平家物語 巻第八  (流布本元和九年本)
 
 

1 山門御幸(さんもんごかう)

じゆえいにねんしちぐわつにじふしにちのやはんばかり、ほふわうはあぜつしだいなごんすけかたのきやうのしそく、むまのかみすけときばかりをおんともにて、ひそかにごしよをいでさせたまひて、くらまのおくへごかうなる。じそうども、「これはなほみやこちかうてあしうさふらひなん」とまうしければ、さらばとて、ささのみね、やくわうざかなどいふさがしきけんなんをしのがせたまひて、よかはのげだつだにじやくぢやうばうへいらせおはします。だいしゆおこつて、「とうだふへこそごかうはなるべけれ」とまうしければ、とうだふのみなみだにゑんゆうばうごしよになる。かかりしかば、しゆともぶしも、みなゑんゆうばうをしゆごしたてまつる。ほふわうはせんとうをいでててんだいさんへ、しゆしやうはほうけつをさつてさいかいへ、せつしやうどのはよしののおくとかや。にようゐんみやみやは、やはた、かも、さが、うづまさ、にしやま、ひがしやまのかたほとりについて、にげかくれさせたまひけり。へいけはおちぬれど、げんじはいまだいりかはらず、すでにこのきやうはぬしなきさととぞなりにける。かいひやくよりP70このかた、かかることあるべしともおぼえず。しやうとくたいしのみらいきにも、けふのことこそゆかしけれ。さるほどにほふわうてんだいさんにわたらせたまふときこえしかば、おんむかひにはせまゐらせたまふひとびと、そのころのにふだうどのとは、さきのくわんばくまつどの、たうとのとはこんゑどの、だいじやうだいじん、さうのだいじん、ないだいじん、だいなごん、ちうなごん、さいしやう、さんみしゐごゐのてんじやうひと、すべてよにひととかぞへられ、くわんかかいにのぞみをかけ、しよたいしよしよくをたいするほどのひとの、いちにんももるるはなかりけり。ゑんゆうばうには、あまりにひとおほくまゐりつどひて、たうしやうたうか、もんげもんない、ひまはざまもなうぞみちみちたる。さんもんはんじやう、もんぜきのめんぼくとこそみえたりけれ。おなじきにじふはちにち、ほふわうみやこへくわんぎよなる。木曽ごまんよきでしゆごしたてまつる。あふみげんじやまもとのくわんじやよしたか、しらはたさいてせんぢんにぐぶす。このにじふよねんみざりつるしらはたの、けふはじめてみやこへいる、めづらしかりしけんぶつなり。じふらうくらんどゆきいへ、すせんぎでうぢばしをわたいてみやこへいる。みちのくにのしんはうぐわんよしやすがこ、やだの判官だいよしきよ、おほえやまをへて、しやうらくす。またつのくにかはちのげんじらどうしんして、おなじうみやこへみだれいる。およそきやうぢうにはげんじのせいみちみちたり。

かでのこうぢのちうなごんつねふさのきやう、検非違使のべつたうさゑもんのかみさねいへりやうにん、ゐんのてんじやうのすのこにさふらひて、義仲ゆきいへをめす。木曽そのひのしやうぞくには、あかぢのにしきのひたたれに、からあやをどしのよろひきて、いかものづくりのたちをはき、にじふしさいたるきりふのやおひ、しげどうのゆみわきにはさみ、かぶとをばぬいでたかひもにかけ、ひざまづいてぞさふらひける。じふらうくらんどゆきいへは、こんぢのにしきのひたたれに、くろいとをどしのよろひきて、こくしつのたちをはき、にじふしさいたるおほなかぐろのやおひ、ぬりごめどうのゆみわきにはさみ、これもかぶとをぬいでたかひもにかけ、かしこまつてぞさふらひける。さきのないだいじんむねもりこうをはじめとして、へいけのいちぞくみなつゐたうすべきよしおほせくださる。りやうにんていしやうにかしこまりうけたまはつてまかりいづ。おのおのしゆくしよなきよしをそうもんす。木曽はだいぜんのだいぶなりただがしゆくしよ、ろくでうにしのとうゐんをくださる。じふらうくらんどゆきいへは、ほふぢうじどののみなみどのとまうすかやのごしよをぞたまはりける。

しゆしやうはぐわいせきのへいけにとらはれさせたまひて、さいかいのなみのうへにただよはせたまふことを、ほふわうなのめならずおんなげきあつて、しゆしやうならびにさんじゆのしんき、ことゆゑなうみやこへかへしいれたてまつるべきよし、さいこくへおほせくだされけれども、へいけもちひたてまつらず。たかくらのゐんのわうじは、しゆしやうのほかさんじよおはしましき。なかにもにのみやをば、まうけのきみにしたてまつらんとて、へいけとりたてまつて、さいこくへおちくだりぬ。さんしはみやこにましましけり。はちぐわついつか、ほふわうこのみやたちむかへよせまゐらさせたまひて、まづさんのみやのごさいにならせましましけるを、ほふわう、「あれはいかに」とおほせければ、ほふわうをみまゐらさせたまひて、おほきにむつからせたまふあひだ、「とうとう」とていだしまゐらさせたまひけり。そののちしのみやのしさいにならせましましけるを、ほふわう、「あれはいかに」とおほせければ、やがてほふわうのおんひざのうへにまゐらさせたまひて、なのめならずなつかしげにてぞましましける。ほふわうおんなみだをながさせたまひて、「げにもすぞろならんものの、このおいぼふしをみて、いかでかなつかしげにはおもふべき。これぞまことのわがおんまごにておはします。

こゐんのをさなおひにすこしもたがはせたまはぬものかな。これほどのわすれがたみを、いままでごらんぜられざりつることよ」とて、おんなみだせきあへさせたまはず。じやうどじのにゐどの、そのときはいまだたんごどのとてごぜんにさぶらはれけるが、「さておんくらゐはこのみやにてこそわたらせたまひさぶらはめなう」とまうされたりければ、ほふわう、「しさいにや」とぞおほせける。ないないみうらのありしにも、「しのみやくらゐにつかせたまはば、はくわうまでもにつぽんごくのおんあるじたるべし」とぞかんがへまうしけり。おんぼぎはしちでうのしゆりのだいぶのぶたかのきやうのおんむすめなり。ちうぐうのおんかたにみやづかへたまひしを、しゆしやうつねはめされまゐらせけるほどに、みやあまたいできまゐらさせたまひけり。こののぶたかのきやうは、おんむすめおほくおはしましければ、いづれにてもにようごきさきにたてまゐらせたくおもはれけるが、ひとのいへにしろいにはとりをせんかひつれば、そのいへにかならずきさきのいできたるといふことのあればとて、にはとりのしろきをせんそろへてかはれたりけるゆゑにや、このおんむすめわうじあまたうみまゐらさせたまひけり。のぶたかのきやうもないないうれしくおもはれけれども、あるひはへいけにもおそれをなし、あるひはちうぐうをはばかりたてまつて、もてなしたてまつることもなかりしを、にふだうしやうこくのきたのかた、はちでうのにゐどの、「よしよしくるしかるまじ。

われそだてまゐらせて、まうけのきみにしたてまつらん」とて、おんめのとあまたつけてもてなしまゐらさせたまひけり。なかにもしのみやは、にゐどののおんせうと、ほつしようじのしゆぎやうのうゑんほふいんのやしなひぎみにてぞましましける。しかるをほふいんへいけにぐせられて、みやをもにようばうをもきやうとにすておき、さいかいへおちくだられたりけるが、ほふいんさいこくよりひとをのぼせ、「みやいざなひまゐらせていそぎくだりたまへ」とまうしあげられたりければ、きたのかたなのめならずによろこび、みやいざなひまゐらせて、にしのしちでうまでいでられたりけるを、にようばうのせうときのかみのりみつ、「これはもののついてくるひたまふか。このみやのごうんは、ただいまひらけさせたまはんずるものを」とて、とりとどめたてまつりたりけるつぎのひぞ、ほふわうよりおんむかひのおんくるまはまゐりたりけるとかや。なにごともしかるべきこととはまうしながら、きのかみのりみつは、しのみやのおんためには、さしもほうこうのひととぞみえし。されどもそのちうをもおぼしめしよらざりけるにや、むなしうとしつきをおくりけるが、あるときのりみつ、

もしやとにしゆのうたをよみて、きんちうにらくしよをぞしたりける。
ひとこえはおもひいでてなけほととぎすおいそのもりのよはのむかしを W059

このうちもなほうらやましやまがらのみのほどかくすゆふがほのやど W060

しゆしやうこのよしきこしめして、「これほどのことをいままでおぼしめしよらざりけるこそ、かへすがへすもおろかなれ」とて、やがててうおんかうむつて、じやうざんみにじよせられけるとぞきこえし。
 

2 名虎(なとら)

おなじきとをかのひ、木曽さまのかみになつて、越後のくにをたまはる。そのうへあさひのしやうぐんといふゐんぜんをぞくだされける。じふらうくらんど、びんごのかみになりて、びんごのくにをたまはる。木曽、越後をきらへば、いよをたぶ。じふらうくらんど、びんごをきらへば、備前をたまはる。そのほかげんじじふよにん、じゆりやう、検非違使、ゆぎへのじよう、ひやうゑのじようにぞなされける。おなじきじふろくにち、さきのないだいじんむねもりこういげ、へいけのいちぞくひやくろくじふにんがくわんしよくをとどめて、てんじやうのみふだをけづらる。そのなかにへいだいなごんときただのきやう、くらのかみのぶもと、さぬきのちうじやうときざね、ふしさんにんをばけづられず。そのゆゑはしゆしやうならびにさんじゆのしんき、ことゆゑなうみやこへかへしいれたてまつれと、ときただのきやうのもとへ、たびたびおほせくだされけるによつてなり。あくるじふしちにち、へいけはちくぜんのくにみかさのこほりださいふにこそつきたまへ。きくちのじらうたかなほは、みやこよりへいけのおんともにさふらひけるが、「おほづやまのせきあけてまゐらせん」とて、ひごのくににうちこえ、おのれがじやうにひきこもつて、めせどもめせどもまゐらず。そのほかきうしうにたうのものども、みなまゐるべきよしのおんりやうじやうをばまうしながら、いちにんもまゐらず。

