平家物語 巻第十  (流布本元和九年本)
 
 
 

1 首渡し(くびわたし)

寿永三年二月七日、摂津国一の谷にてうたれたまひし平氏のくびども、じふににちにみやこへいる。平家にむすぼれたりしひとびとは、こんどわがかたざまに、いかなるうきことをかきき、いかなるうきめをか、みんずらんと、なげきあひかなしみあはれけり。なかにもだいかくじにかくれゐたまへるこまつの三位中将維盛のきやうのきたのかたは、いとどおぼつかなうおもはれけるに、こんど一の谷にて、いちもんのひとびとのこりすくなにうちなされ、いまは三位中将といふくぎやういちにん、生捕りにせられてのぼるなりとききたまひて、このひとはなれたまはじものをとて、もだえこがれたまひけり。あるにようばうのだいかくじにまゐつてまうしけるは、「三位中将どのとは、これのおんことにてはさぶらはず、本三位中将どののおんことなり」とまうしければ、さてはくびどものなかにこそあるらめとて、なほこころやすうもおもひたまはず。おなじきじふさんにち、たいふの判官なかよりいげのけんびゐしども、ろくでうかはらにいでむかつて、平氏のくびどもうけとり、ひんがしのとうゐんをきたへわたいて、ごくもんのきにかけらるべきよし、範頼義経そうもんす。ほふわう、このこといかがあらんずらんと、おぼしめしわづらはせたまひて、だいじやう大臣、さうの大臣、ない大臣、ほりかはのだいなごんただちかのきやうにおほせあはせらる。ごにんのくぎやうまうされけるは、「むかしよりけいしやうのくらゐにいたるひとのくび、おほちをわたさるることせんれいなし。なかにもこのともがらは、せんていのおんときよりせきりのしんとして、ひさしくてうかにつかうまつる。はんらいぎけいがまうしじやう、あながちにごきよようあるべからず」とまうされければ、わたさるまじきにさだめられたりしかども、範頼義経かさねてそうもうしけるは、「ほうげんのむかしをおもへば、そぶためよしがあた、平治のいにしへをあんずるに、ちちよしともがかたきなり。さればきみのおんいきどほりをやすめたてまつり、ちちのはぢをきよめんがために、いのちをすてててうてきをほろぼす。

こんど平氏のくびおほちをわたされざらんにおいては、じこんいごなんのいさみあつてかきようとをしりぞけんや」と、しきりにうつたへまうされければ、ほふわうちからおよばせたまはず、つひにわたされけり。みるひといくせんばんといふかずをしらず。ていけつにそでをつらねしいにしへは、おぢおそるるともがらおほかりき。ちまたにかうべをわたさるるいまは、またあはれみかなしまずといふことなし。なかにもだいかくじにかくれゐたまへる、こまつの三位中将維盛のきやうのわかぎみ、ろくだいごぜんにつきたてまつたりけるさいとうご、さいとうろく、あまりのおぼつかなさに、さまをやつしてみければ、おんくびどもは、みなみしりたてまつりたれども、三位中将どののおんくびはみえたまはず。されどもあまりのかなしさに、つつむにたへぬなみだのみしげかりければ、よそのひとめもおそろしくて、いそぎだいかくじへぞかへりまゐりける。きたのかた、「さていかにやいかに」ととひたまへば、「ひとびとのおんくびどもは、みなみしりたてまつたれども、三位中将どののおんくびは、みえさせたまひさふらはず。

ごきやうだいのおんなかには、びつちうのかうのとののおんくびばかりこそ、みえさせたまひさふらひつれ。そのほかは、そんぢやうそのくび、そのおんくび」とまうしければ、きたのかた、「それもひとのうへとはおぼえず」とて、ひきかづいてぞふしたまふ。ややあつて、さいとうごなみだをおさへてまうしけるは、「このいちりやうねんはかくれゐさふらひて、ひとにもいたうみしられさふらはねば、いましばらくさふらひて、みまゐらせたうぞんじさふらひつれども、よにあんないくはしうしりたるもののまうしさふらひしは、『こんどのかつせんに、こまつどのの公達たちは、あはせたまはず。そのゆゑは、はりまとたんばのさかひなる、みくさのてをかためさせたまひさふらひけるが、九郎義経にやぶられて、しんざんみのちうじやうどの、おなじきせうしやうどの、たんごのじじうどのは、はりまのたかさごよりおんふねにめして、讃岐の八島へわたらせたまひさふらひぬ。

なにとしてかははなれさせたまひてさふらひけるやらん、そのなかにびつちうのかうのとのばかりこそ、こんど一の谷にてうたれさせたまひてさふらへ』とかたりまうしさふらひしほどに、さて三位中将どののおんことは、いかにととひさふらひつれば、『それはいくさいぜんより、だいじのおんいたはりとて、讃岐の八島へわたらせたまひて、このたびはむかはせたまはず』と、まうすものにこそあうてさふらひつれ」と、こまごまとかたりまうしたりければ、きたのかた、「それもわれらがことをこころぐるしうおもひたまひて、あさゆふなげかせたまふが、やまふとなつたるにこそ。かぜのふくひは、けふもやふねにのりたまふらんときもをけし、いくさといふときは、ただいまもやうたれたまひぬらんとこころをつくす。ましてさやうのおんいたはりなんどをば、たれかこころやすうあつかひたてまつるべき。それをくはしうきかばや」とのたまへば、わかぎみひめぎめも、「などなにのおんいたはりとはとはざりけるぞ」とのたまひけるこそあはれなれ。

三位中将も、かよふこころなれば、さてもみやこには、いかにこころもとなうおもふらん。たとひくびどものなかにこそなくとも、やにあたつてもしに、みづにおぼれてうせぬらん、いままでこのよにあるものとは、よもおもひたまはじ。つゆのいのちのきえやらで、いまだうきよにながらへたるを、しらせたてまつらんとて、つかひをいちにんしたてて、のぼせられけるが、みつのふみをぞかかれける。まづきたのかたへのおんふみには、「みやこにはかたきみちみちて、おんみひとつのおきどころだにあらじに、をさなきものどもひきぐして、いかにかなしうおはすらん。これへむかへまゐらせて、ひとつところにていかにもならばやとはおもへども、わがみこそあらめ、おんためいたはしくて」なんど、こまごまとかいて、おくにはいつしゆのうたぞありける。

いづくともしらぬあふせのもしほぐさかきおくあとをかたみともみよ W073

さてをさなきひとびとのおんもとへは、「つれづれをばなにとしてかはなぐさむらん。やがてこれへむかへとらうずるぞ」と、ことばもかはらずかいてのぼせらる。つかひみやこへのぼり、きたのかたにおんふみとりいだいてたてまつる。これをあけてみたまひて、いとどおもひやまさられけん、ひきかづいてぞふしたまふ。かくてしごにちもすぎしかば、つかひ、「おんぺんじたまはつて、かへりまゐりさふらはん」とまうしければ、きたのかたなくなくおんぺんじかきたまふ。わかぎみひめぎみも、めんめんにふでをそめて、「さてちちごぜんへのおんぺんじをば、なにとかきまうすべきやらん」ととひたまへば、きたのかた、「ただともかくも、わごぜたちがおもはうずるやうをまうすべし」とぞのたまひける。「などやいままではむかへさせたまひさふらはぬぞ。あまりにおんこひしうおもひまゐらせさふらふに、とくむかへさせたまへ」と、おなじことばにぞかかれたる。つかひおんふみたまはつて、八島へかへりまゐつて、三位中将どのに、おんぺんじとりいだいてたてまつる。まづをさなきひとびとのおんぺんじをみたまひて、三位中将どのに、おんぺんじとりいだいてたてまつる。まづをさなきひとびとのおんぺんじをみたまひて、いとどせんかたなげにぞみえられける。「そもそもこれよりゑどをいとふにいさみなし。えんぶあいしふのつなつよければ、じやうどをねがはんもものうし。ただこれよりやまづたひにみやこへのぼり、こひしきものどもをも、いまいちどみもしみえてのち、じがいをせんにはしかじ」とぞ、なくなくかたりたまひける。
 
 

2 内裏女房(だいりにようばう)

同十四日(きじふしにち)、生捕り本三位中将重衡の卿、都へいつておほちをわたさる。こばちえふのくるまのぜんごのすだれをあげ、さうのものみをひらく。土肥次郎実平は、むくらんぢの直垂に小具足ばかりして、随兵(ずゐびやう)三十余騎ひきぐして、くるまのぜんごをうちかこんで守護したてまつる。きやうぢうのじやうげこれをみて、「あないとほし。いくらもまします公達のなかに、このひといちにんかやうになりたまふことよ。にふだうどのにもにゐどのにも、おぼえのおんこにてましませば、いちもんのひとびともおもきことにして、ゐんうちへまゐらせたまひしにも、おいたるもわかきも、ところをおきてもてなしたてまつらせたまひしぞかし。いままたかやうになりたまふことは、いかさまにもならをやきたまへるがらんのばち」といひあへり。ろくでうをひんがしへかはらまでわたいて、それよりかへつて、こなかのみかどのとうぢうなごんかせいのきやうのみだう、はちでうほりかはなるところにすゑたてまつて、きびしう守護したてまつる。ゐんのごしよよりおつかひあり。

蔵人のさゑもんのごんのすけさだなが、はちでうほりかはへぞむかひける。せきいにけんしやくをぞたいしたりける。三位中将は、こんむらごの直垂に、をりゑぼしひきたてておはします。ひごろはなにともおもはれざりしさだながを、いまはめいどにてざいにんどもが、みやうくわんにあへるここちぞせられける。おほせくだされけるは、「八島へかへりたくば、いちもんのかたへいひおくつて、さんじゆのしんきをみやこへかへしいれたてまつれ。しからば八島へかへさるべし」とのごきしよくなり。三位中将まうされけるは、「さしもにわがてうのちようほう、さんじゆのしんきを、重衡いちにんにかへまゐらせんとは、だいふいげいちもんのものどもが、よもまうしさふらはじ。によしやうでさふらへば、もしぼぎのにほんなんどもや、さもまうしさふらはんずらん。さりながらも、ゐながら院宣をかへしたてまつらんことは、そのおそれもさふらへば、すみやかにまうしおくつてこそみさふらはめ」とぞまうされける。院宣のおつかひは、おつぼのめしつぎはなかた、三位中将のつかひは、へいざうざゑもんしげくにといふものなり。大臣殿、平大納言へは、院宣のおもむきをまうさる。にゐどのへはおんふみこまごまとかいてまゐらせらる。わたくしのふみをばゆるされなければ、ひとびとのもとへはことばにてことづてらる。

きたのかただいなごんのすけどのへも、ことばにてまうされけり。「たびのそらにても、ひとはわれになぐさみ、われはひとになぐさみしものを、ひきわかれてのち、いかにかなしうおはすらん。ちぎりはくちせぬものとまうせば、のちのよにはかならずむまれあひたてまつるべし」と、なくなくことづてたまへば、しげくにもまことにあはれにおぼえて、なみだをおさへてたちにけり。ここに三位中将のとしごろのさぶらひに、むくむまのじようともときといふものあり。はちでうのにようゐんにけんざんのものにてさふらひけるが、とひのじらうさねひらがもとにゆいて、「これはねんらい三位中将どのにめしつかはれさふらひし、それがしとまうすものにてさふらふが、けふおほちでみまゐらせさふらへば、めもあてられず、あまりにおんいたはしうおもひまゐらせさふらふ。なにかくるしうさふらふべき。ともときばかりはおんゆるされをかうぶつて、いまいちどちかづきまゐつて、はかなきむかしがたりをもまうして、なぐさめたてまつらばやとぞんじさふらふ。ゆみやをとるみにてもさふらはねば、いくさかつせんのおんともつかまつたることもさふらはず。あさゆふただおまへにしこうせしばかりでさふらひき。それもなほおぼつかなうおぼしめされさふらはば、こしのかたなをめしおかれて、まげておんゆるされをかうぶりさふらはばや」とまうしければ、とひのじらう、なさけあるものにて、「まことにごいつしんは、なにかくるしうさふらふべき。

さりながらも」とて、こしのかたなをこひとつてぞいれてげる。むまのじようなのめならずよろこび、いそぎまゐつておんありさまをみたてまつるに、まことにふかうおもひいれたまへるとおぼしくて、おんすがたもいたくしをれかへつておはしけるを、みまゐらするに、ともときなみだもさらにおさへがたし。ちうじやうもゆめにゆめみるここちして、とかうのことをものたまはず。ややあつて、むかしいまのものがたりどもしたまひてのち、「さてもなんぢしてものいひしひとは、いまだ内裏にとやきく」。「さこそうけたまはりさふらへ」。ちうじやう、「われ西国へくだりしとき、ふみをもやらず、いひおくこともなかりしかば、よよのちぎりは、みないつはりになりにけるよと、おもふらんこそはづかしけれ。ふみをやらばやとおもふはいかに。たづねてゆきてんや」とのたまへば、ともとき、「やすいほどのおんことざふらふ」とまうす。ちうじやうなのめならずよろこび、やがてかいてぞたうでげる。

