しやうをうけさせたまひてよりこのかた、たのしみさかえむかしもたぐひさふらはず。いつてんのきみのごぐわいせきとしてしようじやうのくらゐにいたらせたまへば、こんじやうのごえいぐわ、いちじものこるところましまさず。

いままたかかるおんめにあひたまふおんことも、ぜんぜのしゆくごふなれば、よをもひとをもかみをもほとけをも、うらみおぼしめすべからず。だいぼんわうぐうのじんぜんぢやうのたのしみ、おもへばほどなし。いはんやでんくわうてうろのげかいのいのちにおいてをや。たうりてんのおくせんざい、ただゆめのごとし。さんじふくねんをすぎさせたまひけんも、わづかにいつしのあひだなり。たれかなめたりしふらうふしのくすり、たれかたもちたりけんとうぶせいぼがいのち、しんのしくわうのおごりをきはめたまひしも、つひにはりさんのつかにうづもれ、かんのぶていのいのちををしみたまひけんも、むなしくとりようのこけにくちにき。しやうあるものはかならずめつす。しやくそんいまだせんだんのけぶりをまぬかれたまはず。たのしみつきてかなしみきたる。

てんにんなほごすゐのひにあへりとこそうけたまはれ。さればほとけは、『がしんじくう、ざいふくむしゆ、くわんじんむしん、ほふふぢうほふ』とて、ぜんもあくもくうなりとくわんずるが、まさしうほとけのおんこころにあひかなふことにてさふらふなり。いかなればみだによらいは、ごこふがあひだしゆゐして、おこしがたきぐわんをおこしましますに、いかなるわれらなれば、おくおくまんごふがあひだ、しやうじにりんゑして、たからのやまにいつて、てをむなしうせんこと、うらみのなかのうらみ、おろかなるがなかの、くちをしきことにてはさふらはずや。いまはゆめゆめよねんをおぼしめすべからず」とて、かいたもたせたてまつり、しきりにねんぶつをすすめたてまつれば、大臣殿も、しかるべきぜんぢしきとおぼしめし、たちまちにまうねんをひるがへし、にしにむかひてをあはせ、かうじやうにねんぶつしたまふところに、きつむまのじようきんなが、たちをひきそばめ、ひだんのかたより大臣殿のおんうしろにたちまはり、すでにきりたてまつらんとしければ、大臣殿ねんぶつをとどめて、「ゑもんのかみもすでにか」とのたまひけるこそあはれなれ。

きんながうしろへよるかとみえしかば、くびはまへへぞおちにける。ぜんぢしきのひじりもなみだにむせび、たけきもののふどもも、みなそでをぞぬらしける。このきんながとまうすは、平家さうでんのけにんにて、なかんづく新中納言知盛のきやうのもとに、あさゆふしこうの侍なり。「さこそよをへつらふならひとはいひながら、むげになさけなかりけるものかな」とぞ、ひとみなざんぎしける。ゑもんのかみにも、またさきのごとくかいたもたせたてまつり、ねんぶつすすめまうされけり。ゑもんのかみ、ぜんぢしきのひじりにむかつてのたまひけるは、「さてもちちのごさいごは、いかがましましさふらひつるやらん」とのたまへば、「めでたうましましさふらひつる。おんこころやすうおぼしめされさふらへ」とまうされければ、ゑもんのかみ、「いまはうきよにおもひおくことなし。さらばきれ」とて、くびをのべてぞきらせらる。こんどはほりのやたらうちかつねきりてんげり。むくろをばきんなががさたとして、ふしひとつあなにぞうづみける。