たうじはいはどのしよきやうおほくらのたねなほばかりぞさふらひける。おなじきじふはちにち、へいけあんらくじにまゐり、よもすがらうたよみれんがして、みやづかへたまひしに、なかにもほんざんみのちうじやうしげひらのきやう、

すみなれしふるきみやこのこひしさはかみもむかしにおもひしるらむ W061

ひとびとまことにあはれにおぼえて、みなそでをぞぬらされける。おなじきはつかのひ、みやこにはほふわうのせんみやうにて、しのみや、かんゐんどのにてくらゐにつかせたまふ。せつしやうはもとのせつしやう、こんゑどのかはらせたまはず。とうやくらんどなしおいて、ひとびとみなたいしゆつせられけり。さんのみやのおんめのとなきかなしみこうくわいすれどもかひぞなき。てんにふたつのひなし、くににふたりのわうなしとはまうせども、へいけのあくぎやうによつてこそ、きやうゐなかにふたりのわうはましましけれ。むかしもんどくてんわう、てんあんにねんはちぐわつにじふさんにちかくれさせたまひぬ。おんこのみやたちあまたおんくらゐにのぞみをかけてましましければ、ないないおんいのりどもありけり。いちのみここれたかのしんわうをば、こばらのわうじともまうしき。

わうしやのざいりやうをおんこころにかけ、しかいのあんきはたなごころのうちにてらし、はくわうのりらんはおんこころにかけたまへり。さればけんせいのなをも、とらせましましぬべききみなりとみえたまへり。にのみやこれひとのしんわうは、そのころのしつぺいちうじんこうのおんむすめ、そめどののきさきのおんはらなり。いちもんのくぎやうれつしてもてなしたてまつらせたまひしかば、これもまたさしおきがたきおんことなり。かれはしゆぶんけいていのきりやうあり、これはばんきふさのしんしやうあり。かれもこれもいたはしくて、いずれもおぼしめしP76わづらはれき。いちのみここれたかのしんわうげのおんいのりには、かきのもとのきそうじやうしんぜいとて、とうじのいちのちやうじや、こうぼふだいしのおんでしなり。にのみやこれひとのしんわうげのおんいのりには、ぐわいそちうじんこうのごぢそう、ひえいさんのゑりやうくわしやうぞうけたまはられける。いづれもおとらぬかうそうたちなり。とみにことゆきがたうやあらんずらんと、ひとびとないないささやきあはれけり。あんのごとくみかどかくれさせたまひしかば、くぎやうせんぎありけり。「そもそもしんらがおもんぱかりをもつて、えらんでくらゐにつけたてまつらんこと、ようしやわたくしあるににたり。ばんじんくちびるをかへすべし。しらずけいばすまふのせちをとげ、そのうんをしり、しゆうによつて、はうそさづけたてまつるべし」とぎぢやうをはんぬ。

さるほどにおなじきくぐわつふつかのひ、ににんのみやたち、うこんのばばへぎやうげいありけり。ここにわうこうけいしやうたまのくつばみをならべ、はなのたもとをよそほひ、くものごとくにかさなり、ほしのごとくにつらなりたまへり。これきたいのしようし、てんがのさかんなるみもの、ひごろこころをよせたてまつりしげつけいうんかく、りやうばうにひきわかつて、てをにぎりこころをくだきたまへり。おんいのりのかうそうたち、いづれかそりやくあらんや。しんぜいそうじやうはとうじにだんをたて、ゑりやうくわしやうはたいだいのしんごんゐんにだんをたてていのられけるが、ゑりやうはうせたりといふひろうをなさば、しんぜいそうじやうすこしたゆむこころもやおはすらんとて、「ゑりやうはうせたり」といふひろうをなして、かんたんをくだいていのられけり。

すでにじふばんのけいばはじまる。はじめしばんはいちのみここれたかのしんわうげかたせたまふ。のちろくばんはにのみやこれひとのしんわうげかたせたまふ。やがてすまふのせちあるべしとて、いちのみここれたかのしんわうげよりは、なとらのうひやうゑのかみとて、およそろくじふにんがちからあらはしたるゆゆしきひとをいだされたり。にのみやこれひとのしんわうげよりは、よしをのせうしやうとて、せいちひさうたへにして、かたてにあふべしともみえぬひと、ごむさうのおんつげありとて、まうしうけてぞいでられける。さるほどに、なとらよしをよりあひて、ひしひしとつまどりしてのきにけり。しばらくありて、なとらつとより、よしををとつてささげ、にぢやうばかりぞなげあげたる。ただなほつてたふれず。よしをまたつとより、なとらをとつてふせんとす。されどもなとらはだいのをのこ、かさにまはる。よしをなほあぶなうみえければ、おぼぎそめどののきさきより、おつかひくしのはのごとくに、しげうはしりかさなつて、「みかたすでにまけいろにみゆ、いかがせん」とおほせければ、ゑりやうくわしやうは、だいゐとくのほふをおこなはれけるが、「こはこころうきことなり」とて、とくこをもつてかうべをつきやぶり、なづきをくたし、にうにわして、ごまにたき、くろけぶりをたてて、ひともみもまれたりければ、よしをすまふにかちにけり。にのみやくらゐにつかせたまふ。せいわのみかどこれなり。のちにはみづのをのてんわうともまうしき。それよりしてさんもんには、いささかのことにも、「ゑりやうなづきをくだけば、じていくらゐにつき、そんいちけんをふつしかば、くわんしやうなふじゆしたまふ」ともつたへたり。これのみやほふりきにてもありけん、そのほかはみなてんせうだいじんのおんぱからひなりとぞ、みえたりける。

「うさぎやうがう」へいけはつくしにてこのよしをつたへききたまひて、「あはれさんのみやをも、しのみやをも、ぐしたてまつりておちくだるべきものを」とまうしあはれければ、へいだいなごんときただのきやう、「さらんにはたかくらのみやのおんこのみやを、おんめのとさぬきのかみしげひでが、ごしゆつけせさせたてまつり、ぐしたてまつてほくこくへおちくだりたりしを、木曽義仲しやうらくのとき、しゆにしまゐらせんとて、げんぞくせさせたてまつり、ぐしたてまつりて、みやこへのぼりたるをぞ、くらゐにはつけまゐらせんずらん」とのたまへば、ひとびと、「いかでかげんぞくのみやをば、くらゐにつけたてまつるべき」とまうされければ、ときただのきやう、「さもさうず。げんぞくのこくわうのためし、いこくにはそのれいもやあるらん。わがてうには、まづてんむてんわういまだとうぐうのおんとき、おほとものわうじにおそはれさせたまひて、びんぱつをそり、よしののおくへにげこもらせたまひたりしが、おほとものわうじをほろぼして、つひにくらゐにつかせたまひき。またかうけんてんわうとまうせしも、だいぼだいしんをおこさせたまひて、おんかざりをおろし、みなをほふきにとまうせしかども、ふたたびくらゐにつかせたまひて、しようとくてんわうとまうししぞかし。いはんや木曽がしゆにしまゐらせたるげんぞくのみやなれば、しさいにおよぶべき」とぞのたまひける。

おなじきくぐわつみつかのひ、いせへくぎやうのちよくしをたてらる。ちよくしはさんぎながのりとぞきこえし。だいじやうほふわういせへくぎやうのちよくしをたてらるることは、しゆしやく、しらかは、とばさんだいのじようせきありとはまうせども、これはみなごしゆつけいぜんなり。ごしゆつけいごのれい、これはじめとぞうけたまはる。
 

3 緒環(をだまき)

へいけはつくしにみやこをさだめ、だいりつくらるべしと、くぎやうせんぎありしかども、みやこもいまださだまらず。しゆしやうはそのころいはどのしよきやうおほくらのたねなほがしゆくしよにぞましましける。ひとびとのいへいへは、のなかたなかなりければ、あさのころもはうたねども、とをちのさとともいつつべし。だいりはやまのなかなれば、かのきのまるどのも、かくやありけんと、なかなかいうなるかたもありけり。まづうさのみやへぎやうがうなる。だいぐうじきんみちがしゆくしよくわうきよになる。しやとうはげつけいうんかくのきよしよになる。くわいらうはごゐろくゐのくわんにん、ていしやうにはしこくちんぜいのつはものども、かつちうきうせんをたいして、うんかのごとくなみゐたり。ふりにしあけのたまがき、ふたたびかざるとぞみえし。しちにちさんろうのあかつき、おほいとののおんために、むさうのつげぞありける。ごほうでんのみとおしひらき、ゆゆしう、けだかげなるおんこゑにて、

よのなかのうさにはかみもなきものをなにいのるらむこころづくしに W062

おほいとのうちおどろき、むねうちさわぎ、あさましさに、
さりともとおもふこころもむしのねもよわりはてぬるあきのくれかな W063

といふふるうたを、こころぼそげにぞくちずさみたまひける。さてださいふへくわんかうなる。さるほどにくぐわつもとをかあまりになりぬ。をぎのはむけのゆふあらし、ひとりまるねのとこのうへ、かたしくそでも、しをれつつ、ふけゆくあきのあはれさは、いづくもとはいひながら、たびのそらこそしのびがたけれ。くぐわつじふさんやは、なをえたるつきなれども、そのよはみやこをおもひいづるなみだに、われからくもりて、さやかならず。きうちようのくものうへ、ひさかたのつきにおもひをのべしゆふべも、いまのやうにおぼえて、さつまのかみただのり、