ともときこれをたまはつて、まかりいでんとしければ、守護の武士ども、「いかなるおんふみにてかさふらふらん。みまゐらせさふらはん」とまうしければ、ちうじやう、「みせよ」とのたまへば、みせてげり。くるしかるまじとて、とらせてげり。ともときこれをとつて、いそぎ内裏へまゐり、ひるはひとめのしげければ、そのへんちかきせうをくにたちより、ひをまちくらし、たそがれどきにまぎれいつて、くだんのにようばうのつぼねのしもぐちへんにたたずんでききければ、このにようばうのこゑとおぼしくて、「あないとほし。いくらもまします公達のなかに、このひといちにんかやうになりたまふことよ。ひとはみなならをやきたるがらんのばちといひあへり。

ちうじやうもさぞいひし。わがこころにおこつてはやかねども、あくたうおほかりしかば、てんでにひをはなつて、おほくのだうたふをやきほろぼす。すゑのつゆもとのしづくのためしあれば、わがみひとつのざいごふにこそならんずらめといひしが、げにさとおぼゆるぞや」とてなかれければ、ともとき、これにもかくなげきたまふことのいとほしさよとおもひ、「ものまうさう」どいへば、「なにごと」とこたふ。「これに本三位中将どのよりのおんふみのさふらふ」とまうしたりければ、ひごろははぢてみえたまはぬひとの、「いづらやいづら」とてはしりいで、てづからこのふみをとつてみたまふに、西国にて生捕りにせられたりしありさま、けふあすをもしらぬみのゆくへなど、こまごまとかいて、おくにはいつしゆのうたぞありける。

なみだがはうきなをながすみなりともいまひとたびのあふせともがな W074 

にようばうこのふみをかほにおしあてて、とかうのことをものたまはず、ひきかづいてぞふしたまふ。かくてじこくはるかにおしうつりければ、ともとき、「おんぺんじたまはつて、かへりまゐりさふらはん」とまうしければ、にようばうなくなくおんぺんじかきたまへり。こころぐるしういぶせくて、このふたとせをおくつたりしありさま、こまごまとかいて、

きみゆゑにわれもうきなをながすともそこのみくづとともになりなむ W075

ともときこれをたまはつて、かへりまゐりたりければ、守護の武士ども、また、「いかなるおんふみにてかさふらふらん。みまゐらせん」とまうしければ、みせてげり。「くるしうさふらふまじ」とてたてまつる。ちうじやうこれをみたまひて、いとどおんものおもひやまさられけん、ややあつて、とひのじらうさねひらをめしてのたまひけるは、「さてもこのほどおのおののなさけふかうはうじんせられつるこそ、ありがたううれしけれ。いまいちどはうおんかうぶりたきことあり。われはいちにんのこなければ、うきよにおもひおくことなし。としごろちぎつたりしによばうに、いまいちどたいめんして、ごしやうのことをもいひおかばやとおもふはいかに」とのたまへば、とひのじらうなさけあるものにて、「まことににようばうなどのおんことは、なにかくるしうさふらふべき。とうとう」とてゆるしたてまつる。ちうじやうなのめならずよろこび、ひとにくるまかつてつかはされたりければ、にようばうとりあへず、いそぎのつてぞおはしける。えんにくるまやりよせ、このよしかくとまうしたりければ、ちうじやうくるまよせまでいでむかひ、「武士どものみまゐらせさふらふに、おりさせたまふべからず」とて、くるまのすだれをうちかづき、てにてをとりくみ、かほにかほをおしあてて、しばしはとかうのことをものたまはず、ただなくよりほかのことぞなき。

ややあつて、ちうじやうなみだをおさへてのたまひけるは、「西国へくだりさふらひしときも、いまいちどおんげんざんにいりたかりしかども、おほかたのよのものさわがしさ、まうしおくるべきたよりもなくして、まかりくだりさふらひき。そののちおんふみをもたてまつり、おんかへりことをもみまゐらせたうさふらひつれども、たびのそらのものうさ、あさゆふのいくさだちにひまなくて、むなしうまかりすぎさふらひき。こんど一の谷にていかにもなるべかりしみの、いきながらとらはれて、ふたたびみやこへまかりのぼりさふらふも、おんげんざんにいるべきとのことにてさふらふぞや」とて、またなみだをおさへてぞふしたまふ。たがひのこころのうち、おしはかられてあはれなり。かくてさよもやうやうふけゆけば、守護の武士ども、「このほどはおほちのらうぜきもぞさふらふに、とうとう」とまうしければ、ちうじやうちからおよびたまはず、やがてかへしたまふ。くるまやりいだせば、ちうじやうにようばうのそでをひかへて、

あふこともつゆのいのちももろともにこよひばかりやかぎりなるらむ W076

にようばうとりあへず、
かぎりとてたちわかるればつゆのみのきみよりさきにきえぬべきかな W077

さてにようばうは内裏へまゐりたまひぬ。そののちは守護の武士どもゆるさねば、ときどきただおんふみばかりぞかよひける。このにようばうとまうすは、みんぶきやうにふだうしんぱんのむすめなり。みめかたちよにすぐれ、なさけふかきひとなれば、ちうじやうなんとへわたされて、きられたまひぬときこえしかば、やがてさまをかへ、こきすみぞめにやつれはて、かのごせぼだいをとぶらひたまふぞあはれなる。
 
 

3 八島の院宣(やしまゐんぜん)

ひかずふれば、院宣のおつかひ、おつぼのめしつぎはなかた、おなじきにじふはちにち讃岐国八島のいそにくだりついて、院宣をとりいだいてたてまつる。大臣殿いげのけいしやううんかくよりあひたまひて、この院宣をひらかれけり。「いちじんせいたい、ほつけつのきうきんをいでて、しよしうにかうし、さんじゆのしんき、なんかいしこくにうづもれてすねんをふ、もつともてうかのなげき、ばうこくのもとゐなり。そもそもかの重衡のきやうは、とうだいじぜうしつのぎやくしんなり。すべからく頼朝のあつそんまうしうくるむねにまかせて、しざいにおこなはるべしといへども、ひとりしんぞくにわかれて、すでに生捕りとなる。ろうてうくもをこふるおもひ、はるかにせんりのなんかいにうかび、きがんともをうしなふこころ、さだめてきうちようのちうとにとうぜんか。しかればすなはちさんじゆのしんき、みやこへかへしいれたてまつらんにおいては、かのきやうをくわんいうせらるべきなり。ていれば院宣かくのごとく、よつてしつたつくだんのごとし。寿永三年二月十四日、大膳大夫業忠がうけたまはり、謹上(きんじやう)、上(さきの)平大納言殿へ」とぞかかれたる。
 
 

4 請文(うけぶみ)

大臣殿、平大納言のもとへ、院宣のおもむきをまうされけり。にゐどの、ちうじやうのふみをあけてみたまふに、「重衡をこんじやうでいまいちどごらんぜんとおぼしめされさふらはば、さんじゆのしんきのおんことを、よきやうにまうさせたまひて、みやこへかへしいれさせたまへ。さらずはおんめにかかるべしともぞんじさふらはず」とぞかかれたる。にゐどの、このふみをかほにおしあてて、ひとびとのおはしけるうしろのしやうじをひきあけて、大臣殿のおんまへにたふれふし、しばしはものをものたまはず。ややあつておきあがり、なみだをおさへてのたまひけるは、「これみたまへ、むねもり、きやうよりちうじやうがいひおこしつることのむざんさよ。げにもこころのうちにいかばかりのことをかおもふらん。ただわれにおもひゆるして、さんじゆのしんきのおんことを、よきやうにまうして、みやこへかへしいれたてまつらせたまへ」とのたまへば、大臣殿まうさせたまひけるは、「むねもりもさこそはぞんじさふらへども、さしもにわがてうのちようほうさんじゆのしんきを、重衡いちにんにかへまゐらせんこと、かつうはよのためしかるべからず。

かつうは頼朝がかへりきかんずるところも、いふかひなうさふらふ。そのうへ、ていわうのおんよをたもたせたまふおんことも、ひとへにこのないしどころのわたらせたまふおんゆゑなり。さてよのこども、したしきひとびとをば、ちうじやういちにんにおぼしめしかへさせたまふべきか。このかなしいといふことも、ことにこそよりさふらへ。ゆめゆめかなひさふらふまじ」とのたまへば、にゐどの、よにもほいなげにて、かさねてのたまひけるは、「われこにふだうしやうこくにおくれてのちは、いちにちへんしいのちいきて、よにあるべしとはおもはざりしかども、しゆしやうのいつとなく、さいかいのなみのうへに、ただよはせたまふおんこころぐるしさ、ふたたびよにあらせたてまつらんがために、うきながらけふまでもながらへたれ。ちうじやう一の谷にて、生捕りにせられぬとききしのちは、いとどむねせきて、ゆみづものどへいれられず。ちうじやうこのよになきものときかば、われもおなじみちにおもむかんとおもふなり。

ふたたびものをおもはせぬさきに、ただわれをうしなへや」とて、をめきさけびたまへば、まことにさこそはといたはしくて、みなふしめにぞなられける。しんぢうなごんとももりのきやうのいけんにまうされけるは、「さしもにわがてうのちようほう、さんじゆのしんきをみやこへかえしいれたてまつたりとも、重衡かへしたまはらんことありがたし。ただそのやうをおそれなく、おんうけぶみにまうさせたまふべうもやさふらふらん」とまうされければ、このぎもつともしかるべしとて、大臣殿おんうけぶみをまうさる。にゐどのはなみだにくれて、ふでのたてどもおぼえたまはねども、こころざしをしるべに、なくなくおんかへりことかきたまへり。きたのかただいなごんのすけどのは、とかうのことをものたまはず、ひきかづいてぞふしたまふ。そののち平大納言ときただのきやう、院宣のおつかひ、おつぼのめしつぎはなかたをめして、「なんぢほふわうのおつかひとして、おほくのなみぢをしのいで、はるばるとこれまでくだつたるしるしに、なんぢいちごがあひだのおもひでひとつあるべし」とて、はなかたがつらに、なみかたといふやいじるしをぞせられける。みやこへかへりのぼつたりければ、ほふわうえいらんあつて、「なんぢははなかたか」。「さんざふらふ」。「よしよし、さらばなみかたともめせかし」とて、わらはせおはします。そののちうけぶみをぞひらかれける。「こんぐわつじふしにちの院宣、おなじきにじふはちにち、讃岐国八島のいそにたうらい、つつしんでもつてうけたまはるところくだんのごとし。

ただしこれについてかれをあんずるに、みちもりのきやういげ、たうけすはい、せつしう一の谷にてすでにちうせられをはんぬ。なんぞ重衡いちにんがくわんいうをよろこぶべきや。それわがきみは、こたかくらのゐんのおんゆづりをうけさせたまひて、ございゐすでにしかねん、まつりごとげうしゆんのこふうをとぶらふところに、とういほくてき、たうをむすびぐんをなしてじゆらくのあひだ、かつうはえうていぼこうのおんなげきもつともふかく、かつうはぐわいせききんしんのいきどほりあさからざるによつて、しばらくくこくにかうす。くわんかうなからんにおいては、さんじゆのしんきいかでかぎよくたいをはなちたてまつるべきや。それしんはきみをもつてこころとし、きみはしんをもつてたいとす。きみやすければすなはちしんやすく、しんやすければすなはちくにやすし。きみかみにうれふればしんしもにたのしまず。しんぢうにうれへあれば、たいぐわいによろこびなし。なうそへいしやうぐんさだもり、さうまのこじらうまさかどをつゐたうせしよりこのかた、とうはつかこくをしづめて、ししそんぞんにつたへて、てうてきのぼうしんをちうばつして、だいだいせぜにいたるまで、てうかのせいうんをまぼりたてまつる。しかればすなはちこばうふだいじやう大臣、保元平治りやうどのげきらんのとき、ちよくめいをおもんじてわたくしのめいをかろんず。これひとへにきみのためにして、まつたくみのためにせず。