これは大臣殿の、あまりにつみふかうのたまひけるによつてなり。おなじきにじふしにち、大臣殿ふしのくび、みやこへいる。けんびゐしども、さんでうかはらにいでむかつて、これをうけとり、さんでうをにしへ、ひんがしのとうゐんをきたへわたして、ごくもんのひだんのあふちのきにぞかけられける。むかしよりさんみいじやうのひとのくび、おほぢをわたさるること、いこくにはそのれいもやあるらん、わがてうにはいまだせんじようをきかず。へいぢにものぶよりのきやうは、さばかりのあくぎやうにんたりしかば、かうべをばはねられたれども、おほぢをばわたされず、平家にとつてぞわたされける。西国よりのぼつては、いきてろくでうをひんがしへわたされ、東国よりかへつては、しんでさんでうをにしへわたさる。いきてのはぢ、ししてのはぢ、いづれもおとらざりけり。
 

19 重衡斬られ(しげひらのきられ)

さるほどに、本三位中将重衡卿をば、狩野介宗茂にあづけられて、去年より伊豆国におはしけるが、南都の大衆(だいしゆ)しきりに申ししければ、「さらばつかはさるべし」とて、源三位(げんざんみ)入道孫、伊豆蔵人大夫頼兼におほせて、つひに奈良へぞわたされける。こんどはみやこのうちへはいれられず、おほつよりやましなどほりに、だいごぢをへてゆけば、ひのはちかかりけり。このきたのかたとまうすは、とりかひのちうなごんこれざねのむすめ、ごでうの大納言くにつなのやうじ、せんていのおんめのと、大納言のすけのつぼねとぞまうしける。中将いちのたににて、いけどりにせられたまひてのちは、せんていにつきまゐらせてましましけるが、だんのうらにてうみにしづみたまひしかば、もののふのあらけなきにとらはれて、きうりにかへり、あねのだいぶ三位にどうしゆくして、ひのといふところにぞましましける。三位の中将のつゆのいのち、くさばのすゑにかかつて、いまだきえやりたまはぬとききたまひて、あはれいかにもして、かはらぬすがたを、いまいちどみもし、みえばやとはおもはれけれども、それもかなはねば、ただなくよりほかのなぐさみなくて、あかしくらしたまひけり。三位の中将、しゆごのぶしどもにのたまひけるは、「さてもこのほど、おのおののなさけふかう、はうじんせられけることこそ、ありがたううれしけれ。

おなじうはさいごにいまいちど、はうおんかうぶりたきことあり。われはいちにんのこなければ、うきよにおもひおくことなし。としごろちぎつたりしにようばうの、ひのといふところにありときく。いまいちどたいめんして、ごしやうのことをもいひおかばやとおもふはいかに」とのたまへば、ぶしどももいはきならねば、みななみだをながいて、「まことににようばうなどのおんことは、なにかくるしうさふらふべき。とうとう」とてゆるしたてまつる。三位の中将、なのめならずよろこび、「これに大納言のすけのつぼねのおんわたりさふらふか。

本三位中将殿の、ただいまならへおんとほりさふらふが、たちながらおんげんざんにいらんとさふらふ」と、ひとをいれていはせられたりければ、きたのかた、「いづらやいづら」とて、はしりいでてみたまへば、あゐずりのひたたれに、をりゑぼしきたるをとこの、やせくろみたるが、えんによりゐたるぞ、そなりける。きたのかたみすのきはちかくいでて、「いかにやいかに、ゆめかやうつつか。これへいらせたまへ」とのたまひけるおんこゑを、ききたまふにつけても、たださきだつものはなみだなり。大納言のすけどのは、めもくれこころもきえはてて、しばしはものものたまはず。三位の中将みすうちかづき、なくなくのたまひけるは、「こぞのはるつのくにいちのたににて、いかにもなるべかりしみの、せめてのつみのむくいにや、いきながらとらはれて、きやうかまくらはぢをさらすのみならず、はてはなんとのだいしゆのてへわたされて、きらるべしとてまかりさふらふ。あはれいかにもして、かはらぬすがたをいまいちど、みもしみえたてまつらばやとこそおもひつるに、いまはうきよにおもひおくことなし。これにてかしらをそり、かたみにかみをもまゐらせたうさふらへども、かかるみにまかりなつてさふらへば、こころにこころをもまかせず」とて、ひたひのかみをかきわけ、くちのおよぶところをすこしくひきつて、「これをかたみにごらんぜよ」とてたてまつりたまへば、きたのかた、ひごろおぼつかなうおぼしけるより、いまひとしほおもひのいろやまさられけん、ひきかづいてぞふしたまふ。