つきをみしこぞのこよひのとものみやみやこにわれをおもひいづらむ W064

しゆりのだいぶつねもり、
こひしとよこぞのこよひのよもすがらちぎりしひとのおもひいでられて W065

くわうごぐうのすけつねまさ、
わきてこしのべのつゆともきえずしておもはぬさとのつきをみるかな W066

「緒環」ぶんごのくには、刑部卿ざんみよりすけのきやうのくになりけり。しそくよりつねのあそんをだいくわんにおかれたりけるが、きやうよりよりつねのもとへししやをたてて、へいけはすでにしんめいにもはなたれたてまつり、きみにもすてられまゐらせて、ていとをいでて、なみのうへにただよふおちうととなれり。しかるをきうしうにたうのものどもがうけとつて、もてあつかふらんことこそしかるべからね。たうごくにおいては、いつかうしたがふべからず。とうほくこくといちみどうしんして、くこくのうちをおひいだしたてまつるべきよし、のたまひつかはされたりければ、これををがたのさぶらうこれよしにげぢす。かのこれよしとまうすは、おそろしきもののすゑにてぞさふらひける。たとへば、むかしぶんごのくにあるかたやまざとにをんなありき。あるひとのひとりむすめ、をつともなかりけるがもとへ、をとこよなよなかよふほどに、としつきもへだたれば、みもただならずなりぬ。ははこれをあやしんで、「なんぢがもとへかよふものは、いかなるものぞ」ととひければ、「くるをばみれども、かへるをしらず」とぞいひける。

「さらばあさがへりせんとき、しるしをつけてつないでみよ」とぞをしへける。むすめははのをしへにしたがひて、あさがへりしけるをとこの、みづいろのかりぎぬをきたりけるくびかみにはりをさし、しづの緒環といふものをつけて、へてゆくかたをつないでみれば、ぶんごのくににとつてもひうがのさかひ、うばだけといふだけのすそ、おほきなるいはやのうちへぞつなぎいれたる。をんないはやのくちにたたずんでききければ、おほきなるこゑしてにえびけり。をんなまうしけるは、「おんすがたをみまゐらせんがために、わらはこそこれまでまゐつてさぶらへ」といひければ、いはやのうちよりこたへていはく、「われはこれひとのすがたにはあらず。なんぢわがすがたをみては、きもたましひもみにそふまじきぞ。はらめるところのこは、なんしなるべし。ゆみやうちものとつては、きうしうにたうにかたをならぶるものあるまじきぞ」とぞをしへける。をんなかさねて、「たとひいかなるすがたにてもあらばあれ、ひごろのよしみいかでかわするべきなれば、たがひのすがたをいまいちど、みもしみえられん」といひければ、さらばとて、いはやのうちより、ふしだけはごろくしやく、あとまくらべはじふしごぢやうもあるらんとおぼゆるだいじやにて、どうえうしてぞはひいでたる。

をんなきもたましひもみにそはず、めしぐしたるじふよにんのしよじうども、をめきさけんでにげさりぬ。くびかみにさすとおもひしはりは、だいじやののどぶえにぞたつたりける。をんなかへりてほどなくさんをしたりければ、なんしにてぞありける。ははかたのおほぢ、そだててみんとてそだてたれば、いまだじつさいにもみたざるに、せいおほきうかほながかりけり。しちさいにてげんぶくせさせ、ははかたのおほぢを、だいたいふといふあひだ、これをばだいたとこそつけたりけれ。なつもふゆもてあしにひまなくあかがりわれたりければ、あかがりだいたともいはれけり。かのこれよしは、くだんのだいたにはごだいのそんなり。かかるおそろしきもののすゑなればにや、こくしのおほせをゐんぜんとかうして、きうしうにたうにめぐらしぶみをしたりければ、しかるべきものどもも、これよしにみなしたがひつく。くだんのだいじやは、ひうがのくににあがめられさせたまふ、たかちをのみやうじんのしんたいなりとぞうけたまはる。
 
 

4 太宰府落ち(ださいふおち)

さるほどにへいけは、つくしにみやこをさだめ、だいりつくらるべしと、くぎやうせんぎありしかども、これよしがむほんによつて、それもかなはず。しんぢうなごん知盛のきやうのいけんにまうされけるは、「かのをがたのさぶらうは、こまつどののごけにんなり。しかればきんだちごいつしよむかはせたまひて、こしらへてごらんぜらるべうもやさふらふらん」とまうされければ、「このぎもつともしかるべし」とて、しんざんみのちうじやうすけもり、そのせいごひやくよき、ぶんごのくににうちこえ、やうやうにこしらへのたまへども、これよししたがひたてまつらず。

あまつさへ、「きんだちをも、これにてとりこめまゐらすべうさふらへども、だいじのなかのせうじなしとて、とりこめまゐらせずは、なにほどのことかさふらふべき。ただださいふへかへらせたまひて、ごいつしよでいかにもならせたまへ」とて、おつかへしたてまつる。そののちこれよしがじなん、のじりのじらうこれむらをししやにて、ださいふへまうしけるは、「へいけこそぢうおんのきみにてましましさふらへば、かぶとをぬぎゆみのつるをはづいて、かうにんにまゐるべくさふらへども、いちゐんのおほせには、すみやかにくこくのうちをおひいだしたてまつるべきよしさふらふ」とまうしおくつたりければ、へいだいなごんときただのきやう、ひをくくりのはかま、いとくずのひたたれ、たてゑぼしにて、これむらにいでむかひてのたまひけるは、「それわがきみはてんそんしじふくせのしやうとう、じんむてんわうよりにんわうはちじふいちだいにあたらせたまふ。さればてんせうだいじんしやうはちまんぐうも、わがきみをこそまもりまゐらさせたまふらめ。

なかんづくたうけは、保元へいぢよりこのかた、どどのげきらんをしづめて、きうしうのものどもをば、みなうちさまへこそめされしか。しかるにそのおんをわすれて、とうごくほくこくのきようとら、頼朝義仲らにかたらはれて、しおほせたらばくにをあづけん、しやうをたばんとまうすを、まこととおもひて、そのはなぶんごがげぢにしたがふらんことこそしかるべからね」とぞのたまひける。ぶんごのこくし刑部卿ざんみよりすけのきやうは、きわめてはなのおほきなりければ、かやうにはのたまひけるなれ。

これむらかへつてちちにこのよしつげたりければ、「こはいかに、むかしはむかし、いまはいま、そのぎならば、くこくのうちをおひいだしたてまつれや」とて、せいそろゆるときこえしかば、げんたいふのはうぐわんすゑさだ、つのはうぐわんもりずみ、「きやうこうはうばいのためきくわいにさふらふ。めしとりさふらはん」とて、そのせいさんぜんよきで、ちくごのくににうちこえ、たかののほんじやうにはつかうして、いちにちいちやせめたたかふ。されどもこれよしがかたのせい、うんかのごとくにかさなれば、ちからおよばでひきしりぞく。へいけは、をがたのさぶらうこれよしが、さんまんよきのせいにて、すでによすときこえしかば、とるものもとりあへず、ださいふをこそおちたまへ。さしもたのもしかりつるてんまんてんじんのしめのあたりを、こころぼそくもたちわかれ、かよちやうもなければ、そうくわほうれんは、ただなをのみききて、しゆしやうえうよにめされけり。

こくもをはじめまゐらせて、やんごとなきにようばうたちは、はかまのすそをたかくとり、おほいとのいげのけいしやううんかくは、さしぬきのそばをたかくはさみ、かちはだしでみづきのとをいでて、われさきにわれさきにと、はこざきのつへこそおちたまへ。をりふしくだるあめしやぢくのごとし。ふくかぜいさごをあぐとかや。おつるなみだふるあめ、わきていづれもみえざりけり。すみよし、はこざき、かしひ、むなかたふしをがみ、しゆしやうただきうとのくわんかうとのみぞいのられける。たるみやま、うづらばまなどいふさがしきけんなんをしのがせたまひて、べうべうたるへいさへぞおもむかれける。いつならはしのおんことなれば、おんあしよりいづるちはいさごをそめ、くれなゐのはかまはいろをまし、しろきはかまはすそぐれなゐにぞなりにける。かのげんざうさんざうのりうさそうれいをしのがれたりけんかなしみも、これにはいかでかまさるべき。それはぐほふのためなれば、じたのりやくもありけん、これはとうせんのみちなれば、らいせのくるしみ、かつおもふこそかなしけれ。

はらたのたいふたねなほは、にせんよきで、きやうよりへいけのおんともにまゐる。やまがのひやうどうじひでとほ、すせんぎでへいけのおんむかひにまゐりけるが、たねなほひでとほ、もつてのほかにふわなりければ、たねなほはあしかりなんとて、みちよりひつかへす。それよりあしやのつといふところを、すぎさせたまふにも、「これはみやこよりわれらがふくはらへかよひしとき、あさゆふみなれしさとのななれば」とて、いづれのさとよりもなつかしく、いまさらあはれをぞもよほされける。しんら、はくさい、かうら
い、けいたん、くものはてうみのはてまでも、おちゆかばやとはおもはれけれども、なみかぜむかうてかなはねばちからおよばず、ひやうどうじひでとほにぐせられて、やまがのじやうにぞこもりたまふ。やまがへもまたかたきよすときこえしかば、とるものもとりあへず、へいけこぶねどもにとりのつて、よもすがらぶぜんのくにやなぎがうらへぞわたられける。ここにみやこをさだめて、だいりつくらるべしと、くぎやうせんぎありしかども、ぶんげんなければそれもかなはず。またながとよりげんじよすときこえしかば、とるものもとりあへず、あまをぶねにめして、うみにぞうかびたまひける。

かんなづきのころほひ、こまつどののさんなん、ひだんのちうじやうきよつねは、なにごともふかうおもひいれたまへるひとにておはしけるが、あるつきのよ、ふなばたにたちいでて、やうでうねとりらうえいして、あそばれけるが、みやこをばげんじのためにせめおとされ、ちんぜいをばこれよしがためにおひいだされ、あみにかかれるうをのごとし。いづちへゆかばのがるべきかは。ながらへはつべきみにもあらずとて、しづかにきやうよみねんぶつして、うみにぞしづみたまひける。なんによなきかなしめどもかひぞなき。ながとのくにはしんぢうなごん知盛のきやうのくになりけり。