なかんづく、かの頼朝は、さんぬる平治元年十二月、ちちさまのかみよしともがむほんによつて、すでにちうばつせらるべきよし、しきりにおほせくださるるといへども、こにふだうたいしやうこく、じひのあまり、まうしなだめられしところなり。しかるにむかしのこうおんをわすれて、はういをぞんぜず、たちまちにらうるゐのみをもつて、みだりにほうきのらんをなす。しぐのはなはだしきことまうしてあまりあり。はやくしんめいのてんばつをまねき、ひそかにはいせきのそんめつをごするものか。それじつげつはいちもつのために、そのあきらかなることをくらうせず。めいわうはいちにんがために、そのほふをまげず。いちあくをもつてそのぜんをすてず、せうかをもつてそのこうをおほふことなかれ。かつうはたうけすだいのほうこう、かつうはばうぶすどのちうせつ、おぼしめしわすれずは、きみかたじけなくもしこくのごかうあるべきか。ときにしんら院宣をうけたまはつて、ふたたびきうとにかへつて、くわいけいのはぢをきよめん。もししからずは、きかい、かうらい、てんぢく、しんだんにいたるべし。かなしきかな、にんわうはちじふいちだいのぎようにあたつて、わがてうかみよのれいほう、つひにむなしくいこくのたからとなさんか。よろしくこれらのおもむきをもつて、しかるべきやうにもらしそうもんせしめたまへ。むねもりとんじゆ、つつしんでまうす。じゆえいさんねんにんぐわつにじふはちにち、じゆいちゐさきのない大臣たひらのあそんむねもりがうけぶみ」とこそかかれたれ。
 
 

5 戒文(かいもん)

三位中将、このよしをききたまひて、さこそはあらんずれ、いかにいちもんのひとびとのわるうおもはれけんと、こうくわいせられけれどもかひぞなき。げにも重衡いちにんををしみて、さしもにわがてうのちようほう、さんじゆのしんきをかへしたまふらんともおぼえねば、このおんうけぶみのおもむきは、かねてよりおもひまうけられたりしかども、いまださうをまうされざりつるほどは、なにとなうこころもとなうおもはれけるに、うけぶみすでにたうらいして、くわんとうへくだらるべきにさだまりしかば、三位中将、みやこのなごりも、いまさらをしうやおもはれけん、とひのじらうさねひらをめして、「しゆつけせばやとおもふはいかに」とのたまへば、このよしを九郎御曹司へまうす。ゐんのごしよへそうもんせられたりければ、ほふわう、「頼朝にみせてのちこそ、ともかうもはからはめ。ただいまはいかでかゆるすべき」とおほせければ、このよしをちうじやうどのにまうす。「さらばねんらいちぎつたるひじりに、いまいちどたいめんして、ごしやうのことをもまうしだんぜばやとおもふはいかに」とのたまへば、とひのじらう、「ひじりをばたれとまうしさふらふやらん」。「くろだにのほふねんばうといふひとなり」。「さてはくるしうさふらふまじ、とうとう」とてゆるしたてまつる。

三位中将なのめならずによろこび、やがてひじりをしやうじたてまつて、なくなくまうされけるは、「こんど西国にていかにもなるべかりしみの、いきながらとらはれて、まかりのぼりさふらふは、ふたたびしやうにんのおんげんざんにいるべきにてさふらひけり。さても重衡がごしやういかがつかまつりさふらふべき。みのみにてさふらひしほどは、しゆつしにまぎれ、せいむにほだされ、けうまんのこころのみふかうして、たうらいのしようちんをかへりみず。いはんやうんつきよみだれて、みやこをいでしのちは、ここにたたかひかしこにあらそひ、ひとをほろぼしみをたすからんとおもふあくしんのみさへぎつて、ぜんしんはかつておこらず。なかんづくなんとえんしやうのことは、わうめいとまうしぶめいといひ、きみにつかへよにしたがふほふのがれがたうして、しゆとのあくぎやうをしづめんがためにまかりむかつてさふらへば、ふりよにがらんのめつばうにおよびぬることは、ちからおよばざるしだいなり。

されどもときのたいしやうぐんにてさふらひしあひだ、せめいちじんにきすとかやまうしさふらふなれば、重衡いちにんがざいごふにこそなりさふらひぬらめとおぼえさふらふ。いままたかれこれはぢをさらすも、しかしながらそのむくいとのみこそおもひしられてさふらへ。いまはかみをそり、こつじきづだのぎやうをもして、ひとへにぶつだうしゆぎやうしたくさふらへども、かかるみにまかりなつてさふらへば、こころにこころをもまかせさふらはず。いかなるぎやうをしゆしても、いちごふたすかるべしともおぼえぬことこそくちをしうさふらへ。つらつらいつしやうのけぎやうをあんずるに、ざいごふはしゆみよりもたかく、ぜんごんはみぢんばかりもたくはへなし。かくていのちむなしうをはりさふらひなば、くわけつたうのくくわ、あへてうたがひなし。ねがはくは、しやうにんじひをおこし、あはれみをたれたまひて、かかるあくにんのたすかりぬべきほうぼふさふらはば、しめしたまへ」とまうされければ、しやうにんなみだにむせびうつぶして、しばしはとかうのことものたまはず。

ややあつてしやうにんのたまひけるは、「まことにうけがたきにんじんをうけながら、むなしくさんづにかへりましまさんこと、かなしんでもなほあまりあり。しかるにいまゑどをいとひ、じやうどをねがはんとおぼしめさば、あくしんをすててぜんしんをおこしましまさんにおいては、さんぜのしよぶつもさだめてずゐきしたまふらん。それしゆつりのみちまちまちなりとはまうせども、まつぽふぢよくらんのきには、しようみやうをもつてすぐれたりとす。こころざしをくほんにわかち、ぎやうをろくじにつづめて、いかなるぐちあんどんのものもとなふるにたよりあり。つみふかければとて、ひげしたまふべからず。じふあくごぎやくゑしんすればわうじやうをとぐ。くどくすくなければとて、のぞみをたつべからず。いちねんじふねんのこころをいたせばらいかうす。せんしやうみやうがうしさいはうとしやくして、もつぱらみやうがうをしようずれば、さいはうにいたり、ねんねんしようみやうじやうざんげとのたまひて、ねんねんにみだをとなふれば、ざんげするなりとぞをしへける。りけんそくぜみだがうをたのめば、まえんちかづかず。いつしやうしようねんざいかいぢよとねんずれば、つみみなのぞけりとみえたり。じやうどしうのしごくは、おのおのりやくをぞんじて、たいりやくこれをかんじんとす。

ただしわうじやうのとくふは、しんじんのいうぶによるべし。ただこのをしへをふかくしんじて、ぎやうぢうざぐわ、じしよしよえんをきらはず、さんげふしゐぎにおいて、しんねんくしようをわすれたまはずは、ひつみやうをごとして、このくゐきのかいをいでて、かのごくらくじやうどのふたいのどにわうじやうしたまはんこと、なんのうたがひかあらんや」とけうげしたまへば、三位中将なのめならずよろこび、「ねがはくは、このついでにかいをたもたばやとはぞんじさふらへども、しゆつけつかまつらではかなひさふらふまじや」とまうされたりければ、しやうにん、「しゆつけせぬひとも、かいをたもつことはつねのならひなり」とて、ひたひにかみそりをあて、そるまねをして、じつかいをさづけらる。ちうじやうずゐきのなみだをながいて、これをうけたもちたまふ。しやうにんもよろづものあはれにおぼえて、かきくらすここちして、なくなくかいをぞとかれける。おんふせとおぼしくて、ひごろおはしてあそばれけるさぶらひのもとにあづけおかれたりけるおんすずりを、ともときしてめしよせて、しやうにんにたてまつり、「これをばひとにたびさふらはで、つねにおんめのかからんずるところにおかれさふらひて、それがしがものぞかしとごらんぜられんたびごとには、おんねんぶつさふらふべし。またおんひまには、きやうをもいつくわんごゑかうさふらはば、しかるべうさふらふ」とまうされければ、しやうにんとかうのへんじにもおよびたまはず、これをとつてふところにいれ、すみぞめのそでをかほにおしあて、なくなくくろだにへぞかへられける。くだんのすずりは、しんぷにふだうしやうこく、そうてうのみかどへ、しやきんをおほくまゐらさせたまひたりしかば、へんぱうとおぼしくて、につぽんわだのへいたいしやうこくのもとへとて、おくられたりけるとかや。なをばまつかげとぞまうしける。
 
 

6 海道下り(かいだうくだり)

さるほどに本三位中将重衡のきやうをば、鎌倉のさきのひやうゑのすけ頼朝、しきりにまうされければ、さらばくださるべしとて、とひのじらうさねひらがてより、九郎御曹司のしゆくしよへわたしたてまつる。おなじきさんぐわつとをかのひ、かぢはらへいざうかげときにぐせられて、くわんとうへこそくだられけれ。西国にていかにもなるべかりしひとの、いきながらとらはれて、みやこへのぼりたまふだにくちをしきに、いまさらまたせきのひんがしへおもむかれんこころのうち、おしはかられてあはれなり。しのみやがはらになりぬれば、ここはむかしえんぎだいしのわうじせみまるの、せきのあらしにこころをすまし、びはをひきたまひしに、はくがのさんみといつしひと、かぜのふくひもふかぬひも、あめのふるよもふらぬよも、みとせがあひだあゆみをはこび、たちききて、かのさんきよくをつたへけん、わらやのとこのいにしへも、おもひやられてあはれなり。

あふさかやまうちこえて、せたのからはし、こまもとどろとふみならし、ひばりあがれるのぢのさと、しがのうらなみはるかけて、かすみにくもるかがみやま、ひらのたかねをきたにして、いぶきのだけもちかづきぬ。こころをとむとしなけれども、あれてなかなかやさしきは、ふはのせきやのいたびさし、いかになるみのしほひがた、なみだにそではしをれつつ、かのありはらのなにがしの、からごろもきつつなれにしとながめけん、みかはのくにのやつはしにもなりぬれば、くもでにものをとあはれなり。はまなのはしをわたりたまへば、まつのこずゑにかぜさえて、いりえにさわぐなみのおと、さらでもたびはものうきに、こころをつくすゆふまぐれ、いけだのしゆくにもつきたまひぬ。かのしゆくのちやうじやゆやがむすめ、じじうがもとに、そのよはさんみしゆくせられけり。じじう、三位中将どのをみたてまつて、「ひごろはつてにだにおぼしめしよりたまはぬひとの、けふはかかるところへいらせたまふことのふしぎさよ」とて、いつしゆのうたをたてまつる。

たびのそらはにふのこやのいぶせさにふるさといかにこひしかるらむ W078

ちうじやうのへんじに、
ふるさともこひしくもなしたびのそらみやこもつひのすみかならねば W079

ややあつて、ちうじやう、かぢはらをめして、「さてもただいまのうたのぬしは、いかなるものぞ。やさしうもつかまつたるものかな」とのたまへば、かげときかしこまつてまうしけるは、「きみはいまだしろしめされさふらはずや。あれこそ八島の大臣殿の、いまだたうごくのかみにてわたらせたまひしとき、めされまゐらせて、ごさいあいさふらひしに、らうぼをこれにとどめおき、つねはいとまをまうししかども、たまはらざりければ、ころはやよひのはじめにてもやさふらひけん、

いかにせむみやこのはるもをしけれどなれしあづまのはなやちるらむ W080

といふめいかつかまつり、いとまをたまはつてまかりくだりさふらひし、かいだういちのめいじんにてさふらふ」とぞまうしける。

みやこをいでてひかずふれば、やよひもなかばすぎ、はるもすでにくれなんとす。ゑんざんのはなはのこんのゆきかとみえて、うらうらしまじまかすみわたり、こしかたゆくすゑのことどもをおもひつづけたまふにも、「こはさればいかなるしゆくごふのうたてさぞ」とのたまひて、ただつきせぬものはなみだなり。おんこのいちにんもおはせぬことを、ははのにゐどのもなげき、きたのかただいなごんのすけどのも、ほいなきことにしたまひて、よろづのかみほとけにかけていのりまうされけれども、そのしるしなし。「かしこうぞなかりける。こだにもあらましかば、いかばかりおもふことあらむ」とのたまひけるこそせめてのことなれ。さやのなかやまにかかりたまふにも、またこゆべしともおぼえねば、いとどあはれのかずそひて、たもとぞいたくぬれまさる。うつのやまべのつたのみち、こころぼそくもうちこえて、てごしをすぎてゆけば、きたにとほざかつて、ゆきしろきやまあり。とへばかひのしらねといふ。そのとき三位中将おつるなみだをおさへつつ、

をしからぬいのちなれどもけふまでにつれなきかひのしらねをもみつ W081

きよみがせきうちこえて、ふじのすそのになりぬれば、きたにはせいざんががとして、まつふくかぜさくさくたり。みなみにはさうかいまんまんとして、きしうつなみもぼうぼうたり。「こひせばやせぬべし、こひせずもありけり」と、みやうじんのうたひはじめたまひけん、あしがらのやまうちこえて、こゆるぎのもり、まりこがは、こいそ、おほいそのうらうら、やつまと、とがみがはら、みこしがさきをもうちすぎて、いそがぬたびとはおもへども、ひかずやうやうかさなれば、鎌倉へこそいりたまへ。
 