ややあつて、きたのかたなみだをおさへてのたまひけるは、「にゐどの、ゑちぜんの三位のうへのやうに、みづのそこにもしづむべかりしかども、まさしうこのよにおはせぬひとともきかざりしかば、かはらぬすがたをいまいちど、みもしみえばやとおもひてこそ、うきながらけふまでもながらへたれ。いままでながらへつるは、もしやとおもふたのみもありつるものを、さてはけふをかぎりにておはすらんことよ」とて、むかしいまのことどものたまひかはすにつけても、ただつきせぬものはなみだなり。

きたのかた、「あまりにおんすがたのしをれてさぶらふに、たてまつりかへよ」とて、あはせのこそでにじやうえをそへていだされたり。中将これをきかへつつ、もときたまひたるしやうぞくをば、「これをもかたみにごらんぜよ」とてたてまつりたまへば、きたのかた、「それもさるおんことにてはさぶらへども、はかなきふでのあとこそ、のちのよまでのかたみにてさぶらへ」とて、おんすずりをいだされたり。中将なくなくいつしゆのうたをぞかきたまふ。

せきかねてなみだのかかるからごろものちのかたみにぬぎぞかへぬる W090

きたのかたのへんじに、
ぬぎかふるころももいまはなにかせむけふをかぎりのかたみとおもへば W091

「ちぎりあらば、のちのよにはかならずむまれあひたてまつるべし。ひとつはちすにといのりたまへ。ひもたけぬ。ならへもとほうさふらへば、ぶしどものまつらんもこころなし」とて、いでられければ、きたのかた、中将のたもとにすがり、「いかにやしばし」とてひきとどめたまへば、中将、「こころのうちをばただおしはかりたまふべし。されどもつひにはながらへはつべきみにもあらず」とて、おもひきつてぞたたれける。まことにこのよにてあひみんことも、これぞかぎりとおもはれければ、いまいちどたちかへりたくはおもはれけれども、こころよわうてはかなはじとて、おもひきつてぞいでられける。きたのかたはみすのほかまでまろびいで、をめきさけびたまひけるおんこゑの、かどのほかまではるかにきこえければ、中将なみだにくれて、ゆくさきもみえねば、こまをもさらにはやめたまはず。なかなかなりけるげんざんかなと、いまはくやしうぞおもはれける。きたのかたやがてはしりもいでておはしぬべうはおもはれけれど、それもさすがなればとて、ひきかづいてぞふしたまふ。さるほどになんとのだいしゆ、三位の中将うけとりたてまつて、いかがすべきとせんぎす。「そもそもこの重衡のきやうはだいぼんのあくにんたるうへ、さんぜんごけいのうちにももれ、しゆいんかんくわのだうりごくじやうせり。ぶつてきほつてきのぎやくしんなれば、すべからくとうだいじこうぶくじりやうじのおほがきをめぐらして、ほりくびにやすべき、またのこぎりにてやきるべき」とせんぎす。
らうそうどものせんぎしけるは、「それもそうとのほふにはをんびんならず。ただぶしにたうで、こつのへんにてきらすべし」とて、つひにぶしのてへぞかへされける。ぶしこれをうけとつて、こつがはのはたにて、すでにきりたてまつらんとしけるに、すせんにんのだいしゆ、しゆごのぶし、みるひといくせんまんといふかずをしらず。