もくだいはきのぎやうぶのたいふみちすけといふものなり。へいけあまをぶねにめしたるよしうけたまはつて、おほぶねひやくよそうてんじてまゐらせたりければ、へいけこれにのりうつり、しこくへぞわたられける。あはのみんぶしげよしがさたとして、さぬきのくにやしまのいそにかたのやうなるいたやのだいりや、ごしよをぞつくらせける。そのほどはあやしのみんをくをくわうきよとするにおよばねば、ふねをごしよとぞさだめける。おほいとのいげのけいしやううんかくは、あまのとまやにひをくらし、ふねのうちにてよをあかす。りようどうげきしゆをかいちうにうかべ、なみのうへのかうきうは、しづかなるときなし。つきをひたせるうしほのふかきうれへにしづみ、しもをおほへるあしのはのもろきいのちをあやぶむ。

すさきにさわぐちどりのこゑは、あかつきうらみをまし、そはゐにかかるかぢのおとは、よはにこころをいたましむ。はくろのゑんしようにむれゐるをみては、げんじのはたをあぐるかとうたがはる。やがんのれうかいになくをきいては、つはものどものよもすがらふねをこぐかとおどろかる。せいらんはだへををかしては、すゐたいこうがんのいろやうやうおとろへ、さうはまなこうげて、ぐわいとばうきやうのなんだおさへがたし。すゐちやうこうけいにかはれるは、はにふのこやのあしすだれ、くんろのけぶりにことなる、あまのもしほびたくいやしきにつけても、にようばうたちは、つきせぬものおもひに、くれなゐのなみだせきあへたまはねば、みどりのまゆずみみだれつつ、そのひとともみえたまはず。
 
 

5 征夷将軍院宣(せいいしやうぐんのゐんぜん)

さるほどにかまくらのさきのうひやうゑのすけ頼朝、ぶようのめいよちやうじたまへるによつて、ゐながらせいいしやうぐんのゐんぜんをくださる。おつかひはさししやうなかはらのやすさだとぞきこえし。じふぐわつよつかのひくわんとうへげちやく。ひやうゑのすけどののたまひけるは、「そもそも頼朝ぶようのめいよちやうぜるによつて、ゐながらせいいしやうぐんのゐんぜんをかうぶる。さればわたくしにてはいかでかうけとりたてまつるべき。わかみやのはいでんにして、うけとりたてまつるべし」とて、わかみやへこそまゐりむかはれけれ。はちまんはつるがをかにたたせたまふ。ちけいいはしみづに
たがはず。くわいらうあり、ろうもんあり、つくりみちじふよちやうをみくだしたり。

そもそもゐんぜんをば、たれしてかうけとりたてまつるべきとひやうぢやうあり。みうらのすけよしずみして、うけとりたてまつるべし。そのゆゑははつかこくにきこえたるゆみやとり、みうらのへいたらうためつぎがばつえふなり。ちちおほすけもきみのためにいのちをすてしつはものなれば、かのぎめいがくわうせんのめいあんをてらさんがためとぞきこえし。ゐんぜんのおつかひやすさだは、いへのこににん、らうどうじふにんぐしたり。みうらのすけも、いへのこににん、らうどうじふにんぐしたりけり。ににんのいへのこは、わだのさぶらうむねざね、ひきのとうしらうよしかずなり。らうどうじふにんをば、だいみやうじふにんして、ひとりづつにはかにしたてられたり。みうらのすけ、そのひは、かちんのひたたれに、くろいとをどしのよろひきて、こくしつのたちをはき、にじふしさいたるきりふのやおひ、しげどうのゆみわきにはさみ、かぶとをばぬいでたかひもにかけ、こしをかがめてゐんぜんをうけとりたてまつらんとす。

さししやうまうしけるは、「ただいまゐんぜんうけとりたてまつらんとするはたれびとぞ。なのりたまへ」といひければ、ひやうゑのすけのすけのじにやおそれけん、みうらのすけとはなのらずして、ほんみやうみうらのあらじらうよしずみとこそなのつたれ。ゐんぜんをばらんばこにいれられたり。ひやうゑのすけどのにたてまつる。ややあつてらんばこをばかへされけり。おもかりければ、やすさだこれをひらいてみるに、しやきんひやくりやういれられたり。わかみやのはいでんにして、やすさだにさけをすすめらる。さいゐんのじくわんはいぜんす。ごゐいちにんやくそうをつとむ。むまさんびきひかる。いつぴきにくらおいたり。みやのさぶらひかののくどういちらふすけつねこれをひく。ふるきかややをしつらうて、やすさだをいれらる。

あつわたのきぬにりやう、こそでとかさね、ながもちにいれてまうけたり。こんあゐずり、しろぬのせんだんをつめり。はいばんゆたかにしてびれいなり。つぎのひひやうゑのすけのたちにむかふ。うちとにさぶらひあり。ともにじふろくけんまでありけり。とさぶらひには、いへのこ(原本いへこの)らうどうかたをならべ、ひざをくんでなみゐたり。うちさぶらひには、いちもんのげんじしやうざして、ばつざにははつかこくのだいみやうせうみやうゐながれたり。げんじのしやうざには、やすさだをすゑらる。ややあつてしんでんにむかふ。うへにはかうらいべりのたたみをしき、ひろびさしにはむらさきべりのたたみをしいて、やすさだをすゑらる。みすたかくまきあげさせて、ひやうゑのすけどのいでられたり。そのひはほういにたてゑぼしなり。かほおほきにしてせいひきかりけり。ようばういうびにしてげんぎよぶんみやうなり。まづしさいをいちじのべたり。
「そもそもへいけ頼朝がゐせいにおそれて、みやこをおつ。そのあとに木曽義仲、じふらうくらんどらがうちいつて、わがかうみやうがほに、くわんかかいをおもふさまにつかまつり、あまつさへくにをきらひまうすでうきくわいなり。またおくの秀衡がみちのくにのかみになり、さたけのくわんじやがひたちのかみになつて、これも頼朝がげぢにしたがはず。かれらをもいそぎつゐたうすべきよしのゐんぜん、たまはるべき」よしをまうさる。やすさだ、「やがてこれにてみやうぶをもまゐらせたうはさふらへども、たうじはおつかひのみでさふらへば、まかりのぼつて、やがてしたためてこそまゐらせめ。

おととでさふらふしのたいふしげよしも、このぎをまうしさふらふ」とまうしければ、ひやうゑのすけどのあざわらうて、「たうじ頼朝がみとして、おのおののみやうぶおもひもよらず。さりながらもいたされば、さこそぞんぜめ」とぞのたまひける。やすさだやがてこんにちしやうらくのよしをまうす。けふばかりはとうりうあるべしとてとどめらる。つぎのひまたひやうゑのすけのたちへむかふ。もよぎのいとをどしのはらまきいちりやう、しろうつくつたるたちひとふり、しげどうのゆみにのやそへてたぶ。むまじふさんびきひかる。さんびきにくらおいたり。じふににんのいへのこらうどうどもにも、ひたたれ、こそで、おほぐち、むま、もののぐにおよべり。むまだにもさんびやくひきまでありけり。かまくらいでのしゆくよりも、あふみのくにかがみのしゆくにいたるまで、しゆくじゆくにじつこくづつのよねをおかれたりければ、たくさんなるによつて、せぎやうにひきけるとぞきこえし。
 

6 猫間(ねこま)

やすさだみやこへのぼりゐんざんして、おつぼのうちにかしこまつて、くわんとうのやうをつぶさにそうもんまうしたりければ、ほふわうおほきにぎよかんありけり。くぎやうもてんじやうびとも、ゑつぼにいらせおはしまし、いかなればひやうゑのすけは、かうこそゆゆしうおはせしか。たうじみやこのしゆごしてさふらはれける木曽義仲は、にもにずあしかりけり。いろしろうみめはよいをのこにてありけれども、たちゐのふるまひのぶこつさ、ものいひたることばつづきのかたくななることかぎりなし。ことわりなるかな、にさいよりさんじふにあまるまで、しなののくにきそといふかたやまざとにすみなれておはしければ、なじかはよかるべき。そのころねこまのちうなごんみつたかのきやうといふひとありけり。木曽にのたまひあはすべきことあつて、おはしたりけるを、らうどうども、「ねこまどののいらせたまひてさふらふ」といひければ、木曽おほきにわらうて、「ねこはひとにたいめんするか」とぞいひける。「これはねこまのちうなごんどのとて、くぎやうにてわたらせたまひさふらふ」といひければ、さらばとてたいめんす。木曽、ねこまどのとはえいはで、「ねこどののけどきに、まればれわいたに、ものよそへ」とぞいひける。ちうなごんどの、「いかでかただいまさるおんことのおはすべき」とのたまへども、木曽、なにをもあたらしきものをば、ぶえんといふぞとこころえて、「ぶえんのひらたけここにあり。とうとう」といそがす。ねのゐのこやたはいぜんす。ゐなかがふしのきはめておほきに、くぼかりけるに、はんうづたかうよそひ、ごさいさんじゆして、ひらたけのしるにてまゐらせたり。木曽がまへにも、おなじていにてすゑたりけり。

木曽はしとつてしよくす。ちうなごんはあまりにがふしのいぶせさに、めさざりければ、木曽、「きたなうなおもひたまひそ。それは義仲がしやうじんがふしでさふらふぞ。とうとう」とすすむるあひだ、ちうなごんどの、めさでもさすがあしかりなんとやおもはれけん、はしとつてめすよしして、さしおかれたりければ、木曽おほきにわらつて、「ねこどのはせうじきにておはすよ。きこゆるねこおろししたまひたり。かいたまへかいたまへや」とぞせめたりける。ちうなごんどのは、かやうのことに、よろづきようさめて、のたまひあはすべきことども、ひとことばもいひいださず、いそぎかへられけり。そののち義仲ゐんざんしけるが、くわんかかいしたるもののひたたれにてしゆつしせんこと、あるべうもなしとて、にはかにほういとり、しやうぞく、かぶりぎは、そでのかかり、さしぬきのりんにいたるまで、かたくななることかぎりなし。よろひとつてき、やかきおひ、ゆみおしはり、かぶとのををしめ、むまにうちのつたるには、にもにずあしかりけり。されどもくるまにこがみのんぬ。うしかひはやしまのおほいとののうしかひなり。