 

7 千手前(せんじゆ)

さるほどにひやうゑのすけどの、三位中将どのにたいめんあつてまうされけるは、「そもそも頼朝、きみのおんいきどほりをやすめたてまつり、ちちのはぢをきよめんとおもひたちしうへは、平家をほろぼさんこと、あんのうちにぞんぜしかども、まさしうかやうにおんめにかかるべしとは、かけてはぞんじさふらはず。このぢやうでは、八島の大臣殿のげんざんにもいりぬべしとおぼえさふらふ。さてもなんとえんしやうのことは、こにふだうしやうこくのごせいばいにてさふらひけるか、またときにとつてのおんぱからひか、もつてのほかのざいごふでこそさふらふめれ」とまうされければ、三位中将のたまひけるは、「まづなんとえんしやうのことは、こにふだうしやうこくのせいばいにもあらず、また重衡がわたくしのほつきにてもさふらはず。しゆとのあくぎやうをしづめんがために、まかりむかつてさふらひしほどに、ふりよにがらんのめつぼうにおよびさふらひぬることは、ちからおよばざるしだいなり。

ことあたらしきまうしごとにてさふらへども、むかしはげんぺいさうにあらそひて、てうかのおんかためたりしかども、ちかごろは源氏のうんかたぶきたつしこと、ひとみなぞんぢのむねなり。なかんづくたうけは保元平治よりこのかた、どどのてうてきをたひらげ、けんじやうみにあまり、かたじけなくもいつてんのきみのごぐわいせきとして、ていそだいじやう大臣にいたり、いちぞくのしようじんろくじふよにん、にじふよねんがこのかたは、くわんかかいてんがにかたをならぶるものもさふらはず。それにつきさふらひては、ていわうのおんかたきうつたるものは、しちだいまでてうおんつきずとまうすことは、きはめたるひがごとにてぞさふらひける。そのゆゑは、まのあたりこにふだうしやうこくは、きみのおんためにいのちをうしなはんとすることどどにおよぶ。されどもそのみいちだいのさいはひにて、しそんかやうになるべきやは。

うんつきよみだれて、みやこをいでしのちは、かばねをさんやにさらし、うきなをさいかいのなみにながさばやとこそぞんぜしに、いきながらとらはれて、これまでくだるべしとは、ゆめゆめぞんじさふらはず。ただぜんぜのしゆくごふこそくちをしうさふらへ。ただしいんたうはかたいにとらはれ、ぶんわうはいうりにとらはるといふもんあり。しやうこなほかくのごとし。いはんやまつだいにおいてをや。ゆみやとるみの、かたきのてにわたつて、いのちをうしなはんこと、まつたくはぢにてはぢならず。ただはうおんには、とくとくかうべをはねらるべし」とて、そののちはものをものたまはず。かぢはらこれをうけたまはつて、「あつぱれたいしやうぐんや」とてなみだをながす。さぶらひどももみなそでをぞぬらしける。

ひやうゑのすけどのもまことにあはれにおもはれければ、「そもそも平家を、頼朝がわたくしのかたきとは、ゆめゆめおもひたてまつらず。ただていわうのおほせこそおもうさふらへ。さりながらもなんとをほろぼされたるがらんのかたきなれば、だいしゆさだめてまうすむねもやあらんずらん」とて、いづのくにのぢうにん、かののすけむねもちにぞあづけられける。そのてい、めいどにてしやばせかいのざいにんを、なぬかなぬかにじふわうのてへわたさるらんも、かくやとおぼえてあはれなり。されどもかののすけは、なさけあるものにて、いたうきびしうもあたりたてまつらず、やうやうにいたはりまゐらせ、あまつさへゆどのしつらひなんどして、おんゆひかせたてまつる。ちうじやうみちすがらのあせいぶせかりければ、みをきよめてうしなはれんにこそとおもひて、まちたまふところに、ややあつて、としのよはひにじふばかんなるにようばうの、いろしろうきよげにて、かみのかかりまことにうつくしきが、めゆひのかたびらに、そめつけのゆまきして、ゆどののとおしあけてまゐりたり。

そのあとに、じふしごばかんなるめのわらはの、かみはあこめだけなりけるが、こむらごのかたびらきて、はんざふたらひにくしいれてもつてまゐりたり。このにようばうかいしやくにて、ややひさしうおゆひかせたてまつり、かみあらひなんどして、いとままうしていでけるが、「をとこなんどはことなうもぞおぼしめす。をんなはなかなかくるしかるまじとて、鎌倉どのよりまゐらせられてさぶらふ。なにごともおぼしめすことあらば、うけたまはつてまうせとこそ、ひやうゑのすけどのはおほせさぶらひつれ」。ちうじやう、「いまはかかるみとなつて、なにごとをかおもふべき。ただおもふこととては、しゆつけぞしたき」とのたまへば、かのにようばうかへりまゐつて、ひやうゑのすけどのにこのよしをまうす。ひやうゑのすけどの、「それおもひもよらず。わたくしのかたきならばこそ。てうてきとしてあづかりたてまつたれば、かなふまじ」とぞのたまひける。かのをんなまゐつて、三位中将どのにこのよしをまうし、いとままうしていでければ、ちうじやう、守護の武士にのたまひけるは、「さてもただいまのにようばうは、いうなりつるものかな。なをばなにといふやらん」ととひたまへば、かののすけまうしけるは、「あれはてごしのちやうじやがむすめでさふらふが、みめかたち、こころざま、いうにわりなきものとて、このにさんかねんは、すけどのにめしおかれてさふらふ。なをばせんじゆのまへとまうしさふらふ」とぞまうしける。

そのゆふべあめすこしふつて、よろづものさびしげなるをりふし、くだんのにようばう、びはこともたせてまゐりたり。かののすけも、いへのこらうどうじふよにんひきぐして、ちうじやうどののおんまへちかうさふらひけるが、しゆをすすめたてまつる。せんじゆのまへしやくをとる。ちうじやうすこしうけて、いときようなげにておはしければ、かののすけまうしけるは、「かつきこしめされてもやさふらふらん。むねもちは、もといづのくにのものにてさふらへば、鎌倉ではたびにてさふらへども、こころのおよばんほどはほうこうつかまつりさふらふべし。なにごともおぼしめすことあらば、うけたまはつてまうせと、ひやうゑのすけどのおほせさふらふ。

それなにごとにてもまうして、しゆをすすめたてまつりたまへ」といひければ、せんじゆのまへ、しやくをさしおき、「らきのちよういたる、なさけなきことをきふにねたむ」といふらうえいを、いちりやうへんしたりければ、三位中将、「このらうえいをせんひとをば、きたののてんじん、まいにちさんどかけつて、まぼらんとちかはせたまふとなり。されども重衡は、こんじやうにては、はやすてられたてまつたるみなれば、じよいんしてもなにかせん。ただしざいしやうかるみぬべきことならば、したがふべし」とのたまへば、せんじゆのまへやがて、「じふあくといへどもなほいんぜふす」といふらうえいをして、「ごくらくねがはんひとは、みなみだのみやうがうをとなふべし」といふいまやうを、しごへんうたひすましたりければ、そのときちうじやうさかづきをかたぶけらる。せんじゆのまへたまはつてかののすけにさす。

むねもちがのむときに、ことをぞひきすましたる。三位中将、「ふつうにはこのがくをば、ごしやうらくといへども、いま重衡がためには、ごしやうらくとこそくわんずべけれ。やがてわうじやうのきふをひかん」とたはぶれ、びはをとり、てんじゆをねぢて、わうじやうのきふをぞひかれける。かくてよもやうやうふけ、よろづこころのすむままに、「あなおもはずや、あづまにもかかるいうなるひとのありけるよ。それなにごとにてもいまひとこゑ」とのたまへば、せんじゆのまへかさねて、「いちじゆのかげにやどりあひ、おなじながれをむすぶも、みなこれぜんぜのちぎり」といふしらびやうしを、まことにおもしろうかぞへたりければ、三位中将も、「ともしびくらうしては、すかうぐしがなんだ」といふらうえいをぞせられける。たとへばこのらうえいのこころは、むかしもろこしにかんのかうそとそのかううとくらゐをあらそひ、かつせんすることしちじふにど、たたかひごとにかううかちぬ。されどもつひには、かううたたかひまけてほろびしとき、すゐといふむまのいちにちにせんりをとぶにのつて、ぐしといふきさきとともに、にげさらんとしたまへば、むまいかがおもひけん、あしをととのへてはたらかず。かううなみだをながいて、わがゐせいすでにすたれたり。

かたきのおそふはことのかずならず。ただこのきさきにわかれんことをのみ、なげきかなしみたまひけり。ともしびくらうなりしかば、ぐしこころぼそさになみだをながす。ふけゆくままには、ぐんびやうしめんにときをつくる。

このこころをきつしやうこうのしにつくれるを、三位中将いまおもひいで、くちずさびたまふにや、いとやさしうぞきこえし。さるほどによもあけければ、かののすけいとままうしてまかりいづ。せんじゆのまへもかへりけり。そのあしたひやうゑのすけどのは、ぢぶつだうにほけきやうようでおはしけるところへ、せんじゆのまへかへりまゐりたり。ひやうゑのすけどのうちゑみたまひて、「さてもゆふべちうじんをば、おもしろうもしつるものかな」とのたまへば、さいゐんのじくわんちかよし、おんまへにものかいてさふらひけるが、「なにごとにてさふらふやらん」とまうしければ、すけどののたまひけるは、「平家のひとびとは、このにさんかねんは、いくさかつせんのいとなみのほかは、またたじあるまじきとこそおもひしに、さても三位中将のびはのばちおと、らうえいのくちずさび、よもすがらたちききつるに、いうにやさしきひとにておはしけり」とのたまへば、ちかよしまうしけるは、「たれもゆふべうけたまはりたくさふらひしかども、をりふしあひいたはることのさふらひて、うけたまはらずさふらふ。こののちはつねにたちききさふらふべし。平家はだいだいかじんさいじんたちにてわたらせたまひさふらふ。せんねんあのひとびとを、はなにたとへてさふらひしには、この三位中将どのをば、ぼたんのはなにたとへてさふらひしか」とぞまうしける。三位中将のびはのばちおと、らうえいのくちずさみ、ひやうゑのすけどの、のちまでもありがたきことにぞのたまひける。そののちちうじやうなんとへわたされて、きられたまひぬときこえしかば、せんじゆのまへは、なかなかものおもひのたねとやなりにけん、やがてさまをかへ、こきすみぞめにやつれはてて、しなののくにぜんくわうじにおこなひすまして、かのごせぼだいを、とぶらひけるぞあはれなる。
 
 

8 横笛(よこぶえ)

さるほどにこまつの三位中将維盛のきやうは、みがらは八島にありながら、こころはみやこへかよはれけり。ふるさとにとどめおきたまひしきたのかたをさなきひとびとのおもかげのみ、みにひしとたちそひて、わするるひまもなかりければ、あるにかひなきわがみかなとて、じゆえいさんねんさんぐわつじふごにちのあかつき、しのびつつ八島のたちをばまぎれいで、よさうびやうゑしげかげ、いしどうまるといふわらは、ふねにこころえたればとて、たけさとといふとねり、これさんにんをめしぐして、あはのくにゆふきのうらよりふねにのり、なるとのおきをこぎすぎて、きのぢへおもむきたまひけり。わか、ふきあげ、そとほりひめのかみとあらはれたまへるたまつしまのみやうじん、にちぜんこくけんのおまへをすぎて、きのみなとにこそつきたまへ。それよりやまづたひにみやこへのぼり、こひしきものどもをも、いまいちどみもし、みえばやとはおもはれけれども、をぢ本三位中将どのの生捕りにせられて、きやう鎌倉はぢをさらさせたまふだにもくちをしきに、このみさへとらはれて、ちちのかばねにちをあやさんこともこころうしとて、ちたびこころはすすめども、こころにこころをからかひて、かうやのおやまへまゐりたまふ。かうやにとしごろしりたまへるひじりあり。さんでうのさいとうざゑもんもちよりがこに、さいとうたきぐちときよりとて、もとはこまつどののさぶらひたりしが、じふさんのとしほんじよへまゐりたり。けんれいもんゐんのざふしよこぶえといふをんなあり。