ここに三位中将の年頃の侍に、木工右馬允(むくむまのじよう)知時といふものあり。八条女院にけんざんにてさふらひけるが、ご最後をみたてまつらんとて、むちをうつてぞはせたりける。すでにきりたてまつらんとしけるところにはせついて、いそぎむまよりとんでおり、せんまんひとのたちかこうだるなかを、おしわけおしわけ、三位の中将のおんそばちかうまゐつて、「ともときこそごさいごをみたてまつらんとて、まゐつてさふらへ」とまうしければ、中将、「こころざしのほどまことにしんべうなり。いかにともとき、あまりにつみふかうおぼゆるに、さいごにほとけををがみたてまつて、きらればやとおもふはいかに」とのたまへば、ともとき、「やすいほどのおんことざふらふ」とて、しゆごのぶしにまうしあはせて、そのへんちかきさとより、ほとけをいつたいむかへたてまつてまゐりたり。さいはひにあみだにてぞましましける。かはらのいさごのうへにすゑたてまつり、ともときがかりぎねのそでのくくりをといて、ほとけのみてにかけ、中将にひかへさせたてまつる。中将これをひかへつつ、ほとけにむかひたてまつてまうされけるは、「つたへきく、でうだつがさんぎやくをつくり、はちまんざうのしやうげうを、やきほろぼしたてまつたりしも、つひにはてんわうによらいのきべつにあづかり、しよさのざいごふまことにふかしといへども、しやうげうにちぐせしぎやくえんくちずして、かへつてとくだうのいんとなる。いま重衡がぎやくざいををかすこと、まつたくぐいのほつきにあらず。ただよのことわりをぞんずるばかりなり。しやうをうくるもの、たれかわうめいをべつじよせん。いのちをたもつもの、たれかちちのめいをそむかん、かれとまうしこれといひ、じするにところなし。りひぶつだのせうらんにあり。さればざいはうたちどころにむくい、うんめいすでにただいまをかぎりとす。

こうくわいせんばん、かなしんでもなほあまりあり。ただしさんばうのきやうがいは、じひしんをもつてこころとするゆゑに、さいどのりやうえんまちまちなり。ゆゐゑんげうい、ぎやくそくぜじゆん、このもんきもにめいず。いちねんみだぶつ、そくめつむりやうざい、ねがはくはぎやくえんをもつてじゆんえんとし、ただいまのさいごのねんぶつによつて、くほんたくしやうをとぐべし」とて、くびをのべてぞうたせらる。ひごろのあくぎやうはさることなれども、ただいまのおんありさまをみたてまつるに、すせんにんのだいしゆも、しゆごのぶしどもも、みなよろひのそでをぞぬらしける。くびをばはんにやじのもんのまへに、くぎづけにこそしたりけれ。これはさんぬる治承のかつせんのとき、ここにうつたつて、がらんをやきほろぼしたまひたりしゆゑとぞきこえし。きたのかたこのよしをききたまひて、たとひかうべをこそはねらるるとも、むくろはさだめてすておいてぞあるらん。とりよせてけうやうせんとて、こしをむかひにつかはされたりければ、げにもむくろはかはらにすておきてぞありける。これをとつてこしにいれ、ひのへかいてぞかへりける。きのふまでは、さしもゆゆしげにおはせしかども、かやうにあつきころなれば、いつしかあらぬさまにぞなられける。これをまちうけてみたまひけるきたのかたのこころのうち、おしはかられてあはれなり。くびをば、だいぶつのひじり、しゆんじようばうにかくとのたまへば、だいしゆにこひうけて、やがてひのへぞおくられける。さてしもあるべきことならねば、そのへんちかきほふかいじといふやまでらにいれたてまつり、くびもむくろもけぶりになし、こつをばかうやへおくり、はかをばひのにぞせられける。きたのかたやがてさまをかへ、こきすみぞめにやつれはてて、かのごせぼだいをとぶらひたまふぞあはれなる。
 
 

巻第十一 了



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2000.11.20
2001.10.07Hsato

原テキスト作成 荒山慶一氏

荒山氏のURLは以下の所にある。

平家物語協会(Heike Academy International)
http://www.cometweb.ne.jp/ara/

佐藤弘弥一部改変中