うしくるまもそなりけり。いちもつなるうしの、すゑかうたるを、かどいづるとて、ひとずばえあてたらうに、なじかはよかるべき。うしはとんでいづれば、木曽はくるまのうちにて、あふのきにたふれぬ。てふのはねをひろげたるやうに、さうのそでをひろげ、てをあがいて、おきんおきんとしけれども、なじかはおきらるべき。木曽、うしかひとはえいはで、「やれこうしこでいよ、やれこうしこでいよ」といひければ、くるまをやれといふぞとこころえて、ごろくちやうこそあがかせけれ。いまゐのしらうむちあぶみをあはせて
おつつき、「なにとておんくるまをば、かやうにはつかまつるぞ」といひければ、「あまりにおうしのはながこはうさふらうて」とぞのべたりける。うしかひ、木曽になかなほりせんとやおもひけん、「それにさふらふてがたとまうすものに、とりつかせたまへ」といひければ、木曽てがたにむずとつかみついて、「あつぱれしたくや、うしこでいがはからひか、とののやうか」とぞとうたりける。さてゐんのごしよへまゐり、もんぜんにてくるまかけはづさせ、うしろよりおりんとしければ、きやうのもののざつしきにめしつかはれけるが、「くるまにはめされさふらふときこそ、うしろよりはめされさふらへ。おりさせたまふときは、まへよりこそおりさせたまふべけれ」といひければ、木曽、「いかでかくるまならんがらに、なんでふすどほりをばすべき」とて、つひにうしろよりぞおりてげる。そのほかをかしきことどもおほかりけれども、おそれてこれをまうさず。うしかひはつひにきられにけり。
 

7 水島合戦(みづしまがつせん)

さるほどにへいけは、さぬきのやしまにありながら、せんやうだうはつかこく、なんかいだうろくかこく、つがふじふしかこくをぞうつとりける。木曽やすからぬことなりとて、やがてうつてをむけらる。たいしやうぐんにはみちのくにのしんはうぐわんよしやすがこ、やたの判官だいよしきよ、さぶらひだいしやうには、しなののくにの住人うみののやへいしらうゆきひろをさきとして、つがふそのせいしちせんよき、せんやうだうへはつかうす。びつちうのくにみづしまのとにふねをうかべて、やしまへすでによせんとす。うるふじふぐわつひとひのひ、みづしまがとにこぶねいつそういできたり。あまぶね、つりぶねかとみるところに、さはなくして、へいけのかたよりのてふのつかひのふねなりけり。げんじのかたのつはものども、これをみて、ほしあげたりけるごひやくよそうのふねどもを、みなわれさきにわれさきにとぞおろしける。へいけはせんよそうでぞよせたりける。たいしやうぐんにはしんぢうなごん知盛のきやう、ふくしやうぐんにはのとのかみ教経なりけり。のとどのだいおんじやうをあげて、「いかにしこくのものども、ほくこくのやつばらにいけどりにせられんをば、こころうしとはおもはずや。みかたのふねをばくめや」とて、せんよそうのともづな、へづなをくみあはせ、なかにもやひをいれ、あゆみのいたをひきわたしひきわたしわたいたれば、ふねのうちはへいへいたり。ときつくり、やあはせして、とほきをばいておとし、ちかきをばたちできる。あるひはくまでにかけてひきおとさるるものもあり。

あるひはひつくみさしちがへて、うみへとびいるものもあり。いづれひまありともみえざりけり。げんじのかたの、さぶらひだいしやううみののやへいしらうゆきひろうたれぬ。これをみてやたの判官だいよしきよ、やすからぬことなりとて、しゆじうしちにんこぶねにのり、まつさきにすすんでたたかひけるが、ふねふみしづめてうせにけり。へいけはふねにむまをたてたりければ、ふねどものりかたぶけのりかたぶけ、むまどもおひおろしおひおろし、ふねにひきつけひきつけおよがす。むまのあしだち、くらづめひたるほどにもなりしかば、ひたひたとうちのつて、のとどのごひやくよき、をめいてさきをかけたまへば、げんじのかたにはたいしやうぐんはうたれぬ、われさきにとぞおちゆきける。へいけはこんどみづしまのいくさにかつてこそ、くわいけいのはぢをばきよめけれ。
 

8 瀬尾最期(せのをさいご)

木曽のさまのかみ、このよしをきいて、やすからぬことなりとて、そのせいいちまんよきで、びつちうのくにへはせくだる。ここにへいけのみかたにさふらひける、びつちうのくにの住人、せのをのたらうかねやすは、きこゆるつはものにてありけれども、さんぬるごぐわつほくこくのたたかひのとき、うんやつきにけん、かがのくにの住人、くらみつのじらうなりずみがてにかかつて、いけどりにこそせられけれ。そのときすでにきらるべかりしを、木曽どの、「あつたらをのこをさうなうきるべきにあらず」とて、おととさぶらうなりうぢにあづけられてぞさふらひける。ひとあひこころざま、まことにいうなりければ、くらみつもねんごろにもてなしけり。そしけいがここくにとらはれ、りせうけいがかんてうへかへらざりしがごとし。とほくいこくにつけることも、むかしのひとのかなしめりしがところなりといへり。おしかはのたまき、かものばく、もつてふううをふせぎ、なまぐさきしし、らくのつくりみづ、もつてきかつにあつ。よるはいぬることなく、ひるはひねもすにつかへて、きをきりくさをからずといふばかりにしたがひつつ、いかにもしてかたきをうかがひうつて、いまいちどきうしゆをみばやと、おもひたちけるかねやすが、こころのうちこそおそろしけれ。あるときせのをのたらう、くらみつのさぶらうにいひけるは、「さんぬるごぐわつよりかひなきいのちをたすけられまゐらせてさふらへば、たれをたれとかおもひまゐらせさふらふべき。

こんどごかつせんさふらはば、いのちをばまづ木曽どのにたてまつらん。それにつきさふらひては、せんねんかねやすがちぎやうしさふらひしびつちうのせのをといふところは、むまのくさがひよきところにてさふらふ。ごへんまうしてたまはらせさふらへ。あんないしやせん」といひければ、くらみつのさぶらう、木曽どのに、このよしをまうす。木曽どの、「さてはふびんのことをもまうすござんなれ。まことにはなんぢまづくだつて、むまのくさなどをもかまへさせよ」とぞのたまひける。くらみつのさぶらうかしこまりうけたまはつて、てぜいさんじつきばかり、せのをのたらうをあひぐして、びつちうのくにへはせくだる。瀬尾がちやくしこたらうむねやすは、へいけのみかたにさふらひけるが、ちちがきそどのよりいとまたまはつてくだるときいて、としごろのらうどうどももよほしあつめて、そのせいひやくきばかりで、ちちがむかひにのぼりけるが、はりまのこふでゆきあうたり。それよりうちつれてくだるほどに、備前のくにみついしのしゆくにとどまつたりけるよ、瀬尾があひしつたるものども、さけをもたせてきたりあつまり、よもすがらさかもりしけるが、くらみつがせいさんじつきばかりをしひふせて、おこしもたてず、くらみつのさぶらうをはじめとして、いちいちにみなさしころしてげる。

備前のくにはじふらうくらんどのくになりけり。そのだいくわんのこふにありけるをも、やがておしよせてうちてげり。瀬尾のたらうまうしけるは、「かねやすこそ木曽どのよりいとまたまはつて、これまでまかりくだつたれ。へいけにおんこころざしおもひまゐらせんひとびとは、こんど木曽どののくだりたまふに、やひとついかけたてまつれや」とひろうしたりければ、びぜん、びつちう、びんごさんかこくのつはものども、しかるべきむまもののぐ、しよじうなどをば、へいけのおんかたへまゐらせて、やすみゐたりけるらうしやども、瀬尾にもよほされて、あるひはかきのひたたれにつめひもし、あるひはぬののこそでにあづまをりし、やぶれはらまきつづりき、やまうつぼ、たかえびらにやどもせうせうさし、かきおひかきおひ、つがふそのせいにせんよにん、瀬尾がたちへはせあつまる。備前のくにふくりうじなはて、ささのせまりをじやうくわくにかまへて、くちにぢやうふかさにぢやうにほりをほり、かいだてかき、たかやぐらし、さかもぎひいてまちかけたり。じふらうくらんどのだいくわん、瀬尾にうたれて、そのげにんのにげてきやうへのぼるが、はりまと備前のさかひなるふなさかやまにて、木曽どのにゆきあひたてまつり、このよしかくとまうしければ、木曽どの、「にくからん瀬尾めを、きつてすつべかりつるものを、てのびにしてたばかられぬることこそやすからね」とこうくわいせられければ、いまゐのしらう、まうしけるは、「きやつがつらだましひ、ただものとはみえさふらはず。ちたびきらうとまうしさふらひしも、ここざふらふぞかし。