たきぐちこれにさいあいす。ちちこのよしをつたへきいて、「よにあらんもののむこごにもなし、しゆつしなんどをも、こころやすうせさせんとおもひゐたれば、よしなきものをおもひそめて」など、あながちにいさめければ、たきぐちまうしけるは、「せいわうぼといつしひとも、むかしはあつていまはなし。とうばうさくとききしものも、なをのみききてめにはみず。らうせうふぢやうのさかひは、ただせきくわのひかりにことならず。たとひひとぢやうみやうといへども、しちじふはちじふをばすぎず。そのうちにみのさかんなることは、わづかににじふよねんなり。ゆめまぼろしのよのなかに、みにくきものを、かたときもみてなにかせん。おもはしきものをみんとすれば、ちちのめいをそむくににたり。これぜんぢしきなり。しかじ、うきよをいとひ、まことのみちにいりなん」とて、じふくのとしもとどりきつて、さがのわうじやうゐんにおこなひすましてぞゐたりける。

よこぶえこのよしをつたへきいて、われをこそすてめ、さまをさへかへけんことのうらめしさよ。たとひよをばそむくとも、などかはかくとしらせざらん。ひとこそこころづよくとも、たづねてうらみんとおもひつつ、あるくれがたにみやこをいでて、さがのかたへぞあくがれける。ころはきさらぎとをかあまりのことなれば、うめづのさとのはるかぜに、よそのにほひもなつかしく、おほゐがはのつきかげも、かすみにこめておぼろなり。ひとかたならぬあはれさも、たれゆゑとこそおもひけめ。わうじやうゐんとはききつれども、さだかにいづれのばうともしらざれば、ここにやすらひかしこにたたずみ、たづねかぬるぞむざんなる。すみあらしたるそうばうに、ねんじゆのこゑしけるを、たきぐちにふだうがこゑとききすまして、「おんさまのかはりておはすらんをも、みもしみえまゐらせんがために、わらはこそこれまでまゐつてさぶらへ」と、ぐしたるをんなにいはせければ、たきぐちにふだう、むねうちさわぎ、あさましさに、しやうじのひまよりのぞきてみれば、すそはつゆ、そではなみだにうちしをれつつ、すこしおもやせたるかほばせ、まことにたづねかねたるありさま、いかなるだいだうしんじやも、こころよわうなりぬべし。たきぐちにふだう、ひとをいだいて、「まつたくこれにはさるひとなし。もしかどたがへにてもやさふらふらん」と、いはせたりければ、よこぶえなさけなううらめしけれども、ちからおよばず、なみだをおさへてかへりけり。そののちたきぐちにふだう、どうしゆくのそうにかたりけるは、これもよにしづかにて、ねんぶつのしやうげはさふらはねども、あかでわかれしをんなに、このすまひをみえてさふらへば、たとひいちどはこころづよくとも、またもしたふことあらば、こころもはたらきさふらひなんず。いとままうす」とて、さがをばいでてかうやへのぼり、しやうじやうしんゐんにおこなひすましてぞゐたりける。よこぶえもやがてさまをかへぬるよしきこえしかば、たきぐちにふだう、いつしゆのうたをぞおくりける。

そるまではうらみしかどもあづさゆみまことのみちにいるぞうれしき W082

よこぶえがへんじに、
そるとてもなにかうらみむあづさゆみひきとどむべきこころならねば W083 

そののちよこぶえは、ならのほつけじにありけるが、そのおもひのつもりにや、いくほどなくて、つひにはかなくなりにけり。たきぐちにふだうこのよしをつたへきいて、いよいよふかうおこなひすましてゐたりければ、ちちもふけうをゆるしけり。したしきものどももみなもちひて、かうやのひじりとぞまうしける。三位中将、このひじりにたづねあひてみたまふに、みやこにありしときは、ほういにたてゑぼし、えもんをつくろひ、びんをなで、はなやかなりしをのこなり。しゆつけののちは、けふはじめてみたまふに、いまださんじふにもならざるが、らうそうすがたにやせおとろへ、こきすみぞめにおなじけさ、かうのけぶりにしみかをり、さかしげにおもひいつたるだうしんじや、うらやましうやおもはれけん。かのしんのしちげん、かんのしかうがすみけん、しやうざん、ちくりんのありさまも、これにはすぎじとぞみえし。
 

9 高野巻(かうやのまき)

滝口入道、三位中将をみたてまつり、「こはうつつともおぼえさふらはぬものかな。さても八島をば、なにとしてかはのがれさせたまひてさふらふやらん」とまうしければ、三位中将、「さればとよ、みやこをばひとなみなみにいでて、西国へおちくだりたりしかども、ふるさとにとどめおきたりしをさなきものどもがおもかげのみ、みにひしとたちそひて、わするるひまもなかりしかば、そのものおもふこころや、いはぬにしるくやみえけん、大臣殿もにゐどのも、このひとはいけのだいなごんのやうに、頼朝にこころをかよはして、ふたごころありなんとおもひへだてたまふあひだ、いとどこころもとどまらで、これまであくがれいでたんなり。これにてしゆつけして、ひのなかみづのそこへも、いりなばやとはおもへども、ただしくまのへまゐりたきしゆくぐわんあり」とのたまへば、たきぐちにふだうまうしけるは、「ゆめまぼろしのよのなかは、とてもかくてもさふらひなんず。ただながきよのやみこそこころうかるべうさふらへ」とぞまうしける。やがてこのたきぐちにふだうをせんだちにて、だうたふじゆんれいして、おくのゐんへぞまゐられける。かうやさんはていせいをさつてじはくり、きやうりをはなれてむにんじやう、せいらんこずゑをならしては、せきじつのかげしづかなり。はちえふのみね、やつのたに、まことにこころもすみぬべし。はなのいろはりんぶのそこにほころび、れいのおとはをのへのくもにひびけり。

かはらにまつおひかきにこけむして、せいざうひさしくおぼえたり。むかしえんぎのみかどのおんとき、ごむさうのおんつげあつて、ひはだいろのぎよいをまゐらさせたまふに、ちよくしちうなごんすけずみのきやう、はんにやじのそうじやうくわんげんをあひぐして、このおやまにのぼり、みめうのとびらをおしひらき、おんころもをきせたてまつらんとしけるに、きりあつうへだたつて、だいしをがまれさせたまはず。ときにくわんげんふかくしうるゐして、「われひものたいないをいでて、ししやうのしつにいつしよりこのかた、いまだきんかいをぼんぜず、さればなどかをがみたてまつらざるべき」とて、ごたいをちになげ、ほつろていきふしたまへば、やうやうきりはれて、つきのいづるがごとくに、だいしをがまれさせたまひけり。そのときくわんげんずゐきのなみだをながいて、おんころもをきせたてまつり、おんぐしのながうおひのびさせたまひたるをも、そりたてまつるぞありがたき。ちよくしとそうじやうはをがみたまへども、そうじやうのおんでし、いしやまのないくしゆんいう、そのときはいまだとうぎやうにてぐぶせられたりしが、だいしををがみたてまつらずして、ふかうなげきしづんでおはしけるを、そうじやうてをとつて、だいしのおんひざにおしあてられたりければ、そのていちごがあひだ、かうばしかりけるとかや。そのうつりがは、いしやまのしやうげうにのこつて、いまにありとぞうけたまはる。だいし、みかどのおんぺんじにまうさせたまひけるは、「われむかしさつたにあひて、まのあたりことごとくいんみやうをつたふ。むびのせいぐわんをおこして、へんりのいゐきにはんべり。ちうやにばんみんをあはれんで、ふげんのひぐわんにぢうせり。にくしんにさんまいをしようじて、じしのげしやうをまつ」とぞまうさせたまひける。かのまかかせふのけいそくのほらにこもつて、しづのはるのかぜをこしたまふらんも、かくやとぞおぼえける。ごにふぢやうは、しようわにねんさんぐわつにじふいちにち、とらのいつてんのことなれば、すぎにしかたはさんびやくよさい、ゆくすゑもなほごじふろくおくしちせんまんざいののち、じそんのしゆつせ、さんゑのあかつきをまたせたまふらんこそひさしけれ。
 
 

10 維盛出家(これもりのしゆつけ)

「維盛がみのいつとなく、せつせんのとりのなくらんやうに、けふよあすよとおもふことを」とて、なみだぐみたまふぞあはれなる。しほかぜにくろみ、つきせぬものおもひにやせおとろへて、そのひととはみえたまはねども、なほよのひとにはすぐれたまへり。そのよはたきぐちにふだうがあんじつにかへつて、むかしいまのものがたりどもしたまひけり。ふけゆくままに、ひじりがぎやうぎをみたまへば、しごくじんじんのゆかのうへには、しんりのたまをみがくらんとみえて、ごやじんでうのかねのこゑには、しやうじのねぶりをさますらんともおぼえたり。

のがれぬべくは、かくてもあらまほしうやおもはれけん。あけければ、とうぜんゐんのちかくしやうにんとまうすひじりをしやうじたてまつて、しゆつけせんとしたまひけるが、よさうびやうゑしげかげ、いしどうまるをめしてのたまひけるは、「維盛こそひとしれぬおもひをみにそへながら、みちせばうのがれがたきみなれば、いかにもなるといふとも、なんぢらはいのちをすつべからず。このごろはよにあるひとこそおほけれ。われいかにもなりなんのち、いそぎみやこへのぼつて、おのおのがみをもたすけ、かつうはさいしをもはぐくみ、かつうは維盛がごせをもとぶらへかし」とのたまへば、ににんのものども、なみだにむせびうつぶして、しばしはとかうのおんぺんじにもおよばず。ややあつて、しげかげなみだをおさへてまうしけるは、「しげかげがちちよさうざゑもんかげやすは、平治のげきらんのとき、ことののおんともにさふらひて、にでうほりかはのへんにて、かまだびやうゑとくんで、あくげんだにうたれさふらひぬ。

しげかげもなじかはおとりさふらふべきなれども、そのときはいまだにさいになりさふらへば、すこしもおぼえさふらはず。ははにはしちさいにておくれさふらひぬ。なさけをかくべきしたしきもの、いちにんもさふらはざりしに、こ大臣殿、おんあはれみさふらひて、あれはわがいのちにかはりたりしもののこなればとて、あさゆふおんまへにて、そだてられまゐらせて、しやうねんここのつとまうししとき、きみのおんげんぶくさふらひしよ、かたじけなくもかしらをとりあげられまゐらせて、『もりのじはいへのじなれば、ごだいにつく。しげのじをばまつわうに』とおほせられて、しげかげとはめされまゐらせけるなり。そのうへわらはなをまつわうとまうしけることも、うまれていみごじふにちとまうすに、ちちがいだいてまゐりたりしかば、『このいへをこまつといへば、いはうてつくるなり』とおほせられて、まつわうとはつけられまゐらせてさふらひけるなり。ちちがようてしにけるも、わがみのみやうがとおぼえさふらふ。ずゐぶんどうれいどもにも、ほうじんせられてこそまかりすぎさふらひしか。さればごりんじうのおんときも、このよのなかのことをば、おぼしめしすてて、いちじもおほせられざりしに、しげかげをおんまへへめして、『あなむざん、なんぢはしげもりをちちがかたみとおもひ、しげもりはなんぢをかげやすがかたみとおもひてこそすごしつれ。こんどのぢもくにゆきへのじようになして、ちちかげやすをよびしやうに、めさばやとこそおぼしめしつるに、むなしうなるこそかなしけれ。

あひかまへてせうしやうどののおんこころにばしたがひまゐらすな』とこそおほせさふらひしか。ひごろはしぜんのこともさふらはば、まづまつさきにいのちをたてまつらうどこそぞんじさふらひしに、みすてまゐらせておつべきものとおぼしめされさふらふおんこころのうちこそはづかしうさふらへ。『このごろはよにあるひとこそおほけれ』と、おほせをかうむりさふらふは、たうじのごとくんば、みな源氏のらうどうどもこそさふらふらめ。きみのかみにもほとけにもならせたまひなんのち、たのしみさかえさふらふとも、せんねんのよはひをふるべきか。たとひまんねんをたもちさふらふとも、つひにはをはりのなかるべきかは。これにすぎたるぜんぢしき、なにごとかさふらふべき」とて、てづからもとどりきつて、たきぐちにふだうにぞそらせける。いしどうまるもこれをみて、もとゆひぎはよりかみをきる。これもやつよりつきまゐらせて、しげかげにもおとらず、ふびんにしたまひしかば、おなじうたきぐちにふだうにぞそられける。これらがさきだつてかやうになるをみたまふにつけても、いとどこころぼそうぞなられける。「あはれいかにもして、かはらぬすがたをいまいちど、こひしきものどもにみえてのち、かくならばおもふことあらじ」とのたまひけるこそせめてのことなれ。さてしもあるべきことならねば、「るてんさんがいちう、おんあいふのうだん、きおんにふむゐ、しんじつはうおんじや」とさんべんとなへたまひて、つひにそりおろさせたまひてげり。三位中将とよさうびやうゑは、どうねんにてことしはにじふしちさいなり。いしどうまるはじふはちにぞなりにける。ややあつてとねりたけさとをめして、「あなかしこ、なんぢはこれよりみやこへはのぼるべからず。そのゆゑはつひにはかくれあるまじけれども、まさしうこのありさまをきいては、やがてさまをもかへんずらんとおぼゆるぞ。ただこれより八島へまゐつて、ひとびとにまうさんずることはよな。『かつごらんじさふらひしやうに、おほかたのせけんもものうく、あぢきなさもよろづかずそひておぼえしほどに、ひとびとにかくともしらせまゐらせずして、かやうにまかりなりさふらひぬることは、西国にてひだんのちうじやううせさふらひぬ。