さりながらなにほどのことかさふらふべき。かねひらまづまかりむかつて、みさふらはん」とて、そのせいさんぜんよきで、備前のくにへはせくだる。備前のくにふくりうじなはては、はたばりゆんづゑひとつゑばかりにて、とほさはさいこくみちのいちりなり。さうはふかたにて、むまのあしもおよばねば、さんぜんよきがこころはさきにすすめども、ちからおよばず、むましだいにぞあゆませける。いまゐのしらうおしよせてみければ、瀬尾のたらうは、いそぎたかやぐらにはしりあがり、だいおんじやうをあげて、「さんぬるごぐわつより、かひなきいのちをたすけられまゐらせてさふらふ、おのおののはうしには、これをこそよういつかまつてさふらへ」とて、にじふしさいたるやを、さしつめひきつめ、さんざんにいる。いまゐのしらう、みやざきさぶらう、うみの、もちづき、すは、ふぢさはなどいふいちにんたうぜんのつはものども、これをことともせず、かぶとのしころをかたぶけ、いころさるるじんばをば、とりいれひきいれほりをうめ、あるひはさうのふかたにうちいれて、むまのくさわき、むながいづくし、ふとはらにたつところをもことともせず、むらめかいておしよせ、あるひはたにふけをもきらはず、かけいりかけいりをめきさけんでせめいりければ、瀬尾がかたのつはものども、たすかるものはすくなく、うたるるものぞおほかりける。よにいつて、瀬尾がたのみきつたるささのせまりのじやうくわくをやぶられて、かなはじとやおもひけん、ひきしりぞく。

びつちうのくにいたくらがはのはたに、かいだてかいてまちかけたり。いまゐのしらうやがてつづいてせめければ、瀬尾がかたのつはものども、やまうつぼ、たかえびらに、やだねのあるほどこそふせぎけれ、やだねみなつきければ、ちからおよばず、われさきにとぞおちゆきける。瀬尾のたらうただしゆじうさんきにうちなされ、いたくらがはのはたについて、みどろやまのかたへおちぞゆく。さんぬるごぐわつほくこくにて、瀬尾いけどりにしたりけるくらみつのじらうなりずみは、おととのさぶらうなりうぢをうたせて、やすからずやおもひけん、こんどもまた瀬尾めにおいては、いけどりにせんとて、ただいつきぐんにぬけておうてゆく。あはひいつちやうばかりにおつつき、「あれはいかに、瀬尾とこそみれ。まさなうもかたきにうしろをみするものかな。かへせやかへせ」とことばをかけければ、瀬尾のたらうは、いたくらがはをにしへわたすが、かはなかにひかへてまちかけたり。くらみつのじらう、むちあぶみをあはせておつつき、おしならべむずとくんで、どうどおつ。たがひにおとらぬだいぢからではあり、うへになりしたになり、ころびあひけるが、かはぎしにふちのありけるにころびいりぬ。

くらみつはぶすゐれん、瀬尾はくつきやうのすゐれんにてありければ、みづのそこにてくらみつがこしのかたなをぬき、よろひのくさずりひきあげて、つかもこぶしもとほれ
とほれと、みかたなさいてくびをとる。瀬尾のたらう、わがむまをばのりそんじたりければ、くらみつがむまにうちのつておちてゆく。ちやくしのこたらうむねやすは、としはにじふになりけれども、あまりにふとつて、いつちやうともえはしらず。これをみすてて、瀬尾はにじふよちやうぞのびたりける。瀬尾のたらう、らうどうにいひけるは、「ひごろはせんばんのかたきにあうていくさするには、しはうはれておぼゆるが、けふはこたらうむねやすをすててゆけばにやらん、いつかうさきがくらうてみえぬなり。

こんどのいくさにいのちいきて、ふたたびへいけのおんかたへまゐりたりとも、かねやすはろくじふにあまつて、いくほどいかうどおもうて、ただひとりあるこをすてて、これまでのがれまゐりたるらんなど、どうれいどもにいはれんことこそくちをしけれ」といひければ、らうどう、「ささふらへばこそ、ただごいつしよでいかにもならせたまへとまうしつるは、ここざふらふぞかし。かへさせたまへ」とて、またとつてかへす。あんのごとくこたらうむねやすは、あしかんばかりにはれてふせりゐたるところへ、瀬尾のたらうとつてかへし、いそぎむまよりとんでおり、こたらうがてをとつて、「なんぢといつしよでいかにもならんとおもふために、これまでかへりたるはいかに」といひければ、こたらうなみだをはらはらとながいて、「たとひこのみこそぶきりやうにさふらへば、ここにてじがいをつかまつりさふらふとも、われゆゑおんいのちをさへうしなひまゐらせんこと、ごぎやくざいにやさふらはんずらん。ただとうとうのびさせたまへ」といひけれども、おもひきつてんうへはとて、やすみゐたりけるところに、またあらてのげんじごじつきばかりでいできたる。瀬尾のたらう、いのこしたるやすぢのやを、さしつめひきつめさんざんにいる。

ししやうはしらず、やにはにかたきはちきいおとし、そののちたちをぬいて、まづこたら
うがくびふつとうちおとし、かたきのなかへかけいり、たてさま、よこさま、くもで、じふもんじにかけまはり、さんざんにたたかひ、かたきあまたうつとつて、そこにてうちじにしてげり。らうどうもしゆにちつともおとらずたたかひけるが、いたでおうていけどりにこそせられけれ。なかいちにちあつて、やがてしににけり。かれらしゆじうさんにんがくびをば、びつちうのくにさぎがもりにぞかけたりける。木曽どの、「あはれかうのものや。これらがいのちをたすけてみで」とぞのたまひける。
 

9 室山合戦(むろやまかつせん)

さるほどに木曽はびつちうのくにまんじゆのしやうにてせいぞろへして、やしまへすでによせんとす。そのあひだみやこのるすにおかれたりけるひぐちのじらうかねみつ、さいこくへししやをたてまつて、「とののわたらせたまはぬまに、じふらうくらんどどのこそ、ゐんのきりびとして、やうやうにざんそうせられさふらふなれ。さいこくのいくさをばしばらくさしおかせたまひて、いそぎのぼらせたまへ」といひければ、木曽、さらばとて、よをひについではせのぼる。じふらうくらんどゆきいへは、木曽になかたがうてあしかりなんとやおもはれけん、そのせいごひやくよきで、たんばぢにかかつて、はりまのくにへおちくだる。木曽はつのくにをへてみやこへいる。へいけは木曽うたんとて、たいしやうぐんにはしんぢうなごん知盛のきやう、ほんざんみのちうじやうしげひらのきやう、さぶらひだいしやうには、ゑつちうのじらうびやうゑもりつぎ、かづさのごらうびやうゑただみつ、あくしちびやうゑかげきよ、いがのへいないざゑもんいへながをさきとして、つがふそのせいにまんよき、はりまのくににおしわたり、むろやまにぢんをぞとつたりける。じふらうくらんどゆきいへは、へいけといくさして、木曽になかなほりせんとやおもひけん、そのせいごひやくよき、むろやまへこそかかられけれ。へいけはぢんをいつつにはる。まづいがのへいないざゑもんいへなが、にせんよきでいちぢんをかたむ。

ゑつちうのじらうびやうゑもりつぎ、せんよきでにぢんをかたむ。かづさのごらうびやうゑただみつ、あくしちびやうゑかげきよ、さんぜんよきでさんぢんをかたむ。ほんざんみのちうじやうしげひらのきやう、さんぜんよきでしぢんをかためたまふ。しんぢうなごん知盛のきやう、いちまんよきでごぢんにひかへたまへり。まづいちぢんいがのへいないざゑもんいへなが、しばらくあひしらふていにもてなして、なかをあけてぞとほしける。にぢんゑつちうのじらうびやうゑ、これもあけてぞとほしける。さんぢんかづさのごらうびやうゑ、あくしちびやうゑ、ともにあけてぞとほしける。しぢんほんざんみのちうじやうしげひらのきやうも、おなじうあけてぞいれられける。せんぢんよりごぢんまで、かねてやくそくしたりければ、げんじをなかにとりこめて、われうつとらんとぞすすみける。じふらうくらんどゆきいへ、こはたばかられにけりとやおもはれけん、おもてもふらず、いのちもをしまず、ここをさいごとせめたたかふ。しんぢうなごんのむねとたのまれたりけるきしちゑもん、きはちゑもん、きくらうなどいふいちにんたうぜんのつはものども、みなそこにてじふらうくらんどにうつとられぬ。

かくしてごひやくよきのせいども、わづかさんじつきばかりにうちなされ、うんかのごとくなるかたきのなかをわつていづれども、わがみはてもおはず、にじふしちきたいりやくてをひ、はりまのくにたかさごよりふねにのつて、いづみのくにふけひのうらへおしわたり、それよりかはちのくにながののじやうにたてごもる。へいけはむろやまみづしまにかどのいくさにかつてこそ、いよいよせいはつきにけれ。
 

10 鼓判官(つづみはうぐわん)

およそきやうぢうにはげんじのせいみちみちて、ざいざいしよしよにいりどりおほし。かも、やはたのごりやうともいはず、あをたをかりてまぐさにし、ひとのくらをうちあけてものをとり、ろしにもつてあふものをうばひとる。「へいけのみやこにおはせしほどは、六波羅どのとて、ただおほかたおそろしかりしばかりなり。いしやうをはぎとるまではなかりしものを。へいけにげんじかへおとりしたり」とぞひとまうしける。ほふわうより木曽のさまのかみのもとへ、「らうぜきしづめよ」とおほせくださる。おつかひはいきのかみともちかがこに、いきのはうぐわんともやすといふものなり。

てんがにきこえたるつづみのじやうずにてありければ、ときのひとつづみはうぐわんとぞまうしける。木曽たいめんして、まづゐんのおんぺんじをばまうさで、「そもそもわどのをつづみはうぐわんといふは、よろづのひとにうたれたうたか、はられたうたか」とぞとうたりける。ともやすへんじにおよばず、いそぎかへりまゐつて、「義仲をこのものにてさふらふ。はやくつゐたうせさせたまへ。ただいまてうてきとなりさふらひなんず」とまうしければ、ほふわうやがておぼしめしたたせたまひけり。さらばしかるべきぶしにもおほせつけられずして、やまのざす、てらのちやうりにおほせられて、やま、みゐでらのあくそうどもをぞめされける。くぎやうてんじやうびとのめされけるせいといふは、むかへつぶて、いんぢ、いふかひなきつじくわんじやばら、さてはこつじきほふしばらなり。