一の谷にてびつちうのかみうたれさふらひぬ。維盛さへかやうになりさふらへば、いかにおのおののたよりなうおぼしめされさふらはんずらんと、それのみこそこころぐるしうさふらへ。そもそもからかはといふよろひ、こがらすといふたちは、へいしやうぐんさだもりよりこのかた、たうけにつたへて、維盛まではちやくちやくくだいにあひあたる。こののちもしうんめいひらけて、みやこへかへりのぼらせたまふこともさふらはば、ろくだいにたぶべし』とまうすべし」とぞのたまひける。たけさとなみだにむせびうつぶして、しばしはとかうのおんぺんじにもおよばず。ややあつてなみだをおさへてまうしけるは、「いづくまでもおんともまうし、さいごのおんありさまをもみまゐらせてのちこそ、八島へもまゐらめ」とまうしければ、さらばとてめしぐせらる。ぜんぢしきのためにとて、たきぐちにふだうをもぐせられけり。

かうやをばやまぶししゆぎやうじやのやうにいでたつて、おなじきくにのうち、さんどうへこそいでられけれ。ふじしろのわうじをはじめたてまつて、わうじわうじをふしをがみ、まゐりたまふほどに、せんりのはまのきた、いはしろのわうじのおんまへにて、かりしやうぞくなるもの、しちはつきがほどゆきあひたてまつる。「すでにからめとらんずるにこそ。はらをきらん」とおのおのこしのかたなにてをかけたまふところに、さはなくして、むまよりおり、ちかづきたてまつたりけれども、すこしもあやまつべきけしきもなく、ふかうかしこまつてとほりぬ。このへんにもみしりまゐらせたるもののあるにこそ、たれなるらんとはづかしくて、いとどあしばやにぞさしたまふ。これはたうごくのぢうにん、ゆあさのごんのかみむねしげがこ、ゆあさのしちらうびやうゑむねみつといふものなり。らうどうども、「あれはいかに」ととひければ、「あれこそこまつの大臣殿のおんちやくし、三位中将どのよ。そもそも八島をば、なにとしてかはのがれさせたまひたりけるやらん。はやおんさまかへさせたまひたり。よさうびやうゑ、いしどうまるもおなじうしゆつけして、おんともにぞまゐりける。ちかづきまゐつて、おんげんざんにもいりたかりつれども、おんはばかりもぞおぼしめすとてとほりぬ。あなあはれなりけるおんことかな」とて、そでをかほにおしあてて、さめざめとなきければ、らうどうどももみなかりぎぬのそでをぞぬらしける。
 

11 熊野参詣(くまのさんけい)

やうやうさしたまふほどに、いはだがはにもつきたまひぬ。このかはのながれをいちどもわたるものは、あくごふぼんなうむしのざいしやうきゆなるものをと、たのもしうぞおぼしめす。ほんぐうしようじやうでんのごぜんにて、しづかにほつせまゐらせて、よもすがらおやまのていをながめたまふに、こころもことばもおよばれず。だいひおうごのかすみは、ゆやさんにたなびき、れいげんぶさうのしんめいは、おとなしがはにあとをたる。いちじようしゆぎやうのきしには、かんおうのつきくまもなく、ろくこんざんげのにはには、まうざうのつゆもむすばず。いづれもいづれもたのもしからずといふことなし。

よふけひとしづまつてのち、けいびやくしたまひけるは、ちちのおとどのこのおんまへにて、いのちをめしてごせをたすけさせたまへと、いのりまうさせたまひしおんことなどまでも、おぼしめしいでてあはれなり。「なかにもたうざんごんげんは、ほんぢあみだによらいにておはします。せつしゆふしやのほんぐわんあやまたず、じやうどへみちびきたまへ」と、いのりまうされける。なかにもふるさとにとどめおきたまひしさいしあんをんにと、いのられけるこそかなしけれ。うきよをいとひ、まことのみちにいりたまへども、まうじふはなほつきずとおぼえて、あはれなりしことどもなり。あけければ、ほんぐうよりふねにのり、しんぐうへぞまゐられける。かんのくらををがみたまふに、がんしようたかくそびえて、あらしまうざうのゆめをやぶり、りうすゐきよくながれて、なみぢんあいのあかをすすぐらんともおぼえたり。あすかのやしろふしをがみ、さののまつばらさしすぎて、なちのおやまにまゐりたまふ。さんぢうにみなぎりおつるたきのみづ、すせんぢやうまでよぢのぼり、くわんおんのれいざうは、いはのうへにあらはれて、ふだらくせんともいつつべし。

かすみのそこにはほつけどくじゆのこゑきこゆ。りやうじゆせんともまうしつべし。そもそもごんげんたうざんにあとをたれさせましましてよりこのかた、わがてうのきせんじやうげ、あゆみをはこび、かうべをかたぶけ、たなごころをあはせて、りしやうにあづからずといふことなし。そうりよさればいらかをならべ、だうぞくそでをつらねたり。くわんわのなつのころ、くわざんのほふわう、じふぜんのていゐをすべらせたまひて、くほんのじやうせつをおこなはせたまひけんごあんじつのきうせきには、むかしをしのぶとおぼしくて、おいきのさくらぞさきにける。いくらもなみゐたりけるなちごもりのそうどものなかに、この三位中将どのを、みやこにてよくみしりまゐらせたるとおぼしくて、どうぎやうのそうにかたりけるは、「これなるしゆぎやうじやをたれやらんとおもひゐたれば、あなこともおろかや、こまつの大臣殿のおんちやくし、三位中将どのにてましますなり。あのとののいまだしゐのせうしやうなりしあんげんのはるのころ、ゐんのごしよほふぢうじどのにて、ごじふのおんがのありしに、ちちこまつどのは、ない大臣のさだいしやうにておはします。

をぢむねもりのきやうは、だいなごんのうだいしやうにて、かいかにちやくざせられき。そのほか三位中将とももり、とうのちうじやう重衡いげ、いちもんのくぎやうでんじやうびと、けふをはれとときめき、かいしろにたちたまひしなかより、この三位中将どの、さくらのはなをかざいて、せいがいはをまうていでられたりしかば、つゆにこびたるはなのおんすがた、かぜにひるがへるまひのそで、ちをてらしてんもかかやくばかりなり。にようゐんよりくわんばくどのをおつかひにて、ぎよいをかけられしかば、ちちのおとどざをたち、これをたまはつて、みぎのかたにかけ、ゐんをはいしたてまつりたまふ。めんぼくたぐひすくなうぞみえし。かたへのてんじやうびとも、いかばかりうらやましうやおもはれけん。内裏のにようばうたちのなかには、みやまぎのなかのやうばいとこそおぼゆれなんど、いはれたまひしひとぞかし。ただいま大臣のだいしやうをまちかけたまへるひととこそみたてまつりしに、けふはかくやつれはてたまへるおんありさま、かねてはおもひよらざりしをや。うつればかはるよのならひとはいひながら、あはれなりけるおんことかな」とて、そでをかほにおしあてて、さめざめとなきければ、なちごもりのそうどもも、みなうちごろものそでをぞしぼりける。
 
 

12 維盛入水(これもりのじゆすゐ)

みつのおやまのさんけい、ことゆゑなうとげたまひしかば、はまのみやとまうしたてまつるわうじのおんまへより、いちえふのふねにさをさして、ばんりのさうかいにうかびたまふ。はるかのおきにやまなりのしまといふところありき。ちうじやうそれにふねこぎよせさせ、きしにあがり、おほきなるまつのきをけづりて、なくなくめいせきをぞかきつけられける。「そぶだいじやう大臣たひらのあそんきよもりこう、ほふみやうじやうかい、しんぷこまつのない大臣のさだいしやうしげもりこう、ほふみやうじやうれん、三位中将維盛、ほふみやうじやうゑん、としにじふしちさい、じゆえいさんねんさんぐわつにじふはちにち、なちのおきにてじゆすゐす」とかきつけて、またふねにのり、おきへぞこぎいでたまひける。おもひきりぬるみちなれども、いまはのときにもなりぬれば、さすがこころぼそうかなしからずといふことなし。ころはさんぐわつにじふはちにちのことなれば、かいろはるかにかすみわたり、あはれをもよほすたぐひかな。

ただおほかたのはるだにも、くれゆくそらはものうきに、いはんやこれはけふをさいご、ただいまかぎりのことなれば、さこそはこころぼそかりけめ。おきのつりぶねのなみにきえいるやうにおぼゆるが、さすがしづみもはてぬをみたまふにつけても、おんみのうへとやおもはれけん。おのがひとつらひきつれて、いまはとかへるかりがねの、こしぢをさしてなきゆくも、こきやうへことづてせまほしく、そぶがここくのうらみまで、おもひのこせるくまもなし。「こはさればなにごとぞや。なほまうじふのつきぬにこそ」とおもひかへし、にしにむかひてをあはせ、ねんぶつしたまふこころのうちにも、「さてもみやこには、いまをかぎりとはいかでかしるべきなれば、かぜのたよりのおとづれをも、いまやいまやとこそまたんずらめ」とおもはれければ、がつしやうをみだり、ねんぶつをとどめ、ひじりにむかつてのたまひけるは、「あはれひとのみに、さいしといふものをば、もつまじかりけるものかな。こんじやうにてものをおもはするのみならず、ごせぼだいのさまたげとなりぬることこそくちをしけれ。

ただいまもおもひいでたるぞや。かやうのことをしんぢうにのこせば、あまりにつみふかかんなるあひだ、ざんげするなり」とぞのたまひける。ひじりもあはれにおもひけれども、われさへこころよわうては、かなはじとやおもひけん、なみだおしのごひ、さらぬていにもてなし、「あはれたかきもいやしきも、おんあいのみちは、おもひきられぬことにてさふらへば、まことにさこそはおぼしめされさふらふらめ。なかにもふさいは、いちやのまくらをならぶるも、ごひやくしやうのしゆくえんとうけたまはれば、ぜんぜのちぎりあさからずさふらふ。しやうじやひつめつ、ゑしやぢやうりは、うきよのならひにてさふらふなり。すゑのつゆもとのしづくのためしあれば、たとひちそくのふどうありといふとも、おくれさきだつおんわかれ、つひになくてしもやさふらふべき。

かのりさんきうのあきのゆふべのちぎりも、つひにはこころをくだくはしとなり、かんせんでんのしやうぜんのおんも、をはりなきにしもあらず。しようしばいせいしやうがいのうらみあり。とうがくじふぢなほしやうじのおきてにしたがふ。たとひきみちやうせいのたのしみにほこりたまふとも、このおんうらみはつひになくてしもやさふらふべき。たとひまたひやくねんのよはひをたもたせたまふとも、このおんわかれは、いつもただおなじこととおぼしめさるべし。だいろくてんのまわうといふげだうは、よくかいのろくてんをみなわがものとりやうじて、なかにもこのかいのしゆじやうの、しやうじにはなるることををしみ、あるひはめとなり、あるひはをつととなつて、これをさまたげんとするに、さんぜのしよぶつは、いつさいしゆじやうをいつしのごとくにおぼしめして、かのごくらくじやうどのふたいのどにすすめいれんとしたまふに、さいしはむしくわうごふよりこのかた、しやうじにりんゑするきづななるがゆゑに、ほとけはおもういましめたまふなり。さればとておんこころよわうおぼしめすべからず。

源氏のせんぞ、いよのにふだうらいぎは、ちよくめいによつて、あうしうのえびすあべのさだたふむねたふをせめたまひしとき、じふにねんがあひだにひとのくびをきること、いちまんろくせんよにんなり。そのほかさんやのけだもの、がうがのうろくづ、そのいのちをたつこと、いくせんまんといふかずをしらず。されどもしうえんのとき、いちねんのぼだいしんをおこせしによつて、わうじやうのそくわいをとげたりとこそうけたまはれ。なかんづくごしゆつけのくどくばくたいなれば、ぜんぜのざいしやうはみなほろびたまひぬらん。もしひとあつてしつぱうのたふをたてんこと、たかささんじふさんてんにいたるといふとも、いちにちのしゆつけのくどくにはおよぶべからず。またひとあつてひやくせんざいがあひだ、ひやくらかんをくやうじたらんずるよりも、いちにちのしゆつけのくどくにはおよばずとこそとかれたれ。つみふかかりしらいぎも、こころたけきがゆゑに、わうじやうをとぐ。まうしさふらはんや、きみはさせるおんざいごふもましまさざらんに、などかじやうどへまゐらせたまはではさふらふべき。