またしなのげんじむらかみのさぶらう判官だい、これも木曽をそむいてほふわうへぞまゐりける。木曽のさまのかみ、ゐんのごきしよくあしうなるときこえしかば、はじめは木曽にしたがうたるごきないのものども、みな木曽をそむいて、院方へまゐる。いまゐのしらうまうしけるは、「これこそもつてのほかのおんだいじにてさふらへ。さればとてじふぜんのきみにむかひまゐらせて、いかでごかつせんさふらふべき。ただかぶとをぬぎゆみのつるをはづいて、かうにんにまゐらせたまふべうもやさふらふらん」とまうしければ、木曽おほきにいかつて、「われしなのをいでしより、をみ、あひだのかつせんよりはじめて、ほくこくにては、となみ、くろさか、しほさか、しのはら、さいこくにては、ふくりうじなはて、ささのせまり、いたくらがじやうをせめしかども、いちどもかたきにうしろをみせず。たとひじふぜんのきみにてわたらせたまふとも、かぶとをぬぎゆみのつるをはづいて、かうにんにはえこそまゐるまじけれ」。
 
 

「たとへばみやこのしゆごしてあらんずるものが、むまいつぴきづつかうてのらざるべきか。いくらもあるたどもからせてまぐさにせんを、あながちにほふわうのとがめたまふべきやうやある。ひやうらうまいつきぬれば、くわんじやばらどもが、にしやまひがしやまのかたほとりについて、ときどきいりどりせんは、なじかはくるしかるべき。だいじんいげ、みやみやのごしよへまゐらばこそ、ひがごとならめ。いかさまこれはつづみはうぐわんがきようがいとおぼゆるぞ。そのつづみめうちやぶつてすてよ。こんどは義仲がさいごのいくさにてあらんずるぞ。かつうはひやうゑのすけ頼朝がかへりきかんずるところもあり。いくさようせよ、ものども」とてうちいでけり。ほくこくのものども、はじめはごまんよきときこえしが、みなおちくだつて、わづかろくしちせんきぞありける。義仲がいくさのきちれいなればとて、ななてにわかち、まづひぐちのじらうかねみつ、にせんよきでいまぐまののかたより、からめでにさしつかはす。

のこるむては、おのおのがゐたらんずるでうりこうぢよりみなうつたつて、ろくでうかはらでひとつになれと、あひづをさだめてうつたちけり。みかたのかさじるしには、まつのはをぞつけたりける。いくさはじふいちぐわつじふくにちのあしたなり。ゐんのごしよほふぢうじどのにも、ぐんびやうにまんよにんまゐりこもりたるよしきこえけり。木曽、ほふぢうじどののにしのもんへおしよせてみければ、つづみはうぐわんともやすは、いくさのぎやうじうけたまはつて、ごしよのにしのついがきのうへへのぼりあがつてたつたりけるが、あかぢのにしきのひたたれに、かぶとばかりぞきたりける。かぶとにはしてんをかいてぞおしたりける。

かたてにはほこをもち、かたてにはこんがうれいをもつて、うちふりうちふり、ときどきはまふをりもありけり。くぎやうてんじやうびとは、「ふぜいなし。ともやすにはてんぐついたり」とぞわらはれける。ともやすだいおんじやうをあげて、「むかしはせんじをむかつてよみければ、かれたるくさきもたちまちにはなさきみなり、とぶとりもちにおち、あくきあくじんもしたがひき。まつだいげうきなればとて、いかでかじふぜんのきみにむかひまゐらせて、ゆみをひきやをばはなつべき。はなたんやは、かへつてなんぢらがみにたつべし。ぬかんたちは、かへつてみをきるべし」など、ののしつたりければ、木曽、「さないはせそ」とて、ときをどつとつくりける。さるほどにひぐちのじらうかねみつにせんよき、いまぐまののかたより、おなじうときのこゑをぞあはせける。いまゐのしらうかねひら、かぶらのなかにひをいれて、ほふぢうじどののごしよのむねにいたてたりければ、をりふしかぜははげしし、みやうくわはてんにもえあがつて、ほのほはこくうにみちみてり。くろけぶりおしかけければ、いくさのぎやうじともやすは、ひとよりさきにおちにけり。ぎやうじがおつるうへはとて、にまんよにんのつはものども、われさきにとぞおちゆきける。あまりにあわてさわいで、ゆみとるものはやをしらず、やとるものはゆみをしらず。あるひはなぎなたさかさまについてわがあしつきつらぬくものもあり、あるひはゆみのはずものにかけて、えはづさですててにぐるものもあり。

しちでうがすゑをば、つのくにげんじのかためたりけるが、ゐんのごしよより、「おちうとあらば、よういしてみなうちころせ」と、げぢせられたりければ、ざいぢのものども、やねゐにたてをつきならべ、おそへのいしをとりあつめて、まちゐたるところに、つのくにげんじのおちけるを、「あはやおちうと」とて、いしをひろひかけ、さんざんにうちければ、「院方であるぞ、あやまちすな」といひけれども、「さないはせそ。ゐんぜんであるに、ただうちころせうちころせ」とてうつほどに、あるひはかしらうちわられ、あるひはこしうちをられて、むまよりおち、はふはふにぐるものもあり、あるひはうちころさるるものもおほかりけり。はちでうがすゑをば、さんそうどものかためたりけるが、はぢあるものはうちじにし、つれなきものはおちてゆく。ここにもんどのかみちかなりは、うすあをのかりぎぬのしたに、もよぎをどしのはらまきをき、しろつきげなるむまにのつて、かはらをのぼりにおちけるを、いまゐのしらうかねひら、おつかかり、よつぴいて、しやくびのほねを、ひようつばといて、むまよりさかさまにいおとす。せいだいげきよりなりがこなりけり。みやうぎやうだうのはかせ、かつちうをよろふことこれはじめとぞうけたまはる。あふみのちうじやうためきよ、ゑちぜんのせうしやうのぶゆき、はうきのかみみつつな、しそくはうきのはうぐわんみつつねも、いおとされてくびとられぬ。

また木曽をそむいて、ゐんへまゐりたるしなのげんじむらかみのさぶらうはんぐわんだいもうたれぬ。あぜつのだいなごんすけかたのきやうのまご、うせうしやうまさかたも、よろひたてゑぼしで、いくさのぢんへいでられたりけるが、ひぐちのじらうかねみつがてにかかつて、いけどりにこそせられけれ。てんだいざすめいうんだいそうじやう、てらのちやうりゑんけいほつしんわうも、ごしよにまゐりこもらせたまひたりけるが、くろけぶりすでにおしかけければ、おむまにめして、いそぎいでさせたまひけるを、ぶしどもさんざんにいたてまつる。めいうんだいそうじやう、ゑんけいほつしんわうも、おむまよりいおとされて、おんくびとられさせたまひけり。ほふわうはおんこしにめして、たしよへごかうなる。ぶしどもさんざんにいたてまつる。ぶんごのせうしやうむねなが、むくらんぢのひたたれに、をりゑぼしでぐぶせられたりけるが、「これはゐんにてわたらせたまふぞ。あやまちつかまつるな」とまうされたりければ、ぶしどもみなむまよりおりてかしこまる。「なにものぞ」とおんたづねありければ、「しなののくにの住人やしまのしらうゆきしげ」となのりまうす。やがておんこしにてかけまゐらせて、ごでうだいりへいれたてまつて、きびしうしゆごしたてまつる。

ぶんごのこくし刑部卿ざんみよりすけのきやうも、ごしよにまゐりこもられたりけるが、くろけぶりすでにおしかけければ、いそぎかはらへにげいでられけるが、ぶしのしもべどもに、いしやうみなはぎとられて、まつぱだかにてたたれたり。ころはじふいちぐわつじふくにちのあしたなれば、かはらのかぜさこそははげしかりけめ。さんみのせうとゑちぜんのほつけうしやういがちうげんぼふしのありけるが、いくさみんとていでたりけるが、さんみのはだかにてたたれたるをみつけて、「あなあさまし」とて、いそぎはしりよる。このほふしはしろきこそでふたつにころもをぞきたりける。さらばこそでをもぬいできせたてまつれかし。ころもをぬいでなげかけたり。みじかきころもうつほにかぶつて、おびもせず、うしろのてい、さこそはみぐるしかりけめ。さらばいそぎもあゆみもたまはで、びやくえなるほふしをともにぐしておはしけるが、あそこここにたちやすらひ、「あれなるはたがいへぞ。ここなるはなにもののしゆくしよ」なんどとひたまへば、みるひとてをたたいてわらひあへりけり。

しゆしやうはおふねにめして、いけにうかばせたまひたりけるに、ぶしどもしきりにやまゐらせければ、しちでうのじじうのぶきよ、きのかみのりみつ、おふねにさふら
はれけるが、「これはうちにてわたらせたまふぞや。あやまちつかまつるな」とまうされければ、ぶしどもみなむまよりおりてかしこまる。やがてかんゐんどのへぎやうがうなし
たてまつる。ぎやうがうのぎしきのあさましさ、まうすもなかなかおろかなり。
 

11 法住寺合戦(ほふぢうじかつせん)

げんくらんど仲兼は、そのせいごじつきばかりで、ほふぢうじどののにしのもんをかためてふせぐところに、あふみげんじやまもとのくわんじやよしたか、むちあぶみをあはせてはせきたり、「いかにおのおのはたれをかばはんとて、いくさをばしたまふぞ。ごかうもぎやうがうも、たしよへなりぬとこそうけたまはれ」といひければ、さらばとておほぜいのなかにかけいり、さんざんにたたかへば、しゆじうはつきにうちなさる。はつきがなかに、かはちのくさかたうに、かがばうといふほふしむしやあり。つきげなるむまの、くちのこはきにぞのつたりける。
「このむまはあまりにくちがつようて、のりたまつつべしともぞんじさふらはず」といひければ、げんくらんど、「さらばこのむまにのりかへよ」とて、くりげなるむまのしたをしろいにのりかへて、ねのゐのこやたがにひやくよきばかりでひかへたる、かはらざかのせいのなかへかけいり、さんざんにたたかひ、そこにてはつきがごきうたれぬ。