そのうへたうざんごんげんは、ほんぢあみだによらいにておはします。はじめむさんあくしゆのぐわんより、をはりとくさんぽふにんのぐわんにいたるまで、いちいちのせいぐわん、しゆじやうけどのぐわんならずといふことなし。なかにもだいじふはちのぐわんに、『せつがとくぶつ、じつばうしゆじやう、ししんしんげう、よくしやうがこく、ないしじふねん、にやくふしやうじや、ふしゆしやうがく』ととかれたれば、いちねんじふねんのたのみあり。ただこのをしへをふかくしんじて、ゆめゆめうたがひをなすべからず。むにのこんねんをいたして、もしはいつぺんも、もしはじつぺんもとなへたまふものならば、みだによらい、ろくじふまんおくなゆたがうがしやのおんみをつづめ、ぢやうろくはつしやくのおんかたちにて、くわんおんせいし、むしゆのしやうじゆ、けぶつぼさつ、ひやくぢうせんぢうにゐねうし、ぎがくかやうじて、ただいまごくらくのとうもんをいでて、らいかうしたまはんずれば、おんみこそさうかいのそこにしづむとおぼしめさるとも、しうんのうへにのぼりたまふべし。

じやうぶつとくだつして、さとりをひらきたまひなば、しやばのこきやうにたちかへつて、さいしをみちびきたまはんこと、げんらいゑこくどにんでん、すこしもあやまちたまふべからず」とて、しきりにかねうちならし、ねんぶつをすすめたてまつれば、ちうじやうもしかるべきぜんぢしきとおぼしめし、たちまちにまうねんをひるがへし、にしにむかひてをあはせ、かうじやうにねんぶつひやくぺんばかりとなへたまひて、なむととなふるこゑともに、うみにぞとびいりたまひける。よさうびやうゑ、いしどうまるも、おなじうみなをとなへつつ、つづいてうみにぞしづみける。
 

13 三日平氏(みつかへいじ)

とねりたけさとも、つづいてうみにいらんとしけるを、ひじりとりとどめ、なくなくけうくんしけるは、「いかにうたてくも、きみのごゆゐごんをば、たがへまゐらせんとはするぞ。げらふこそなほもうたてけれ。いまはいかにもしてながらへて、ごぼだいをとぶらひまゐらせよ」といひければ、「おくれたてまつたるかなしさに、のちのおんけうやうのこともおぼえず」とて、ふなぞこにたふれふし、をめきさけびしありさまは、むかししつだたいしのだんどくせんへいらせたまひしとき、しやのくとねりが、こんでいこまをたまはつて、わうぐうにかへりしかなしびも、これにはすぎじとぞみえし。うきもやあがりたまふと、しばしはふねをおしまはしてみけれども、さんにんともにふかくしづんでみえたまはず。いつしかきやうよみねんぶつして、ゑかうしけるこそあはれなれ。さるほどにせきやうにしにかたぶいて、かいじやうもくらくなりければ、なごりはつきせずおもへども、さてしもあるべきことならねば、むなしきふねをこぎかへる。とわたるふねのかいのしづく、ひじりがそでよりつたふなみだ、わきていづれもみえざりけり。ひじりはかうやへかへりのぼり、たけさとはなくなく八島へまゐりけり。

おんおととしんざんみのちうじやうどのに、おんふみとりいだいてたてまつる。これをあけてみたまひて、「あなこころうや。わがおもひたてまつるほど、ひとはおもひたまはざりけることよ。さらばひきぐして、いつしよにもしづみはてたまはで、ところどころにふさんことこそかなしけれ。大臣殿もにゐどのも、頼朝にこころをかよはして、みやこへこそおはしたるらめとて、われらにもこころをおきたまひしに、さてはなちのおきにて、おんみをなげてましましけるござんなれ。さておんことばにておほせられしことはなきか」とのたまへば、「おんことばでまうせとおほせさふらひしは、かつごらんじさふらひしやうに、おほかたのせけんもものうく、あぢきなさもよろづかずそひて、おぼえさせましましさふらふほどに、ひとびとにもしらせまゐらせずして、かやうにならせたまふおんことは、西国にてひだんのちうじやうどのうせさせたまひさふらひぬ。

一の谷にてびつちうのかうのとのうたれさせましましさふらひぬ。おんみさへかやうにならせましましさふらへば、いかにおのおののたよりなうおぼしめされさふらふらんと、ただこれのみこそおんこころぐるしうおほせられさふらひつれ」。からかは、こがらすのことまでも、こまごまとかたりまうしたりければ、しんざんみのちうじやうどの、「いまはわがみとてもながらふべしともおぼえぬものを」とて、そでをかほにおしあてて、さめざめとぞなかれける。こさんみどのにいたくにまゐらさせたまひたりしかば、これをみるさぶらひどもも、さしつどひてそでをぞぬらしける。大臣殿もにゐどのも、「このひとはいけのだいなごんのやうに、頼朝にこころをかよはして、みやこへこそおはしたるらめなど、おもひゐたれば、さはおはせざりしか」とて、いまさらまたもだえこがれたまひけり。しんぐわつひとひのひ、かいげんあつてげんりやくとかうす。そのひぢもくおこなはれて、鎌倉のさきのひやうゑのすけ頼朝、じやうげのしゐしたまふ。もとはじゆげのごゐにておはせしが、たちまちにごかいをこえたまふこそめでたけれ。おなじきみつかのひ、しゆとくゐんをかみとあがめたてまつらるべしとて、むかしごかつせんありしおほひのみかどがすゑに、やしろをたててみやうつしあり。

これはゐんのおんさたにて、内裏にはしろしめされずとぞきこえし。ごぐわつよつかのひ、いけのだいなごんよりもりのきやうくわんとうへげかう。ひやうゑのすけどのつねはなさけをかけたてまつて、「おんかたをばまつたくおろかにおもひたてまつらず、ひとへにこあまごぜんのわたらせたまふとこそぞんじさふらへ。はちまんだいぼさつもごしやうばつさふらへ」なんど、たびたびせいじやうをもつてまうされけり。およそはひやうゑのすけばかりこそ、かうはおもはれけれども、じよの源氏らは、いかがあらんずらんと、おぼつかなうおもはれけるに、鎌倉よりししやをたてまつて、「いそぎくだりたまへ。こあまごぜんをみたてまつるとぞんじて、とくげんざんにいりさふらはん」とまうされたりければ、だいなごんくだりたまひけり。

ここにやへいびやうゑむねきよといふさぶらひあり。さうでんせんいちのものなりしが、あひぐしてもくだらず。「さていかにや」とのたまへば、「きみこそかくてわたらせたまひさふらへども、ごいつけの公達たちの、さいかいのなみのうへにただよはせたまふおんことが、こころぐるしくさふらひて、いまだあんどしてもおぼえさふらはねば、こころすこしおとしすゑて、おつさまにこそまゐりさふらはめ」とぞまうしける。だいなごん、はづかしう、かたはらいたくおぼしめして、「まことにいちもんにひきわかれて、おちとどまつしことをば、わがみながらいみじとはおもはねども、さすがいのちもをしう、みもすてがたければ、なまじひにとどまりにき。このうへはくだらざるべきにもあらず。はるかのたびにおもむくに、いかでかみおくらざるべき。

うけずおもはば、おちとどまつしとき、などさはいはざりしぞ。たいせうじいつかうなんぢにこそいひあはせしか」とのたまへば、むねきよゐなほりかしこまつてまうしけるは、「あはれたかきもいやしきも、ひとのみにいのちほどをしいものやはさふらふ。さればよをばすつれども、みをばすてずとこそまうしつたへてさふらふなれ。おんとどまりをあしとにはぞんじさふらはず。ひやうゑのすけも、かひなきいのちをたすけられまゐらせてさふらへばこそ、けふはかかるさいはひにもあひさふらへ。るざいせられさふらひしとき、こあまごぜんのおほせにて、あふみのくにしのはらのしゆくまで、うちおくつたりしことなど、いまにわすれずとさふらふなれば、おんともにまかりくだつてさふらはば、さだめてひきでものきやうおうなどしさふらはんずらん。それにつけても、さいかいのなみのうへに、ただよはせたまふごいつけの公達たち、またはどうれいどものかへりきかんずるところも、いふかひなうおぼえさふらふ。

はるかのたびにおもむかせたまふおんことは、まことにおぼつかなうおもひまゐらせさふらへども、かたきをもせめにおんくだりさふらはば、まづいちぢんにこそさふらふべけれども、これはまゐらずとも、さらにおんことかけさふらふまじ。ひやうゑのすけどのたづねまうされさふらはば、をりふしあひいたはることあつてと、おほせられさふらふべし」とて、なみだをおさへてとどまりぬ。これをきくさぶらひども、みなそでをぞぬらしける。だいなごん、にがにがしう、かたはらいたくおもはれけれども、このうへはくだらざるべきにもあらずとて、やがてたちたまひぬ。おなじきじふろくにち、いけのだいなごんよりもりのきやうくわんとうへげちやく。ひやうゑのすけどのいそぎたいめんをしたまひて、まづ、「むねきよはいかに」ととはれければ、「をりふしあひいたはることあつて」とのたまへば、「いかになにをいたはりさふらふやらん。なほいしゆをぞんじさふらふにこそ。せんねんあのむねきよがもとにあづけおかれさふらひしとき、ことにふれてなさけふかうさふらひしかば、あはれおんともにまかりくだりさふらへかし。

とくげんざんにいらんとこひしうぞんじてさふらへば、うらめしうもくだりさふらはぬものかな」とて、ちぎやうすべきしやうゑんじやうどもあまたなしまうけ、さまざまのひきでものをたばんと、よういせられたりければ、とうごくのだいみやうせうみやう、われもわれもとひきでものをよういしてまつところに、くだらざりければ、じやうげほいなきことどもにてぞありける。ろくぐわつここのかのひ、いけのだいなごんよりもりのきやうみやこへかへりのぼりたまふ。ひやうゑのすけどの、「いましばらくはかくてもおはせよかし」とのたまへども、だいなごん、みやこにおぼつかなうおもふらんとて、やがてたちたまひぬ。ちぎやうしたまふべきしやうゑんしりやう、いつしよもさうゐあるべからず、ならびにだいなごんになしかへさるべきよし、ほふわうへまうさる。くらおきむまさんじつぴき、はだかむまさんじつぴき、ながもちさんじふえだに、こがね、まきぎぬ、そめものふぜいのものをいれてたてまつらる。

ひやうゑのすけどのかやうにしたまふうへは、とうごくのだいみやうせうみやう、われもわれもとひきでものをたてまつらる。むまだにもさんびやつぴきまでありけり。いけのだいなごんよりもりのきやうは、いのちいきたまふのみならず、かたがたとくついてみやこへかへりのぼられけり。おなじきじふはちにち、ひごのかみさだよしがをぢ、ひらたのにふだうさだつぐをさきとして、いがいせりやうこくのくわんびやうら、あふみのくにへうつていでたりければ、源氏のばつえふらはつかうして、かつせんをいたす。おなじきはつかのひ、いがいせりやうこくのくわんびやうら、しばしもたまらずせめおとさる。平家さうでんのけにんにて、むかしのよしみをわすれぬことはあはれなれども、おもひたつこそおほけなけれ。みつか平氏とはこれなり。

「ふぢと」さるほどにこまつの三位中将維盛のきやうのきたのかたは、かぜのたよりのおとづれも、たえてひさしくなりければ、つきにいちどなんどは、かならずおとづるるものをとおもひてまたれけれども、はるすぎなつにもなりぬ。「三位中将、いまは八島にもおはせぬものを」なんどまうすものありとききたまひて、きたのかたあまりのおぼつかなさに、とかうしてつかひをいちにんしたてて、八島へつかはされたりけれども、つかひやがてたちもかへらず。なつたけあきにもなりぬ。しちぐわつのすゑにかのつかひかへりまゐりたり。きたのかた、「さていかにや」ととひたまへば、「すぎさふらひしさんぐわつじふごにちのあかつき、よさうびやうゑしげかげ、いしどうまるばかりおんともにて、讃岐の八島のたちをばおんいであつて、かうやのおやまへまゐらせたまひて、ごしゆつけせさせおはしまし、そののちくまのへまゐらせたまひて、なちのおきにて、おんみをなげてましましさふらふとこそ、おんともまうしたりしとねりたけさとは、まうしさふらひつれ」とまうしければ、きたのかた、「さればこそ、あやしとおもひたれば」とて、ひきかづいてぞふしたまふ。わかぎみひめぎみも、こゑごゑにをめきさけびたまひけり。