かがばうはわがむまのひあいなりとて、しゆのむまにのりかへたりけれども、うんやつきにけん、そこにてつひにうたれにけり。ここにげんくらんどのいへのこに、じらうくらんどなかよりといふものあり。くりげなるむまの、したをしろいがかけいでたるをみつけて、げにんをよび、「ここなるむまは、げんくらんどのむまとみるはひがごとか」。「さんざふらふ」とまうす。「さてどのぢんへやかけいりたるとみつる」。「かはらざかのせいのなかへこそいらせたまひつるなれ。おむまもやがてあのせいのなかよりいできてさふらふ」とまうしければ、じらうくらんど、なみだをはらはらとながいて、「あなむざん、はやうたれたまひたり。えうせうちくばのむかしより、しなばいつしよでしなんとこそちぎりしに、いまはところどころにふさんことこそかなしけれ」とて、さいしのもとへさいごのありさまいひつかはし、ただいつきかはらざかのせいのなかへかけいり、あぶみふんばりたちあがり、だいおんじやうをあげて、「あつみのしんわうにはちだいのこういん、しなののかみなかしげがこに、じらうくらんどなかよりとて、しやうねんにじふしちにまかりなる。

われとおもはんひとびとは、よりあへやげんざんせん」とて、たてさま、よこさま、くもで、じふもんじにかけわりかけまはりたたかひけるが、かたきあまたうつとつて、つひにうちじにしてげり。げんくらんどこれをばしりたまはず、あにのかはちのかみなかのぶうちぐして、しゆじうさんきみなみをさしておちゆきけるが、せつしやうどののみやこをばいくさにおそれさせたまひて、うぢへぎよしゆつありけるに、こはたやまにておつつきたてまつり、むまよりおりてかしこまる。「なにものぞ」とおんたづねありければ、「なかのぶ、仲兼」となのりまうす。「とうごくほくこくのきようとらかなんどおぼしめしたれば」とて、ぎよかんあり。「やがてなんぢらもおんともにさふらへ」とおほせければ、うけたまはつて、うぢのふけどのまでおくりまゐらせて、それよりこのひとびとは、かはちのくにへぞおちゆきける。あくるはつかのひ、木曽のさまのかみ義仲ろくでうかはらにうつたつて、きのふきるところのくびども、みなかけならべてしるいたれば、ろつぴやくさんじふよにんなり。そのなかにてんだいざすめいうんだいそうじやう、てらのちやうりゑんけいほつしんわうのおんくびもかからせたまひたり。

これをみるひと、なみだをながさずといふことなし。木曽のさまのかみ、つがふそのせいしちせんよき、むまのかしらいちめんにひんがしむけて、てんもひびきだいぢもゆるぐばかりに、ときをぞさんかどつくりける。きやうぢうまたさわぎあへり。ただしこれはよろこびのときとぞきこえし。さるほどにこせうなごんにふだうしんせいのしそく、さいしやうながのり、ほふわうのわたらせたまふごでうだいりへまゐつて、もんよりいらんとすれば、しゆごのぶしどもゆるさず。あんないはしつたり。

あるせうをくにたちいり、にはかにかみそりおろし、すみぞめのころもはかまきて、「このうへはなにかくるしかるべき、あけていれよ」とのたまへば、そのときゆるしたてまつる。なくなくごぜんへまゐつて、こんどうたれたまふひとびとのこと、いちいちにまうしたりければ、ほふわう、「めいうんはひごふのしにすべきものと、つゆもおぼしめしよらざりしものを。こんどはただわがいかにもなるべかりつるおんいのちにかはりたるにこそ」とて、おんなみだせきあへさせたまはず。おなじきにじふさんにち、さんでうのちうなごんともかたのきやういげ、しじふくにんがくわんしよくをとどめて、おひこめたてまつる。へいけのときはしじふさんにんをこそとどめられしか。これはすでにしじふくにんなれば、へいけのあくぎやうには、なほてうくわせり。まつどののひめぎみとりたてまつて、くわんばくどののP112むこにおしなる。

そのひまた木曽のさまのかみ、いへのこらうどうめしあつめて、ひやうぢやうす。「そもそも義仲いつてんのきみにむかひまゐらせて、いくさにはうちかちぬ。しゆしやうにやならまし、ほふわうにやなるべき。ほふわうにならうどおもへども、ほふしにならんも、をかしかるべし。しゆしやうにならうどおもへども、わらはにならんもしかるべからず。よしよしさらばくわんばくにならう」といひければ、てかきにぐせられたりけるだいぶばうかくめいすすみいでて、「くわんばくには、たいしよくくわんのおんすゑ、しつぺいけのきんだちたちこそならせたまへ。とのはげんじにてわたらせたまへば、それこそかなひさふらふまじ」とぞまうしける。さらばとて、ゐんのおんむまやのべつたうにおしなつて、たんばのくにをぞちぎやうしける。ゐんのごしゆつけあればほふわうとまうし、しゆしやうのいまだおんげんぶくなきほどは、ごとうぎやうにてましましけるを、しらざりけるこそうたてけれ。

さるほどにかまくらのさきのひやうゑのすけ頼朝、木曽がらうぜきしづめんとて、のりより義経にろくまんよきをあひそへて、さしのぼせられけるが、みやこにはいくさいできて、ごしよだいりみなやきはらひ、てんがくらやみとなつたるよしきこえしかば、さうなうのぼつていくさすべきやうもなしとて、をはりのくにあつたのへんなるところにぞましましける。ほくめんにさふらひけるくないはうぐわんきんとも、とうないはうぐわんときなり、このことうつたへんとて、をはりのくにへはせくだり、このよしかくとまうしければ、のりより義経、「これはきんとものくわんとうへくだらるべきでさふらふぞ。そのゆゑはしさいをぞんぜぬつかひは、かへしてとはるるとき、ふしんののこるに」とぞのたまひける。こんどのいくさにしよじうみなおちうせうたれにしかば、しそくくないどころきんもちとて、しやうねんじふごさいになりけるをあひぐしてぞくだりける。

よをひについでかまくらへはせくだり、このよしうつたへまうされければ、かまくらどの、「これはつづみはうぐわんがふしぎのことまうしいでて、きみをもなやましたてまつり、おほくのかうそう木曽うをもうしなひけることこそ、かへすがへすもきくわいなれ。これらをめしつかはせたまはば、こののちもてんがのさうどうたゆまじうさふらふ」とまうされければ、ともやすこのことちんぜんとて、よをひについでかまくらへはせくだり、かぢはらへいざうかげときについて、さまざまにちんじまうしけれども、かまくらどの、「しやつにめなかけそ。あひしらひなせそ」とのたまへば、ひごとにひやうゑのすけのたちへむかふ。つひにめんぼくなくして、またみやこへかへりのぼり、からきいのちいきつつ、いなりのへんなるところに、かすかなるていにてすまひけるとぞきこえし。

木曽さいこくへししやをたてて、いそぎのぼらせたまへ、ひとつになつてくわんとうへはせくだり、ひやうゑのすけうつべきよし、いひつかはしたりければ、おほいとのをはじめたてまつて、いちもんのひとびとはみなよろこばれけれども、しんぢうなごん知盛のきやうのいけんにまうされけるは、「たとひよすゑになつてさふらへばとて、木曽なんどにかたらはれて、いかでかみやこへのぼらせたまふべき。じふぜんていわう、さんじゆのしんきをたいして、わたらせたまへば、かぶとをぬぎゆみのつるをはづいて、これへかうにんにまゐれとまうさせたまふべうもやさふらふらん」とまうされければ、おほいとのそのやうをおんぺんじありしかども、木曽もちひたてまつらず。にふだうのまつどのてんが、木曽をめして、清盛こうはあくぎやうにんたりしかども、きたいのぜんごんをしおいた
ればにや、よをばおだしうにじふよねんまでたもちたんなり。

あくぎやうばかりにてよををさむることはなきものを、させるゆゑなうておしこめたてまつたるひとびとのくわんどども、みなゆるすべきよしおほせければ、ひたすらあらえびすのやうなれども、したがひたてまつて、おしこめたてまつたるひとびとのくわんどども、みなゆるしたてまつる。まつどののおんこもろいへこう、そのときはいまだじゆにゐのちうなごんにてましましけるを、木曽がはからひにて、だいじんせつしやうになしたてまつる。をりふしだいじんあかざりければ、とくだいじどの、そのころはないだいじんのさだいしやうにてましましけるを、かりたてまつて、だいじんせつしやうになしたてまつる。いつしかひとのくちなれば、しんせつしやうどのをばかるのだいじんとぞまうしける。おなじきじふにんぐわつとをかのひ、ほふわうをばごでうだいりをいだしたてまつて、だいぜんのだいぶなりただが、しゆくしよ、ろくでうにしのとうゐんへごかうなしたてまつる。おなじきじふさんにち、さいまつのみしほはじめらる。そのひぢもくおこなはれて、木曽がはからひにて、ひとびとのくわんかかい、おもふさまになしおきてげり。へいけはさいこくに、ひやうゑのすけはとうごくに、木曽はみやこにはりおこなふ。ぜんかんごかんのあひだ、わうもうがよをうつとつて、じふはちねんをさめたりしがごとし。しはうのせきぜきみなとぢたれば、おほやけのみつぎものをもたてまつらず、わたくしのねんぐものぼらねば、きやうぢうのじやうげ、ただせうすゐのうをにことならず。あぶなながらにとしくれて、じゆえいもみとせになりにけり。
 
 

巻第八 了



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2000.11.20
2001.10.05Hsato

原テキスト作成 荒山慶一氏

荒山氏のURLは以下の所にある。

平家物語協会(Heike Academy International)
http://www.cometweb.ne.jp/ara/

佐藤弘弥一部改変中