わかぎみのめのとのにようばう、なみだをおさへてまうしけるは、「これはいまさらなげかせたまふべからず。本三位中将どののやうに、いきながらとらはれて、きやう鎌倉はぢをさらさせたまひなば、いかばかりこころううさぶらふべきに、これはかうやのおやまへまゐらせたまひて、ごしゆつけせさせおはしまし、そののちくまのへまゐらせたまひて、ごせのおんことよくよくまうさせたまひて、なちのおきとかやにて、おんみをなげましましさぶらふことこそ、なげきのなかのおんよろこびにてはさぶらへ。いまはいかにもしておんさまをかへ、ほとけのみなをとなへさせたまひて、なきひとのごぼだいをとぶらひまゐらさせたまへかし」とまうしければ、きたのかたやがてさまをかへ、かのごせぼだいをとぶらひたまふぞあはれなる。
 
 

14 藤戸(ふじと)

鎌倉どのこのよしをつたへききたまひて、「あはれへだてなううちむかひてもおはしたらば、さりともいのちばかりをばたすけたてまつてまし。そのゆゑはこいけのぜんにのつかひとして、頼朝るざいになだめられけることは、ひとへにかのだいふのはうおんなり。そのなごりにておはすれば、しそくたちをもまつたくおろそかにおもひたてまつらず。ましてさやうにしゆつけなどせられなんうへは、しさいにやおよぶべき」とぞのたまひける。さるほどに平家讃岐の八島へわたりたまひてのちは、とうごくよりあらてのぐんびやうすまんぎ、みやこについて、せめくだるともきこゆ。またちんぜいより、うすき、へつぎ、まつらたうどうしんして、おしわたるともきこえけり。かれをききこれをきくにも、ただみみをおどろかし、きもたましひをけすよりほかのことぞなき。にようゐん、きたのまんどころ、にゐどのいげのにようばうたちよりあひたまひて、こんどわがかたざまに、いかなるうきことをかきき、いかなるうきめをかみんずらんと、なげきあひかなしびあはれけり。こんど一の谷にて、いちもんのくぎやうてんじやうびと、たいりやくうたれ、むねとのさぶらひ、なかばすぎてほろびにしかば、いまはちからつきはてて、あはのみんぶしげよしがきやうだい、しこくのものどもかたらつて、さりともとまうしけるをぞ、たかきやまふかきうみともたのみたまひける。

さるほどにしちぐわつにじふごにちにもなりぬ。にようばうたちはさしつどひて、「こぞのけふはみやこをいでしぞかし。ほどなくめぐりきにけり」とて、にはかにあわただしう、あさましかりしことどものたまひいでて、なきぬわらひぬぞしたまひける。おなじきにじふはちにち、みやこにはしんていのごそくゐありけり。しんし、ほうけん、ないしどころもなくしてごそくゐのれい、にんわうはちじふにだい、これはじめとぞうけたまはる。おなじきはちぐわつむゆかのひ、ぢもくおこなはれて、たいしやうぐんかまのくわんじや範頼、みかはのかみになる。九郎くわんじや義経、さゑもんのじようになる。すなはちつかひのせんじをかうむつて、九郎判官とぞまうしける。さるほどにをぎのうはかぜも、やうやうみにしみ、はぎのしたつゆも、いよいよしげく、うらむるむしのこゑごゑ、いなばうちそよぎ、このはかつちるけしき、ものおもはざらんだに、ふけゆくあきのたびのそらは、かなしかるべし。まして平家のひとびとのこころのうち、おしはかられてあはれなり。むかしはここのへのくものうへにて、はるのはなをもてあそび、いまは八島のうらにして、あきのつきにかなしぶ。およそさやけきつきをえいじても、みやこのこよひいかなるらんとおもひやり、なみだをながしこころをすましてぞ、あかしくらさせたまひける。さまのかみゆきもり、

きみすめばここもくもゐのつきなれどなほこひしきはみやこなりけり W084

さるほどにおなじきくぐわつじふににち、たいしやうぐんみかはのかみ範頼、平家つゐたうのためにとて、西国へはつかうす。あひともなふひとびと、あしかがの蔵人よしかぬ、ほうでうのこしらうよしとき、さいゐんのじくわんちかよし、さぶらひだいしやうには、とひのじらうさねひら、しそくのやたらうとほひら、みうらのすけよしずみ、しそくのへいろくよしむら、はたけやまのしやうじじらうしげただ、おなじきながののさぶらうしげきよ、さはらのじふらうよしつら、わだのこたらうよしもり、ささきのさぶらうもりつな、つちやのさぶらうむねとほ、あまののとうないとほかげ、ひきのとうないともむね、おなじきとうしらうよしかず、はつたのしらうむしやともいへ、あんざいのさぶらうあきます、おほごのさぶらうさねひで、ちうでうのとうじいへなが、いつぽんばうしやうげん、とさばうしやうしゆん、これらをさきとして、つがふそのせいさんまんよき、みやこをたつてはりまのむろにぞつきにける。平家のかたのたいしやうぐんには、こまつのしんざんみのちうじやうすけもり、おなじきせうしやうありもり、たんごのじじうただふさ、さぶらひだいしやうには、ゑつちうのじらうびやうゑもりつぎ、かづさのごらうびやうゑただみつ、あくしちびやうゑかげきよをさきとして、ごひやくよそうのひやうせんにのりつれてこぎきたり、びぜんのこじまにつくときこえしかば、源氏やがてむろをたつて、これもびぜんのくににしかはじり、ふぢとにぢんをぞとつたりける。

さるほどにげんぺいりやうばうぢんをあはす。ぢんのあはひ、うみのおもて、わづかにじふごちやうばかりをぞへだてたる。源氏こころはたけうおもへども、ふねなかりければちからおよばず、いたづらにひかずをぞおくりける。おなじきにじふごにちのたつのこくばかりに、平家のかたのはやりをのつはものども、こぶねにのつてこぎいだし、あふぎをあげて、「源氏ここをわたせや」とぞまねきける。源氏のかたのつはものども、「いかがせん」といふところに、あふみのくにのぢうにん、ささきのさぶらうもりつな、にじふごにちのよにいつて、うらのをとこをいちにんかたらひ、直垂、こそで、おほくち、しろざやまきなんどをとらせ、すかしおほせて、「このうみにむまにてわたしぬべきところやある」ととひければ、をとこまうしけるは、「うらのものどもいくらもさふらへども、あんないしつたるはまれにさふらふ。

しらぬものこそおほうさふらへ。このをとこはあんないよくぞんじてさふらふ。たとへばかはのせのやうなるところのさふらふが、つきがしらにはひんがしにさふらふ。つきずゑにはにしにさふらふ。くだんのせのあはひ、うみのおもて、じつちやうばかりもさふらふらん。これはおむまなどにては、たやすうわたさせたまふべし」とまうしければ、ささき、「いざさらば、わたいてみん」とて、かのをとことににんまぎれいでて、はだかになり、くだんのかはのせのやうなるところをわたつてみるに、げにもいたうふかうはなかりけり。ひざ、こし、かたにたつところもあり、びんのぬるるところもあり、ふかきところをおよいで、あさきところにおよぎつく。をとこまうしけるは、「これよりみなみは、きたよりはるかにあさうさふらふ。かたきやさきをそろへてまちまゐらせさふらふところに、はだかにてはいかにもかなはせたまひさふらふまじ。ただこれよりかへらせたまへ」といひければ、ささき、げにもとてかへりけるが、「げらふは、どこともなきものにて、またひとにもかたらはれて、あんないもやをしへんずらん。わればかりこそしらめ」とて、かのをとこをさしころし、くびかききつてぞすててげる。あくるにじふろくにちのたつのこくばかり、また平家のかたのはやりをのつはものども、こぶねにのつてこぎいだし、あふぎをあげて、「ここをわたせ」とぞまねいたる。

ここにあふみのくにのぢうにん、ささきのさぶらうもりつな、かねてあんないはしつたり、しげめゆひの直垂に、ひをどしのよろひきて、れんぜんあしげなるむまに、きんぷくりんのくらをおいてのつたりけるが、いへのこらうどうともにしちき、うちいれてわたす。たいしやうぐんみかはのかみ範頼、これをみたまひて、「あれせいせよ、とどめよ」とのたまへば、とひのじらうさねひら、むちあぶみをあはせておつつき、「いかにささきどのは、もののついてくるひたまふか。たいしやうぐんよりのおんゆるされもなきに、とどまりたまへ」といひけれども、ささきみみにもききいれず、わたしければ、とひのじらうもせいしかねて、ともにつれてぞわたしける。むまのくさわき、むながいづくし、ふとばらにたつところもあり、くらつぼこすところもあり、ふかきところをおよがせて、あさきところにうちあがる。たいしやうぐんこれをみたまひて、「ささきにたばかられぬるは。あさかりけるぞ、わたせやわたせ」とげぢしたまへば、さんまんよきのつはものども、みなうちいれてわたす。平家のかたにはこれをみて、ふねどもおしうかべおしうかべ、やさきをそろへて、さしつめひきつめさんざんにいけれども、源氏のかたのつはものども、これをことともせず、かぶとのしころをかたぶけ、くまで、ないがまをもつて、かたきのふねをひきよせひきよせをめきさけんでたたかふ。ひとひたたかひくらし、よにいりければ、平家のふねはおきにうかび、源氏はこじまのぢにうちあがつて、じんばのいきをぞやすめける。あけければ、平家は讃岐の八島へこぎしりぞく。源氏こころはたけうおもへども、ふねなかりければ、やがてつづいてもせめず。「むかしよりむまにてかはをわたすつはものおほしといへども、むまにてうみをわたすこと、てんぢくしんだんはしらず、わがてうにはきたいのためしなり」とて、びぜんのこじまをささきにたぶ。鎌倉どののみげうしよにものせられたり。

「だいじやうゑのさた」おなじきにじふはちにち、みやこにはまたぢもくおこなはれて、九郎判官義経、ごゐのじようになされて、九郎たいふの判官とぞまうしける。さるほどにじふぐわつにもなりぬ。八島にはうらふくかぜもはげしく、いそうつなみもたかかりければ、つはものもせめきたらず、しやうかくのゆきかふもまれにして、みやこのつてもきかまほしく、そらかきくもり、あられうちちり、いとどきえいるここちぞせられける。みやこにはだいじやうゑあるべしとて、じふぐわつみつかのひ、しんていのごけいのぎやうがうありけり。ないべんをばとくだいじどのつとめらる。をととしせんていのごけいのぎやうがうには、平家のない大臣むねもりこうつとめらる。せつげのあくやについて、まへにりようのはたたててゐたまひたりしけしき、かぶりぎは、そでのかかり、うへのはかまのすそまでも、ことにすぐれてみえたまへり。そのほか三位中将とももり、とうのちうじやう重衡いげ、こんゑづかさ、みつなにさふらはれしには、またたちならぶかたもなかりしぞかし。

けふは九郎大夫判官義経、先陣に供奉(ぐぶ)す。これは木曽などにはにず、もつてのほかに京なれたりしかども、平家のなかのえりくづよりもなほおとれり。同十一月十八日、だいじやうゑかたのごとくとげおこなはる。さんぬる治承、養和の頃よりして、諸国七道の人民百姓ら、あるひは平家のためになやまされ、あるひは源氏のためにほろぼさる。家かまどを捨てて山林にまじはり、はるはとうさくのおもひをわすれ、あきはせいじゆのいとなみにもおよばず。いかにしてかやうのたいれいなどおこなはるべきなれども、さてしもあるべきことならねば、かたのごとくぞとげられける。たいしやうぐんみかはのかみ範頼、やがてつづいてせめたまはば、平家はたやすうほろぶべかりしに、むろ、たかさごにやすらひ、いうくんいうぢよどもめしあつめ、あそびたはぶれてのみ、つきひをおくりたまひけり。とうごくのだいみやうせうみやうおほしといへども、たいしやうぐんのげぢにしたがふことなれば、ちからおよばず。ただくにのつひえ、たみのわづらひのみあつて、ことしもすでにくれにけり。
 
 
 
 

巻第十 了



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2000.11.20
2001.10.07Hsato

原テキスト作成 荒山慶一氏

荒山氏のURLは以下の所にある。

平家物語協会(Heike Academy International)
http://www.cometweb.ne.jp/ara/

佐藤弘弥一部改変中